第112話 森の中の誤算

 武器を収めたアンコウたちを、森の木々の間から姿を現したマラウトの護衛兵たちが遠巻きに取り囲んでいる。


「今、貴様たちが言ったことが本当だと証明することができるのかっ」


 彼らを統率している立場にあるのだろう一人の兵士が、強い口調でアンコウに問いかける。


「ただの旅人だってことを証明しろって言われてもな。俺たちみたいな さすらい者の傭兵なんか、この世界の何処どこにでもいるだろう?」

 アンコウは落ち着いた口調で答える。


「傭兵ならば、グーシの裏切り者たちに雇われていてもおかしくはないではないかっ」


 アンコウたちの周りを取り囲む兵士たちから殺気がおさまる気配はない。

 アンコウは対話相手の統率者の戦士を怯む素振りなくジッと見つめ、ドルングはまわりを威圧するように視線を動かし続けている。


「だから証明のしようがないって言ってるだろ、それに………もうお話してる時間もないんじゃないか?」


「何?それはどういう、!?」

 戦士が言葉を言い終わる前に、かすかに馬蹄の響きと森のざわめきが伝わってきた。

「こ、これは、グーシの手の者かっ」


 そう、アンコウたちを追ってきていた敵が、とうとう間近に迫ってきていた。

 馬蹄の響きだけでなく馬のいななきも、わずかに聞こえてきた。



「……仕方がない。行くぞ。ドルング」

「はい。アンコウ様」

「お、おいっ!お前たちっ」


 アンコウたちを取り囲んでいるマラウトの兵たちも、実際はアンコウたちが、自分たちの敵であるグーシの兵に追われて、森に入ってきたという事実はつかんでいた。


 だから、問答無用でアンコウたちに刃を振り下ろすことはしなかった。

 そんな気配を敏感に察知したアンコウは、ピタリと足を止めた。


「……なぁ、あんたら、お代官様の兵隊なんだろ?ここに来るまでの村で、あんたらのお家騒動の話は聞いたぜ」

「!?」

「あんたらが信じようが信じまいが俺たちはただの旅人で、この土地の権力争いには関係ない。こんな戦いに巻き込まれるのは迷惑千万だ。

 だけど、あいつらは俺たちを殺そうとした。だから俺たちもやられる前にやった。もし、あんたらが俺たちを殺そうとしたら、あんたらも敵になる。いいのかい?」


「………」

 答えを返してこない男に向かって、アンコウはニヤリと笑う。


「俺たちは抗魔の力を持っている。すでにグーシの兵隊を複数殺している。間違いなく俺たちは、あいつらに敵認定されているはずだ。

 どうするよ?あんたらも俺たちの敵に回るのか、それとも俺たちを利用して、グーシの連中と戦うのか」


 マラウトを守る兵は、比較的精兵せいへいが揃っているとはいえ、その数は20ほど。

 対して、アンコウたちを追ってこのツゥンツァイの森に入ってきた敵の騎兵部隊の数は、少なく見ても4,50は越えていたし、さらに、その背後には千人単位の兵士が控えている。


(もはや敵は目の前。こいつらだって、馬鹿じゃないはずだ)

 アンコウの口元には、まだ笑みが浮かんでいる。


「くっ、……いいだろう。ただし貴様らを信じたわけじゃない。一度でもこちらに刃を向けたその時は、死ぬことになるぞっ」


 ひげのない大柄の人間族のその男は、アンコウをギラリと睨みつけながら、凄んで言った。


 アンコウの視線の先にいる良い鎧を着たその男は、確かに抗魔の力を有しているようだ。確かに弱くはない。

 アンコウも、その値踏みはすでに済ましている。

 だが、

(ケッ、やれるもんならやってみろよ。田舎武人が、人を見下しやがって)


 アンコウは、この男は自分より間違いなく弱いと見抜いてもいた。しかし、自分の周囲にいる代官側の兵士はこの男一人ではない。

 アンコウは、男に対するイラ立つ感情を表に出すことなく、それどころか逆に、ニヤリと浮かべていた不敵な笑みを、ヒマワリのような満面の笑顔に張り替えて、


「そうですかっ。よろしくお願いします、皆さんっ」

 と言ってのけた。





ぐぅああっ! ドサァンッッ ヒヒィィーン!


