第十五話

 BOY MEETS GIRL、少年は少女に出会う。

 逢ったら何があるって言ったら……まぁ、一般論ではFOLL IN LOVEなんだろうね。恋に、落ちる。

 まさかホントだとは思わなかったなぁ、だってさ?

 あたし、メイリカル=レイルドだよ? 皇女様で、リアリストでモラリスト、ついでにエゴイスト。『恋』なんて聞いたら……鼻で笑っちゃうよーなヤツだったのに。

 ヘンなの。

 この二ヵ月で、一気に変わっちゃったよ。

 絶望的なロマンチストだね。陳腐で芸のない、なんだか三流の。

 それでもいいかなって思ってるから重症だ。恋はよく病に例えられるけれど、あたしはたしかに現在『恋の病』の患者。お薬下さい、あの人に会いたいんです。

 なんて。

 バカな事を考えて、あたしは城の門をくぐった。


 魔法界ってゆーのは、地球と全然違うモノだって解ってもらっておきたい。

 チキュウの場合は、表面に生物が住んでいるらしいのだけれど、あたし達は球型の天体の内側に暮らしている。外側では暮らせないのだ。数千年前にあった巨大な戦争で、世界の表面は不毛地帯になってしまったから。魔法兵器という、魔法と工学の合体技の影響だから、こればっかりは魔法で直す事が出来ない。空っぽのボールがグルグルと地球のように回っていて、重力は遠心力で発生しているらしい。でも、世界の回る速度がそんなに早くないから…地球よりは身体が軽いのは、特徴の一つだね。ついでに雲が発生しているのは世界の真ん中あたりよ。

 ちょっと想像がつかないかもしれないけれど、カンタンに言えば裏側の世界ね。足場のある位置が表裏どちらにあるのか一番の違いはそこだから、あとは重力が軽いだけ…ってところ。他には、そうね、地平線はないかな。内側に暮らしてるとなると上を見上げたら人が歩いてるコトにならないか、とか思うだろうけれど、残念ながら遠すぎてそれは見えない。

 丸い星の中、その丁度真ん中に。

 ……城がある。


「結局、取りに来ちゃったかァ……」

「リィ?」

 あたしの溜息まじりの独り言を、ルワンが訝しげな眼で訊ねた。でもあたしは殆どそれを気にしていない。ここにいた頃の悲しい気持ちは、全部隆介に忘れさせてもらったから。ここに残した、妬みや嫉みも感じない。いつか取りに来るからと確かに言ったけれど…実行はしたくなかった。帰って来たくなかったんだね、本当は。

「皇女、今まで何所に!? 皆が総出でこの二ヶ月探していたのですよ!?」

「ザルージュ……久し振り」

 ひょいっと飛んできた執事のザルージュに、あたしは無気力な眼を向けた。

「久し振りではありません! と、とにかく女王に謁見の取次ぎをしねば……!」

 自分の母親に会うのにアポが要るなんてね。やってられないわ、ホントに。

 ……だから嫌い。

 お母様なんか、大嫌い。

「ねーザルージュ? 騒がしいよ、何か……」

 ふいに廊下の曲がり角から、その声が響いた。

 あたしと同じ声。でも、ちょっとトーンが高めで幼いイメージ。

 この城で執事官ザルージュを呼び捨てに出来る奴は多くない。そしてあたしと同じ声をしていると言えば、もぉ解ってる。

「久しいねカオレッシュ」

 あたしはこの、無邪気で純真な妹とは正反対なのだ。全てにおいて。

「……お……お姉ちゃん? ほんとに、ほんとに? リィお姉ちゃん!?」

「そうね、偽物じゃないわ。たしかにメイリカル・ゼントファー=レイルドよ」

 あたしは証明するように、フルネームでそう言った。

 カオレが、三つ編みの銀髪を靡かせてあたしの方に飛んでくる。

(……かるい、な)

 国の中心地点であるここは、さらに少し重力が軽い。無重力の一歩手前だね。元々身軽な魔法使いはこの場所でならひょいひょいと飛んで暮らせるのだ。その所為で、体力の低下に繋がるのも否めない事実なんだけれど。

