襲撃と転変

「駒草、火威樣のお傍を離れるな!!」

 必死に抵抗しながら、蛇結茨は叫喚する。羊蹄も参戦し、風切の動きを封じ込めようと努力した。しかし後方から姿を現した軍勢にさすがの獣者も舌を巻く。いずれも屈強な武人。官吏まで上り詰めるまであって、よく精練されている。

「あれは――!」

「申し訳ございません! わたくしが逃げ出したから、追ってきてしまったのかもしれません!」

「いや、哢とやら。あれは単にあなたひとりを追ってきたわけではなさそうだ」

 火威に深く叩頭し直した哢を横目に、駒草は冷静に分析する。それでも彼女の鼻息は荒くなっているようだ。ごくりと喉を鳴らし、奥歯を噛み締める。人ひとりにこの数は違和感があった。

 火威は駒草に守られて、杏の陰に姿を隠す。万が一のとき退路を断ってしまうので、穴蔵に戻ることはできない。午の獣者は胸元に手を忍ばせていた。懐には何種類もの薬が常備されている。そのひとつ、痺れ薬の存在を確認し、来たるときのために肩で息をしていた。

「火威樣、何があっても、そのときは気にせずお逃げください」

「駒草……?」

「大丈夫です。まだ子孫も残していないのに、死ねるわけがありません」

 背中越しなのではっきりとは分からないが、彼女は緊張しながらも笑ってみせる。それは単なる恋をしたことがないから死ねない、という意味ではなく、主を守ってゆく跡継ぎを成さなければ死んでも死にきれないという意味だ。だからきっと彼女は、いや彼女のみならず蛇結茨と羊蹄も――仔を成しているのかは不明だが――負けることはないだろう。

 だけれども、戦いの中傷付く可能性はあった。腕がもがれようが脚が斬られようが、恐らく意にも介さず敵に向かい続けるのだろう。主に刃を向け続けられる限り、獣者の攻防は終わることがない。

「駒草!!」

 遠くで、二頭がこちらを呼ぶ声がする。青年がひとり、素早くこちらに迫ってくる。

「風切――!」

 唯一見知っている哢が驚嘆を上げた。自分より速い彼は、剣術にも長けているようだ。駒草が投げる小瓶も俊敏に躱し、すでに眼と鼻の先に肉迫する。

「くっ!」

 駒草が足元で小瓶を破裂させたのが速いか、風切の一閃が腹を裂いたのが速いか、火威には見えなかった。しかしそんなことはどうでもいい。いままで傍にいた獣者が、鮮血を噴き出してよろめいている。

「うあ――――!!!」

 それは途中から人のものだったのか、鳥のものだったのか定かではない。恐怖は避難を余儀なくさせた。火威の背中には大きな黒い翼が生え、どこへ飛べばいいのか分からず暴れている。

「火威樣!?」

 この場で手を伸ばせるのは哢しかいない。いくら神とはいえまだ仔どもだ。手を引いて胸に寄せようと試みるが、飛翔能力のほうが強かった。羽根はアンズの葉を巻き込み、突風を起こす。蹲っているのに肩だけ動いて、火威ではどうしようもなかった。

「落ち着いてください! 落ち着いて――!」

 羽根の邪魔だけはしないようにと、宙に浮きながらも火威の身体を抱える者がいる。だが先程知り合ったばかりの少年では、神を宥めるには至らなかった。降りられないほどの高さになったとき、哢は諦めて火威にしがみつく形を取る。年端もいかない仔に縋るなどどうかとは思ったが、いまとなってはこの稚児のほうが上位だった。

 天空を貫き、寒い宇宙(そら)へと投げ出される。この場所は危険だと知らされているが、実際に通る人はほとんどいないだろう。星間を渡れるのは神と、その恩恵を受けた者だけ。只人ならそれに、船が要る。

「いっ!?」

 それを生身ひとつで、いくら神に掴まっているとはいえ、受けるのは何とも希少な出来事だった。身体に触れ合っているお蔭なのか生死に影響はない。ただ背筋を凍らせることには成功しており、精神的なものなのか肉体的なものなのか歯がガタガタと鳴った。

 その音も耳を這わず、哢はとてつもない孤独を感じる。それでも抱える朱雀は、もっと絶望を感じているのではと察して、しっかと掻き寄せて離さない。ひとつの他星の重力なのか、それとも飛び続けることに疲れたのか、星空を抜け冷たい風に煽られて鳥は次第に地に落ちていく。焦りながらも哢は周りを見渡し着地できるところを探した。地面は白一色で藁のひとつもありはしない。

「うあっ!?」

 遂に耐え兼ねたのか、火威は地表に突っ伏した。高さとしては哢の倍ほど。辛うじて命を奪う距離ではなかったが、それでも痛いだろうと覚悟する。白い地面を見るのは初めてだ。鋼鉄のようであったなら、骨の何本かは折れてしまうだろう。それでも少年は自らの神を守るため背中から落ちてやった。

「くぅ……、冷たぁ」

 ばふり、と落ちた先は、意外と痛みはなかった。それより何より悪寒が哢の身体を巡る。これは何だ。柔らかさからすると新種の黴(かび)だろうか。ならば吸い込むのは危険かもしれない。降り積もるものも危ういと感じて早々に起き上がる。

 腕の中ではぐったりと、黒い朱雀が横たわっている。初めは翼しか鳥の部分は出していなかったが、いつの間にか完全に鳥類の形をしていた。人の赤子ほどへと縮んだ神は、改めて哢の腕へと抱かれ移動させられる。背中のほうに高い山と建物が見えたので、人がいるだろうと踏んだのだ。

 少年はひとつ勘違いをしていた。これは氷の結晶で、人体に害はない。動きにくさから足を取られるが、少しずつ進んでいった。鼻の頭を赤く染め、鼻水を啜る。感覚なんてものもすでにはなかった。しかし腕と胸にはまだ暖かさを感じられる。死なせてはいけない、絶対に。

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