第5話 6月⑤

 どれくらいの時間が流れたのだろう。会話もなくただただ二人で月を見る時間。たぶん十分から十五分くらいだったはずの時間が、ものすごく長く感じた。ただそれは、決して嫌な長さではなく、むしろ心地良い時間だった。この時が永遠に続けばいいなと思うほど。

 しかしその心地良い時間に終止符を打ったのはかえでの方だった。


「先輩、そろそろ帰りませんか?」

「あ、ああそうだね」


 俺は夜も遅いので、かえでを優香の家まで送って行くことにしたが、自転車の所まで来ると、優香の自転車が無いことに気付いた。俺はそれをかえでに聞いた。


「あれ?かえでちゃん自転車で来なかったの?」

「自転車の鍵がどこにあるか分からなかったんですよ。早乙女先輩の部屋を漁るのは申し訳ないので、歩いてきました」

「たしかに、人の部屋を漁るのは良くないよね」

「ですよね。先輩の部屋だったら思いっきり漁っちゃうんですけど」

「おいおい。それはやめてくれよな」

「なんか見られちゃまずいものでも隠してるんですか?」

「い、いやそんなことはないよ」

「なに焦ってるんですか?怪しいなー」

「ち、違うよ。部屋が散らかってるからさ」

「エッチな本がたくさんあったりして」

「ないないない。絶対にない」

「ほんとかなぁ?でも同級生の男子はみんな持ってますよ。先輩だって少しは持ってるでしょ?」

「いや、本当にないよ」

「じゃあ今度クラスの男子から分けてもらって先輩にあげますね」

「いや大丈夫だよ。ほんとに」

「ふふふ、冗談です。そんなに真面目に答えないでくださいよ。顔が真っ赤ですよ」

「もしかして俺はからかわれてるのかな?」

「やだなぁ、からかってなんかないですよ。」


 そう言うかえではイタズラな笑みを浮かべていた。年下の女の子にからかわれて、少し恥ずかしくなった俺はちょっとだけ仕返しをした。


「かえでちゃんは俺の部屋、出入り禁止ね。いろいろ探されたり、見られると困るから」


 するとかえでは、


「えーやだやだ。おとなしくいい子にしてるから出入り禁止にはしないでください」


 駄々っ子のように首を横に振った。


「本当にいい子にしてる?」


 すると今度は首を縦に何回も振っている。


「しかたないなぁ。ではかえでちゃんの出入り禁止は解除します」

「わーい、やったー」


 今度は飛び跳ねて喜んでいる。

 優香だったら絶対にしないリアクションに新鮮味を感じた。


「あっやばい。ここで話してたら遅くなっちゃうよ。歩きながら話そうよ」


 俺が促すと、「はいっ!!」と敬礼のポーズをとった。

 俺とかえでは公園を後にし、俺は自転車を押して、好きなマンガの話、好きなテレビの話などをしながら帰った。公園から優香の家までゆっくり歩いて七、八分の距離だが、話に夢中だったため、あっという間に優香の家に着いた。


「先輩、今日はありがとうございました。一緒にストロベリームーンを見られてよかったです」


 かえではそう言うと頭を下げた。


「いや、俺の方こそありがとう。最初はびっくりしたけど、楽しかったよ」

「本当ですかー?勝手に早乙女先輩の体を借りたから怒られるんじゃないかと思ってたんです。でも思い切って先輩を誘ってよかった」


 かえではとびきりの笑顔を見せた。


「それじゃあ先輩、おやすみなさい」

「うん。おやすみ」


 俺は自転車に乗って帰ろうとしたが、かえでがずっと手を振っているので、俺も自転車を押して後ろを振り返りながら、かえでの姿が見えなくなるまで手を振った。


 里中かえで。実際の彼女の事は知らないけれど、話した感じでは元気で明るい子、そんな印象だ。優香以外の女の子とあんなに話をしたのは何年ぶりだろう。でも話している相手はかえででも、目の前にいるのは優香だ。優香であって優香じゃない。なんだか不思議な感じだ。

 いや、そもそも他人の体に入り込むという、ありえないことが起こっているのだから不思議とかいうレベルではない。

 そんな事を考えながら帰っていると、優香、いやかえでからメッセージが届いた。


『今日はありがとうございました。最初は緊張したけど、先輩と話せて嬉しかったです。学校でも話せたらいいな。でもその時は自分の体で……』


 そうだ、彼女は今、大きな事故にあって病院にいる。元気に見えても大変な状態なのだった。


 俺は部屋に戻ると窓を開けた。そして大きくきれいに輝いているストロベリームーンに願い事をした。


『かえでの意識が早く戻りますように……』



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