第十四話

 あたしは既に『魔法使い』の本性を曝した状態だから、店の人間は擦れ違ってもまったく気付かない様子だった。……その事が、ちょっとだけ哀しかった。所詮この世界であたしを固定できるのは隆介だけってコトになるから。

 帰り支度を終えた男の子達がやってくる方向に、あたしは向かっていった。多分更衣室みたいなトコがあるはずだから。きっと隆介はそこに居る。きっと、床に真っ白な楽譜を広げながら、徹夜をするつもりでいるのだろう。

 なんであたしにそれが解るのかな?

 それってやっぱり、『恋の魔法』だよね。

 廊下の突き当たり。お店の外見とは裏腹に、そこはかなり錆びれた印象だった。安っぽいドアに、あたしはちょっと身構える。

 中にいる気配は一つだけ。いるとしたら、隆介。でも、あたしは……

 あたしは果たして、今のままの姿で。このドアに触れる事は出来るのだろうか?

 隆介は、あたしを見てくれるだろうか? ちゃんと、見つけてくれるだろうか…?

「……」

「リィ?」

 あたしは一呼吸おいて、ドアノブに手をかけた。

 カチャリ……

(あい……た……)

 開いた、開いたんだ。

 よかった。

 あたしは、ちゃんとここにいる。触る事が出来る。それって、世界に受け入れて貰えている……ってコトだよね?

 そーっと、あたしはドアを手前に引いてみる。中にはたしかに、お店の制服を着たままの青年が一人だけいた。

 ほらね、やっぱりね?

 あたしが来た事になんか気付かないで、床に楽譜をばら撒いて。でも全然進んでないみたいよ。ペンのインクが全然ついてない楽譜、真っ白な楽譜。あたしが今まで『音楽室』で見てきたのとは、正反対。丸と棒の模様がびっしりと書かれたあの楽譜とは———まるで正反対に、違う。

 隆介は、集中してるからあたしに気付かないのかな。

 それとも、もうあたしが見えていないのかな……?

「隆介」

 アイディアが出ない事に苛立って髪をグシャッと掻いた隆介が、あたしの方を振り向く。

「聞こえるんだ?」

「リィ、きみ……!?」

「見えるんだ?」

 なんで、こんなに感動してるんだろ?

 何でかな、すごく安心してる。

 ……たった一人で良いんだ。

 たった一人から始めればイイもの。

 たった一人から、あたし達を知ってもらおう。一人を沢山積み重ねて、魔法使いのコトを知ってもらおうよ。それでいいんだ、そこから…始める。

 あたしは、始めの一人に魔法使いを知ってもらう。そして、人間に知ってもらう、認めてもらう、最初の魔法使いになるんだ。


 時間の繋がる『歴史』の中で、流星みたいな一瞬のキラメキになりたい――……!


「邪魔しちゃった、かな」

「リィ……」

「うん?」

「なんだか久し振りだね、そっちの格好」

「……そうだね、でも見えてくれてよかった。ちょっと怖かったんだ」

 あたしは思わず苦笑する。でも、その笑いはけっこう嬉しいの割合も高い。

 あたしを見つけた最初のあなた。

 最初の、『魔法使いを信じる人』。

「ねぇ隆介、魔法ってなんだろうね」

「え?」

 あたしは唐突にそう告げた。『唐突』は隆介の持ち技だけど、あたしも偶には隆介の意表を突いてやりたい。驚かされてばかりでサヨナラするのは……癪だから。

「何、イキナリそんな事」

 あたしは無言で隆介の側の床に座った。

「魔法、か……。僕には必要ないからわかんないかな」

「必要ないって……何で? この力があれば苦労しないで一生遊べるよ。ちょっと変えれば簡単に色んな曲も書けるのに」

「不用だよ」

 隆介はペンを置いて静かに続けた。なんだろ、眼鏡がないせいかな。眼がいつもより近いような気がする。

「確かに願いは何でも叶うよね。なんだって簡単に出来る。でもそのかわり、何事にも満足出来なくなっちゃうんじゃない? だって人は、どんなに光り輝く宝石だったとしてもさ、簡単に手に入るならつまらない。苦労して、泣いて、笑って。やっと手に入るものを初めて喜ぶんだもの。折角生きてるんだから……ちょっとは苦しんで、手に入れたいモノだってあるよ。だから僕はあんまり欲しいとは思わない。『今』っていう現実をもっともっと楽しむのに、魔法はいらないもの」