 また兵士が一人、喉元から血を噴き出しながら、馬から地に落ちた。

 怪しげな赤い光を放つアンコウの魔戦斧から、血が滴り落ちる。


「ドルングっ!そっちの栗毛に乗ってる奴は、お前がやれっ!」


 アンコウの指示に従い、少し離れたところで剣をふるっていたドルングが動く。


「承知!」


 すでに周囲には何体もの死体が転がり、血だまりを作っていた。

 そして、そのすべてがグーシ騎兵の者だった。


「ヒョーーッ!フンッッ!」


 ブォォオンッ とアンコウが魔戦斧に埋め込まれた赤い魔石から生じさせた気弾を放つ。

 ボンッ!ドサァンッ!と、また的確に一つの敵戦力を無力化した。


 むろん周囲に転がる敵兵のすべてをアンコウ一人でむくろに変えたわけではない。アンコウにドルング、それに代官側の精兵十数人が総出で戦っている。

 しかし、その中でもアンコウの戦いぶりは、なかなかに際立つものがあった。


「……あのアンコウという男、強い」

 先ほどアンコウと話をしていた髭のない男が、アンコウの戦いぶりを見て思わずつぶやく。


「……カラク殿とするのではないか」


 今は少し離れたところで、主であるマラウトを守っているはずの同輩の名を思わず口にしていた。


 その後もひとしきり怒号と悲鳴が響いた後、ようやく夜の森は、一時の静寂を取り戻した。



「ふぅっ、とりあえず片付いたな」


 アンコウは、血塗られた魔戦斧を手に持ったまま周囲を見渡す。


(ドルングも問題なさそうだ。しかし、あいつらも予想以上に戦えるんだな。個の力も思った以上だったけど、組織戦闘の能力も高い。よく訓練されている)


 アンコウのマラウトの護衛兵に対する評価は、大きく上方修正されたようだ。


「……とは言ってもな」

 アンコウは、視線を今はまた静かになった森の向こうへと移した。

(じきに連中の本隊が突っ込んでくるだろう。あれは、どう少なく見積もっても千以上はいた。いや、たぶん千じゃきかないはずだ。二千はみておいたほうがいい)


 次の行動を考えながら、アンコウは森に入る前に見たグーシの軍勢の影を思い出している。

 そして、考えながらもアンコウは体の向きを変えて、戦いの直前に話をしていた髭のない長身の男のほうへと歩き出す。当然、あの男も生き残っていた。


(……俺とドルングを入れて、十数人で約50のグーシ兵を屠った。こっちに死人は出ていないようだ。

 だけど、今戦った連中は弱兵だったが、この程度の連中ばかりの千を超える軍勢なんてありえない。もっと強い戦士が混じっているはずだ)


