クレスとロドン

 宇宙空間をロドンの肉体が漂っていた。サメの一撃を喰らって弾き飛ばされたものの、幸か不幸か気絶は免れていた。そのため、この世界における絶対の法則である「スキル所持者は倒した者のスキルを奪取できる」という法則には当てはまらなかったようだった。


 真空の宇宙で、ロドンの肉体はほとんど減速しないままどこへいくかもわからない果てしない道筋を漂っていた。目を閉じれば真っ暗な闇が見え、目を開ければ真っ暗な宇宙に遠くの小さな星が見えた。


 このまま漂っているなら【スキル複製】のタイムリミットがやってくる。それにより【不老不死】のスキルを失う。そして、孤独な宇宙で生命活動を停止する。そのはずだ。


「──さん!ロドンさん!!」


 脳内に声が聞こえる。幻聴だと思った。最後に聴こえるのが彼女の声なら悪くない──柄にもなく、そう思っていた。


「諦めちゃだめですよ!わ……私が、いますから!!」


 真っ暗で何もない宇宙空間を、見慣れた紺色の三角帽を被った宇宙服がやってきた。

 ロドンは苦笑した。あまりにも、魔女の三角帽子が宇宙服にそぐわない。


 そしてロドンは思い出した。脳内に声が聞こえるのは、【以心伝心】のスキルによるものだ。クレスは実在のものとして、目の前にいる。これまでの旅の中で、ロドンは何度もクレスに助けられていた。しかし今ほど、ロドンにとってクレスが心強く思えた瞬間はなかった。


 ロドンが手を伸ばし、クレスがそれを掴む。

「【位置交換】のスキルで地上に戻れませんか?」


 ロドンは自らを奮いたてた。

「ダメだな。【探知】スキルの範囲外だ」


「あれ、何の光だ?」

 ロドンは、右側に見えるひときわ大きな光を指差す。


「サメが重力崩壊を起こしているときに放出されるエネルギーの光です。つまりあれが、さっきまでサメがいた場所ですね」


 字面の訳のわからなさにたじろいだが、ロドンは頷いた。

「……なるほど」


「じゃあ、あっちの方向に行ってくれ」

 ロドンは、何もない空間を指した。


 クレスが驚いた顔を見せる。


「言ったろ。俺は軍の超パワーを持つサメを対策する組織にいたんだ。星だけを頼りにする航海にも経験はある……さすがに宇宙じゃなかったけど」


「了解です!!飛ばすので掴まっててください!!」


 クレスとロドンの間には信頼があったが、それでも進行方向があっている保証はない。行けども行けども、帰るべき星は見えてこない。周囲360度は何もない暗黒で、気を抜けば押しつぶされてしまいそうな寂寞感だけがある。


「う……」

 クレスの背後で、ロドンが苦しみの声を上げた。


「ロドンさん!?」


「……やべーな。寒くなってきた」


当然、宇宙空間はほとんど絶対零度に近く、宇宙服なしでは寒いどころではない。とはいえロドンが暑さ寒さを訴えたのは今が初めてだ。何せ、【不老不死】のスキルはサメの吐く炎に晒されても我慢できるほど、温度変化への耐性をもたらすものだった。


「……【スキル複製】制限時間が近づいているせい、ですかね」


 2人の首から下げていた通信機に、声が入った。


「繋がったか!!どうだ!?」

 ミラの声がした。一応地上に近づきつつあることを知って、クレスとロドンは少しだけホッとした。


「帰還中です!……が、ロドンさんが弱ってきてます……!」


「何……!?ロドン!応答しろ!!」


「大丈夫だ。クレスならタイムアップまでに帰れる」


 通信機越しのミラにも、いつもヘラヘラとして余裕を崩さないロドンの声の調子が弱っていることは伝わった。

「……【スキル複製】の効果が切れ始めているんだろう」


 クレスとロドンは、沈黙した。

「スキル譲渡の指輪を指に着けろ。母上の【不老不死】を受け取るんだ」


【不老不死】をロドンに譲渡すれば、王妃は病で死亡する。ミラは、母親である王妃を犠牲にして生き残れと言っているのだ。


「嫌だね。ちょっと前まで……母親を死なせたくないからって、俺をぶっ倒そうとしてたクセによ……!」

 ロドンは寒さで箒を掴むのがやっとだった。それでも精一杯の強がりで憎まれ口を叩いてみせた。


「だからって、お前が死ぬのを見過ごす訳にはいかないだろう!サメ退治だけやらせてあとは使い捨てなんて、そんなこと僕がさせるもんか!!」


 ミラが声を荒げるが、ロドンは鼻で笑う。


「安心しろ。絶対、俺は……死なねェ」


 ──地上のミラは、苛立ちと無力感と後悔の混ざった溜息を吐いた。ロドンの態度はただの空元気だ。バカバカしい。そう思った。

 しかし通信機からは、よっしゃあ、とロドンの歓声が聞こえた。


 クレスの進行方向には、暗い青の岩石が浮かんでいた。


「……間に合ったな」


 クレスはスピードを上げ、青い岩に手を伸ばす。


「サメに喰われそうになって【位置交換】した巨大魔法石だ。実は【探知】してた」


「最初から、ロドンさんは全部想定済みだったんですね」


 ロドンは力なく、首を横に振った。

「いや。たまたまだ」


「……え?」

 クレスが目を丸くする。


「クレスが諦めなかったからだ。そんだけだ」


「……はい」

 クレスは、喜びの笑みを見せる。華奢で小さな手が、魔法石に触れた。真っ暗な宇宙で、宇宙服を纏った身体が、黄金色の魔力の光に包まれた。


「頼んだぜクレス!!」


「はい!!」


 クレスは宇宙服の上に被った三角帽を深くかぶり直した。

「魔力全開です!【不老不死】じゃなかったらきっと燃え尽きて死んじゃうような速度で、大気圏を突破しますよ!!」


「あっ……オイちょっと加減はしろよ……!」

 引きつった笑みを見せるロドンをよそに、クレスは屈託のない笑みで箒を加速させる。


 箒に乗った二人は、地上へ降る小さな一筋の光となった。

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