刺さった矢

 イディアが倒れてから僅かな間、薄明かりのテントには静寂があった。


 突然のことに、その場にいる誰もがしばらく起こったことを理解できなかった。しかし、イディアの脇腹に刺さった矢は間違いなく存在しており、衣服に出来た鮮やかな赤い染みはみるみるうちに広がっていく。


「イディア!?イディア!!」

 レモラが傷元へ駆け寄る。


「と、とりあえず消毒と治癒の魔術を!」

 クレスは鞄の中をひっくり返すように漁り始めた。


 イディアは取り乱す二人を宥める。

「騒がないでくれふたりとも。こうなることの予測はしていた」


 イディアは取り乱すことなく、本の山を指差す。

「レモラ、地下の入口を開けてくれ」


「う、うん!」

 レモラが書籍の束を乱暴にひっぺがすと、その下に広げられていたボロボロの古紙と金網で作られた蓋を取り除いた。現れたはしごの伸びる地下には、ただ闇が広がっている。


「これは?」

 クレスが大きな穴を指して訊ねた。


「憲兵がやってきたとき、レモラが隠れるための隠れ場所だった、けど……まさか僕自身が入るとはね」

 よろよろとはしごに足をかけるイディアを、クレスとレモラが両脇から支えて一緒に降りていく。

イディアは土の上に敷かれた布に寝そべると、懐に手を入れて何か取り出した。


「これは……」

 震える手で、レモラに小さな銀色の輪が差し出される。

「今から君に能力を譲渡……いや、”返却”する。使い方は覚えているね」


「う、うん。わかった」

 レモラは頷きながら、ひったくるように指輪を嵌めた。指輪から溢れた光が、レモラの全身へ伝播して行く。


「スキル譲渡の儀式……!!」

 クレスは食い入るように見つめている。


レモラはポシェットからぐしゃぐしゃの包帯と塗り薬の包みを取り出すと、小さく呟いた。

「【増殖】……!」

 包帯は嵩を増していき、薬は湧き上がるように盛り上がっていく。クレスは驚きつつ、屋が刺さったイディアの脇腹に手当てを始めた。


「“返却“ってことは、お前ェはこの子レモラの能力を預かってたのか」

 ロドンが地上階から遅れて降りてきた。


「この子がこの世界にやってきたとき、譲渡の儀式をしたんだ。うちの領主はあんなだからね」

 イディアは、苦悶の中に強がるような笑みを浮かべる。

「それにしても、ッ……痛いな。覚悟はしていたはずなんだけど」


 歯を食いしばるイディアの前に、ロドンはしゃがみこんで手のひらを見せる。

「……?」


「安静にしてろ。悪りぃようにはしねーから」

 ロドンの手のひらから、粘ついたエネルギーの波が流れ出し、イディアの顔にかかった。すると、イディアはうつらうつらとし始める。

「さっき【催眠】のスキルをかっぱらってきたところだ。いくらかマシになるだろ」


「レモラを……頼んだ、よ……」

 イディアの顔から、苦痛の色が多少引いた。


「安静にしてろ。すぐ戻って来てやるよ」

 ロドンは立ち上がり、クレスを見やる。

「行くぞクレス。寄り道だ。あの領主をブチのめさねぇ限り、コイツらは平和に暮らせねぇ」


「はい」

 クレスは泣き顔をギュッと引き締めて、立ち上がった。

「アイツがスキル所持者から奪ってきたぶん、根こそぎ横取りしてやりましょう」


 ロドンはニヤッと笑った。

「言うようになったじゃねぇか」


「ねぇ!ねぇ!」

 レモラはロドン達を見上げて、跳ねながら叫ぶ。


「レモラも行くよ」


「ほんとはさ、クレスお姉ちゃんたちは、このままクナルトを出ちゃえばカンケーないじゃん」


「それは……」

 クレスは、幼い少女の覚悟のこもった語調に圧倒されて返事ができないでいた。


「でもさ、クレスお姉ちゃんたちは、レモラたちのために、あの領主さまをやっつけようって言ってるんでしょ?じゃあさ、レモラはさ、ここでるすばんしてちゃダメじゃん!」


 少しだけ、沈黙が続いた。クレスはなんと返して良いのかわからずにまごついていたが、ロドンが口を開いた。


「OK。連れてってやるよ」


 クレスは驚いたようにロドンの顔を見る。

「で、でもロドンさん!」


「ここで俺たちがレモラを連れてかなかったせいで領主に負けたら、レモラはまた領主に命を狙われる生活をすることになるぞ」


「だからって……危険すぎます」

 クレスは引き下がらなかった。


「……ああ。俺も危険だとは思ってる。だから──」

 ロドンは片膝をついて、レモラと目線の高さを合わせる。レモラは一歩だけ後ずさった。


「いいか。絶対に死なねぇように動け。どんな手を使っても、だ」

 レモラは一拍開けて頷いた

「うん」


「どんなに痛いことや辛いことがあっても目を逸らすな。生き残るために動け。いいな」

 少しの逡巡を経て、頷いた。

「……うん」


「俺とクレスが……いや、俺かクレス、どっちかがやらえたらやられたら逃げろ。見捨ててでも逃げろ。わかったか?」


 レモラは一瞬だけ目を逸らしたが、すぐにロドンの目を見つめ返した。

「うん。わかったよ」

 レモラは迷いを振り切った目で、静かに頷く。


「よし。いい子だ」

 ロドンは再び立ち上がった。


「俺たちのミッションはこれからちょっとの間、レモラを死なせないようにすることだ」

 ロドンは、鞘の着いたベルトを少し上げた。


「もちろんです」

 クレスは三角帽子を深く被り直した。

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