今生の別れ
「退(ど)けっ!!」
左頬に少女の平手打ちを食らって、火威は痛い顔をする。それでも彼はそこを退こうとはしなかった。
「ダメだよ。いま退いたら、見えちゃう」
「――っ!」
朱雀はその黒い羽根で、水掬の肌を隠しているのだ。そこにいるのは自身の獣者と朱雀の民ひとりとはいえ、必要以上に人目に晒されることは避けたかった。いままで顔を隠し、手足を隠し、守ってきた意味がなくなってしまう。何のために愛する母まで引き離したか分かりはしない。母と同じ壇上に居たら肌の違いなどすぐに見破られてしまう。
「どうしてだ……?」小さな吐息は、消えそうなほどか弱い。「どうして、妾が欲しかった色を、持っている?」
「僕だって、欲しくて産まれたわけじゃない」
見れば、水掬の目尻には涙が浮かんでいた。くしゃりと顔を歪めている。泣くことのできない火威にとっては、何とも羨ましい限りだ。朱の羽毛とは行かないまでも、彼女と色を交換することができればいくらかマシなのかもしれなかった。
「でも、これが僕だから。受け入れるには、時間が必要なんだと思う。僕の場合は昔のことも、これから知っていかないといけないし」
「だから妾は、……貴様を朱雀とは認めない」
言葉の通りなら、自分は朱雀ではないのだろう。火威は悲しみながらも以前、駒草から聞いたことを思い出す。先代の意志で、この羽毛の色にされたと言った。難しそうに説明する獣者の顔を追想し、若干の懐疑心あれど、彼らを救わなければと改めて決意する。羽根の色が何だ。自身が成すべきことは変わらない。
「水掬さんにも、允可をあげます。肌の色が違っていても、星を治める能力に変わりなんてない」
「ふざけるな! その物言いは腹が立つ!」
同じく異端だと知られてしまったからか、火威には余裕があるように思えてしようがない。しかしそれは星々を廻った際に培ったものであり、水掬には一生手に入る経験ではなかった。
殻に籠って女王として立っていれば、異端など知らないで済んだのだ。区別を意識させてしまう異端者が嫌いで、何よりもそうして誕生してしまった自分が、大嫌いなのだった。
「水掬様! これを!」
獣者が水掬のフェイスヴェールを持ってくると、急いで引っ手繰る。次いで抑えられていた左前脚を引き抜き、丁寧に顔を拵えた。白い肌は再び髪とヴェールに隠されて見え辛くなる。
「退きなさい。もういいはずだ」
「失礼いたしました。いきなりごめんなさい」
水掬は面白くなく鼻を鳴らし、猪子槌に袖を引かれながら起き上がる。唇を尖らせながら、神を心から信じ、なおも平伏す民に声を掛けてやった。暴動を起こすこともなく、ただじっと控えることは出来難いだろう。
「おい、そこの朱雀の民! 護衛と船を出す。全快まで看てやれるかは分からないが、ひとり医師を乗せよう。炎帝を遊星朱雀まで送り届けるんだ。この妾が允可を授けてやるから、さっさと帰るがいい」
「水掬さん……!」
「感謝なら貴様の民に言ってやれ」
「そうですね、ありがとうございます」
「玄帝樣、ありがとうございます!」
早速港では、水掬の命を受けた船が待ち受けていた。今度は鼠刺が伝達に行ってくれたらしい。目的地に着いた火威は、後ろを振り返り労(ねぎら)いを掛ける。いまでは水掬に仕立ててもらった、厚手の防寒着を上に着ていた。
「感謝します、皆さん」
「いえ、わたくしは何もできておりません」
声を上げたのは牛莎草だ。ここまでは彼が送り届けてくれた。歩みは遅いが、しっかりと雪を踏んで進んでくれたのだ。その隣には鼠刺も控え、こちらは少し得意そうである。
水掬はこの場には来なかった。猪子槌もまた、彼女の傍を離れられないと出向くことはなかった。それでも火威は、感謝をすべてに向ける。一番の功績は哢であった。水気に弱い朱雀を雪に晒さないように必死で抱えてくれたお蔭で、あまり大事に至らずに済んだのだ。彼にとって水は、人が火に焼かれるのと同じ痛みを生じさせる。
最後の別れをして、恐らくはもうほとんど会えない顔を見渡す。思えばそれぞれの星の者たちにも今生の別れをしてきたのだ。口惜しくも再会を望むことはない。再び相(あい)見(まみ)えるときは、星か、もしくは神に何かが起こったときだから。
鉄の船は自重に似合わず、ふわりと滑り出した。
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