第四章 遊星青龍

祈る童と悼む花

 少年は鼻が良い。暖かな陽気の中、匂いが変わったのは恐らく誰かが領域に近付いたからだろう。穴蔵に棲むだけの存在だが、それでも気にはなる。

「はて、誰でしょう?」

 爽やかな声が木霊するが、その言葉は誰に向けられたものではない。自分は長らくここから出てはいけないと言われている。それゆえに彼に会いに来る者はなく、居たとしても見知った気配のみだった。

 いまのそれは、全く知らない気。気にはなりつつも、ここを動くことは叶わなかった。それでもきっと、自分は見つからない。それでいいのだ。座っているだけで安全なのだから、何も考えなくてもいい。

 緑の濃い匂いで心を落ち着かせ、蘢樹(るき)はひたすら祈りを捧げる。どうか皆が幸せに暮らせるように、どうか自分が誰にも脅かせられませんように。暗い穴蔵でどうか、ずっと過ごせますように。



「居ませんね」

「蛇結茨でも気配を探れないのか?」

 草花が茂った地面に突っ伏しているにも関わらず、蛇結茨は青龍の居所を探ることはできなかった。山深いこの土地でも彼の腹ならと期待していたが、どうやっても掴めないらしい。

「仕方ありませんね……。青龍の教えの木だけでもご挨拶差し上げたいのですが――」

「それなら分かっている。だが、青龍の姿はどこにもない」

「どういうことだ? 白錵樣のお言葉では、青帝樣はすでに誕生なされているとのことなのだが……」

 駒草から疑問を貰ったが、それは蛇結茨にも理解できなかった。とにかく行ってみれば分かるだろうと、火威たちはまず教えの木を目指す。どこを見渡しても山間(やまあい)が続くので、方向感覚はとっくにない。獣者たちの獣の勘を頼りに緩やかな山岳路を踏み分けてゆく。渓流を横手に進んでいるが、火威にはどうも危うかった。

「火威樣。わたくしの陰に」

 駒草がそれを感じ取ったのか、火威と流水の間に入り込んでくる。流されるような水嵩(みずかさ)ではないが、火の気を持つ主とでは相性が良くないのだろう。青龍が誕生しているとの話が本当であれば、この水にもその神力が宿る。

 やがて木々が開けたところに、その木はぽつんと立っていた。常に白い花が咲き乱れ、渓流の溜まりに花筏を作っている。スモモの木は、実を結ぶことはないが、栄華を象徴しているようであった。

「突然のご訪問、恐れ入ります。青帝樣の教木(おしえぎ)殿とお見受けしますがいかがでしょうか?」

「いかにも。わたくしは教えの木、李(り)と申します。そちらは、炎帝樣でしょうか?」

 まったりとした老婆の声色がする。こちらの素性を聞かれたので、羊蹄がひとつ頷いた。蛇結茨はここでも何かの気配を探っていたが、やはり見つからないようだ。

「はい、允可を受けるため参りました。……青帝樣はご誕生されていますでしょうか?」

 やんわりと、青龍について伺う。しかし李の口から――正確には身体から――出たのは、衝撃の言葉であった。

「青帝樣は……、お亡くなりになりました」

「何!?」

「――それは、どういったことでしょう?」

 次々に驚きの声を上げる。李の声音は慈しみ、悲しむようで、本当のことであると錯覚させられた。しかし神が簡単に命を落とすことはない。多少の懐疑心を抱き、確かめるように少しずつ訊く。

「李殿、先代の青帝樣のお話ではなく、次代について伺いたいのですが……」

「その次代が、すでにこと切れております」

「まさか、そんな!」

 どういったことだ。しかしやはり白錵の話は本当で、先に誕生していたことになる。次代はすでに産まれ、そして気付かぬ内に亡くなっていたのか。戸惑いを隠せない火威の獣者たちに、李は悼むように続けた。

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