第7話 6月⑦


 ――次の日の朝はいつものようにホームルームの一分前に教室に到着。自分の席につくと、優香はニコニコと笑いながら「おはよう」とあいさつしてきた。

 俺も「おはよう」と返す。

 しかし、優香はなぜかずっと俺の顔を見ている。


「なんだよ」と俺が言うと同時にチャイムが鳴り、俺の声は掻き消された。


 ――ホームルームが終わると優香から声をかけてきた。


「今日はギリギリだったね」

「あ、ああ。でも遅刻はしてないぞ」

「うん、そうだね。いつもの響平でよかった」

「なんだよそれ」

「早く登校する響平なんて響平らしくないもん!」

「遅く来たら早く来いと言われて、早く来たらおかしいと言われ、俺はいったいどうしたらよいのでしょう?」

「ふふふふふっ。たしかに」


 そう笑っている優香は俺の心配をしてくれて、俺は優香の心配をしている。ただ、今日も優香はいつもの……、かえでが身体に入り込む前の優香だった。たぶん、かえではもう完全に自分の身体に戻ったのだろう。

 俺は心の底からよかったと思った。それは優香の身体のことが心配なのはもちろんだが、かえでが自分の身体に戻らなければ、意識が戻らなく、容態が回復するのが遅れてしまうかもしれないと思ったからだ。


 それから少し雑談をして、授業が始まった。


 ――午後八時半、いつもの公園。今日は部活動の練習がやや長引き、この時間になってしまった。


「今日は遅くなっちゃったね」


 そう言う優香に俺は、


「そうだね。じゃあ今日は寄らないで帰ろうか?」


 と、提案した。それに対し優香も同意した。


「うん!」


 そして公園を後にしようとしたが、帰ろうとする俺を優香が引き止めた。


「あっ、ちょっと待ってください」

「優香、どうしたの?」

「あの、やっぱりちょっと話しませんか?」

「あ、ああ別にいいけど」


 俺と優香は自転車を停め、ベンチに向って歩いた。ベンチに座ると優香から話しかけてきた。


「あの、響平さん」


 俺はちょっと間を開けたあと、返事をした。


「……なに?かえでちゃん」


 すると驚いた表情で聞いてきた。


「先輩、どうしてかえでだって分かったんですか?」

「それは分かるよ。だって優香は俺のことをさん付けで呼ばなもん」

「あっそうか。早乙女先輩は響平さんとは言わないですよね」


 今思えば、かえでから呼び出された時から、ずっと響平さんと言っていた。違和感はあったが、特に気にはしなかった。もっとも、優香に別の誰かが入っているなんて夢にも思っていないのだから、呼び方や話し方が多少おかしくても、そこを問おうとは思わなかった。いや、むしろ何か大事な話があるからこそ丁寧に話していたとも捉えていた。


「かえでちゃん、自分の身体に戻ったんじゃないの?」

「それが、戻ろと思ったんですが、ちょっと戻れなくて……」

「えっ?どういうこと?」

「あの……。どこに行けばいいか分からないんです」

「それはもしかしてどこの病院に搬送されたか分からないってこと?」

「そうです」


 そう言えば気が付いたら優香の家の辺りにいたと言っていた。


「俺もどこの病院かは聞いてないなぁ」

「そうですか……」


 かえでは残念そうな表情をした。


「じゃあ、あれからずっとどうしてたの?」

「仕方がないので街中を散策してました。昨日はウィンドウショッピングをしたり、動物園に行ったり。今日は美術館と映画館に行きました。自由に飛べるし、本当はいけないんですけどただなので」


 かえではそう言って舌をちょっと出して笑った。


「自由に飛べるって、どんな感じなの?」

「そうですねぇ、フワフワ浮いてる感じです。なので飛べると言ってもそんな速くは飛べないですよ。自転車位のスピードです」

「そうなんだ。じゃあ、夜はどうしてたの?寝る場所とか」

「それが、全然眠くならないんですよ。だから夜も飛び回ってました」

「一晩中飛び回ってたの?疲れるんじゃない?」

「一晩中っていうわけでもないんですけど、でも、疲れはしなかったです」

「寒くなかった?朝晩はまだ肌寒くない?」

「それも大丈夫でした。暑いとか寒いとかいう感覚はないです」

「そういう感覚はないのか……。美術館とか映画館にはどうやって入ったの?壁とかすり抜けられるの?」

「やってみたんですけどだめでした。だから普通に入口から入りました」

「入口のドアって開けられるの?」

「それが開けられないので、誰かが来るまで待っていて、開いた瞬間に入ってました」

「そうなんだ。あっ、あと……」


 続けて俺が質問しようとすると、かえでが大笑いした。


「はははははっ。先輩、そんなに幽体離脱に興味があるんですか?」

「あっ、ごめん色々聞いちゃって」

「全然大丈夫です。なんでも聞いてください」


 そう言うかえでの目は涙目になっている。


「いやーっ、身近に幽体離脱の経験者がいないから色々気になっちゃって」

「そうですよね。私の周りにもいませんよ。こんなのお笑いのネタでしかないと思ってました。まさか自分が幽体離脱するなんて」

「ははは。幽体離脱なんて激レアだよ」

「はい。たぶん、事故にあってなければ、こんな貴重な体験出来ないですよ。ふふっ」


 そう言って笑うかえでを見てハッとした。


「ごめん。かえでちゃんは今大変なのに、不謹慎だよね」


 そう謝る俺にかえでは微笑んで答えた。


「やだなぁ、謝らないでくださいよぉ。私、今の状態を結構楽しんでるんですよ。それにこうやって先輩ともお話し出来るし」


 かえでの本心は分からない。ただ、かえではまるで事故になんかあってないように明るく振る舞い、そして俺はそのペースにだんだん引き込まれているように感じる。


「先輩、今日は引き留めちゃってごめんなさい」

「いや、全然大丈夫だよ。でももう遅いから今日は帰ろうか」

「はい」


 自転車に戻り、それぞれの家に帰る前に俺はかえでに約束をした。


「あっそうだ。明日かえでちゃんがどこの病院にいるか聞いてみるよ」

「ありがとうございます。どこの病院か分かったら自分の身体に戻れますね」


 かえではそう言うと空を見上げた。


「じゃあ、また明日」


 俺がそう言うと、


「はい!!」


 元気よく返事をしてかえでは帰っていった。それを見届け俺も公園を後にした。

























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