第111話 遭遇 敵か味方か
アンコウの気弾をまともに顔面に受けた獣人の男は、何とか馬の背の上に踏みとどまっているものの、白目を剥きフラついている。
アンコウがこのチャンスを逃すわけがない。全速力で距離を詰めたアンコウは、男の下から魔戦斧の穂先を全力で突き上げた。
ズブゥッ!
「ギヤアアーッ!」
獣人の男の白目に黒目が戻ることはなく、男の断末魔がこだまする。
抗魔の力を保持していようとも、心臓を突き刺されれば人は死ぬ。
「ざぁんねん。お前が、どれぐらいの力を持ってるか確認することはできなかったなあー!」
アンコウは、獣人の男の心臓にスピーアーヘッドを突き刺したまま、力任せに男を馬上から引落とした。
ドサァアンッ と、地に落ちた男は白目のまま息をしておらず、動くこともない。
何ら手を出す間もないままに、自分たちの上官を殺された残り二人の兵士。
「!なっ!」「ああっ!」
残った二人は、抗魔の力を持たない普通人兵だ。一瞬にして起こったあまりの状況の変化に、明らかに判断能力が追いついていない。
「へっ」(殺し合いで、のろまな亀には勝ち目はねぇんだぜ)
アンコウはギラリとした目つきのまま、至近距離から敵の馬めがけてクナイを投げ打つ。
「「ヒヒンッ!」」
突如襲ってきた痛みに、二頭の馬は恐慌をきたした。
馬上の2人の兵は、暴れ出した馬に気を取られ、アンコウに対処することができない。
そしてアンコウは、一瞬の
ビュンッ!「ギヤアッ!」
ザァアンッ!「グフゥゥンッ!」
獣人の男に引き続き、二人の兵士も鮮血を撒き散らしながら、ドサンッ!ドザァン!と、地に落ちた。
「ケッ、偵察兵が出過ぎた真似をするから寿命を縮めるんだよっ!」
アンコウはこの三人の兵たちも、昼間ハカチ村を襲った兵らと同様に反乱軍の偵察兵だと思っていた。いや、アンコウのその見立ては間違いではない。
ただ、昼間の連中と大きく違う点が、この三人の偵察兵にはあった。
―――アンコウ様っ、ご無事ですかっ!」
ドルングが、アンコウが走ってきた道をなぞるように、低い丘を駆け上がって来た。
「遅いぞ、ドルング。お前は馬に乗ってきたらよかっただろう」
「ハハハ、気づいたときには、もうずいぶん走り出しておりまして」
もう済んだと思っているアンコウが、
じゃあ行くか と、ドルングに声をかけようとした時、アンコウたちがいる低い丘のもうひとつ向う側の丘のほうから、何やら騒がしい気配が、――――――
「!っ何だ」
アンコウはじっと目を凝らして、向こう側に広がる夜闇の丘を見つめた。
丘の向こう側から、せりあがるように現れたもの。
それはいくつもの馬と人の影。それは偵察部隊というような規模ではない。
(!軍勢だっ!)
「ア、アンコウ様っ!」
言葉をなくすアンコウと、叫ぶドルング。
そう、昼間の偵察部隊と違い 、アンコウが殺した三人の男たちは、目の前に現れたグーシの本陣と共に行動していた偵察兵だった。
月星の照明を天空より受けながら、突如、アンコウたちの目の前に現れた軍勢。
その中から、およそ数十の騎兵の一隊が先行し、馬を駆り始めた。
「……やべぇ」
「アンコウ様っ、あの騎兵の部隊、こちらに向かってきていますっ!」
アンコウたちの存在が、グーシの軍勢にばれてしまってたことは明らかだ。
「チィィッ」
派手に舌打ちするアンコウ。
「ドルングっ、急いで森の中に逃げ込むぞっ!」
「は、はいっ!」
◇
「グーシ様、偵察兵が三人殺されたようです」
「そうか。それはさっき報告にあった森に向かって馬を走らせてたという二人組の仕業か」
「はい、間違いないかと」
「その二人は、マラウトの手の者かもしれん。捕えてマラウトの居場所を聞き出すのだ」
「はい。すでに騎兵の一隊に、五人の
グーシと配下の話に、別の配下が加わる。
「グーシ様。やはりマラウトは、このツゥンツァイの森に潜んでいるのでは」
「かもしれん。ネズミを逃さぬよう周囲を警戒する兵を増やしておけ」
グーシは、まわりを味方の騎兵にしっかりと守らせながら、ツゥンツァイの森に向かって進んでいる。
ここにいるグーシの軍勢は、騎兵を中心におよそ二千。明らかに逃げるマラウトの首一つを狙った機動力重視の編成だ。
自分が、このロワナの代官となる長年の夢に手が届こうとしていることに、グーシは興奮を隠しきれなくなっている。
「フフフフッ、」
(もうすぐ、もうすぐだっ。ようやくあの憎きマラウトの首を獲れるっ)
