あと2日
そして、現在、8月28日金曜日午前7時45分。朝を迎えてしまった。
『僕と付き合ってくれない?』
そう言った琥珀の表情と声が俺の頭をグルグルと回る。
僕と付き合ってくれない?……
あいつはまるで『ティッシュ1枚くれない?』みたいなノリで、衝撃の提案をしやがった。
100歩譲って俺が女なら分かる。さらに200歩譲って俺が絶世の美少年なら分かる。でも俺は目つきの悪い、ごく普通の高校生だ。
あいつ……
死期が迫って頭おかしくなったのか……!?
そんなことを考えているとインターホンのチャイムが鳴った。
ピーンポーン。
押しているのはもちろん琥珀。俺と琥珀は小学校の時から一緒に学校に行っている。このチャイムは琥珀が家に着いた合図だ。
「はーい、すぐ行く」
インターホンごしに声を送って玄関を開けると、そこにはTシャツとスキニーで身を包んだ琥珀が立っていた。
「湊人、おはよー」
眠たそうな顔で琥珀が話しかける。
「琥珀……制服は?」
「あぁ、ちょっと行きたいとこあるから。っていうか、湊人も私服に着替えて〜! それじゃ警察に補導されるじゃん!」
「え? 俺も……?」
「ほら早く!」
「え……あ、あぁ」
当たり前のように言う琥珀に流され、俺は私服に着替える。そして言われるがまま、いつもとは逆方向のバスに乗りこんだ。
◾︎ ◽︎ ◾︎ ◽︎
成り行きでバスに揺られていると、琥珀がふいに俺を見つめる。
「おい、なんだよ……」
なんとなく決まりが悪くて俺は意味もなくペットボトルに手を伸ばし、口にお茶を入れる。
「僕と付き合う件はどうなったの?」
プッッッ!お茶を吹き出す。
「わー、ばっちぃ〜」
「だぁー悪い悪い、ごめん」
「んで?決心はついたの?」
綺麗な景色を背景に琥珀が首を傾げる。
俺は、ついさっき「ごめん」って言おうと決心していた。俺はゲイじゃないし、いくらイケメンで学校のみんなから慕われている【西校の王子 前原琥珀】といえども……switchがかかってるといえども……やっぱり無理。そうと思っていた。
でも、いざ琥珀を目の前にして言おうとすると「ごめん」の言葉は、俺の体の中から出てこない。
というのも、今回のこの嘘――琥珀があと3日、いや、日が変わったからあと2日。あと2日で死ぬという嘘が心の中で引っかかる。
思えば琥珀は今まで[死ぬ]という言葉を簡単に使ったことがなかった。中学生の時には
冗談半分で『死ね』と言ってからかってる奴らにいきなり飛び蹴りするくらい、なぜかそういうところはきちんとした男だった。
そんな琥珀がついた嘘――話自体、嘘としか思えないけど、でも、なんとなく嫌な予感がする。
あと2日。あと2日で死ぬ琥珀のやりたいことがおれと付き合う……。
そんな風にグルグル考えていると、琥珀がチラリとこちらを向いて目があった。
おれと同じ18歳の琥珀。そんな琥珀がもし、万が一、本当にあと2日で死ぬんだとしたら?
