第11話 6月(11)

 少したって俺が顔を上げると、それを待っていたようにかえでは学習机の方に目を向け、俺に聞いてきた。


「あっ、あのっ、机の上に置いてある楽譜って、先輩が後夜祭で演奏していた曲ですか?」


 かえでが言っているのは、去年の文化祭の後夜祭で、俺と優香と吹奏楽部の数人で演奏した曲のことだろう。元々は父親が好きな曲で、小さい頃からずっと聴かされていて俺も好きになって、優香も同じく好きだったことから後夜祭で演奏することになった。


「いや、これは違う曲だよ」

「そうなんですか。たしかあの時の曲って、テレビの映画で流れてた曲なんですよね?私、あの曲、すごくいいなって思って。それに、トランペットを吹いている先輩、本当にかっこよかった。ピアノの早乙女先輩も良かったなぁ……」

「だから、俺なんかかっこよくないよ。でもあの曲がいいって言ってもらえて、演奏して良かったって思うよ。それに、あの曲の良さが分かるなんて、かえでちゃんもセンスがいいと思うよ」

「へへっ。ありがとうございます。ところで、先輩はプロの奏者になるんですか?」

「うーん……。音楽関係の仕事はしたいと思うけど、プロになるのは大変だからなぁ……」


 音楽の仕事をするのは小さい頃からの夢だった。しかしその道が厳しいということも父親を見ているから分かっているつもりだ。というのも、父親も昔、プロのジャズ奏者を目指していた。しかし、その夢を諦めて、今は会社員をしている。ただ趣味で仲間とバンドを組んでいて、色々な所で演奏はしている。母親とも、アマチュア参加のフェスで知り合ったみたいだ。贔屓目を差し引いても、父親はかなり上手だと思う。でも夢は叶わなかったのだから、やはりプロになるのは大変だ。


「そうなんだ。先輩だったらプロでも通用すると思うんだけどな」

「ありがとう。お世辞でも嬉しいよ」

「お世辞じゃないですよ。本気で思ってます!!」

「じゃあプロになってコンサートを開いたら、かえでちゃんを一番に招待するね」

「わーい、ありがとうございます。楽しみだなぁ。早くプロにならないかなぁ」

「早くプロになれるようお祈りしてよ」

「わかりました。今日から毎日お祈りします!!」


 かえでちゃんがファン第一号ということでいいのだろうか?かえでちゃんが応援してくれるのなら、本気で頑張ろうかと少しだけ思った。

 ところで、俺がプロを目指すと言ったら、優香は応援してくれるのだろうか?そんなことを考えていたら、かえでが立ち上がり、学習机の上の楽譜を手に取った。


「先輩。これ見てもいいですか?」

「もちろん、いいよ」


 かえではまたテーブルに戻り、真剣な眼差しで楽譜を見つめていたが、しばらくすると、「ふーっ」とため息をついた。


「 難しくて全然分からないや」

「音楽をやってないと分からなくてて当然だよ」

「音楽の授業は苦手だったからなぁ。もうちょっと勉強しておけばよかった」

「ははは。今から勉強すれば?」

「じゃあ、先輩に教えてもらおうかな」

「よしっ、俺が家庭教師になってあげるよ」

「いいんですか?」

「なんでも教えるよ」

「はいっ、先生!!さっそく質問します。このD.S.ってなんですか?」

「おっ、かえでさん、元気がいいね!!それはね、ダル・セーニョっていうんだよ」

「ダル・セーニョですか?どういう意味なんですか?」

「それは、このセーニョマークの所まで戻るっていう意味だよ」


 俺がそう説明すると、かえでは少し黙り込んだあと、ポツリと呟いた。


「私もあの事故の前に戻れたらな……」


 そして、天井を見上げた。その目にはまた涙が浮かんでいた。俺はかえでになんて言ってあげればいいか言葉が見つからなかったが、なにか言葉はかけなくてはと必死で言葉を探していた。するとかえでは上げていた顔を下げ、セーニョマークを指さしながら言った。


「でも先輩。ここまで戻ったとしてもまた同じところを演奏するんですよね」

「ああ、そうだけど」

「うーん……。じゃあせっかく戻ってもまた事故にあっちゃうのか……。ダル・セーニョで戻っても意味が無いですよね」

「いや、まぁ……」


 俺は言葉に詰まった。また二人共黙ってしまったが、かえではさっき渡したハンカチで涙を拭くと、


「あっ、先輩ありがとうございました。そろそろ戻らないと早乙女先輩に怒られちゃう。ハンカチ、洗って返せなくてごめんなさい」


 そう言ってハンカチを返してくれた。


「全然気にする必要はないよ。それよりもう帰るの?」

「はい。あんまり長い時間早乙女先輩の身体を借りたら悪いですもん」

「でも、もうちょっといいんじゃない?」

「えーっ、どうしよう」


 俺はかえでを引き止めた。理由は分からない。ただなんとなくもう少しだけ話したいと思ってしまった。

 それから三十分以上話してかえでは帰ることになったが、かえでと玄関に向かうとちょうど父親が帰ってきた。


「ただいま。おっ、優香ちゃんこんにちは」

「あっ、あの、こ、こんにちは。おじゃましています」

「あれっ?優香ちゃんいつもと雰囲気が違うね」

「あ、いや……」

「少しだけ髪型を変えたからそう感じたんじゃない?そこに気付くなんてさすが我が父だよ」


 初対面の父親との遭遇でかえでが戸惑っているのですかさずフォローを入れる。そして、いろいろ突っ込まれると面倒なので話を変えた。


「ところで、いつもより帰りが早いけどどうしたの?」

「ああ、それが、どうも風邪をひいたみたいなんだ。くしゃみが止まらなくて。だから早めに引き上げた」


 そう言うと、風邪をうつすと悪いと思ったのか、そそくさと家の中に入っていった。


「先輩、今日も楽しかったです。ありがとうございました」

「俺も楽しかったよ」

「じゃあ先輩、また明日」

「うん、また明日」


 かえでと明日の約束をしてしまった。優香が今の状況を知ってしまったら、いったいどう思うのだろう。優香にはきちんと説明しなければいけないのだろうが、今までの事を受け入れてくれるのだろうか?そして、もし本当に『ダル・セーニョ』の魔法があったら、俺はかえでを助けることが出来たのだろうか?

 だいぶ日が延びた日曜日の夕方。

 かえでという優香の後ろ姿を見送りながら俺はしばらく考えていた。



































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ストロベリームーン 中田 浩也 @l-nakasatohara38

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