朱雀のこれからについて

 追い返されてしまった火威一行は、深い雪の中、困り果てていた。允可を受けられなかったことは本来有り得ないことで、初めての経験に獣者も狼狽している。山岳の中腹にある小屋を借り、獣者たちは策を練っていた。

「なぜ水掬樣は、允可を拒むのだろう……?」

「考えてもしようがないけどね、駒草。取りあえず遊星に帰ることを優先しますか?」

 このままでは蛇結茨が凍えてしまう。羊蹄はそう小声で駒草に告げると、体毛の中で震えている巳を確認する。駒草は渋い顔をするが、確かに獣者仲間が下手に斃れては困りものだ。

 ふと火威に眼を遣ると、薪に起こした火を見ながら椅子に腰掛けていた。いくら大火を起こしても、ここではちっとも意味を成さない。

「それでも、何もできず帰ることは――、そうだ蛇結茨」

 名案とばかりに、凍結しそうな蛇結茨に向かって訊いた。

「他に動き出しそうな星はなかったか?」

 あわよくばこのまま、どこか別の星で允可を受けられないかと考えたのだ。蛇結茨は身をガタガタと小刻みに揺らし、それでもまだ意識の残っている頭で答える。

「他の星、ねぇ……。東は全く、音沙汰なしだし。西は、戻っている気配すら、ないねぇ」

「いまだに西は戻らないのか」

 考え込むようにして顎に指を遣る。西――遊星白虎にはまだ獣者が残っているらしい。元来彼らは代が終わると、社に戻って休息を取る。それをも許されない苦行は、いったいどの程度か計り知れない。歳次が五過ぎたいまでも、西の獣者は先代に囚われている。

 ――しかしこれは、言うなれば允可を受ける好機なのではないか。

 紛いなりにも白虎から允可を貰えば、きっと後(のち)に玄武も許してくれるかもしれない。彼らの次なる目的地は、遊星白虎へと決まった。





「――ですから、事が事ですので、確認は我々武官が引き受けます」

 突然風のようにやってきた青年は、尤もらしい理由を述べて小官たちと嘴を引き返そうと促す。しかし歴史学者には納得などいくはずがなかった。

「いや、しかし! 熱読みは技術がいる代物(しろもの)です! 私がいなければ成り立ちません!」

「熱読みなどなくても、直接朱雀を確認できれば問題はないはずですが?」

 どうにか食い下がろうと試みる嘴だったが、その反論ではぐうの音も出ない。だが直接この眼で見たい欲求は抑えることができなかった。いくら暴漢が潜んでいる可能性があるとしても、この熱の上がり具合は確かにおかしいのだ。今度の朱雀の成すべきことを、この手で記録しなければならない。

「確認作業であれば我々でも可能です」

「それは……」

 その言い淀みを是と取って、武官の青年――風切は続ける。

「危険ですし、人前に姿を現すまで――いえ、せめて朱雀かどうか確証を得るまでは、ご自宅で安全に過ごしてください」

 人の良い笑みは武器になる。顔の整った風切なら尚更で、街の女性ならここで一声二声掛けていることだろう。嘴にとっても有効で、根っから人が良い親父もいくらか絆され始めている。

「い、いや、だけどね、僕はこのことを纏めなきゃいけなくてね……」

 焦りで、少しばかり丁寧さがなくなる。歳は嘴のほうがずっと上なので、官吏とはいえ年下の相手にどう話せはいいのか分からなくなっているのだ。

 居合わせた小官たちは、何やら小声で相談し合い、どうやら引き返すことを決めたらしい。

「あの、風切様。いまの話本当なら、わたくし共はこれにて失礼させていただきたく存じます」

 大事な任務と自分の命、天秤に掛ければ死にたくないに傾くに決まっている。身元不明の無頼漢が、畏れ多くも湿地に立て籠もっている可能性があるなんてすぐは信じ難い話だが、いまごろになって朱雀が誕生したなどと、しかも今日であるなどという話もやはり信じ難かった。身の危険を案じるあまり、どちらかと言えば風切の言うことを信じたのだ。

「任務の交代につきましては後程報告書を発行しますので、そのままお帰りいただければ構いません」

「かしこまりました。かたじけない」

 言って小官はそそくさと帰ってゆく。嘴は驚愕の声を上げ、去っていく腰の引けた文官を見送った。一端(いっぱし)の歴史家が何を言おうが、彼らには右から左だろう。内部の者を重んじ、口裏を合わせるに違いないのだ。

「さて、嘴殿はどうされますか? こちらとしては、お帰り願いたいのですが」

 風切の表情は変わらない。急いで引き留めに来たというのに、爽やかな笑顔を振りまいていた。嘴は苦虫を噛み潰したような、それでいて我慢しているような顔をして、風切を品定めする。

 武装は最低限。刃物や鈍器があれば嘴にだって何とかなりそうだ。しかし問題は何も持っていないこと。紙とペンは持っているが、それ以上はない。そして素手ということになれば、相手は武官だ。腕っぷしでも敵わないだろう。

 嘴は唾を呑み込むと、打開策がないことに終着する。ひとつ長い溜息を吐き、一度諦めることした。

「……分かりました、帰宅します。しかし宜しければ、あったことを後で教えてください、風切殿」

「そうですね、本当の朱雀であれば歴史に残さねばなりませんから」

 青年はそれでも顔を崩さない。こちらが何を言っても、答えを用意しているように思えた。それが軽く不気味に思えて、しかし抵抗できないことを知っている嘴にはどうにもならない。元からそういう男なのかもしれない。そう考えて、背中を丸めて草原を後にした。

 そういえば、こちらはいつ名を名乗ったのだろう?

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