 人間がはじめて宇宙に出た時。

 その、最初の宇宙飛行士が地上に帰って来た時、彼は歩く事が出来ないほど、足の筋力を退化させていたとか聞いた事がある。

 彼と同じ轍を踏まないように、現在の宇宙飛行士達は筋力トレーニングを宇宙において課せられているとか、隆介が教えてくれた。

 ……しかし、

 あたし達はそんな事しない。歩けなくなったら飛べばいい。魔法を使えばいい。

 なんて安直で、ダメなあたし達。

「お姉ちゃん!」

 飛びついてきたカオレの勢いに、あたしは抱きとめたはいいけれど後ろにフッ飛んでしまった。

「カ……カオレ、勢いつけすぎ」

「お姉ちゃんどこに行ってたの!? 城の皆が一生懸命捜してたんだよ!? 酷いよ、私にすら何も言ってくれないなんて酷すぎるよ……!」

「カオレ……」

 あたしはカオレの頭をなでた。


 ……なんで、

 カオレが泣くのだろう。泣きたいのは、あたしの方なのに。

 カオレは知らない。あたし達が生贄になるためだけに育てられてきたモノだとは。

 カオレは無知なワケじゃない。ただ、あたしとは正反対な育て方をされてきたんだ。あたしが色々な知識を詰め込まれてきたのに対し、カオレの教育は情緒的なものばかりだった。道徳がメインで、殆どまったく普通の意味での『知識』はない。足し算すら出来るかどうか、って所だ。

 そしてその過敏で優しい神経は涙もろい。あたしが泣きたい場面になると、あたしの心中を察してこのコが泣いてしまう。

 けれど、さすがに今は自分が不安だったから……って涙みたいだ。


「少し、思うところがあってね。一人旅がしたかったんだ。心配かけたね」

 あたしはマニュアル通りのセリフを吐いた。傍らのルワンに眼で合図をする。『先に部屋へ帰っていて』と。裏の意味は、『ちょいと長引くから』。

「皇女! 第一皇女様! シェルドリファ様がすぐに部屋に来るようにと!」

 ザルージュがあたしにそう声をかけた。ゆっくりカオレを引き離して、あたしは歩く。

 無意識に、歩いている。

 飛べない世界にいたから、地に足がついているっていうのが当たり前になってしまっていた。あたしは、この軽重力場所でも、あの世界を忘れてはいない。地面にしっかりついている足が、僅かだけれど重みを訴えている足が。

 ちゃんと、人間界を覚えているようで、安堵出来る。


「法国ザン=ディアーネ女王シェルドリファ・ブロウズ=レイルドが第一皇女、メイリカル・ゼントファー=レイルド。召喚に応じ参上いたしました」


 王間の扉の前でそう言うと、扉が音もなく消えた。扉は魔法の幻影。けれど、ちゃんと要旨を告げない者には鉄壁の壁となるのだ。

 いつもは重臣でごった返す王間は、なぜかひどく閑散としている。いるのは、女王ただ一人だった。邪魔にならない様に、後ろにきっちりと結わえられている髪と、いっそ不健康に見えるような白い肌。そして切れ長の眼の中には、あたしと異なる色の瞳……。