「……まぁ、あとは戦うのは当事者に任せて、関係ない俺たちは逃げるだけだ」


 アンコウは、歩きながらつぶやいた。


 十人で千の軍勢を打ち負かす。この世界のいくさにおいて、これは決して不可能なことではない。

 実際、普通人兵千人なら、アンコウがワン-ロンで見た 突き抜けた強さを持つドワーフの戦士や精霊法術師を十人そろえれば、蹴散らすことは十分可能だ。


 しかし、いくら多少強くなったとはいえ、アンコウに彼らほどの非常識な強さはないし、迫りくる敵がそれほどまでに弱いと考えるほど、楽観的な軽い脳ミソはしていない。



 アンコウは、長身の髭のない男の前で立ち止まった。


「これで俺たちが、あんたらの敵じゃないってことは証明できただろう。俺たちは旅の途中なんでな、これで失礼するよ」


 それでも、やはり逃げるしかない。アンコウのその選択に変わりはないようだ。

 アンコウが、一応の義理で別れの断りを入れた男が問う。


「……お前たちは西に向かって移動をしていたようだが、ここからどこに向かっていくつもりなんだ」

「ん?だから西だよ」


 男のその問いかけに、これ以上細かいことをお前に説明する義理はないと、アンコウの顔つきが語っている。

 男が、フンッと少し小馬鹿にするように鼻息を飛ばす。


「余計なことかもしれんが、つい今しがた一緒に戦った仲だ、一つだけ教えてやろう。この位置からまっすぐ西に向かえば、岩壁いわかべにぶち当たるぞ。

 森の中にある岩壁だ。木々にさえぎられて、ここからは見えないがそう離れてはいない。

 ここから西に向かうというのなら、お前は領境を越えるつもりなのかもしれんが、それならここから大きく東か北に一旦移動する必要がある」


「何だと?」

 アンコウの顔つきが変わった。


 敵の軍勢は間近に迫っている。

 残念ながら、この争いに関係のないアンコウ自身も、すでに巻き込まれ、追い詰められてしまっていることは認めざるをえないところだ。


 それでもアンコウは、

(おそらく代官自身がこの近くにいる可能性が高い。間もなくこの連中は反乱軍からの本格的な攻撃をうける。

 反乱軍の狙いはマラウトっていう代官一人のはずだ。ヤツの首を獲れば、俺のケツを追いかけまわす理由なんかなくなる)


 と思っていたので、それならば、今一緒に戦ったこの連中から遠ざかりさえすれば、もう自分たちを追ってくる者たちはいなくなると判断していた。


 しかし、同じツゥンツァイの森でも、アンコウたちがロワナに来たときに通った場所からは、確かにまだかなり離れている。

 今、眼前の男が言ったことが本当で、一旦この場所から、東か北に移動しなければいけないとなると、敵から逃げ切る難易度が跳ね上がるだろう。


 アンコウの眉間に深いシワが生じる。


(敵は目前だ。……今から東や北に移動なんかしてたら、俺たちが先に連中とぶつかる)


 敵を避け迂回するには、時間が少なすぎる。


(連中の狙いはマラウトっていう代官一人、絶対取り逃がさないつもりで、今も動いてるはず。必ずある程度は兵を分散させて、逃げ道を塞ぐように迫ってきているはずだ……南も間に合わないだろうな、敵が迫りすぎている……)


 このまま真っすぐ西に、森の奥へと逃げれば、十分逃げ切れると踏んでいたアンコウの目算が狂ってしまう。


「チッ。おいっ!ドルング!」

 アンコウはドルングを呼び、男の言った事の真偽を確かめようとした。


―――


「申し訳ありません、アンコウ様。私もこちら側の森の地形には、あまり詳しくはなく。ただ、今申されたように森の中に垂直に切り立つ岩壁いわかべがあるというのは、確かに以前聞いたことがございました………」


