第9話 観衆
「へぇ〜。お姉ちゃんがそんな事を……。」
雪吹さんとデートする事が決まり数日がたったある雨の日、仕事が終わった僕は水鏡さんの路上ライブを聞くためにいつもの駅前にいた。
彼女は所定の場所で電子ピアノを準備をしているところだったので設置の手伝いをする。
かつては僕もこうやって仲間たちと路上ライブの準備をしてたっけ。なんて感情に浸りながらも水鏡さんと話をしながら話をしていた時の会話の内容だ。
水鏡さん曰く、雪吹さんは以前から男の影は皆無だったそうで、彼女はそれを心配していたようだった。
だから僕をデートに誘ったことが驚きだったらしく、冒頭の言葉に至った訳だ。
「じゃあ、私に構っていたらいけないんじゃないですか?」
「どうして?」
「……どうしてって。」
心配そうに僕を見る彼女の言葉の意味がわからずに聞き返すと呆れた顔で僕の顔を見てため息をつく。
「お姉ちゃんにしたら片桐さんに勇気を出して誘ったんだと思うんですよ。だったら私といたらいい事ないんじゃないですか?」
「大丈夫だよ。付き合っている訳でもないし何も言われないさ。」
「だと……いいんですが。」
僕が付き合っていない事を伝えると、彼女は心配そうな声で準備を再開する。
……まぁ、水鏡さんの言うことは確かにそうだ。
男女で出かける以上はデートに近いのかもしれない。だが、僕は雪吹さんとは付き合っているわけではない。
それどころか、雪吹さんが僕を好きなのかすら判らない。職場では仲がいいのは確かだが、そこまでの
付き合いでもないと思う。
だからこうやって水鏡さんといてもさして問題ではないはずだ。それより、水鏡さんにもし何かが起こった時の方が寝覚めが悪い。
だからこうやって路上ライブに付き合っているのだ。
……と言うのは建前で、僕はここにいる事で昔見た夢の続きを見ようとしているのかもしれない。
あらかたの準備を終え、彼女がいつものようにキーボードを弾こうと椅子に座る。
「ちょい待ち!!」
そう言って僕は彼女が演奏を始めるのを止める。
そしてあらかじめ駅のロッカーに放り込んでおいた荷物を取り出してきて彼女に渡す。
「……これは?」
不思議そうに彼女は手渡した荷物を開けると、目を丸くする。
中にはマイクとマイクスタンド、そして充電式のアンプが入っていた。
それらを取り出すと、慣れた手付きでケーブルを繋げていく。彼女はその様子を呆然と眺めていた。
「ほれ、これをキーボードにつなげて。」
僕がケーブルを差し出すと、彼女は慌ててそれを受け取るとキーボードの本体に差し込む。
「これ……どうしたんですか?」
「ああ、家にあったものだよ。もう使わないからあげるよ。ほら、キーボードの音だして。」
僕の話を聞いて彼女は簡単に曲を弾き始める。
その音量を調節して、次はマイクのチェックをする。彼女の透き通った声が周囲に響き渡る。その声を聞いた通りがかりの人立ち止まり、歌を聴こうと彼女の様子を見ている。
予想通り、彼女の声にはどこか人を惹きつける声があるのだ。だが、マイクをアンプに繋いだだけで人が増える訳がない。
その理由は空を見上げるとすぐにわかった。先ほどまで降っていた雨が止んだのだ。
少しではあるが集まってきた人達を見て水鏡さんは緊張し始める。
「か、片桐さん。ど、どうしましょう……。」
「やるしかないんじゃないか?ここまで君の声を聞いて集まってくれたんだ。怖がらずにやってみたらいいさ。」
僕の言葉に触発されたのか、彼女は覚悟を決めて曲を弾き始める。
誰もが知る曲から俺も知らない曲を3曲ほど歌う。
最初は緊張していて硬い伴奏に震える声で歌っていたが、次第にそれもやわらいでいく。
そして3曲歌い終わる頃にはいつもの……彼女本来の歌声に変わる。
俺が彼女の全てを知っている訳ではない。だが、少なくともここで演奏を聴く誰より彼女の歌を聞いてきたのは俺だと言う自負はある。
だからこそ、数人であれどこうやって人が集まった事に自分の目は間違えていなかったと小さな自信を持つ。
「……もしかしたら、あいつ以上かもな。」
僕の持って来た夢の残骸たちが彼女の奏でる音を拾い嬉しそうに音を出す。
その姿を見て僕は昔のことを思い出す。
共に夢を見て、共に音を奏で、愛し合い、そして壊れてしまった元カノの姿が今の彼女と被る。
その様子をオーディエンスとして眺めているだけの今の自分に苛立ちを覚えながらも、あの日の事がフラッシュバックする。
「最後の曲になります。この曲は私の好きな曲になります。知らない方もおられるとは思いますが、聞いてください。」
と言って、彼女は最後の曲を奏で始める。
その曲はやはり僕の作った歌だった。
彼女の声と演奏に集まった人達が酔いしれている中で僕だけがどこか物足りず、不満だった。
ただ、今は彼女の演奏だけが昔の自分を認めてくれているような気がしてこの歌を聞くと泣きそうになる。
だが今日は違う。人が集まっているのだ。
この前までは僕ひとりだったから人目を気にしなかったが、感傷に耽っている姿を見られたくないのだ。
彼女の音が聞こえる位置に自販機を見つけ、飲み物を買いにいく。さすがに喉に優しい飲み物は売っておらず迷った挙句お水を買って戻る。
戻る頃には演奏も終わりまばらだが拍手が起こる。観衆たちは満足そうな顔で足早に家路に着く。
そんな中、僕が彼女に声をかけようとすると、ひとりの男が彼女に声をかけていた。
「素晴らしい演奏でした。歌も透き通っていて集まった人達も楽しまれたと思いますよ。」
「あ、ありがとうございます。」
男の突然の登場に戸惑う水鏡さんと、何故か面白くない気持ちが生じる俺を尻目に彼は話を続ける。
「それに、最後の曲は久しぶりに聞けて嬉しかったです。」
「えっ、この曲をご存知なんですか?」
僕が作った歌を知っていると知り、水鏡さんは声のトーンを明るくする。
「ええ、知って知っています。だから……。」
「だから?」
「物足りないんです……。」
その言葉を聞くと、水鏡さんはショックを受ける。
確かに物足りない。物足りないのだが……、彼の言葉がどこか胡散臭くも聞こえてくる。
「だから……、俺と組みませんか?」
「えっ?」
にこやかな笑顔でバンドを組む事を提案することに彼女はもちろん、僕まで言葉を失ってしまった。
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