そう考えると、胸がズキリと痛んだ。そして、ほぼそれと同時に俺は「いいよ」と呟いてしまっていた。
「え? 本当に? わ! ありがと!」
琥珀が嬉しそうに微笑む。おれはなんとなく決まりが悪くなって下を向いた。
◾︎ ◽︎ ◾︎ ◽︎
「次は川橋海前〜川橋海前〜。お降りの方は降車ボタンをお押し下さい」
機械的なアナウンスがバスの中に流れる。
「おーし! 次で降りるよ!」
琥珀が大きな伸びをして降車ボタンを押す。大体1時間ほどバスに乗っていただろうか。ずいぶん遠くまで来た。
「川橋海前? ここ何があんの?」
「まぁまぁ、着いてからのお楽しみ!」
琥珀がウキウキと荷物を整える。そしてじきにバスは小さなバス停の前に止まった。俺たち2人はバスから降り、周りを見渡すとそこには一面の海――ではなく、森。森が広がっていた。
「いや、どこが川橋海前だよ! ここ森じゃねーか!」
思わずツッコむと、琥珀がケラケラ笑う。
「ははっ、僕も初めて来た時、一緒のこと思った。でもさ、ちょっとこっち来てみ」
琥珀に連れられ森沿いを歩いていると、ふいに木と木の間に大きな隙間が現れた。風がビューーッとおれの前髪を上げる。
「こっち!こっち!」
駆け足になった琥珀の後を追うと地面がだんだん土から砂に変わっていく。そして森を抜けると、目の前がパァッと明るくなった。
「わ……海だ……」
そこには正真正銘、見渡す限りの海が広がっていた。
「本当に綺麗だな……」
俺がポツリと呟くと琥珀が満足そうにフフンと鼻を鳴らす。
「すごいだろ! これが僕のやりたいことその2! 彼氏と海でデートする!」
その言葉に俺の心臓がドクリと跳ねる。彼氏と海でデート。琥珀から聞くとやっぱり、なんというか違和感がある。
「あのさ、琥珀。すごい聞きにくいこと1個聞いてもいいか?」
「うん、何?」
「……琥珀ってゲイなの?」
海を眺める琥珀に問いかける。すると琥珀は腕を組み、うーんと唸った。そして、俺の目を見つめる。綺麗な整った顔。澄んだ瞳が俺を見つめる。俺はなぜかじわっと緊張して目線を彷徨わせた。琥珀に見つめられると、すべてを見透かされそうで、居心地が悪い。
「うーん、ゲイではないよ」
琥珀はまた、海を見つめながら声を発した。
「じゃあなんで彼氏?」
「いや、彼女が良かったんだけどさ? 昨日の今日で彼女になってくれる人なんていないでしょ?」
「ファンクラブ会員に告ればいいじゃねーか」
琥珀は高1の時からファンクラブが立ち上げられているので、その子たちに告れば、速攻で付き合ってくれるだろう。
「そりゃそうすればできるかもしれないけど……気が合わなかったら僕の大事な1日が無駄になるわけじゃん? そんな博打打てないし……。まぁ、湊人がいるから彼氏でいっかって思って!」
琥珀がニパッと笑う。ホッとしたような、ズキッとしたような……? なんとも言えない気持ちが俺に押し寄せる。
「じゃ、そんな僕の彼氏、
「んー、何?」
「手を繋いで下さい!」
俺の心臓がドクッと跳ねる。
「ほ、本気で言ってるんだよな……?」
「もちろん! 僕はいつだって本気だよ? 湊人と違って僕は彼女いたことないから、手を繋いで海沿いを歩くとかしてみたかったんだよ〜! 減るもんじゃないしいいだろ?」
「えー、誰か見られるかも知んないし……」
「大丈夫! 大丈夫! 平日はほとんど人来ないから! ほら! switch! いらないの?」
琥珀がニヤリと笑う。
「わ、分かったよ……これでいいんだろ?」
琥珀から差し出された手をぎゅっと握る。――冷たい。琥珀と手を繋いで真っ先に思ったのはその3文字だった。
しかし、そんな俺をよそに琥珀は俺をひいて砂浜を歩き始める。
男にしては華奢な体に白い肌。そんな琥珀と手を繋いで砂浜を歩くなんて、数日前の俺は考えもしなかっただろう。
「なぁ、湊人」
琥珀が前を向いたまま、歩きながら俺に声をかける。
「湊人はさ、将来の夢とかあるの?」
「将来の夢……」
それは俺が中3の時からずっと探していたものだ。
「うーん、俺にはないかな」
「え? ないの?」
