鶴の千声雀の一声

「――朱雀」

 この場にもうひとり、火威の正体を知る者がいた。鸚哥(いんこ)に似た青い髪は、現在襤褸(ぼろ)切れで隠されている。あのとき痺れ薬を浴びたが、同胞のお蔭で素早く解毒に取り掛かることができていた。

 その声は喧騒に巻き込まれ、誰も耳に入れることができなかった。だが直に皆目の当たりにするだろう。そうして再び、のうのうと神は生きることになる。

 許せない。あの火の神は、また民を焼く。風切は父を亡くしてから初めて、怒りで顔を歪めた。




 黒羽の朱雀は、羽根を平行にして、火刑台に降りてくる。いきなり現れた奇跡に、罪人も執行人もただただ固まっていた。これより磔(はりつけ)にされるであろう男は、話に聞いていた彼の父親にそっくりだった。

「名は、嘴か?」

 呼ばれて嘴は、鼻息荒く何回も頷く。やはりそうであったか。哢には世話になったから、彼とひとつ約束をした。父は星長に掴まっている、助けてほしいと。まさか命の危機に晒されているとは思ってみないだろうが、間一髪というところだった。

「助けに来た。あなたたち、彼を放しなさい」

 火威は人の姿に戻り、武官たちに言い放つ。飛べる鳥に転変できるのは朱雀しかいない。しかしあの羽根の色は――。どよめきながらも、本物であると感じ指を離そうとした。

「馬鹿者ども! そいつは偽物だ!!」

 怒声を上げたのは鶏頭だ。細い身体で、それでもふくよかだったころの杵柄か、太い声を発する。翼帯は自身の信じる長の言葉を聞いて、改めて嘴の襟首を握り直した。

 火威は鶏頭のほうを静かに振り返り、軽く睨んでいる。

「黒羽なら朱雀とは呼べん! 貴様は神ではない!」

 誠に不敬虔(ふけいけん)な物言いで、対峙しているのが本物だったときのことを考えていない。この話はどこへ行っても付いて回るだろう。それならばいまここで、皆を認めさせるべきだ。

「星長、鶏頭ですね? 僕は紛れもなく朱雀です。証(あかし)の赤は、瞳に宿りました」

「朱の羽毛でなければ認められないぞ! 何の茶番だ!?」

「羽根の色は黒です! 先代がそうせよと、僕の身体を作りました」

 そうはっきりと宣言したのち、民たちが水を打ったようにしん、と静まり返る。おかしいくらい一斉に、その眼は火威に向けられ、そして恐怖しているようだった。

「炎麗樣の、呪いだ」

 誰かが哀嘆の声を、その水面に擲つ。無意識の内に口に出していたのか、その後で息を呑む音がした。

「呪い……?」

 いやしかし呪いとは。いったい何のことだ。火威が戸惑っている中、民は再びざわめきを取り戻す。口々に好きなことを発言しているせいで、さすがの火威でも聞き取れない。しかしこの場にいるので分からないのは、火威だけのようだった。

 助けに来た嘴でさえも、打ちひしがれたように肩を落としていた。

「ヒィッ! 炎帝樣、どうか私だけはお助けください!!」

「何を跪いている、翼帯!!」

「え、ちょっと――?」

 勢いで武人は嘴から手を離してくれたが、何が起こっているかさっぱり分からなかった。深く叩頭する翼帯と、やるせなくこちらを覗き込む嘴を交互に見て、自分の使命を忘れそうになる。民のいくつかは図体のでかい彼が縮こまったのを見て、同じように跪拝の形を取った。それぞれが許しを請うているようだ。

「ま、待ってください! いったい呪いとは――」

「呪いの仔だ! 彼奴(あやつ)は我々を滅ぼすのだぞ!? いま忠誠を誓っても、いつか掌を返されるかもしれないではないか!」

 無知は罪だ。喧騒の場で言葉を発することをさせない。それがとても悔しくて歯噛みする。

「僕はそんなことしない!!」

 しかし唯一、そのことは誓って言える。民を滅ぼすつもりなら、初めから允可も受けないし、再度戻ってくることもしないだろう。それに先代の呪いと言われても、火威には記憶など一切なかった。それではどんな卑劣な野望も、叶えることができない。