グーシとマラウトは、先代代官であった父だけでなく、同じ母から生まれた兄弟であった。
たった2歳年が下というだけで、グーシはマラウトにすべてを奪われたという強い被害者意識を子供の頃より膨らませてきた。
さらに、自分には抗魔の力があり、兄にはなかったということが、その思いをより強固に、狂信的なまでの信念に昇華させてしまっていた。
実際に、この世界において、抗魔の力があるということは、圧倒的なアドバンテージを持つ。
長子世襲が絶対的なものでは全くなく、弟あるいは妹、あるいは庶子であろうが、抗魔の力を持つ子供を自分の後継者とする権力者のほうが多い。
にもかかわらず、先代代官である二人の父は、二人が幼少の頃より、抗魔の力を持たない兄マラウトを自分の後継者として扱い、弟のグーシを後継者にとの声を聞き入れることはなかった。
その二人の父である先代代官の真意は今となっては知る由もないが、グーシには、そのような父の態度は不公正・不正義としか思えなかったのだ。
己の正義を信じきっているグーシにとって、反乱を起こしているにもかかわらず、その心にやましさなど
「いまこそ父の誤りを正し、あの劣等を排除するのだっ!」
◇
丘の上で倒した三人が乗っていた馬は、アンコウが敵の軍勢に気づいた時にはすでに、一頭は逃げ去り、残りの二頭は使い物にならなくなっていた。
こんなことなら、馬を無傷で確保しておくんだったとアンコウは思うが、すでに遅い。
「くそっっ。ドルング走れっ!全力で森に逃げ込むんだっ!」
「はいっ!」
「あ、こらっ!俺を追い抜くんじゃない!」
距離はまだ離れていたため、アンコウたちは森までは問題なく走りつくことができた。
アンコウは森の中に走りこむ前に、背後を振り返り見た。
そのアンコウの目に、遠くに映った敵の影。
「なっ!?!」
(!なんだ、あれ。千……いや、もっといるかもしれない)
「く、くそっ!」
アンコウとドルングは、そのまま全力でツゥンツァイの森に逃げ込んだ。
三分、五分、十分と森を走り続ける。
姿は見えていなくても、自分たちを追って、敵の騎兵部隊がこの樹林の中へと入ってきたことは間違いない。
それは、背後の森のざわめきからも、容易に察することができた。
「何やってんだドルングっ!もっと速く走れっ!」
光る森の中を走るアンコウと比べれば、月星の光のみを頼りに走るドルングは、どうしてもスピードが上がりにくい。
「チッ!」
(仕方がない。一人で先に行くか)
ドルングはアンコウの家臣で、ドルングにとってアンコウは主君だ。
主君の命が大事と考えれば、この状況でアンコウがドルングに合わせる理由はない。
で、あるのだが、ドルングを撒き餌にすることに、アンコウらしくもなく、わずかに
この状況の中で、自分一人になってしまうことへの不安も当然強くあるのだが、けっして、それだけというわけでもない。
それゆえに、ドルングを撒き餌にすることに多少の
時に人の心というものは、おかしなものだ。
領境を越える行きの山の中、ドルングが楽しそうに孫娘のことを話していた顔なども脳裏に浮かんでくる。
『突然ロワナに行くことになりましたが、孫に何かお土産でも買って帰ってやろうかと思います。いや~、女の子なのですが、これがおじいちゃん子でして、』
(………孫に土産か………)
アンコウの走る速度が、若干落ちてくる。
「アンコウ様っ!」
そんなアンコウに、少し後ろからドルングが声をかけてきた。
「な、なんだ?」
「先にお逃げくださいっ!」
「!」
ドルングは田舎侍ながら、自分なりの武士道というものを持ち、自分の主君となって間もないアンコウであっても、忠義という武士の一分は守るつもりのようだ。
ドルングの目は真剣だ。本気で言っている。
そういう奴っぽいなと、以前からドルングのことを見ていたが、実際に、この状況でアンコウの盾となるような行動がとれるのなら、本当に武士道か騎士道にかぶれてやがるんだなと思った。
(まぁ、本人がそう言うんなら御言葉に甘えよう)
これっぽっちのことで、アンコウの心の揺れは調整された。
本人の希望なら、アンコウのささやかな良心も痛みはしないということだ。何と言っても、自分の命が一番大事なのだから。
「わかった!先に行くっ!」
加速して、夜の森を走り出すアンコウ。
しかし、その加速した走りを持続することはできない別の事象が起きた。
ヒュュンッ!ドスッ!