琥珀が意外そうな顔をする。俺は小学校の時から勉強だけはできたから進学校に入学した。それからなんとなく勉強して、なんとなく受験勉強してるけど、やりたいことっていうのはかけらも分からなかった。
「だって自分が何が得意かなんて分からないし? 今、職業なんてえらべねぇーよ」
「別に自分の得意なことじゃなくても、好きならいいじゃん」
「それはそうだけど……給料とか忙しさとかいろいろ考えると俺のやりたいことは何にもないんだよ」
2人の頬を潮風が撫でる。
「まぁ、そんなこと言ってたって湊人は就職しないといけないけどね」
琥珀がいたずらに笑う。
「そうなんだよなー」
俺がため息をつくと、琥珀は手を離して堤防に駆け出した。そしてトンっと座ると自分の隣をポンポンと叩く。
「湊人〜! ちょっと休憩しよ〜!」
相変わらず突拍子もない琥珀。俺は促されるまま琥珀の隣に座る。
「で? 俺にそんなこと聞いたってことは琥珀には将来の夢あるのか?」
琥珀がニヤリと笑う。
「うん、僕は将来脚本家になりたい」
「脚本家……」
俺の胸で嫉妬の風船が少し膨らむ。あぁ、琥珀も夢を持ってる側の人間だ。俺が超えたくても超えられない線を超えてる方の人間だ。
「僕さ、1年ぐらい前に『君と過ごした愛しい日々』っていう映画見たんだよ」
「うん」
「それで、その映画が本当に良くて、とにかく泣いて……感動して……。それで最後、エンドロールに脚本家さんの名前がドンって表示されたんだ。その瞬間――うわっ、これ僕もしたい! 絶対したい!って思って。その日から僕の夢は脚本家になったんだよ」
僕はキラキラに話す琥珀の横顔を見つめる。
もし、琥珀のあの話が本当なら
琥珀は2日後に死ぬ。
俺も何年後か何十年後かに死ぬ。
残された時間は俺の方がたくさんあるけれど、その残された時間で俺はこんな顔で夢を語れる日が来るだろうか? こんな生き生きとした顔。俺は到底できそうにない。
「羨ましい」
俺は息をするように言葉を吐き出していた。
「じゃあさ、湊人にあげるよ。この夢」
琥珀が何でもないようにさらっと言う。
「あげるって……これはお前の夢だろ?」
「でも僕はあと2日で死ぬもん」
琥珀がふっと笑う。
その瞬間、パンと平手打ちされた気分になった。その笑顔があまりにも哀しく、大人びていたからだ。俺はなぜか胸が痛んでとっさに顔をそらした。
すると琥珀は砂浜に駆け出し、何かを拾ってまたこっちに走ってくる。
「湊人、約束して。湊人は将来脚本家になる。この貝殻に誓って!」
そう言って白い貝殻を俺に向かって突き出した。綺麗な白い貝殻。潮風に吹かれ、パラパラと砂が落ちる。
そうだな。俺には夢がない。琥珀には夢がある。琥珀には叶える時間がない。俺には叶える時間がある。
「分かった、誓うよ」
俺は貝殻を受け取り、そっと笑った。
◾︎ ◽︎ ◾︎ ◽︎
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
すっかり暗くなった海を見ながら琥珀が呟く。俺たちは貝殻に誓ってから、たくさんのことを堤防で話した。過去のこと、今のこと、未来のこと。たわいもないものから、真剣なものまで俺の全てを話し、琥珀のすべてを聞いた――と思う。
「あぁ、帰るか」
堤防から立ち上がると、琥珀が当たり前のように手を差し出し、俺は当たり前のように握った。そして、最初に来た時の足跡を辿りながら帰る。
夕方の海は寒く、潮風が2人に吹きつける。
琥珀の手は冷たい。俺は自分の体温が少しでも琥珀に移るようにぎゅっと手を握った。
その時だった。
バタンッ
いきなり自分の手に琥珀の体重がのしかかる。琥珀がこけたのだ。
「おい、大丈夫か?」
琥珀の顔をペチっとたたいても琥珀は何の反応もしない。
「琥珀?」
嫌な予感が広がる。心臓が早まる。体温が上がる。琥珀を揺らしても何の反応もない。
「おい、嘘だろ……。おい! おいっ! 琥珀……しっかりしろ! 琥珀っ!」
誰もいない砂浜に俺の声だけが響いた。
【
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます