第10話 6月⑩

 すでに自分の身体に戻ったと思っていたかえでが、まだ戻らずにいたことに驚いた俺はかえでに聞いた。


「かえでちゃん、自分の身体に戻らなかったの?」


 するとかえでは少し暗い表情になって答えた。


「それが…、何故か戻れなかったんです」

「戻れない?」

「はい。私の身体がバリアみたいなものに包まれていて、何回も試したんですけど、跳ね返されちゃうんです」

「えーっ!?じゃあバリアが無くならないと戻れないってこと?」

「はい。たぶんそうです。もしかしたらもう戻れないのかも……」


 そう言うとかえでは不安そうな表情になりうつむいてしまった。


「大丈夫だよかえでちゃん。きっとそのうち戻れるから」

「本当に戻れるのかなぁ……」

「大丈夫だって」

「……でも、きっとこのまま死んじゃうんだ……」


 かえではそう呟くと目から涙を落とした。俺はそんなかえでを見て、咄嗟にハンカチを手に取るとかえでに渡した。そして、


「かえでちゃんは絶対に死なないよ。今は一時的にバリアが覆ってるかもしれないけど、そのうち無くなって普通に戻れるようになるから。だから元気を出して」


 俺は根拠の無い言葉でかえでを慰めた。そんな適当な言葉にかえではハンカチで涙を拭くと、


「……そうですよね。絶対戻れますよね。諦めたら本当に死んじゃうもん」


 そう言ってニコッと笑った。俺はそんなかえでを見て、かえでさえ諦めなければ、必ず元に戻れると思えてきた。そして、少し元気になったかえでを見て安心した俺は、優香が持ってきたお菓子を食べるようすすめた。


「せっかくだから優香が持ってきたお菓子食べようよ」

「わーっ、食べたーい。でも……」

「どうしたの?」

「早乙女先輩が先輩と一緒に食べようと思ってたのに、私が食べちゃったら悪いなぁと思って」


 そう申し訳無さそうにかえでは言った。


「大丈夫だよ。そんなこと優香は気にしないから。それに、かえでちゃんが食べても、結局優香が食べてるのと同じことになるんじゃない?」

「えーっ。いくら早乙女先輩の身体を借りているとはいっても、私が食べたら早乙女先輩が食べたことにはなりませんよ」


 そう言ってかえでは笑った。


「いや、お腹に入れば一緒だよ」

「一緒じゃないですよ」

「一緒だよ。それに、たとえ入れ替わったとしても味覚は残ってるって。明日学校で会ったら、昨日のお菓子美味しかったよねって絶対言ってくるよ」

「先輩、めちゃくちゃ適当じゃないですか」

「適当じゃないよ。そうだ、たしか遠い昔に読んだ本に書いてあった気がする」

「ははは、絶対嘘だ。そんな本あるわけないじゃないですか。わかりました、早乙女先輩には申し訳ないですけど、この美味しいお菓子はかえでがありがたく頂くことにします」

「そうだよ。優香もきっと喜ぶよ」


 かえでに完全に笑顔が戻って安心した俺は、優香が持ってきたお菓子をかえでと食べることにした。四角い折りたたみのテーブルに向かい合って座る。日曜日の午後によくある光景だが、眼の前にいるのは優香であって優香ではない。不思議な感じだ。


「うわっ!!先輩、すごく美味しいですよ。さすが早乙女先輩、センスがあるなぁ」


 かえでが感心している。俺も食べてみると、外はふわふわ、中のクリームはほどよい甘さで口溶けがよく、本当に美味しい。そんな訳で二人ともあっという間に食べてしまった。かえでは優香の分を残しておこうと言ったが、俺は、残しておくと変だからと言って、全部食べるように促した。


「ほんと美味しかったね。たしかに優香はこういうセンスはあるよな」

「ですよね。早乙女先輩って、きれいだし、勉強も出来るし、ビアノも上手だし、もう完璧じゃないですか。憧れちゃうなぁ……」

「かえでちゃんは優香に憧れてるの?」

「はい。早乙女先輩みたいに素敵な女性になりたいです」

「ふーん……」


 優香が後輩からそんな風に思われていたんだと思うと俺は素直に感心した。そう言われれば、優香はいろいろなことをそつなくこなすし、後輩の面倒もよく見ているので、慕われて当然だろう。唯一苦手なことと言えば、スポーツくらいなものだろうか。

 そんなことを考えていたら、


「先輩、そんなに見つめないでくださいよ。照れちゃうじゃないですか……」


 そう言ってもじもじとしている。俺はそんなに見ていたつもりはないが、そんなことを言われて急に恥ずかしくなってしまった。


「あっ、ごめん……」


 俺はかえでの顔を見られなくなって、下を向いてしまった。するとかえでも黙ってしまった。少し沈黙の時間が流れた。
















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