黒羽の秘密

「お待ちください、炎帝樣!」

 いざ出発、と思っていたが、急に呼び止める声があった。猿猴楓だ。獣者との話し合いは済んだのだろうか。彼は黄色い毛並みの申となって、道を駆けてくる。

「猿猴楓? どうしたんでしょう?」

「いえ、その、今回の件は、非常に助かりました。誠に有り難いことでございます」

「とんでもない。とは言え、白錵さんには失礼なことをしました」

 丁寧に頭を下げる獣者に、火威は駒草から降り立って応対する。しかしなおも何かを言いたげにその場を去らない猿猴楓を見て、朱雀は不思議がった。

「……どうしたの?」

「その、失礼かとは存じ上げます。ですが、白錵樣からのご伝言でして……」

 一度言葉を切り、申特有の広い唇を良く動かす。人の姿の時とは違って円い双眸が若干の可愛らしさを誘った。

「どうでもいいと思っていたが、朱雀の赤毛はどうしたんだい、と」

「朱雀の、赤毛……?」

「猿猴楓! それは――!」

「も、申し訳ありません! 不躾なことを訊きました!」

 ただならぬ焦りようで火威の獣者が止めたので、申は大きな掌で手元を覆う。次いで深く叩頭し、許しを請うた。冷静で冷徹と思っていたが、白錵の獣者という任を解かれて、いくらか親しみやすくなっているようだ。

 火威はきょとんと、事を把握できずに首を傾げている。艶やかな黒髪が同じように揺れた。

「赤毛、とは? 髪の毛のこと? 黒ではいけないの?」

「いけないことはありません! 火威樣の赤は、瞳に宿っています!」

「赤の、瞳?」

 自分では見えない位置に宿された紅には親しみを込められない。瞳の色がそうだと言われても、視界は紅く染まっているわけではなかった。それでも朱雀の赤には変わりない。

 だがそれは獣者にとって、同時に先代の呪いを思い出させる。

「みんな、説明して。分からないことを言わないで」

 珍しく眉を顰(ひそ)め、少しばかり抗議する。確かに怒涛のように不明な言葉を並べ立てられては、さすがに仔どもでなくとも怒るというものだ。言い辛そうに朱雀の獣者は眼を伏せていたが、やがて観念したように駒草が口を開いた。呪いのことは隠せばいい。猿猴楓にも、それとなく白錵に伝えてくれるよう目配せをした。

「その黒羽は、先代のご意思なのです。赤は瞳に、羽根は黒に、と。火威樣は、そのように転生されたのです。先程も申し上げた通り、何も問題などありません。火威樣は朱雀、それに変わりありません」

「でも、猿猴楓はどうしてか言ってきたよ。何もなければ、訊かれないじゃない」

 雛とて朱雀。神の気がそうさせるのか勘が鋭くて、駒草を縮こまらせた。

「ねぇ、どうして? 僕はどこか悪いの?」

「悪くはありません! その――」

「火威樣、黒羽の朱雀は、滅多にないのです。それは白錵樣でも見たことがなかったのでしょう。だから気になられたのですよ」

 希少ながらも優しい声音を、蛇結茨から聞いた。軽く歯噛みする駒草の言葉を受け継いで、賢(さか)しい彼が弁明する。諭し宥めるように火威の肩に手を置いた。

「そう、なの? 猿猴楓」

「……はい。ご覧になられない羽根の色でしたので、主も気になったようです」

 さらりと、一寸の嘘が混じっていた。黒羽は全く前例にない。それどころか朱以外の色は見たことがない。それは朱雀の獣者が一番良く分かっているだろう。そのことに何も気にならなければ、代々朱の羽根を受け継いでいなければ、主も捨て置いていただろう。白錵は不穏なものを感じ取ったのか、獣者に疑問を賜らせたのだ。向こうの獣者は何かを隠したいと見えるし、自分が引っ掻き回すことではない。

 何とか火威も納得したのか、少し不安がってはいたがそれでも善しとしたらしい。猿猴楓には主に申し伝えると言って去っていき、改めて朱雀一行は旅立つことにした。

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