自由への解放

「あの、仰っている意味が、分かりかねますが……?」

 それでも蘢樹は必死に取り繕うとする。自分の言葉が嘘だと、この幼児は宣(のたま)った。微少の悔しさと蔑みを乗せて、断りの文句をやんわり伝える。そうだ、こちらは知らぬ存ぜぬで通せばいい。

「わたしは異端であった先代とは異なります。先程説明いたしたのですが――」

「蛇結茨。蘢樹さんの言に、偽りありですか?」

 すると不躾ながら朱雀は正面から目線を外し、自身の獣者にそう問うた。呼ばれただろう男の影は、一礼をして進言する。

「畏れ多くも蘢樹樣のお言葉には、一糸の乱れなく平常を保っておられました」

 しかし彼は蘢樹の肩を持ってくれたのか、安寧に解決してくれようとした。指を衿(えり)に持っていき文字通り胸を撫で下ろす。明かされてはいけない水干の下は、忌まわしき重ねを以て死を象徴しているのだ。だから隠し通さねばならない。こういうことなら少しばかり待たせておくべきだった。でも彼の獣者は、青龍を信じてくれている。

「そうでしょう? わたしは嘘なんか――」

「お言葉を遮る無礼をお許しください。何も、感じ取れなかったのです。火威樣をご覧になったときの驚愕も、過去を語る悲しみも」

「は……?」

 逆鱗に触れかねない掌返しだ。御簾越しのせいではなく自身の眼球のせいによって、無礼者の姿を捉えられない。数回瞬きをしてみたが、やはりどうしても無理だった。

 ――こんなの、ただのガラス玉じゃないか!

 いや、ガラス玉のほうが幾らかマシなのかもしれなかった。それは光を通しキラキラ光るという。掌で感じたときは小さく、どこへ行くのか覚束なかったが、煌めきを含む分皆を照らせる可能性がある。

 己の眼は何だ。ただの飾りか。いくら願ってもこの眼玉は、ものを映すことがなかった。

「蛇結茨殿! いくら何でもそれは無礼です!!」

 遠くから声を上げたのは虎杖だ。野太い声が広い場所によく木霊する。しかし叱られた蛇結茨は飄々と嘯いた。こういうとき、彼の性格は肝が据わっていて助かる。

「わたくしは主からの命によって注進したまでです。それ以上近付くなら、我々も牙を向けなければなりませんが?」

「ぐっ!?」

 この距離では、虎杖たちが蛇結茨たちに迫るよりも、蛇結茨たちが蘢樹に迫るほうが速い。その牙はどうか主に向けてくれるなと、瞬発的に走れるように筋肉を膨張させた。

「蘢樹さん、あなたの眼は見えていませんね?」

「そ、そんなことはありません!」

 奥歯を噛むのをごまかしながら、蘢樹は答える。彼もまたこの不利な状況を理解したのか、さすがに焦りが見えた。火威はまだ涼やかに座っている。対峙しなければならないのは、この幼い神だ。他のことは考えてはいけない。

 異端の自分が、彼によって処刑される絶望を抱いた。

「仮に、盲目だからとして、それに何の関係があるのです? わたしは次代。先程誕生したのです!」

「だって神力の波動が同じです。これ以上、嘘を重ねるのは止めてください」

 ぴしゃりと断絶された神言(かみごと)に打ちひしがれる。こうも罰は、呆気なく訪れるのか。

「蘢樹さんは五歳次前に誕生して、それからこの星を治めていますね? かつ盲目で、僕の姿にも驚かなかった」

「ち、違います!」

 否定の声は震えていた。しかし彼らにはすべて分かっているのだろう。対峙した時点で気付かれていた。不完全な身体は、ここで潰(つい)えるべきなのだ。

「本当のことを仰られないなら、僕が確かめに行きます。駒草、青龍の民の元へ」

「止めてください! それだけはっ、わたしを命を掛けて守ってくれている民に危害を加えることは、絶対に許しません!!」

 悔しい。叫んだのは、この神生(じんせい)で初めてだ。胸の奥から、民の守護を受けきれなかった無念が溢れてくる。地に額を付け、どうにか留まってくれるよう祈りを捧げた。それは対等であるはずの者に、己が下だと言わんばかりの行為だ。だから神はほとんど平伏すことはない。

「お願いです……! 民にはどうか、平穏な暮らしを与えてやってください。火威さんの仰る通り、わたしは先出してしまった青龍です。その罰なのか、わたしの瞳は見えません。しかしそんなわたしを、民は必死に隠し通してくださいました」

 だから応えたかった。己を殺すことも気に留めなかった。今度こそは、もう逃げられない。

「ですがこれよりは、正当な次代へと引き継ぐべく、わたしは滝へと身を投げようと思います」

「蘢樹樣――!」

 主神の叩頭する姿に眼も当てられず、兎苔は息を呑む。両脇の獣者は瞬時に跳ね飛び、蘢樹の元へ参った。

「炎帝樣! どうか、蘢樹樣の首を捕ることはお許しください!」

「隠匿していた罪は我々も同じでございます! どうしてもと仰るなら、わたくしの首で満足していただけませんでしょうか!?」

 虎杖と龍爪花も同じく平伏(ひれふ)し、火威に許しを請うた。どのような主でも、獣者は命を賭して守り、付き従うのみ。それは火威の獣者も同じであるが、今回三頭は指一本も動かせなかった。他ならぬ、火威の命によって。

 朱雀は自身の見目を囮に使ったのだ。青龍の嘘を暴き、それを認めさせるために。獣者たちは良い顔はしなかったが、それでも渋々了承してくれた。黒羽の朱雀は前例がない。例え誰かから見た目の噂を聞いていたとしても、心揺らがないはずがないと踏んだ。

「良かった。僕も、允可を与えに来たんです」

 火威は安堵し、満面の笑みを蘢樹に向ける。

「先出のことは咎めません。だから星を治めてあげてください。僕からの允可です」

「――! ……ありがとうございます!」

 その言葉に顔を上げて途方に暮れた青龍は、しかし再度頭を下げて謝辞の祝詞(のりと)を述べる。いつの間にか傍に参っていた兎苔も併せて、獣者もそれに倣った。

「手荒な真似を……、ごめんなさい。蘢樹さん、顔を上げて?」

「いえ、とんでもないです。こちらが認めなければ、進まないお話でした。……何でしょう?」

 呼ばれた蘢樹が顔を上げると、紅玉の双眸が覗き込む。右の指先で瞳の傍を触られたと思ったら、火威の思案するような声が掛けられた。

「駒草、手元の薬でもこの眼は治らない?」

「そうですね……、残念ながら」

「そう……。ごめんなさい、どうやら僕でも治せないみたいで」

「構いませんよ。火威さんはお優しいのですね」

 その細やかな配慮に嬉しく思い、蘢樹はこの場で初めて、心から笑った。

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