第3話
王宮は城壁にかこまれた旧市街の城とは違い、郊外の広い敷地に広大な庭園と多数の離れを備えた広壮な屋敷であった。国王は城で執政するし、戦時には王宮は閉鎖されるが平和な間はここが国王一家のくらしの場であった。国王は早朝から午まで城で執政し、午後はここでゆったりすごしながら陳情をきいたり側近と会談するのだという。ここに呼ばれるということでそれはひとかどの人物ということだ。
そんな王宮にも牢獄はある。古く、時には火をかぶることもあった城のかびくさくおどろおどろしい地下牢とは異なり、目立たない場所に作られた施錠厳重な小屋で、警備の兵士の詰め所の目の前である。
身分いやしからぬ人物をいれることも考慮してか、質素ながら清潔で居心地のよいように作られたそこに、くだんの女官が監禁されているはずだった。
「これはこれは赤の賢者様。ここはあなたさまのような方の通られるような門ではございませぬ。どうぞ正門よりご身分にふさわしくお入りくだされ」
「人目を忍ぶようもうしつかっておる。通せ」
驚く門番と押し問答をしていると、その姿を見とがめたのか、庭のほうから二人の人物がふうふういいながら走ってきた。
「かまわん。お通ししろ」
門番をそう制したのは立派な仕立ての服にたくさんの勲章をぶらさげた偉丈夫。白髪がちらほらまじった顔だちは五十前後か。
「おまちいたしておりました」
大臣より激しく息をきらしている四十男は儀礼用の略式甲冑をつけた武官で、勲章も二つ三つぶらさげている。甲冑の重量の分、走るのは大変だったようだ。
「やあ、大臣閣下、それに隊長」
老魔導士は鷹揚に鞍の上からあいさつした。鞍上とはいえロバであるから、あまり見下ろしている感じにもなっていない。
「どうぞ、こちらへ。ロバはお預けになって徒歩でねがいます」
「心得ておる」
厩舎につれていくよう門番に手綱を渡すと、魔導士はその場の最高齢者とは思えぬ身軽さでロバをおりた。
「さて、さっそくだが見せてもらえるかな? ひなげしと名乗っておったゴーレムを」
「それが」
小屋に案内しながら隊長が口ごもった。
「どうした。座敷牢にいれておるのではないのかね? 」
「昨夜のうちに逐電しおりました」
大臣がこともなげに答えた。
「なに」
暁雲は隊長の顔を見た。
「あんたの部下はなにをしておったのだ」
「これより尋問をいたすところで」
「ふむ」
魔導士は少し考えてから二人に提案した。
「そのまえに、逃げたという小屋を調べさせてくれんか? 何かわかる質問ができるかもしれん」
「あいわかりました。こちらへ」
小屋に入るには、二重に施錠された扉をくぐる必要がある。一つ目を通るとせまい面会室になっており、ここで鉄格子をはさんで囚人と会話できるようになっている。囚人はその横の頑丈なかんぬきで閉ざされた扉を出る必要があり、そうでなければ風になって頑丈な鉄格子のはまった窓か、奥に用意された小部屋から排泄物のようになって出て行くしかない。
「ふむ」
魔導士はかんぬきをきいきいきしませながらもてあそんだ。
「これは外からなら誰でもあけられるのだな。南京錠ひとつかけないのか? 」
「ここに監禁された貴人を時の国王がゆるし、手ずから釈放したりすることもございますので」
「なるほど、南京錠がちゃがちゃではさまにならんのう。しかし今回の囚人は貴人でもなんでもなかろう」
「習慣だったかと。叱っておきます」
「いや、そういうとこは隊長、あんたが責任もって指示してやらんと。兵たちにわかるわけがあるまい? 」
「いやいや、それは隊長にも判断むずかしいかと。これは大臣である私がちゃんと指示すべきでしたね。隊長、これからは厳重に、ともうしつけたらここに南京錠をおねがいしますよ」
「かしこまりました」
このやりとりを面白そうに見ていたのは魔導士の弟子だった。
