白虎の次代

「桃(とう)。わっちは、仔を宿したよ」

 黄金の間の最奥。そこだけは、黄土が剝き出しになっていた。本来は白虎の大道の真ん中にあるモモの木は、下向きに生えた紅葉(こうよう)を揺らし瑞々しい声を発する。

「白錵樣、お久しゅうございます。……そうですか、次代へと移ろうのですね」

 嬉しくも悲しい男性の声。やっと会えた主からは、これから会えなくなる報告をされてしまった。しかし移ることは喜ばしいこと。若く軽い声音では哀悼を伝えられたかどうか。

「しかしガキを持つのは初めてだからね。うまくやっていけるか分からないよ。獣者も帰してしまったし」

 腹を擦(さす)りながら白錵は、独り言のように桃に語る。自分の心境を整理しているのだろう。何事も初めてのことは不安だ。白虎は神として唯一出産をする。

「そうですねぇ。しかしいままで、胎内で育てているではありませんか。案ずることはないでしょう。白錵樣はご立派な次代をお産みになられます」

「そうかね……。桃は、甘すぎだよ」

 大人の神には甘すぎたか。しかしこのくらいの糖度が、いまの彼女にはちょうどいいだろう。必死に強がって誰にも背中を見せようとしない白錵は、自分だけには本当に背を預けてくれる。誰にも気付かれずひっそりと、裾の刺繍が光った。純白のキトンに銀糸で、モモの落ち葉と虎が仕立てられている。

「アンタの花実(はなみ)の匂いも、これくらい甘いのかねぇ」

 白錵の望むものを捧げられない桃は、少し口惜しく思った。




 それから程なくして、遊星白虎に吉兆が訪れる。出産とはいえども、虎の仔は腹を割って取り出される。痛みはあるが傷はすぐ癒えるので、神に命の別状はない。縫合の技術は必要ないが、この星の産婆は医療の知識に長けていた。

 掲げられた仔は白錵の血にまみれながらも、健やかな白金の毛並みをしている。銀の身体に縞は金。神は初め、人の姿では産まれてこない。産婆長すら初見であったが、卒なくこなしてくれた。

「産湯へ、連れて行ってくれ」

「畏まりました、白錵樣」

 獣者はもういないので、民の力を借りることにする。白錵は痛みから滲み出た汗を丁寧に拭いてもらっていた。仔はチィチィと金切り声を上げながら湯に浸かるため、いったんこの場を去る。

「何だい、赤仔ってのは、煩いもんだねぇ」

「それでも、人の子よりかは静かなものですよ」

 お節介な老婆は畏れることなく話しかけてきた。まさか自分が偉大なる白虎の次代を取り上げるなんて夢にも思っていなかっただろう。それでもきっと、五歳次前には別の者が産婆長をやっていたかもしれないし、時の運とは末恐ろしい。巡り巡って彼女の務めとなったこの祝いは、もう二度と訪れない。

「そういうもんかねぇ。……そうだ、名前は金音(かのん)にしよう」

 キンキンと甲高い鳴き声。黄金の恩恵を受けられるように、鋼がぶつかるような鐘声を遠くまで届けられるように。

「白錵樣、恐れ入ります!!」

「……何だ?」

 傷もほとんど癒着し大事を成し遂げた余韻に浸っていたが、白錵はその慌てた声に尋常ではないざわつきを感じる。叫んだのは、先程産湯へ金音を連れていった看護婦だった。

「あの、次代樣が――!」

 その泣きそうな顔を見たとき、白錵の恐怖は確信へと変わった。翠玉の瞳が大きく見開かれる。

 渡された仔の肌は、赤く爛(ただ)れていた。

「どうしたってんだい!? 早く医者を――!!」

 産まれ立てのため、神業のひとつである回復は遅い。痛そうに暴れる、眼も開かない仔にはいくらかの治療が必要だろう。慌ただしく産婆たちが名医を呼びに行き、白錵はどうしようもなく抱き寄せる。次代を産んだ立派な母は、慈愛を初めて知ったのだ。

「金音、無事でいておくれよ……」

 産湯には金の湯船を使った。白錵がいつも湯浴(ゆあ)みをするものだ。しかし次代には、金は毒であった。自分があれほど愛した黄金の宮殿は、たった数刻で、砂の城と化したのだった。

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