神殺し
「いいですか? わたくしは、兎苔、です」
「うしゃぎ、ごけぇ?」
舌足らずに兎苔を呼ぶ青龍は、幼い愛くるしさを醸す。分かっているのか分かっていないのか、にこにこと楽しく笑っていた。李から離れてはいけないと言い含めた結果、良く忠告を聞き、あまり行動することをしない。先代に似て柔らかく笑み、脚を良く渓流に浸けていた。
ややあって、渋い顔をしながら他の獣者が戻ってくる。状況が状況なので、兎苔は二頭が姿を現しても身を隠すことをしなくなっていた。だがその頭の上にある長い耳だけは常に物音に敏感で、小さなことですぐに緊張を走らせる。いまも他におかしな音は聞こえないか、細かく探知していた。
「きこえないよ? だいじょうぶ!」
しかし声が上がるのは幼児からだ。長い耳輪からか、それとも産まれつきか。次代の青龍はとてつもなく耳が良かった。
「いつもありがとうございます」
兎苔ははにかみ、次いで虎杖と龍爪花に何かあったかと訊く。二頭は桐子に問われたことと、答えたことを丁寧に伝え、情報の擦り合わせを行った。別の情報が出てしまえば、いたずらに民を惑わせてしまう。
「……分かりました。ならばわたしもそのように答えるようしておきます」
「勝手にすまない。星長とは雖(いえど)も、祈りには干渉できないと思い……」
「いや、いいのだ。俺とて、どう答えればいいのか分からなかった」
獣者たちは気持ち固く頷き、この幼い青龍を必ずや守ろうと決意した。同時に、どうか早く、他の星で次代が産まれることも祈りながら。
想いは、届かなかった。痺れを切らした大勢の民が、神の領地に踏み込んだのだ。いや、桐子は良くやってくれた。多くの民を説得し、乗り込もうとする者たちを必死で食い止め、しかしそれでも入ってくる人々の流れは止めることができなかった。
渓流を遡り、土足で草を、苔を剥がす。流水を司り、草木を愛する青龍にとって、それは神力を踏み躙(にじ)る行為である。大量の焦燥と不安に煽られて、幼い青帝は初めて恐怖を知った。
民とて困っている。しかし自分は姿を見せることを許されていない。はらはらと泪(なみだ)を流すことしかできず、この男児は絶望をした。遂には兎苔でさえも傍を離れ、民を抑制せねばと跳ね飛ぶようになる。孤独と苦悶で押し潰されそうだった。
李の腕(かいな)に抱かれて、どうかこの騒動が止むようにとひたすら願う。
「――樣! お逃げください!」
だから見つかったことに、彼は気付かなかった。
「お前は、誰だ?」
「!?」
狂乱に紛れて近付く足音を、聞き出すことができなかった。恐らくは初めに切り込んできた数人が、次代の元へと辿り着いたのだ。
獣者は止められなかった。彼らはいったいどうなったのだろう。
「まさか、そんな――! これでは他の神々にこの星が滅ぼされてしまう!」
いつまでも昔のことを信じている歴史家には、この青龍の存在は大罪であった。草の根を斬るためだった鎌は、振り上げることで殺意の籠った獲物へと変化する。
閃いたそれは良く手入れされていて、本来の目的だったなら、良い仕事をするだろう。草を刈り、畑を耕し、恩恵を授けた植物はすくすく育ち、旨い実を付ける。それらは瑞々しく潤いを与えるものとして重宝されてきた。
願わくは、自分が斃れても、まだその恩恵はこの土地に残りますように。ありったけの神力を注ぎ込んだのち、次代は首に鉄が食い込む感触を味わった。
どうしてか、足取りは軽い。血液が減って意識は朦朧としているが、それでも目的地ははっきりと分かっていた。本来であればすぐ塞がるはずの傷も、土地に神力を注いだお蔭で元に戻らなくなっている。
――どうか、本来の次代へ。
自分は間違った存在だったと、許されない神だったと。幼かったはずの思考は思い出したたくさんの経験で煮え返り、己を責める言葉しか浮かんでこない。しかし、そうであっても、この身体は本来の神へと返さねばならない。だから彼は進んでいる。すでに手足の感覚はない。瞼も重い。固(もと)よりそこまで見えていないから、閉じてしまっても問題ないのだが。
息絶え絶えで滝まで辿り着き、躊躇いなく青龍は突っ伏した。
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