一本の矢が、アンコウが走る近くの木に突き刺さったのだ。
「ちぃぃっ、何だってんだっ!」
強い舌打ちとともに、やむなくアンコウは、走る足に急ブレーキをかけた。
ただ、おかしなことに、その矢が飛んできた方向は、追手が来ているはずの森の外側からではなかった。
( くっ、どこから飛んできたんだっっ)
◆
日が沈み、夜の時間が訪れたツゥンツァイの森の中。
ロワナ代官職にあるマラウトと、そのマラウトを護衛する者たちの数は、すでに20名ほどになっていた。
敵に発見されることを恐れ、彼らは火さえ起こさず、月星の光を頼りに周囲の警戒にあたっていた。
・・・・・・・・
「マラウト様。森が騒がしくなってきたようです」
「ああ、そのようだな」
出血はすでに止まっているものの、思うように体を動かすことはできず、マラウトは未だ大きな木の幹に座り込んでいる。
「うぐぐっ」
それでもマラウトは、無理やり両足に力を込め、ゆっくりと立ち上がろうとする。
「マ、マラウト様っ」「殿っ」
マラウトは手を貸そうとする部下たちを手で制した。
彼なりの意地なのだろう。
「だ、大丈夫だ」
マラウトには抗魔の力はなく、武人としてよりも文人としての能力のほうが高い。
しかしながら、若いころには抗魔の力を持たないコンプレックスに抗うように、剣武の修練を重ねた過去も持つ。
もしこのまま、弟の凶刃の手にかかることになっても、世に無様な死に方を晒すことだけはしたくなかった。
若干からだをフラつかせながらも、マラウトの目は鋭さを失わない。
「敵が姿を見せたならば、戦おう。あのような卑怯者どもに背中を斬られることだけはあってはならぬ」
「殿っ」「マ、マラウト様っ」
約20名の男たちの瞳に、決死の覚悟が宿る。
・・・・・・・・・・・・
数十分が過ぎたころ、マラウトのもとに斥候に出ていた兵士が慌てて駆け戻ってきた。
「マラウト様っ、森の中をこちら方向に向かって走ってくる男を二人発見いたしましたっ」
「!……来たかっ」
その報を聞いて、マラウトたちの緊張が一気に高まる。
「しかし、その二人の男。少し様子がおかしいのです。どうも、追われているようで、」
「追われている?味方の兵か?」
「いえ、その走る速度、様子から、二人とも抗魔の力保持者と思われますが、共に見たことのない顔です」
マラウトは一瞬考え込む顔になる。
「抗魔の力保持者が二人……都合のよい解釈は捨てねばなるまい……。その二人に関しては、これ以上こちらに近づいてくるようなら敵として対処せよ」
「はっ」
◇
突如、目の前の木に突き刺さった矢に驚き、ドルングを置いて一人全力で走り出したばかりのアンコウが慌てて足を止める。
「誰だっ!」
矢が飛んできた方向をギラリと睨みつけるアンコウ。
(……おかしい)
追ってきている敵が先回りをしていたのかとアンコウは考えるが、そこまでの時間の余裕はなかったはずだと否定する。
(なら、……敵の敵か……。森の外にいた連中はおそらく反乱軍のはずだ、グーシって言ったか。……じゃあ、この森の中に先にいる者は……)
わずかな時間の間に、アンコウはぐるんぐるん考えを巡らす。
そしてアンコウは、
「………貴様らっ!グーシのくそったれの手下かっ!」
と、わざと自分の考えとは違うことを大声で叫んだ。
ざわざわざわ 本当に音が聞こえてきたわけではない。
しかし、アンコウの言葉に反応するように、矢が飛んできた方向に潜む者たちの気配が動くのをアンコウは感じ取った。
ざわざわざわ しばし森の奥の気配が動くままにアンコウは待つことを選択した。
(また攻撃をしてくるようだったら、誰だろうが敵に認定だ。だけど、)
矢を放ってきた連中と戦う覚悟を固めつつも、そうはならない目に出てほしいとアンコウは待つ。
「!おっ」
森の奥を見つめるアンコウの口から、小さな驚きの声が出る。
木と岩の向こう側から、複数の人影が出てきたのだ。
アンコウにとって、このツゥンツァイの森は今も光を放っている。
彼らは夜の闇の中に立っているつもりだろうが、アンコウにはその姿が遠目にもはっきりと見ることができた。
その彼らが、アンコウのほうに向かって大きな声で話しかけてきた。
「我らは、裏切り者グーシの兵ではないっ!貴様らは何者かっ!」
彼らはアンコウに対する警戒は解いていないものの、即攻撃する選択肢を取り下げたようだ。
「……ビンゴ、だな」
「アンコウ様、」
連中の出方を見ているうちに、追いついてきていたドルングが、アンコウの傍らに控えている。
「間違いなく代官側の者だろうな、マラウトって言ったか」
「はい……いかがいたしますか」
無視して逃げることも考えていたアンコウだが、逃げれば前後に敵を作ることにもなりかねない状況であり、どの選択肢が正解かの答えをはじき出すことはできなかった。
「……迷っている時間はないな。目の前の連中の戦力に関する情報も少ない。一応挨拶だけはしておこう。
だけど、即逃げる準備も戦う準備もしておいてくれ。少なくとも今見えている連中の中に俺たちが敵わないほどの奴はいなさそうだが、抗魔の力を持っているやつはいるようだ」
「はい、承知しました」
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