第十三話
言うまでも無く。
あたしが人間界へと家出した理由の中で、一番に体積を占めていた理由っていうのは……『黄昏の皇帝』のことである。
でもさ、みんなはあたしが結構突発的な家出をしてきたとか思ってるだろーけど、実はこの家出。
すべてが、ずっとずっと……ずーっと前から計画してたこと、なんだよね。
「皇女、御勉強の時間ですよ。私の講義から逃げられるとお思いですか?」
あたしを内心で嘲笑っているくせに、教授?
「まぁまぁ、皇女も年頃です。なにかとしたい事もございましょうよ」
あたしを憐れんで甘やかしてくれてるつもり? 執事さん。
「甘えは許されません。よいですかメイリカル様。貴女様を、この由緒あるこのディアーネを治める方にお育てするのが、お母様から我々に課せられた命令なのですからな」
所詮、お母様の駒ってことか。憐れよねぇ神官ともあろう方が。
「お姉ちゃん見て見て、お花の首飾りつくったの! ママに教えてもらったんだよ! これ、お姉ちゃんにあげるね!」
無邪気と残酷は紙一重だって知ってるかしら、カオレッシュ。
あたしは十数年の人生の中で、ほとんど他人に心を開いた事が無い。言葉を交わしていたのは使い魔というよりは友人であったルワンと、そして妹のカオレだけだった。
物心つく前から、あたし達に父親はいなかった。お母様は女王として忙しい御方だと理解していたから、我侭なんか言えなかったし、酷い時は丸一年顔を見ない事すらあった。
それはいい。仕方ないから。
けれどある日を境に、あたしはお母様に愛されるのを諦めた。
もう、八年近く前の事になる。
あたしとカオレ、二人の誕生日が近付いていたその日、ディアーネに未曾有の大寒波が襲ってきたのだ。季節としては人間界でいう秋だったというのに、気温は零下まで下がる始末。そしてあたしとカオレは、風邪をこじらせて肺炎を起こし寝こんでいた。
その時あたしは熱に浮かされながら眼を覚ましたんだけれど、大きな天蓋付きのベッドに一人でいるのがどうしても心細くて、つい隣の部屋に寝ているカオレのところに行ってしまったのだった。
……カオレは、ベッドにいた。
けれど、あたしは見てしまったのだ。
カオレの横で、心配そうに汗を拭ってあげているお母様を。執事に、時間がないと急かされながらも『もう少し付いていさせて』といった、お母様を。
あたしはドアの隙間からそれを見て、逃げるように自室に戻った。そしてベッドの中にもぐりこんで、風邪で苦しいからと理由をつけて泣いていた。
お母様はカオレが好きなんだ。
あたしなんか嫌いなんだ。
頭を撫でてくれた事もない。髪を梳いてくれた事もない。本を読んでくれたこともない。おやすみも、おはようも言ってくれない……。
あたしは、その全てを貰っていたカオレを、羨ましそうに覗き見しているだけの、惨めな存在でしかなかった。そしてそれは今もずっと、同じなのだ。あたしは今もまだ、ドアの隙間からあの二人を見ているだけの。
……お母様は残酷だった。
あたしも、熱を出して苦しんでいるのに。咳が止まらなくて眠れもしなかったのに。頭が痛くて泣きそうだったのに。
結局、あたしの元にお母様がお見舞に来てくれる事はなかった。
残酷な魔法使いの、話。
そして毛布を掴んで枕を涙で濡らしたあたしは、その日を境に変わった。サボっていた講習を真面目に受けて、ヒマがあれば図書館にこもって。カオレと極力顔を合わせずに、そして——お母様とも逢う事無く、八年を暮らし続けた。
そして。
黄昏の皇帝がやってくるまであと三ヶ月に迫り、城内が僅かな事にヒステリックに反応するこの時期に、あたしはとうとう飛び出した。その方が効果的だったし、あたしを嘲笑っていたヤツらに一泡も二泡も吹かせてやりたかった所為もある。
魔界に全てを置いてきた。身一つ、着の身着のままたった一人。意地も恥も外聞も、妬みも嫉みも淋しさも。一時の別れを告げて、あの城に置いてきたのよ。いつか必ず迎えに来るからと言い残して。ルワンとあたしとたったの二人だけで、人生の最後を謳歌するために。最後の最後に、生と死をかけた一世一代の大お転婆をするために。
ぐんぐんぐんぐん、上に昇っていく。
緑の雲も突っ切って、箒にしがみついてさ。
今からあたし、
夢ばっかりの世界に飛び出しちゃうの!
そして飛び出した世界には、本当に沢山の夢が溢れていたんだ。
あたしが知り合ったのは、残念なことにたった一人の人間だけだったけれど。その彼は、とてもキレイな眼をした人だったから。
だから、流星ように夜空にいたあたしを、真っ直ぐなその眼で見つけれたんじゃないのかな。
だから、『普通』という殻を破ってアッサリと、魔法使いなんてモノの存在を、手放しで受け入れてくれたんじゃないのかな。
だから、
あたしに勇気の魔法を————かけてくれたのかな……?
そんなのは、あたしの勝手な想像でしかないけれど。
夢を追いかけるために走りまわっている生き物って、あんなに綺麗なものだとだと知ったから。それだけでもよかったのかな。あたしの大事な隆介。あなたなら、全部を忘れさせてくれる。あたしの今までの人生も、憎しみも哀しみも。
すべてを忘れたままの状態で、貴方に伝えたい事があるんだ。
それが、あたしから貴方への最後の言葉になったりしたら……かなりイヤなんだけれど。
他の誰でもない、貴方という人に伝えたい。届けたい。あたしが、始めて誰かに教えてもらった一つだけの思いだよ。
一人じゃ絶対に、解れなかった想い。絶対完成させられなかった、感情のパズルピース。
憎しみや恨みよりも大きく空いていた場所は、その隙間は。
きっと、貴方という『愛』を入れておく場所だったんだね。
……なんて言うのは……かなりキザな言い方かもしれないし、ちょっち恥ずいのだケレド。
でもさ、ホントに。
よかったな、貴方で。
ここに来て出会ったのが他の誰かだったら、このパズルはずっと、きっと死んでも完成しなかった。
「リィ、店はもう終わるみたいだぜ」
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