青龍の過去

「長い旅路、ご足労いただき感謝申し上げます」

 遊星青龍の星長は、細身で長身の女性であった。艶やかな髪が頭頂で纏められており、簪がそれを射抜いている。

 金の針は、丸い葉と垂れ下がった花弁を模(かたど)られた、同じものが二本。どちらも右から刺されており、きっちりと固定されているようだ。彼女は跪拝しているので、頭頂部が良く見える。火威はその髪型をじっと不思議そうに見つめていたが、不意に顔を上げられ視線が合った。気まずくて素早く駒草の陰に隠れる。

「ですが、恐れ入ります。青帝樣は、現在は……」

 吊り上がった瞳とは裏腹、困り下がった眉が違和感を生んでいた。通常は双眸と同じく吊り眉なのだろう。

「分かっています。詳細を伺いたく参りました」

「……そうでしたか。長い話になります。中へどうぞいらっしゃってくださいまし」

 低く跪いていた星長だったが、中腰まで立ち上がり、恭しく廟庁へと招き入れる。彼女の補佐である聡明そうな男女が立ち並び、やはり朱雀を敬うように深く首を垂れていた。木造の建物は遊星白虎の星長、金鈴のそれに似ていたが、風通しが良く造られている。いつ木枯らしが吹くか分からない星ではこうはいかない。きっちり密接し、中の空気を出さないように造られていたことを思い出し、違いを探しながら火威は辺りを見渡していた。

「簡素な場所ではありますが、こちらへどうぞ腰をお下ろしください」

「感謝します。さ、どうぞ、火威樣」

 代わりに返事をしたのは駒草であった。この牝馬は、前々から気付いてはいるが、甲斐甲斐しく主の世話を焼く。いまとて星長から勧められた行為を、分からないだろうと仲介して噛み砕く。勧められた場所は、上座であったからだ。

 幼い朱雀は、蛇結茨に抱えられて大人用の椅子へと座った。柔らかい木材で、意外と負担が少ない。恐らくはあの森を歩いたときの木々を伐り倒して使っているのだろう。伐ってもなお、有り余るほどあったように思えた。

「申し遅れました。わたくしは桐子(きりこ)と申します」

 言われてみれば、頭の簪も桐花(とうか)だ。名の通りなのか、それとも火威に合わせてくれたのだろうか。女性の小さな気配りは、仔どもや雄には分からない。駒草だけが、微妙な顔をしていた。桐は神聖な鳥が唯一腰掛ける場所である。

 やがて桐子が語り出したのは、およそ史実とは思えないほどの凄惨な事件。若く見えるが、数々の苦労を経験してきたのだろう。切れ長の眼が憂うように右に揺れ動く。ひとつ溜息を吐くと、彼女は長い過去へと誘(いざな)った。




「そうですか、朱雀が……」

 この星の先帝は梢枝(こずえ)と言った。いまし方、獣者より炎帝の訃報を聞いたところだ。本来神が斃れるときにも、再び允可を貰う必要があったのだが。あまり詳細は窺い知れなかったが、何か大事があったのだろう。

「心配ですね」

「また梢枝樣は、たくさんの心配をなさる。それよりいまは、次代について考えなければなりません」

「そうでした、虎杖(いたどり)。龍爪花(りゅうそうか)も、伝達ご苦労さまです」

 こと、梢枝は柔和で優しかった。遊星青龍の民も梢枝を愛し、神もまた民を愛す。深い森の中で暮らしてはいるが、その博愛はすべてに轟いていた。浅緑(あさみどり)の長い鬣は美しく、玉の装飾が施されている。善い王であった。その言葉が最も良く似合う。

 李の根元に腰を下ろして、沢に脚を浸している。青い乙女とも思われるが、実際はずっと昔から君臨する男神であった。薄い唇は常に微笑みを湛え、苦しみもがく者を救うとの謂われもある。

「兎苔(うさぎごけ)、隠れてないで出ておいでなさい。誰も貴女を取って食いませんから」

 いまとて、怯える獣者を優しく絆している。彼女とてそのことは理解しているつもりだ。それでも卯(うさぎ)としての本能なのか、寅(とら)と辰(たつ)の獣者が現れると木陰に身を隠すのを常としていた。

 青龍の獣者は、白い毛並み、寅の虎杖。赤い鬣、辰の龍爪花。薄紫の毛皮、卯の兎苔だ。彼らもやはり良く働きかけてくれ、梢枝を守る者たちとして立派であった。梢枝は三頭を傍に集めると、別れの言葉を告げる。

「長く世を治めさせてもらいました。そろそろ私の牙も抜くときなのでしょう」

 寂しさを一切感じることなく、突然の報せであってもやり切ったと、この主は言うに違いなかった。それに見合う動きは常に行っている。次代へと繋げる意志のみ受け継がれていけば、それで良い。

「次代の青龍にも、力を貸して欲しい。お願いできますね?」

 温和だった表情を真剣な顔へと変え、梢枝は蘇芳色の眼球を光らせる。瞳孔は縦長に絞られ、珍しく鋭い雰囲気を醸し出していた。民には見せることない、獣の瞳だ。

 三頭は畏まり、深く跪拝する。慈悲深くても、決して軽んじていい存在ではない。人の姿を取っているが、天をも覆うほどの体躯の持ち主なのだ。誰も勝てることはないし、誰も挑もうとは思わない。

 梢枝は獣者の沈黙を見て頷くと、社へ帰る許しを与える。

「感謝します。ひとたび社へお帰りなさい。私は次代を産む支度をしなければなりません」

「畏まりました。それでは、失礼いたします」

「梢枝樣に従えて、我々は幸せでございました」

 獣者が名残惜しそうに天へと上り、社へ帰るのを見届けて、梢枝は李にも別れを告げる。

「李も、長い間傍仕えしていただいて、感謝します。次代への教えの木として、また会いましょう」

「梢枝様、有り難きお言葉でございます。この李、教えの木として次代樣にもお仕えさせていただきとう存じます」

「念を押さなくても、誰も李を取り除いたりしませんよ」

 梢枝は初めて貰う言葉がおかしくて、くすくすと笑う。自分の先代も同じようなやり取りをしたのだろうか。考えるだけで時空を超越した気分だった。

 羽織りの長い袂で口元を覆い、しばらく笑っていたが、程なくして彼は森の奥へと歩を進める。人より少し長く、尖っている耳輪(じりん)は、流れ落ちる滝の音を良く拾った。街へと流れる渓流の源となる大滝は幅も広く、生命を生み出す祈りを捧げるのに丁度いい。

 ――改めて、良き王をまた産み出さんことを。

 梢枝は自身に暗示をかけ、そして滝壺へと、身を投げる。けたたましい流水の音でその禁忌の音は掻き消され、そして泡沫がその身を蝕んでいった。後には、罪状すら残らない。自らの身体を贄として、次代を作り直す。呑まれた意識が遠退き、記憶は赤仔へと遡る。

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