獣者について
獣者(じゅうしゃ)は吉兆を感じ取る。火の気(け)が灯り、ようやく動き出した。朱雀が誕生したということは、世代が変わるということだ。初めに斃れたのだから、初めに復活せねばなるまい。
蛇結茨(じゃけついばら)は自慢の牙を鏡で眺めながら、満足そうににやける。
――これで長かった獣の姿ともおさらばだ。
不便はないが、やはり力が制限されるだけあって、何かと持て余していることも多かった。獣者は、獣の姿を取れる人というより、人の姿を取れる獣、と称する方が的確である。それでも人の姿を望むのは、従う主がそうであるから。また、名を呼んでもらえれば能力は解放され、遺憾なく発揮できる。主無き力は破滅を生みかねない。
「蛇結茨、そろそろ参ろうか」
「そうだね、羊蹄(ぎしぎし)」
声を掛けたのは羊蹄だ。蛇結茨は粘っこく返答すると、未の首に巻き付き、歩くように促した。
「いつも思うけど、ボクをそうやって使うのは止めてくれないかな? 死んじゃうよ?」
「獣者がそんなに簡単に死ぬわけないだろ。やっていけないぞ」
蛇結茨は軽く威嚇して牙を見せている。赤い舌をチロチロと、蟒蛇(うわばみ)は動かした。それを瞳も動かさず見据え、新緑の牡羊は闊歩する。確かに蛇の足より羊の脚のほうが速いだろう。
――蛇足だっただろうか。
「はいはい。早く行かないと駒草(こまくさ)が煩いからね」
羊蹄はいつものことと軽くあしらって、速度の違いを計算することを止めた。蛇結茨だって、秘めたる本気を出せば遅くない。しかしそれは山野に渡ってであって、ここではあまり意味をなさなかった。
獣者は神の元へ参らねばならない。そういうお触れだからだ。それは遠い過去から決まっていて、お触れが出なければここで眠っているのが常だった。普段であれば長年使われることのない獣者本堂は、星々の周りを巡る衛星にある。ほんの小さな、遠くから見れば星のひとつと見紛(みまご)うほどのものではあるが、それでも確実に命は生きている。その衛星には社(やしろ)と呼ばれる棟が四戸。東西南北に分かれて建設されており、建て始められた時代は定かではない。それほどまでに古く、しかしながら精巧であるが故に、経た年数を分からなくさせていた。
その南の社に、朱雀の息が掛かった獣者がいる。丹(に)色(いろ)の柱が全体的にあしらわれ、床は大理石が敷き詰められる。平坦で鏡のような床が、滑りそうで走れないのだと、羊蹄は昔に聞いた。冗談である可能性もあるが、追及しても飄々と抜け出すのだろう。その体躯と同じく蛇のように、するすると零れ落ちてしまう。しかしそれは羊蹄も同様で、厚い綿毛に覆われた彼とて、誰にでも心を許しているわけではない。コツコツと鏡石を踏む音が響き渡り、その危うく壊れやすい、それでいて特別な関係を意味しているようであった。
信頼がないわけではない。少しばかりの数ではあるが主を守る兵として存在し、遣わされるのだ。人の中には稀に善からぬことを考える輩もいる。仮にどのような王であったとしても、命を賭して護衛しなければならない。そのためには、背中を預けて戦わねばならないときだってあるのだ。
――まぁ、しかし。ほとんど遣われるか分からないのだけれどね。
しゅるしゅると身体を這わせながら、蛇結茨は他に動き出している気配がないか探る。ひた、と先程まで地に伏していたところに寄ると、どうやら北の社が慌ただしかった。北は玄武の星。朱雀と同じく誕生まで幾らか掛かり過ぎている。
「どうやら初めは、遊星玄武に向かえば良いらしい」
だがしかし、空位の時ももう終わる。こんなに社に長居したのは初めてだ。二頭は駒草と合流し、外に向かって居並ぶ。同じく丹色と、桔梗を煮出した色を使った鳥居が構えていた。絶壁の頂点にあり、崖下に降りる術となるものはひとつもない。それでも困りはしなかった。なぜなら彼らは、空を翔べるのだ。
三頭は居住まいを正し、巨大な鳥居を潜った。
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