「閑散としているようですね」

 あたしは率直な感想を述べた。皮肉なことに、これが数年振りの会話への切り出しになる。

「あなたが消えた所為で、恐れを成した臣下達は異国へと亡命したようです。『皇帝』がやってくる一ヶ月前ともなれば、そうなっても仕方ないでしょう」

「そうですか」

 感情も抑揚もない声。さすがに年輪を重ねて重みのあるカンジはするけれど、そのプレッシャーもしらけたあたしには意味がない。

 それを感じてか、お母様は溜息をついてから本題に入った。

「人間界にいたのですか」

「はい」

「何をしに?」

「イヤガラセです」

「……?」

 あたしの本音に、お母様は眉根をよせた。あたしは、聞かれたら続きを話そうと、ダンマリを決めこむ。

「嫌がらせとは、どういう意味です?」

「そのままです。どうせ殺されるのだから、最後のお転婆をしたまで。最初から帰るつもりでした。でなくば」

 そこで一旦言葉を区切る。

「皆が死ぬと、解っていましたから」

 あたしには、自分が助かるためだけにみんなを見殺しになんか出来ないから。

 たとえ、憎いお母様であっても。

 羨んで来たも妹でも。

「……あなたは、『皇帝』を止める方法をどこで知ったのです?」

「知れた事、書物庫を漁ったまでです」

「いつから、それを知って?」

「ずっと」

 そう、ずっと。

「もうずっと前から、存じていました」

 ずっとずっと前から、あたしは自分の死を知っていた――……。

「あれほど、教授達に緘口を厳命していましたが…そのような所からあなたに知れるとは思いも寄りませんでした」

 ふう、と、疲れた溜息がお母様の口から流れた。

「……知らせるつもりはなかったと仰るのですか」

「ええ」

 あたしは苛立つ。

 この女は、娘達を生贄にするコトも……国を守るためならば厭わないのだ。気にも留めないのだ。

「ならば」

 怒りをこらえてあたしは続けた。

「私が戻った事も、思惑通りなのでしょうね」

 あたしを力ずくで呼び戻さなかったのは、戻る事を確信していたからだ。所詮は自分の手の上で踊っているだけの事を知っていたからだ。

 やはりあなたは残酷な魔女だね、お母様……!

「自室でしばらくは謹慎でも致しますわ。『皇帝』が国にノックをしたら教えて下さいませ。もう逃げも隠れも致しませんから」

 あたしはそう言い捨てて、王間を出た。軽い身体を押すべく壁を蹴ってから羽をつかって飛ぶ。

(……悔しい……)

 悔しい、結局あたしは踊らされてた人形だった。

 あたしはあの女の中でなんの意味も成さない。

 絶望的だ。こんなのはやっていられない。あたしはやっぱり、城の中では一人ぼっち。カオレと同じ顔だとしても、愛される事はない。

 この眼があの女とは異なる色であるかぎり……っ!

 あたしは何時までも、ドアの中には入れない。隙間から覗いているだけ。何時までも何時までも、変わらない。ずっとずっと同じ……。

(今更、だけどね)

 そう自分に言い聞かせて、諦める事には慣れている。慣れているつもりにならなきゃ、こんな世界に生きていられない。こんな絶望的な無気力の世界になんか……。

 解りきっていたはずなのに涙の出そうな自分が、なんだか無性にムカついちゃうんだけどね。ホントに癪にさわるわ。


 ……命の底が見えているハズなのに、怖くないのはどうしてだろう。

 どうしてあたしはまだ、お母様に対する怒りだけは……保てているのかな。

 ずっとずっと、恨んでばかり。

 最後までコレじゃ、ちょっと哀しいけれど。

 今更、あの女を許す事なんか出来ないのよ……。


「ったく、あーあ…」

 ボヤいて自室、窓の外をみる。緑色の綿菓子みたいな雲が、ふよふよと浮かんでいた。…この国の雲は天体の真ん中——つまり城の周辺にたまっている。重力の関係らしいけれど興味は無かった。…地球の白い雲が、妙に懐かしくなっただけ。

「リィ、お前っていい度胸だよな…女王相手に」

「なによ聞いてたの? いいのよ、あんな女」

 永遠に嫌い続けてやるわ。それが、一番自然なコトなんだからね。

 コンコン……ッ☆

 ノック……?