「みなさん、落ち着いてください! 僕は先代とは違います! 呪いがあるというのなら、僕が助けます!!」

 その宣言は神々しく、民の心を打つはずだった。心優しい次代は、心(しん)からすべての安らぎを祈る。異端ではあるが、その逆境を跳ね除け、良き王を目指して邁進(まいしん)する気だった。

「何を言うか! オレは……、先代に父を殺されたのだぞ!?」

 軽いが、煮え滾るような青年の声。それを皮切りに炎麗の罪が明らかになる。こちらは母を、あちらは兄を、そちらは姉を。その罪を被るには火威の肩は小さく、それでいて脆かった。

 怒りは脚を掬い、へたり込んでしまう。負けてしまう。神の意志が。幼く、弱く、潰してしまいそうになる。

「無礼な!!! 貴様ら、どなたに向かって言及しているのか、分かっているのか!?」

「――っ!」

 その勇ましい嘶きに、火威は顔を上げた。南のほう、湿地から猛然と迫ってくる獣の姿がある。腹の部分が血で汚れていたが、奇跡的に塞がっているようだ。獣者もまた、神の恩恵を受け、驚異的な回復を見せる。

「ええい、忌々しい……! 誰でもいい! 朱雀を殺せ!!」

 鶏頭の指示に従って、武官の数十人が獲物を抜く。須らく彼らは、炎麗に家や家族、仲間を焼かれた者たちであった。ある者は剣を、ある者は弓を、火威とその獣者に向ける。

 しかしただひとりは、まだ獲物を抜くときではないと冷静に観察していた。久し振りに感じた怒りで我を忘れそうになったが、唇を噛むことで何とか冷静さを取り戻している。口元には血が滲んでいた。痛くはない。もうすでに、痛みなど感じない。しかし胸を焦がしてやまない火傷は、いくら経っても癒えやしない。

「火威樣、口を覆ってください」

「蛇結茨!? ――むごっ!」

 それ以上は語るなと言わんばかりに、いつの間にかやってきた巳は火威の嘴(くちばし)に巻き付いた。駒草と共に参っていたはずなのに、なかなかどうして、彼の脚は速い。いや、そもそも巳の姿を取れば、山野でなくとも速いはずなのだ。蛇結茨は民の足元を縫って、火威の傍へと移動したらしかった。

 口を覆えと言われたが、その答えはすぐに解明する。人垣に突っ込むと思ったら、駒草が転変し、ありったけの薬瓶を投げ込んだのだ。それは彼女とてどのような作用を示すか分からない。まさに命懸けで自分を助けようとしてくれている。

 羊蹄は二本の鞭を使い、飛んでくる獲物を打ち落としている。弓の一本、剣の一太刀に至るまで、その性格さは狙撃手のようであった。

 命を狙われているとはいえ、何やらこちらも悪いことをしている気になってしまう。

「蛇結茨、無事だったんだね……」

「はい、一時はどうなることかと思いました。火威樣のお傍を離れてしまい、申し訳ありません」

「ううん、来てくれて、ありがとう」

 もごもごと、獣者に語りかける。その感謝は、闘諍(とうじょう)の中にある他の獣者にも捧げねばなるまい。どうかこの争いが安らかに終わりますように。どうしたら自分を朱雀だと信じてくれるのだろう。

「そうだ、一声――」

 ――一声鳴けば。

 神の鳥の就任は熱気と、一声上げることで完成する。身体を案じている蛇結茨をゆっくり解(ほど)き、座り込みながらもその体躯は鳥の羽根を生やしていく。腕は翼に、足は脚に、唇は嘴に、それでも赤く染まった双眸は変わりない。瞬膜をひとつ張ると、中央の鶏頭を見据えた。

 聞いてほしい。届いてほしい。自分は神で、神は自分なのだ。だからといって抑制しようとは思っていない。信じてほしい。

 ――どうか、先代ではなく、僕を。

 その劈(つんざ)きは、民のみならず獣者の耳も裂きそうだった。

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