終章 緋色爆ずる

黒い希望

「朱雀は誤報であった! この嘴が、息子を使って偽造したのだ!」

 鶏頭は、高らかに宣言する。獣者は、現在息はあるものの重傷を負い、回復するのには時間が掛かるだろう。腹を裂いたと聞いたので、放っておけばこのまま死に絶えるかもしれない。朱雀は星の外へ逃げたらしいが、産まれたてではどこかで野垂れ死ぬのが関の山だ。

 星長は気付かれぬよう口の端を歪め、民に詭弁を諭す。正面遠くの火刑台には嘴が翼帯に組み敷かれ、余計なことを喋らないよう布を噛ませてあった。彼はこれ以上ない道具だ。街外れの歴史家の父子など、あまり良く思っている者もいない。

 これで名実共に民の、いいや、鶏頭の天下となる。

「朱雀はまだ誕生の兆しすらない! 神は我々を見捨てたのだ! これからは人が、人の政治をするべきなのだ!!」

 まるで忌物(いみもの)。朱雀を遠ざけるように囃し立てる。機能しない神など必要なく、人が星を治めるべきだと豪語しているのだ。耳に打つ言葉は嘴には痛く、そして無力な自分を呪った。そしていまとなっては息子の無事を祈るばかりだ。

 ――無事でいてくれ……!

 この場に居ない神に、どうか見守ってほしいと願った。自分はどうなってもいいから、息子だけはどうしても、と。これ以上愛する者を失いたくはない。

「何だ、あれは!?」

 嘴が絶望に打ちひしがれている間に、周囲が何かとざわつき始めていた。翼帯の手も緩んだので、この囚人も皆がそうしているように空を仰ぐ。そこには一隻の船が漂っていた。遊星玄武の印が刻まれており、その貿易がないわけではない。しかし港に停泊するのであれば、この場所を通ることはなかった。そもそも来るにしても一歳次に一回程度であり、親睦に使う船でもない。

 その帆先から、地を見下ろす影が立っている。旅の無事を祈る人形だろうか。いや、それは確実に張り出した鉄の棒の上に乗る、動くものだ。その影が揺れたかと思いきや、突然こちらに向かって急降下してきた。

「何か来るぞ!?」

「大丈夫なのか!?」

 男は怒鳴り声を、女は金切り声を上げる。皆口々に悲鳴を漏らす中、嘴は呻くことしかできなかった。それは他とは違う驚愕で、朱雀の姿を知る唯一の希望である。

 黒い、塊。一見硬い鉄のようにも見える。緋袴だけが違和を感じさせるが、それよりも有り得ないのは両腕が翼になっていることだった。瞳は紅く燃えながら、我々を見据えている。

 あれは我らの、朱雀だ。




「哢、いままで良く守ってくれました」

「いえ、とんでもないです!」

 彼は、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。まだ歳若いのに立派だ。畏れているのか顔はあまり上げないが、必死に額に汗を掻いているのを火威は知っている。

 獣者を失い、絶望と落胆でどうしようかと思考を渦巻かせていた。それを親身に支えてくれたのは哢である。お蔭ですっかり身体も癒えて、船の先端で自星を見下ろしていた。

「哢はどこかに降ろしてもらいなさい。玄武の民のみなさん、本当にありがとう」

「有り難き幸せ。この上ございません」

「それは水掬さんにこそ、言ってあげてください」

 火威は優しく笑むと、船長である壮年男性の謝辞を軽く受け流す。それでも受け取らないということはなく、否定はしなかった。跪拝した彼らを最後に見渡して、もう一度進行方向へ身体を向ける。

 暖かい風。もうこの上着は必要ないだろう。するりと脱ぎ捨てると、甲板に投げてやる。後から気付いたが、あれは羊毛でできており、否応なく羊蹄を思い出された。

雪の女王と同じ、白い肌が顕わになる。それを、彼女が欲しがった黒い羽毛で埋め尽くし、風を読んだ。バタバタとはためかせながら、すべての羽根で空気の流れを掴む。すでに転変の要領は得ているようで、獣の魂と波動を合わせている。

 船の中で聞いたが、火威は神力が強いらしい。自分では良く分からないが、神は人の姿で産まれて来ないのだと哢は言った。自分が例外とのことであれば、力が初めから大きく備わっているからではないかとの話だったのだ。

 ただ、いまとなっては、真偽はどちらでもいい。力が強いならそれに越したことはないが、この己にできぬことは何もないだろう。

 火威は大きく息を吸い、そして鳥脚(もみじ)は放たれた。

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