「誰? 悪いけれどあたし、今は謹慎中だから誰にも会えないんだけれど」

 てゆーか、会いたくないんだけどね。この滅入ってる時に、ルワン以外のヤツと話すのはちょっと、イヤだ。

「ママには、了解とってあるの。私だよお姉ちゃん」

 カオレ、か。

 よりによって気分的に一番会いたくないコとはねー、追い返したいな。でもそうするとこのコは泣くし……。うーん、どうしようかなーっ。

 しょうがない。入れてやるか。

「開いてるわよ」

 ロックを外すと、ドアが消えた。そうそう、ここのドアもまやかしなのよね。こんなに魔法を使うのは久し振りだわ。

「えへへ、お菓子持ってきたの。お姉ちゃんの好きなの、いっぱい。お茶もあるよ」

「あらあら、沈んでいるあたしを慰めに来たの?」

「違うの、だってお姉ちゃんがいなくてすごく淋しかったのよ? だから久し振りに一緒にお茶したかったんだもん」

 ぷぅ、と頬を膨らませる仕種がなんだか可愛らしい。あーあ、なんだかな。これだからこのコは恨めない。だから苦手なのよね、まったく。

「お姉ちゃん、どこに行ってたの? 異国? でも、ゲート親衛隊に引っ掛からないで行けるはずないもんね…。みんなが探してたのに、どこにいたの?」

「内緒だよ、教えない」

 笑って隠し事をするのはいつもの事。ちなみにゲート親衛隊っていうのは、違う国…この国を抜け出して、違う国に行く時に通らなきゃいけないゲートを警備している、人間界でいう国境警備隊みたいなものね。あたしは長老の部屋に忍び込んで、人間界直通の水晶を使ったからさ。誰にもばれなかったと言うわけ。

「……なんだか、すごく大人のお顔をしているよ。お姉ちゃん」

「そうかもね。色んなコト、学んだんだ。すごく……楽しい場所で。すごく、いいヒトにも出遭って。ホントに色んなモノを学んだわ」

 今はもう、思い出すのも難しい。みんな、夢だったんじゃないかって感じがある。忘れてしまいそう。現実に飲みこまれそう。奪ってきたあの気持ちも……薄くなってしまいそうだよ……。

「色んな、コト……」

 声がつまる。

 泣きそう。

 会いたい。

 隆介に会いたい。まだ、離れてから時間がたっていないのに。必死にあたしを止めようとした手。怒ったような、傷ついたような顔。好きと言ってくれた声。鮮明すぎる。けれど、鮮明さと同じくらいに霞んでいる。

 忘れるのはイヤ。大好き。本当よ、今まで嘘は沢山ついてたけれど、貴方にだけは本当を話していたよ。貴方にだけは、嘘がつけなかった。だから、自分の正体もバラしちゃった。だから、好きと言わずにはサヨナラ出来なかった。あたしを見つけてくれた。そんな貴方だから。

 嘘は言えなかった。

 同じくらい、ホントも言えなかった。

 哀しいけれど、大好きだったから。

 あたしが死ぬ事は、告白できなかった。

「お姉ちゃん? 泣いているの、どうしたの?」

「……なんでもない、なんでもないのよ」

「だってお姉ちゃん泣いてるよ!? どこか痛いの? それとも哀しいの? 私、どうすればいい? ねぇ、お姉ちゃん!」

 どうすればいいのか聞きたいのはあたしの方なのに!

 どうにかしたいのはあたしなのに! 会いたい、その気持ちがパンクしそうだよ! 死ぬのなんか怖くないのに、隆介に会えなくなるのはツライよ、苦しいよ、哀しいよ!

 離れてからでなきゃ気付けないなんて、そんなのは哀しすぎるよ。会いたいよ。怖い。歌が聞きたい、隆介の声が聞きたい、隆介の曲が…聞きたいよ……!

「お姉ちゃん、お姉ちゃんっ!」

「……何でもないったら、カオレ。すこし疲れているのよ」

「ごめんなさい、私がいきなり来た所為だよね、私が……」

「違うよ。あんたは悪くないから。泣くんじゃない」

 ゆっくり抱いて、頭を撫でる。

 泣きたいのがあたしなのに、どうしていつもあたしは少しの涙しか出せないんだろう。ちゃんと、泣きたい。また、隆介の前で泣いてしまいたい。そしたら、少しは怖くなくなるのに。


 音が恋しい。

 隆介の音が、

 耳の奥で微かに響いている。

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