第五章 朱雀転変

帰郷と暗躍

 再び星間を駆ける。辺りを見渡せば渡ってきた星々。懐かしくも一瞬だった時を想い、火威はそれでも自身の星に帰れることに安堵していた。やはり熱気が一番身体に合っている。恒星が爆ぜる風を浴びて、湿地に降り立った。久し振りに見た杏に顔を綻(ほころ)ばせる。

「杏!」

「火威樣、お帰りなさいませ」

 いくらか成長したようにも見える主神に、杏も喜ばしい。駆け寄ってもう少し間近で確認しようと思った火威は、ふいに足を止めた。杏の空洞の中に、誰かの影が見えたのだ。

「ああ、これは……」気付いた杏が、不在中にあったことを説明する。「民です。何やら尋常でない雰囲気であったため、わたくしの判断で匿いました」

「それは、いつかの熱読みの民ですね」

 会話に加わったのは羊蹄だ。以前会った少年の顔を覚えていたのだ。確か名を――、

「哢、と言いましたか?」

「!」

 呼ばれた影はびくりと肩を震わす。過去に聞いた声だが、それも信じられる者なのか怪しかった。彼らは自分を殺そうとしたのだ。しかし誰にも縋ることができない。眼の前の奇跡を、信じるしかない。

「――あの……っ、恐れ入ります、炎帝樣! どうか! どうか、民をお救いください!!」

 穴から出た勢いで、転げ落ちながら叩頭する。緑の髪は泥で汚れ、若さを失っているようだった。

「ど、どうしましたか?」

 おろおろと哢の平伏した姿を見て、それでも自分が救わねばならないのだろうと直感した。自分は神だ。神として産まれたからには、成さねばならぬことがある。手を差し伸べられるなら、そうするべきなのだ。獣者が警戒する中、掌で制止し火威は少年に歩み寄る。

「まずは落ち着いて、顔を上げてください。僕に、できることですか?」

「お声を掛けていただいて有難うございます。――っ、炎帝、樣、でしょうか?」

 紺碧の瞳が円く見開かれると、黒髪の朱雀をそこに映す。驚嘆には気にせず優しく笑むと、火威は言葉を差し出す。

「はい。僕は朱雀、名を火威と言います。黒羽で驚きましたか?」

「も、申し訳ありません……!」

「いいんです。それで、何があったのです?」

 再び地面に顔を戻した哢は、ぽつりぽつりとあったことを語り始めた。




 星の巡りがそろそろ落ち着こうとしている。瞑色の空を見上げ、嘴は倅を想った。大丈夫だ。きっと心配ない。嘴は手元を後ろ手に拘束されて、床に膝を突かされているが、息子には恐らく危害は加えない。

「それで、嘴殿? 儂に何の用かな?」

「朱雀のことで、報告があります」

 眼の前に対峙するのは、星長の鶏頭だ。細い枯れ枝に似た男は、疲れたように椅子に凭れている。朱雀、と聞けば片眉を忌々しく跳ね上げたが、声を荒げることはなかった。

「まだ根に持っているんですか?」

「……何?」

 嗄れて、老人は訊き返す。いや、実のところ鶏頭は嘴と同じくらいの歳だ。彼をここまで老けさせたのは、ひとえに恐怖からである。先代の呪いは鶏頭を蝕み、多大な威力があることを物語っていた。

「いつまでも過去に縛られていないで、次代の誕生を喜んだらどうなのです!? あなたがそうだから、民を滅ぼすとの呪言(じゅげん)を遺したのではないですか!?」

「莫迦を言え! 呪いを吐いたのは炎麗だ! 儂は害を被(こうむ)った側だ!!」

 さすがに頭に来たのか大声で暴言を吐く。炎麗には敬称を付けない分、よほど嫌っていると思えた。嘴は信仰心厚い人物で、その物言いに不快を表す。そうでなければ歴史家なんて務まらない。

「いまだにそんなことを! 悪いのは星長ではありませんか!」

「ふざけるな! 娘を、失ったのだぞ!?」

「その娘さんを遣(つか)って、炎麗樣に取り込もうとお考えになったのでしょう!? しかし失敗した! 娘さんは、真摯にあなたに向き合っていたのに!」

「煩い! あいつは出来損ないだ! 寵愛を受けられなかった奴も、寵愛をくれなかった奴も、皆儂を貶めようとしているんだ!」

 泡を吹きながら、この捻じ曲がった男は激怒する。まるで自分の願いが叶わなかった子供のように、ただ自分勝手に喚(わめ)いている。己が一番でありたいために、一番でなければならないと思い込んでいるのだ。大変小さな世界で生きている。

「しかし朱雀誕生の隠匿はずっとできるもんじゃない!」

「……それなら貴様が黙っていればいい。口を封じることぐらい、容易いものだ」

 それには余裕たっぷりに口元を歪めてみせた。鶏頭には力がある。腕っぷしではない、権力が。誰にも聞かれないように人払いをしているが、ここには明らかな立場の差があった。

 嘴は自分の無力さを諦め、それでも絶望は表さなかった。屈してはいけない。正しい歴史に導くために。

「だけど、必ず見付けます。炎帝樣は、絶対に民の元へ降りてきます」

「フン! 降りて来られればな。鳴いていないのが救いだ。朱雀は儂に呪いを掛けた。呪いは解かねばならない」

「そんな……、自分の言っていることが、分かっているのか……!?」

 駄目だ。神殺しは自分の首を絞めるだけでなく、全民の命も危険に晒してしまう。だがこの男は、自分だけは問題ないと謎の確信を持って行動している。彼にとっては、朱雀は神ではなく厄災として、そしてその災いを滅ぼすことで救われようとしている。

「止めなさい! 次代の炎帝樣はまた別なのです!」

「何が違う!? 儂に何の恩恵もくれぬ者が、統治などできるはずもないわ!」

 この人は、何も見えていない。

 ――炎帝樣、どうかまた、良き王に……。

 嘴は苦しくも人知れず、神に願う。先代は確かに気性が荒かった。しかし決して民を想っていないわけではなかったのだ。神の眼で世界を見通し、何を成すべきなのか理解していた。鶏頭の娘は、この父から言い含められ、炎麗の寵愛を受けようとしたのだ。家族が寵愛されれば地位や富を約束される。だがその愛は、気紛れに外されることもあった。

 ただあの時は、違っていたのだ。炎麗は心から、彼女を愛してしまっていた。その史実を知っているのは、もうほとんどいない。だから哢には手出しはしない。

 この場で知っているのは、嘴と鶏頭しか存在しないからだ。

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