 ドルングは、森の中の岩壁の情報を以前耳にしたことがあったようだが、アンコウに聞かれるまで、まったく思い出すことがなかったようだ。


「………いや、仕方がない。お前が頭を下げる必要はないよ」


 ベジーのように、こちら側に婚約者がいるなど、よほど特別な事情がなければ、コールマルに在住しているものが、領境を越えてロワナ側に来ることはほとんどない。


 お役目で何度か行き来したことがあるドルングであっても、通るルートはいつも決まっており、こちら側の地理に精通しているはずもない。

 だからドルングを責めることなどできない。

 だが、次の策を考えている時間の余裕も、もうほとんど残っていない。


「………チッ、やべぇな」


 アンコウが状況の悪さに焦りだしていた その時、

マラウト様っ 代官様っ と少し離れたところにいた兵士たちの声が聞こえてきた。


 アンコウの近くにいた髭のない長身の男も、

「マラウト様っ」と、声をあげて駆けだした。

 その声と動きに反応して、アンコウもそちらに視線を向けた。


 そのアンコウの視線の先に、ロワナ領代官職であるマラウトの姿があった。


「お代官様自身のご登場かよ………」



―――



「皆、よくやってくれたな」


 自分の足で歩いているものの、未だ顔に濃い疲労の色を浮かべながら、ロワナ領代官マラウト=ゼバラその人が兵たちに慰労の言葉をかけていた。


 マラウトは47歳という年齢にしても、白髪が多く、顔に刻まれたシワも深い。

 田舎の良家の生まれにしては、苦労の歳月を忍ばせる容貌をしている。


 マラウト様ご無理をなさってはいけません

 代官様少しでもお体を休めてください

 と、戦闘で傷を負っている兵士たちもが、マラウトの身体を気遣っていた。


「へぇ、慕われてんだな……だけど、ここにいる全員が命を捨てたところで……」


 アンコウは、マラウトともに現れ、若干増えた兵士の数を数えてみた。周囲を軽く見渡しただけで、数えられるほど少ない。


( ,18,19……。19……代官入れてちょうど20……20対2千……これは無理ゲーだな………)


 天を見上げたアンコウは、この20人全員がカルミクラスの強さを持ち、相手がよくある田舎軍団だったら何とかなるかなと、ありえない妄想に逃げてみるが意味はない。



 アンコウがごく短い時間、妄想世界に逃げているうちに、戦っていた家来たちから簡単な報告を受けたマラウトが、アンコウのほうへと歩いてきていた。

 アンコウもそれに気づく。


(まぁ、こっちにも来るよな)


 アンコウは逃げることも自分から近づくこともせず、視線をマラウトに合わせて、その場にとどまっていた。

 そんなアンコウの横から、アンコウを守るようにドルングが一歩前に出た。


「……ドルング。かまわない、下がっていろ」

「しかし、アンコウ様」

「いいから」

「…はっ」


 そして、ドルングを後ろに下がらせたアンコウの前に、ロワナ領代官マラウト=ゼバラが立つ。


「部下たちが助けられたようだ。まず礼を言おう」


 現れてからの短い時間で部下たちに見せたマラウトの言動、その態度を見れば、彼がなかなかにできた人物であることは明らかだった。


(別に助けたわけじゃないんだけどな……そう思われている分には損はないか)


 敵の敵は味方。とりあえずこの瞬間はそういうことにしたアンコウは、肯定も否定もせず軽く目礼を返す。


「もうわかっているようだが、わしはマラウト=ゼバラという。このロワナ領の代官だ。聞けば、おぬしはかなり強い力を持つ旅の傭兵だそうだな。嘘は言わぬわしの部下が、このカラクにも伍するかもしれんと言っておったぞ」


 そう言ったマラウトのすぐそばに、巨漢の一人の戦士が立っている。

 このカラクという戦士は、まるで相撲レスラーのような体格に、かなり重量のありそうな甲冑をまとい、またその巨漢にふさわしい金属製の太く長い棍棒のような武器をたずさえていた。


 マラウトの言葉を聞いてアンコウは、得意の曖昧あいまいな笑みを浮かべた。これは悪い意味を含む笑みではなない。


 アンコウのこの世界における権力者に対する印象は、元の世界の比にならないほど悪い。

 そういう世界において、旅の傭兵を名乗っている自分に対するマラウトの対応は、素直に気持ち良いものがあった。

 今のアンコウの曖昧な笑みはそういう種類のものだ。


「おぬしの名は?」

 とマラウトがたずねる。


 そう聞かれて、初めてアンコウは少しまずったなと思った。


 アンコウはまがりなりにも隣領の領主だ。ここでは偽名を使ったほうが無難だろう。

 しかし、自分から名乗りはしていないが、先ほどの戦闘中から、ドルングが何度もアンコウの名を大きな声で口にしていた。

 当然、一緒に戦ったマラウトの部下たちには、アンコウという名を知られてしまっているだろう。


 仕方なく、まぁ大丈夫だろうと、

「私はアンコウと申します」と正直に名乗った。


 すると、アンコウを見るマラウトの様子がわずかに変わった。


 自分をジッと見つめるマラウトの様子に、アンコウもいぶかしさしさを感じるが、アンコウが言葉を発する前にマラウトは少し離れたところにいた自分の部下の一人を手招きしてこちらに呼び寄せた。