 サラッ……と、ひどい事を言ってくれる。

「たしかにさっ」

 あたしは少し前の自分の考えを忘れるように、バカに明るい声を出した。

 ……現実なんてそんなもん。思った事の実行割合なんざ一%未満だ。そしてあたしも然り、隆介に世界の出来た理由を教えたりするほど、残酷にはなれないから……思うだけ。言わないよ、言えやしない。

「不用かもね。あたし達魔法使いも、魔法に怯えて暮らしてるんだから」

「怯える? なんで」

 今度は隆介が質問する番だ。

「もしも。もしも突然……魔力が無くなったら、って考えるのよ。人間だってあるよね、漠然とした不安な気持ちって。いまこうしている次の瞬間に、イキナリ地震でもきたら……とか、家にトラックが突っ込んできたら、とか。ずっと魔法に頼って生きてきた魔法使いって種族は、いつか魔力がなくなっちゃったらって考えるんだ。魔力が無くなったら死んじゃうんだからさ。そしたら、魔法に頼らないこの世界の人間達の方がよっぽど優秀だって解るんだ」

「……そんなモンなの?」

「そーよ。一つ、便利なモノを取り上げられて生きてる方が絶対逞しいんだから。……あたし達は、魔法に呪われてると言ってもイイ……」

 この世界を作った長老は、この世界から魔力を吸い取って生きている。その方が効率的だからだ。

 ちょっと話がずれてる気がする。

 ……でも。

 あたし、もう魔法使いじゃないかもしれない。

 人に出来ない事が出来るのが、魔法じゃないかもしれない。あたしは魔法なんか使えないのかもしれない。そう思ったら、


 なんだか自分が世界から消えそうで――――……


 希薄な自分。

「あたしから魔法を取ったら、何が残るのかな?」

 目線を下に落として、そう問いかける。別に希望してる答なんか無い。とりあえず、隆介の中のあたし。自分勝手な自己欺瞞。このヒトに、魔法使い以外の自分を形容して欲しい。あたしは『何』になるのだろう? 彼に……とって。

「いっぱい、だよ」

「え?」

 唐突な言葉。隆介は笑って、ただ……優しく笑って。

 なんで、このヒトはこんなに優しく笑うんだろう。なんで……このヒトはこんなに優しく笑えるんだろう。

 あたしには、出来ないのに。

「リィは僕と約束してから、魔法を使ってなかったじゃない。でも僕もルワンちゃんも、大して対応は変わらなかったでしょ? それって魔法抜きでも、君の素敵なところは変わってないってコトだよ。それが、」


「何よりスゴイ、君のマホウだよ」


(あたしの、マホウ……)


 ……何さ。

 そんなにカンタンに、言わないでよ。

 あたしは魔女、魔法使い。

 人間じゃないけど人間になりたい、人間が大好きな魔法使い。

 そして、

 きっと本物の————魔女だよね。


「そして僕も魔法使い」

「え?」

「だって、僕だって魔法は使えるよ。自惚れだけれど、僕の音で元気を出せるヒトって少数ながらいるし。誰かの気持ちを変えれる僕も、魔法使い。……なんてね?」

 そう言ってウインクする隆介。

 うん、いいと思う。それって立派な魔法だし。そうそう、案外と誰だって魔法使いになれるのかもね?

「ま、僕に魔法をかけてくれたヒトの受け売りだけど」

「え? ダレダレ、それっ? 隆介、あたしのほかにも魔女に逢ってたの!?」

「んー…よく憶えてないんだけれどね。これだけは憶えてる。『誰だって魔法使いになれることを、けっして忘れないで。そうすればきっと、私の魔法は現実になる———』って」