(隊長が恥をかかされるところを大臣が泥をかぶって恩着せか。それでも隊長が部下になすりつけようとしたことは消えないんだが)
そして仏頂面の師匠の横顔を見る。
(この人撃つのに口実がさえあれば遠慮おぼえない人は多そうだなぁ)
彼は小さくためいきついた。
その魔導士はかんぬきをしさいに眺めて「ふむ、特に中からなんかやった気配はないのう。やはり逃がしたものがおるのであろう」とつぶやいている。
「中をあらためてよいか? 」
「それはもう」
かんぬきをまわすときいっと小さくきしんで重く分厚い扉が内側に向かって開いた。
質素だが上等の寝台と寝具、床は表面こそきれいに磨かれているが石のブロックであり、少々力自慢でも動かせるものではない。貴人が入ることを考慮してか絨毯をしいて底冷えを緩和している。そして書架が一つ。囚人の暇をなぐさめるためだろう。同様に燭台をおいた書き物机があり、ペンと紙をそなえつけている。
奥の小部屋はトイレである。排泄したものは下の肥だめに落ちるようになっているが、人が通れる太さにはなっていない。小窓があるがこれも鉄格子ががっちりはまっている。主室の窓も同様だ。
つまるところ、扉を堂々とでていったとしか思えないのである。
最後に魔導士は一言真言をとなえた。
「観!」
小屋の壁といわず天井といわずうっすら光る模様があらわれた。
「見たか? 」
魔導士は弟子に問いかける。
「見ました」
「聞かせよ」
「結界に異常はありません。魔法的な手段で脱出しなかったと思います」
老魔導士はだまって寝台の上の窓をさした。消えていく光の帯に少し歪みがある。
「見立ては正しいが、これを見落としたの。普通の劣化であるから後で直しておけ」
最後に魔導士は小屋の中を見回した。
ベッドに寝た跡があり、燭台にともした跡があった。書き物机には書架から一冊抜き出されておいたままになっている。
「刺繍に見る女系の研究、か」
刺繍の技術、デザインとその混交、継承について研究した本で、詳細な図解を備えた本だった。貴婦人を意識して書架に格納されたのであろう。
「最後まで女だったようだな」
ふん、と魔導士は鼻で笑った。
「まるっきり人間そのものだ。くそ坊主がぼけてたのでないとすれば、これほどのものを作れるのはほとんどおるまい。くやしいがわしにも無理だ」
「賢者様には作り手に心当たりが? 」
問うは隊長。
「あっても確証がない。仮に作り手がそれだとしても、今回の件にはかかわりあるとは限らぬ。力ある魔法の使い手に無礼あるは大変危険なことぞ。隊長」
「はは」
冷や汗をかいて隊長はうつむいた。
「外の鍵だが、普通にあけられておったのだな? 」
「はい、ごらんになりますか? 」
「そうだな、そのあと衛兵たちに質問するとしよう」
外の鍵に異常はなかった。妙な引っ掻き傷もなく、魔法の痕跡もない。
「普通に鍵を使ったようだね」
「そのようです」
「では、当番兵たちに質問する時間だ」
控えの小屋に、仲間に見張られて三人の衛兵が待っていた。
目立つ特徴だけいえばヒゲ、ハゲ、デブの三人である。落ち着き払っているように見えたが、目がきょろきょろとさだまらない。
魔導士は微笑みさえ浮かべて彼らに質問した。
「囚人を逃がしたのは君らかね? 」
衛兵三人はそろって首をふった。
「では、鍵をだれかにわたしたかね」
やはりそろって首をふる。
「では、なぜ下手人が鍵をもっていけたのかね? 」
「それは、えー、勝手に持ち去ったのだと思います」
ヒゲが奥歯にものがはさまったような感じで答えた。
「諸君はそれを許したのかね」
「エー実は昨晩は三人とも意識不明でありましたので」
ヒゲが答えるのをハゲが咳払いして黙らせようとする。魔導士はにこにこした。
「ほう、貴公らは不寝番ではなかったのか? 」
「差し入れがあったのであります」
しょうがないとハゲが重い口を開いた。
「隊長が時たま酒をさしいれてくれるのでありま……」
