使命と允可
「追い返せと言ったであろう!? なぜ連れてきた!?」
静かに憤怒を受け、猪子槌は申し訳なく思う。水掬と良心との板挟みで心苦しい。あの場合、自分では不適合な依頼だった。図体に似合わず道端の花を愛でる。
「申し訳ありません、水掬樣。炎帝樣は随分と弱っておりました。遊星朱雀で何かあったやもしれぬと、感じまして――」
「知らぬわ! 船でもいいから追い返せ!」
「水掬さん、どうぞ……そうしてください」
割って入ったのは、火威だった。哢に支えられるようにして、水掬に対峙する。上半身は翼を出した影響なのか、衣服が八つ裂きにされて羽織るものもなかった。
制止を振り切ったのだろう。まだ顔は青ざめている。それとも肌半分を覆う黒い羽根がそう見えさせているのかもしれなかった。人への姿は取っているが、神力が充分ではなく完全に滑らかな皮膚を表すには至っていない。翼も覗いているが、冷気で皺が寄っていた。
「フン! 無礼な。妾に許可なく立ち入るとは!」
「炎帝樣、もうお身体は宜しいのですか?」
「僕は帰らねばなりません。どうか船を……」
ふたつの言及には、答える余裕はなかった。自分の成すべきことをしなければならない。まずは駒草を、獣者の安否を確認しなければ。どのくらい経ったかは分からないが、早くしなければ。
哢は他星の神を前にして、跪くべきか火威を支え続けるべきか互いを見比べていた。それを見て取って、朱雀は気丈にも肩に置かれた手を優しく解(ほど)く。戸惑いながらも跪拝の形を取った。
「しようがないので船だけは貸してやる! 恩は忘れるな!?」
「もちろんです。一刻も早く行かなければ――」
「あの、水掬樣。炎帝樣は弱っておいでです。その、せめてお話だけでも……」
なおも肩を持つ猪子槌を水掬はねめつける。自身が帰りたいと言っているのだから、もうそれで構わないはずだ。元気であろうが不調であろうがこちらには関係ない、と圧力を掛けた。水掬は異端が嫌いなのだ。
するとこの場に居た一番地位の低い者から声が上がった。例え異端であっても、自らの神を蔑ろにすることは許されない。せめて少しの力添えはしていただけないかと懇願を試みたのだ。
「恐れ入ります、玄帝樣! お初に御眼にかかります、わたくしは熱読みの民、名を哢と申します! この場での発言をお許しください!」
哢のほうは、玄武の官吏によく世話をされ、いくらか血色が戻っているようであった。服も厚いものを用意され、大人しく着込んでいる。一瞬の沈黙。恐怖だが、是と取ったのか哢は続ける。
「火威樣の獣者樣は襲撃に遭われ、大けがを負っています。何かお力を貸してはいただけませんでしょうか!?」
厭いながらも、口を開いたのは玄帝だ。火威と話をすることはないが、民に罪はない。
「……けが? 獣者が人に襲われた、と? 案ずることはない。彼らはそう簡単には死なん」
「しかし! このまま火威樣を星へ返せば、……殺されてしまいます!」
「神殺しは大罪だ。そこまでして己の首を締めようとはしないだろう。大方手籠めにしようとか考えたのではないか? 異端の星は民まで異端だな」
呆れたように頭を左右に振った。ブルームーンの青い髪が揺れる。ああ、火威も玄武と同じように朱雀の赤を髪に宿していれば、事態は変わっていたのかもしれない。惜しみながらも火威の瞳には、現状を受け入れる覚悟が見えた。
「お待ちください。それならば、星が傾く危険を冒してまで獣者を傷付ける必要がありません」
「もういいんです。これは僕が行わなければならないこと。船を手配してください」
「自身もそう申しておるし、適当に小舟を用意せよ」
「そんな、玄帝樣……っ!」
せめてご慈悲を、と申し上げようとしたが、それは火威によって制止される。ゆっくりと頭(かぶり)を振って、余計な心配をさせまいと優しく微笑んで見せた。
「哢、もう良いのです。僕は一刻も早く戻らなければ。星の長として、民を導いてやらねばなりません」
「ふん! 異端の者が星の長とは、可哀想なことだ」
冷たく罵る水掬には血も涙も通っていないのかと、哢は邪険に思うが、それでも火威は気丈さを失うことはなかった。自分の見目とは関係なく、水掬と対等に話し合うことを努めている。
「この地に降り立ってしまい失礼いたしました。船のご恩は忘れません。後程献上品を手配させましょう」
「允可も貰っていないのに大口を。腹を抱えて笑ってやるわ!」
「允可、を……?」
一民の自分には良く流れは掴めないが、允可を貰っていないとはどういうことだろう。それでは星の長として立てないのではないか。その不安を感じ取ったのか、火威は水掬に言い放つ。
「それはどうしようもないことです。そちらのご意思ですから、僕ではどうすることもできません。水掬さんが允可をくれないのならば、己で何とかするまでです」
「生意気な。貴様だけで何とかできるわけがない。神として立つことは、妾が認めぬ」
「それならばどうして認めてくれないのです!? そうやって見下ろして、こちらにはできぬこととただ笑っている! 僕は、星の上に立たなければならない!!」
互いの意見が交錯する中、朱雀は自慢の声をひとつ上げた。皆一斉に幼い男児へと注目する。認められない足掻きなのか彼はじりじりと水掬に迫り、血相を変えていた。長として王として神として、星を治めなければならない。
「例え嫌われていても構いません。でも民に道を見失ってもらっては困ります! 民を愛する貴女なら、お気持ちは分かるでしょう!?」
水掬は後退するも、すぐに下がれなくなる。前脚を振るうが、それは易々と火威に掴まれた。
「止めろ! 近付くな! 離せ!」
「鍵がなければ扉を開けることはできません。なければ壊すだけですが……、しかしお願いします! 民を傷付けることはできない。どうか允可という鍵をくださ――、ぐっ」
苦しみで倒れ込んだことに自分でも良く分からず、いつの間にか細い女児を組み敷いていた。その姿に火威は息を呑む。巻き込んでしまったことに罪悪感を覚えるが、それよりも驚愕する出来事だった。無理をしたせいで色彩を読み取ることにも影響が出てしまったのだろうか。天蓋の下、薄い暗がりではあるが、彼女の肌ははっきり見える。押し倒した拍子に、フェイスヴェールが外れてしまったのだ。
玄武は玄い亀。その肌は基本、甲羅と同じ色。水掬とてそれに変わりなかった。しかしひとつ違ったのは、持って産まれた甲羅が白磁であったこと。
彼女もまた、異端の神であった。
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