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 恋人がいたという主さま。ただそれはあくまで人間だったときの話で、人間なのだから、恋人がいたっておかしいことじゃない。


「わたしの恋人はね、外宇宙探査局っていうところのリーダーをやってた。知ってるよね。人類がまだ生身の人間で宇宙進出をどうしようかっていうときに生まれた、有象無象の宇宙開発組織のうちのひとつ。そのなかでも外宇宙探査局は二番目に大きかった。いちばん大きかったのは、宇宙進出開発機構。いまの人類の総本山だよ」


 それは歴史の分野なので知っている。


 ひとくちに宇宙進出といっても、具体的なやりかた、方針、思想、規模、資金、技術力、はたまた宗教なども絡まって、実に多様な方法が模索された。

 そのなかで人類は実質的に、宇宙進出開発機構か、外宇宙探査局か、そのどちらかを選ぼうというところまで行った。方針が真逆だったことも、そのふたつが最後まで残った理由かもしれない。


 宇宙進出開発機構は、すべての人類が平等に宇宙進出を果たすべきだという考えを持っていた。つまり、すべての人類をいちど地球から大気圏外に出して、宇宙人類としての一歩を踏み出し、そこから金星、火星、アステロイドベルト、さらに外側へと、段階的に、平等に、宇宙進出するべきだと主張した。

 外宇宙探査局はその真逆。優秀な人間を、とにかく早く、とにかく遠くへ、一刻も早い外宇宙への到達を第一に考えるべきだという考えを持っていた。エリートに英才教育を施し、宇宙船クルーを何度も選抜にかけ、飛び切り秀でたチームによって、宇宙進出をけん引していくべきだ、と。


 前者は確実だが時間がかかり、平等だが進歩も遅い。

 後者は時間はかからないがギャンブルであり、とんでもない発見が見込めるが選民的だった。


 どちらにも一定の理想と論理があり、当時の人類は見事に真っ二つに割れたそうである。


 ではなぜ宇宙進出開発機構が残り、外宇宙探査局が残らなかったのか。


 外宇宙探査局のリーダーが道半ばで死亡したからだった。


「公には事故死ってされてる。だけど、わたしはそう思ってない。陰謀論と思われるかもしれないけど、わたしは絶対に、宇宙進出開発機構の奴らがやったんだと思ってる」


 リーダーを失った外宇宙探査局は力を失い、宇宙進出開発機構が勢力を伸ばした。人類の宇宙開発方針に決着がつくまでさほど時間はかからなかった。


 そのリーダーが、主さまの恋人だったらしい。

 そこまでの記録はさすがに残っていない。

 だが、外宇宙探査局のリーダーは女性だったはずだ。

 主さまは脳内で女の子の思考をエミュレートしていると言っていた。

 つまり、ふたりは同性愛者ということになる。


「でも、わたしはそれだけじゃないとも思ってる。あの子が死んだだけで瓦解するなんて、そんな弱い組織が人類を二分する論争に残れるわけがないよね。瓦解した瞬間に支持者も一斉に鞍替えするなんて、そんな薄情なこともないよね。わたしが思うに、ただ人類の先頭に立って夢を語る女性がもの珍しかったんだよ。自慢じゃないけどあの子、頭もよかったし、顔もすっごい美人だったから。だから、わたしは余計に腹が立った。あの子が死んだ後には、何も残らなかったから。エンターテインメントを見てるような気分だったんじゃないかな。本人は死ぬ気で本気でも、周りからすればただの茶番か八百長に見えてたんだよ、きっと」


 自分の意志や理想を、世紀の見世物としてただ消費され、忘れられていく気分はどうだったのだろうか。主さまの恋人はそんなものは味わっていない。もう死んだ後のことだから。わたしにも想像できない。わたしはただの歯車だから。


 だからこれはきっと、主さまの意志や理想で、主さまの戦いなんだろう。恋人のための。


「わたしは、あの子の意志を理想を、踏みにじった宇宙進出開発機構を、忘れたすべての人類を、絶対に許さない」


 そのとき、わたしのなかで何かがひび割れるような音がした。

 同時に、月に亀裂が走り、煙を吹き出し、あっという間に細かな破片を霧状にして、周囲に散らばり始めた。


「はじまった。そして、終わるんだ。やっと……」


 主さまは目を細めて、口の端をほのかに染めていた。

 恍惚な表情、と、きっと人類では呼ばれるのだろう。


 それから一一八時間三七分四四秒、主さまとわたしは、月が分かれていく様子を眺めていた。


 細かい破片となった月は少しずつ広がり、地球の周囲をぐるりと回る円盤に姿を変えた。もともと月があった位置にはまだたくさんの破片が残っていて、そこだけ円盤が膨らんでいる。円盤のいちばん内側、つまり地球表面に近い場所ではオービタルコロニー群が岩石群と衝突を繰り返し、真っ赤な環が出来上がっている。

 赤い環の外に白い円盤が広がり、その一部に大きな盛り上がりがある。


 そうだ。


 これは、エンゲージリングだ。

 地球を指に見立て、オービタルコロニーの環と月の円盤をリングに見立て、まだ球状に残っている月の破片群を宝石に見立てて。

 あの地球は主さまの恋人だ。

 主さまから恋人へのエンゲージリングなのだ。

 宇宙進出の意志と理想を絶たれ、大気圏を脱出することすら叶わず、地球の土に還り地球と同化した恋人への、主さまからのエンゲージリング。


 そのエンゲージリングを、人類の大多数を生贄に捧げて、地球に嵌めてしまった。

 主さまの計画はすべてこのため。

 月を爆破して恋人にエンゲージリングをささげるためだったんだ。


 こんなに壮大なエンゲージリングがこれまでにあっただろうか。

 わたしは改めて、主さまの人間としての底知れなさを知ってしまった気がした。


「愛してる……」


 同時に、主さまのそのつぶやきで、わたしは自らのひとめ惚れが打ち破れたことを知った。


 主さまはいまでも恋人のことを思っている。


 何より、主さまも、まっすぐな、裏表のない人間ではなかった。

 人類に目にものを見せると建前を言っておきながら、本音はそうではなかった。

 主さまの本音は、ただ恋人に、エンゲージリングをあげたかっただけなのだ。


 わたしは、いや、『エンゲージリング』という組織も、主さまのその隠れた本音のために歯車としていいように使われていたのだった。

 『エンゲージリング』という組織名も、わたしがもらったエンゲージリングも、あの地球にはめられたエンゲージリングの前ではすべてがかすんでしまっていた。


 わたしの回路が、いままでとは違う数値によってオーバーフローしそうになった。


 わたしは、主さまからいただいたエンゲージリングを投げ捨てた。

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愛の証にこの指輪を 多架橋衛 @yomo_ataru

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