 アンコウはマラウトの妙な反応に警戒しつつも、口を開くことなく、その場を動くことなく、マラウトの手招きに反応して近づいてくる男を見ていた。


(……ダークエルフか)


 近づいてきているダークエルフの男は、先ほどの戦闘には参加していなかった。巨漢の戦士カラクと同様、マラウトのそばについていたのだろう。


 アンコウより背は高いが細身で、身に纏っている防具・武具から察するに精霊法術専門ではなく、腰のレイピアを使った剣術を主体に、精霊法術を合わせて戦うスタイルの戦士なのだろう。

 それは、ダークエルフの戦士のスタイルとしてめずらしいものではない。


 近づいてきた そのダークエルフの男に、マラウトが何やら耳打ちをした。

 長い耳がマラウトの口元から離れ、次にそのダークエルフの男は視線をアンコウに向けた。


(何やってんだ。こいつら)


 そう思ったアンコウの目とダークエルフの男の目が、空中でバチリと合う。

 その瞬間、ダークエルフの男の目が大きく見開き、驚愕の表情に変わった。


 そして、

「アンコウ……コールマルの……」

 という小さな声が漏れ出た。


 小さな声であったが、その声は確実にアンコウの耳に届いた。

(!コイツっ)

 反射的にアンコウの目は鋭く尖り、魔戦斧を持ったまま思わず身構える。


 さらにそのアンコウの動きに、マラウトの横にいたカラクが反応し、戦棍の先をアンコウへと向け身構えた。

 そのカラクの動きを、マラウトが素早く、声もなく制した。

 カラクはわずかな時間静止した後、戦棍をもとの位置へとスゥーッと戻した。


 それを見たアンコウも、「チッ」と、舌打ちを漏らしながら構えを解く。


 アンコウから覇気が抑えられたことを確認したマラウトは、

「アンコウ殿。なぜこんなところにおられるのかは知らぬが、今は我らが争っている場合ではない」

 と、抑えた低い声で言った。


「チッ」と、アンコウはまた舌打ちを一つ。

(~~信じられない。こいつら俺の名前も顔も知っていやがった)



 アンコウは推測する。

 コールマル領とロマナ領は隣り合っているとはいえ、その境には低濃度の魔素の森が広がっており、互いの交流は限定的で、また普通人主体の田舎軍団しか持たないため、互いの間に長年大きないくさは生じていない。

 だからアンコウは、自分のめんがロワナ側の者に割れているなど思っていなかった。


(だけど、こいつらは俺の顔と名前を一致させた。あの黒の長耳っ)


 自分の顔を見たときのあの黒の長耳の反応、あの反応は間違いなく俺の顔を見知っている者、名もあわせて知った者の反応だ とアンコウは断じた。


 諜報、密偵、草の者としての任務はダークエルフ族の十八番おはこだ。

 アンコウがコールマル領主として領内に入ってからのそれほど長くない期間は過ぎていないのに、


(こいつら、その間にきっちり情報収集をしてやがったのかっ)


 なるほど、マラウトという男は代官として実に優秀である。


 アンコウの東洋人系の容姿の者もいないわけではないが、白人系やオリエント系の深い顔立ちの人間族が大部分を占めるこのあたりの地域では珍しい。

 また、アンコウという名前はもっと珍しい。国中探しても同名の者はいないかもしれない。


 そして、きちんとした情報収集をしているなら、当然アンコウが抗魔の力を保有する魔戦斧使いであることも押さえているはずだ。


(この黒の耳長は俺のことを知っていた。そしてマラウトは、その情報をこの黒の耳長から直接聞いていたんだろう)