説明しようとしたデブが隊長に睨まれてだまった。
「そして寝てしまったと」
魔導士の笑いは悪魔の微笑みめいてきた。
「酒の瓶や杯はどこかね? 」
「賢者どの、ひとこと申し上げれば……」
「あんたの言い訳は後だ」
隊長の目の前でぱちんと小さな稲妻が走った。
「杯は朝一番に洗ってしまいました。瓶は隠してあります」
魔導士は彼らを見張ってる同僚の衛兵に目をむけた。
「もってきてくれ」
見張ってる衛兵はぎょっとした顔をした。
「勤務中の飲酒を責めるわけじゃない。昨晩、こやつらの飲んだ瓶をみたいだけだ。飲んでなくとも、いつもどこに隠すかはしっとろ? 」
隊長は目をつぶってうなずいた。衛兵の一人がお辞儀する。
「承知いたしました」
戸棚の裏から瓶がでてきた。魔導士はそのにおいをかぎ、残った一滴を手のひらに受けてちょっとなめてみた。
「ああ、やっぱり一服盛られたね。こいつは酒とあわせるとてきめんにねむくなる薬だ」
「賢者殿、私ではありません」
「わかっとるよ、隊長。あんただとしたら、回りくどい上に自分の首をしめとるじゃないか。そんなアホではあるまい?」
魔導士はさとすように言った。
「ことを明かせばあんたの潔白は明らかになろう。そりゃ少々の処罰はあるかもしれんが、反逆罪に問われるよりよかろう? 」
隊長の目はきょろきょろしていた。小心な彼には少々の処罰も恐ろしいものらしい。
魔導士の弟子は小さくためいきつくと、ごにょごにょと言葉を練ってふっと隊長の耳めがけて飛ばした。
「魔法の伝言にて失礼します。師匠が脅すようなことをいってもうしわけありません。勤務中の部下に酒を飲ませていた件についてはこれは大臣閣下の胸三寸かと思いますがいかが? 」
隊長は微笑んで会釈する弟子をぎょっと眺め、そして大臣のほうを見た。
大臣はふっとため息ついて小さくうなずいた。
「あいわかりました」
隊長は精一杯の威厳をこめて魔導士にそう答えた。
「では、質問を続けよう」
魔導士はとんとんと机をたたく。
「ここは王宮の敷地だが、どうやって持ち込むのかね? 」
三人組がちらっと隊長の顔を見る。大丈夫そうだ、と判断してヒゲがこほんとせきばらいして答えた。
「エー、その日の当番の者の家に届くので、弁当と一緒に持ち込むだけでございます」
「ほほう、すると眠り薬入りの酒は昨夜の当番が誰か、そしてその家がどこか知るものの仕業というわけじゃな」
「エー、そうなりますな」
「酒は誰の家に? 」
「自分であります」
デブが手をあげた。
「勳殿がお持ちになりました」
隊長がうめいて額を押さえた。
「何者じゃ?」
「隊長のご子息で近衛の士官でござる」
「隊長、呼んできていただけるかな」
「おらんのです」
消え入りそうな声が返ってきた。
「今朝から息子の姿がないのです」
「ほう」
魔導士は大臣に尋ねた。
「ご存知であれば、どのような若者かお教え願えますかな」
「まじめな若者ですよ。少し地面に足がついてない感じはありますが、酒におぼれるでもなく、ばくちにうつつをぬかすでもない。女でもめごともおこしたこともない」
「ふむ。そんな若者が、自分の顔をさらして父親の部下に一服もって、そして姿を消したとしたら、動機はなんとなく察せられますのう」
「いや、まさかとは思いますが」
「ひなげしと一緒に働いておった女官の話を聞けますかな? 」
「さよう、手配いたしましょう」
「隊長、あなたはご子息の土地勘のある場所へ誰か派遣して探させてくだされ」
魔導士は小さくなっている武人に声をかけた。
「こうなっては、父親であるあなたの手で身柄を確保するべきでしょう」
「わかりました」
すっかり小さくなった武人は弱々しく、しかし怒りを宿した声で答えた。
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