4.善行

 男の人は貧しい通りの家の前に立っていました。今日やるのは放火です。もうもうと立ち上る炎が見たかったのです。

 貴族の慌てふためく様子も面白いのですが、今は貴族を見たくありません。それに木造の家々の方が、炎がよく燃え広がるでしょう。

 盗んできたマッチの箱を開け、一本取り出します。細いそれを箱の側面に近づけていきます。

 その時、笑い声が聞こえてきました。声の発生源は、みすぼらしい家から飛び出してきた女の子と男の子です。姉弟なのでしょう。二人は仲よさそうに道で遊び始めます。女の子の髪はぼさぼさの茶髪でした。

「ちっ……」

 男の人は舌打ちすると、マッチの箱を投げ捨てました。そして火をつけることなく路地裏に帰りました。

 明るい太陽の光はここには届きません。それでも男の人はパーカーを被ったまま歩いていきます。

「今日は悪いことしないのね」

 すると少女が姿を現しました。昨日と同様パーカーの裾を掴みながら、感情のない瞳を男の人に向けます。男の人は表情をピクリとも動かしません。

「わたしは素敵だと思うわ」

 男の人が一瞬足を止めた隙に、少女が声を発します。昨日と同じように微かな笑みを浮かべました。

「俺に構うな」

 男の人が強めに手を振り払うと、少女はその場に尻もちをつきます。一言も声を発しません。それを一瞥もせずに男の人は速足で歩き去りました。

 男の人はとても苛ついていました。少女の笑顔にも、少女の態度にも、自分自身の行動にも、全てに対してです。どうにも収まらないこれを、男の人は不幸にぶつけようと思いました。不幸を求めるのが本来の男の人なのですから。

 あてどなく歩みを進めていたら、富裕層の通りに辿り着きました。貴族数人を殺せば気が晴れるでしょうか。男の人は路地から一歩踏み出します。

 そこで目についたのはある一人の少女です。いつも話しかけてくる少女とそっくり、いえ、少女そのものでした。しかしこぎれいな服ときちんと手入れされた髪の毛など、少女との相違点もあります。

 凛として歩く少女の口を押さえ、路地に引きずり込みました。急な出来事に目を白黒させる少女が、男の人の姿を認めました。恐怖に染まる少女の顔。男の人は久方ぶりに、ニヤッと笑みを浮かべました。

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