 マラウトはアンコウの名前、容姿、その出で立ちからアンコウの正体を推測し、アンコウの顔を知る部下に確認させたのだ。実によい記憶力をしている。


「……あんた…どうするつもりだ?」

 アンコウは、マラウトに鋭い目つきを向け問いかけた。


「わははっ……」

 マラウトはアンコウの問いに、疲れの色が混じったわざとらしい笑い声で返し、再びアンコウをジッと見つめた。


「……おぬしとわしは今、同じ死地にいる。ともに戦うか、ともに死ぬしかあるまい」

「ふざけるな。俺は逃げる、その一択だ」


「チッ」 アンコウの口から漏れ出る舌打ちが止まらない。

 マラウトに対するものではなく、この状況の悪さに対する焦りだ。


 アンコウとマラウトが小声で話し出す。


「逃げることが不可能とは言わないが、あまりに時間がなかろう。我らはここに追い詰められた。

 おぬしは不幸にも、わしらが追い詰められた この場所に自らの足でやってきたのだ。逃げるにしても、戦ってその可能性を切り開くしかあるまい」


「ちぃっ。うるせぇ、わかってるよ。言われなくても敵陣を突破してでも逃げる。逃げの一手だって言っただろ」

 アンコウは、ついに内心の苛立ちを抑えきれなくなってきている。

「……くっ、あんたは自分の心配だけしてろよ。その体、ケガしてるんだろ。俺もあんたもオオカミに追いつめられた同じ鹿かもしれない。だが、俺のほうは逃げる足も戦う角もまだ健在だ。

 だけど今のあんたは違う。手負いの鹿はオオカミに狩られるしかない。それとも、この危機を脱する何か秘策でもあるのかい」


「……秘策はないな。ただ当たり前の策はあるぞ」

 マラウトは、えらく落ち着いた口調で言った。


 自然とマラウトの話の続きを待つアンコウ。


「先ほどから、援軍を待っている。

 ――ふっ、そう呆れた顔をするものでもないぞ。確かにグーシの愚か者が管理している土地はこのロワナにおいて大きい。動かせる兵の数もな。

 しかし、わしに味方する者たちも少なからずおるのよ。

 騙し討ちに遭いこのざまだが、このグーシの暴挙は最早周囲に知れ渡っておろうし、援軍の要請もこの少ない手勢を割いて、すでにおこなった。

 敵の手に落ちていなければ、それらの者も近隣の砦や駐屯地についているはずだ」


 アンコウの顔に怒りにも似た、呆れとも落胆とも判別べきない色が浮かんだ。


「……何言ってんだ。もう敵に追いつかれてるんだぞ。間に合ってないだろうが」

「はっはっは、そうだのう」


 のんきに笑ってんじゃねぇよと、アンコウが突っ込みを入れようとした時だった。


うおおおおーっ

 と、かなり近いところから、野太い時の声が響いてきた。


「マラウト様―っ!敵の部隊が来ますっ!早く馬にお乗りくださいっ!」


 状況が一気に動き出す。マラウトの護衛兵たちが、次々と馬に飛び乗る。

 マラウトも部下が引いてきた馬に、部下の肩を借りながら跨っていた。


 それを見て、

(あの様子じゃ、そう長くは馬に乗っていられないだろう)

 と、アンコウ。



「アンコウ様―っ!」

「!ドルング」


 自分を呼ぶ声に振り返れば、ドルングが先ほど戦った敵兵が乗っていた馬を二頭確保して、アンコウに近づいてきていた。


「アンコウ様っ!お急ぎくださいっ。次の敵がすぐそこまで来ていますっ」

「チッ!逃げるぞっ、ドルング」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る