「…どんな魔法?」

「勇気のでる魔法、って言ってたと思う。誰だったのかな、今でもナゾなんだけど」

 隆介も魔法を貰って、その隆介から本当の魔女であるあたしにまで魔法をかけてくれた。

 そのヒト、きっと魔女だわ。うん、隆介も魔法使い。

 そうね、偽物の魔法使いなんかきっといないんだわ。

 誰だって魔法は使えるもの。そう、使える……よね。

 偽物も本物もない、誰だって魔法使いの可能性を持ってる。だって、気の持ち様だもん。

 悟った気がする、凄いこと。とてもとても凄いことを悟った気がする。

 『最後の最後』に。

「……ありがとね、隆介」

「え?」

「あたし、ずっと悩んでたんだ。人間達ってハングリー精神すごいんだもん、いっぱい求めてばっかりなものだと思ってた。でも、隆介が……魔女じゃなくてもあたしを受け入れてくれるのなら……きっと、みんな受け入れてくれるよね。きっと言ってくれるよね、あたし以外の誰かにも。『魔法使いはいるよ』って……ホントにちょっとだけでいいから……」

「なに……それ」

「…………」

「まるで、お別れの言葉みたいじゃない」

「隆介」

 あたしは立ち上がった。

 そこにハッキリと決別の表情を浮かべて。

「あたし、もうディアーネに帰ることにした。ごめんね、いままで迷惑かけて。お世話になりました」

「リィ!?」

「あたしは魔女なのよ。この世界にいられない、異質の存在なの」

 心して、あたしは死を受け入れよう。

 貴方の言葉を聞いて、そう決めたから。

「だって……そんなの急過ぎるじゃない、僕の所為、僕があんなこと言ったから!? 僕のオーディションだって……君のお陰なのに……見ていってはくれないなんて……っ!」

「あたしも、見たかった」

 ごめんね。もう、本当に時間はないんだ。もっと、貴方と時を過ごしたかったのだけど。

「イヤだよリィ……僕は」

「隆介、コレだけは言わせてね」

「僕だって言いたいコトがまだあるよ!」

「これが最後かもしれないから」

「そんなのイヤだ」

「隆介、あなたに逢えてよかった。あたしは、たった一つだけの宝物をこの世界から貰っていくよ。悪い魔女は、世界の宝物を奪っていくのが定番だからね」

 ほんとは、

 叶うのならあなたを連れていきたいのだけれど。

 今ほど、あなたが人間じゃなかったらと願った事はないよ。

「たった一つだけど世界中に溢れている思いを————……」

 皮肉だね。今だけ、魔法使いでよかったと思っているよ。魔界が消えたら、こっちの人間界だって無傷じゃ済まないだろうし。あたしが生贄になることで、大好きな隆介とこの世界を守れたりするんだから。


「あなたに恋をした、この気持ちだけを魔界に持っていくよ」


「リィ、そんな事言わないでよ! 僕はまだ君にいて欲しいんだ!」

 隆介はもう叫んでいた。

 安っぽい蛍光灯二本だけで照らされてるロッカールームに、その声は反響している。

「だめよ、怒鳴るならちゃんと腹式呼吸にして」

 あたしは場を和ませようと、苦笑いでそんな事を言ってみる。でも、今の隆介にはさすがに通じないみたい。

「リィ……っ!」

 眼を見れなかった。

 怖くて、眼が見れなかった。決心が鈍りそうで、隆介を見れなかった。

「『天の叫びに答える地の如し呼び声を、我は今あげん。全ての因果を司る刻と砂の聖霊達へ、傅いて懇願しよう。我が名の元に、崇高なる魔法世界の後継として———』」

「リィ、いやだ!」

 呪文を唱えるあたしをとめようと隆介は手をのばす。けれどその手はあたしを触れること無くすり抜けた。

 所詮は運命ってこんなモノかな、って……哀しかった。

 伝えたかったな。もっと違う状況で。こんな最悪なタイミングってナイよね、あたしが人間界に来た罰だったりして。

 だったら……すごい苦しいよねぇ……!? 残酷だよねぇ!?

「っ……好きだよ隆介」

 あたしは囁くようにそう言った。涙が出ないのが、不思議なくらい。

「僕だって……僕だって好きだよ、僕だって君が……!」

 好き?

 隆介、好きって言ってくれたの?

「…………ありがと。さよなら」

「リィ!」

「『今、真の世界に帰還する』」


 光は、洪水のように狭い部屋を包んだ。

 下から突き上げるような風が流れた。

 腕で顔を覆って、眼を開けた次の瞬間。

 残った人影は一つだけ。

 頼りない音をたてながらヒラヒラと落ちる真っ白な無数の楽譜の中で、

 彼が一人で泣いていた。

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