第98話 千の山賊

「どう、どう、どうっ !!」

ヒヒィーン!!


 アンコウたちが夜通し馬を走らせ続けて、ヨラ川河畔に着いた時、陽はすでに高く昇っていた。


「へぇ、これがヨラ川か」


 アンコウも初めて見るヨラ川。それは大河といえるほど大きな川ではないが、山がちな土地のせいなのか、かなり流れが早い。

 アンコウたちの目の前には、北岸へ渡ることができる大きな橋がある。


(なるほど。確かに、ここからなら渡ることができそうだ)


 実はここに来るまでに、アンコウたちは2本の橋を渡らずに通り過ぎてきた。なぜなら、その2本の橋の向こう側には魔素漂う森が広がっていたからだ。


 このヨラ川北岸には薄い魔素の漂う浅い森が広がっており、薄いとはいえ、抗魔の力を持たない者は立ち入ることは好ましくない。

 アンコウと行動を共にしている兵隊のほとんどが普通人であり、アンコウたちは、どれほど薄くとも魔素地帯を抜けていくという選択肢は除外していた。


「なぁ、モスカル。さっきまで見えていた魔素の森には、どんな魔獣がいるんだ?」

 

 何となく気にかかったことをアンコウはモスカルに尋ねた。

 モスカルは情報収集に関するノウハウも、ある程度身に付けているようで、アンコウはコールマルに来てからの情報収集について、かなりモスカルに頼っている。


「そうですね。かなり魔素の濃度は薄く範囲も狭いですから、角兎や牙鹿、黒魔狼などが主なようですが、一部ゴブリンが湧く場所もあるようです」

「へぇ、そうか」


「おそらくコールマル領内を流れているヨラ川北岸沿いの5、6割ほどが、小規模ではありますが同じ程度の薄い魔素の森になっているようです」

「なるほどね。それのせいで人や物の行き交いも、この川を境にさらに制限を受けているわけだ」

「はい。橋に設けられた関所の通行料も決して安くはないようですから」


「ははぁ〜、たいして広くもない同じコールマルの領内で、そんなのまで取ってるのか?馬鹿じゃないのか。

 それでなくとも自然厳しい僻地なのに、ショボい目先の小銭欲しさに人や物の流れをこれ以上塞き止めるようなまねをしてどうするんだ?領地全体がよけい貧乏になるだけだろう」


 アンコウは少し呆れながらも、軽い感じで話している。


 アンコウの横に並ぶモスカルは、少し感心しながらアンコウの話を聞いていた。

 アンコウがいま言ったような発想は、アンコウが元いた世界で受けた教育や情報に触れてきた者なら、誰もがごく当たり前に考えることだろうが、この世界においては決して当たり前の感覚ではない。


 イェルベンより、アンコウと行動を共にしている行政武官のモスカルは、そのアンコウのものの考え方や感覚に、ここまでに何度となく驚かされている。

 モスカルは、グローソン公ハウルとアンコウが、同郷であることは知っていたが、それが具体的にどこなのかは知らない。


「………アンコウ様はこれまでに、いずれかの御主君にお仕えした経験がお有りなのですか?」


 モスカルは、以前アンコウが、何らかの形で行政に携わった経験があるのではないかと思ったのだ。


「ん?そんなのあるわけないだろ?宮仕えなんて、やめられるんだったら今のコールマル領主なんてくだらない肩書きも、このヨラ川に放り捨ててやりたいぜ」

 アンコウは実に苦々しい口調で言った。


 モスカルは、そんな態度をみせたアンコウに、無言で軽く頭を下げて返した。



 アンコウは、カッポカッポと馬を橋の上まで進めていく。当然ながら、橋の関所の者に止められることはない。


 名ばかり領主のアンコウが馬上にいて、その後ろの馬車の中には、彼らが実質的に命令を受けてきたナグバルが押し込められていることを橋関の者たちも知らされているからだ。


「さぁ行こうか!北の更なる辺境へ!」


 アンコウは後ろに続く者にむかって、大きな声で叫んだ。

パシイィッ!

 ヒヒィンッ!

!!ドドッ!ドドドドッ————!!


 アンコウ一味が、橋の上を砂塵を巻き上げながら渡っていく。





 アンコウが初めて入ったコールマル北部領域。アンコウの視界に広がるもの。田舎らしい明るく豊かな田園風景……というわけにもいかなかった。


(やっぱりここも、南と一緒だなぁ)

 ようやく見えてきた農村は教科書に出てくるような寒村だ。

「……あっちもこっちも陰気くせえぇ、はぁぁぁー」


 アンコウはため息を吐く度に、跨がっている馬の足取りが重くなっていくように感じた。

 それでも馬を進めていくアンコウたち。


「ん?」

 そんな中、暗くなっていくアンコウの気持ちとは裏腹に、少し離れたところから楽しげな歌声が聞こえてきた。


♪♭♪ヨーデル ヨーデル ヨレホッホッホー♪♯♪


 後ろを見れば、テレサと馬を並べ進んでいるカルミが歌っていた。

(ガキはいいよな。生きてるだけで楽しそうで……)


 今度はアンコウの隣から、落ち着いた響きの声が聞こえてきた。


「アンコウ様。ここまで来れば、早馬を飛ばせば夜のうちにクークに着くことも可能です」


 モスカルの重低音ボイスだ。アンコウはちらりとモスカルの方を見て、

「そうか」と、答えた。



 ナグバルと息子のオスカーを人質として、ここまで連れてきている効果だろう。

 アンコウたちは、ハリュートを出てから一度も、ナグバル派の勢力からの攻撃を受けていない。


「モスカル。もうクークの連中も俺たちが来たことを知っているかもしれないが、こっちから直接クークの太守に使者を出しておいてくれ。一応、軽い脅しつきでな」


 北部の町クークの太守などという職は実質的には閑職であり、今の太守もあまりナグバルの覚えめでたくない人物がその役を任ぜられていた。

 そんな人物が、囚われのナグバルのために、領主であるアンコウに歯向かう可能性は常識的に考えれば小さい。


(まぁ、仮にナグバルに忠義を誓っているような人物だったとしても、そのナグバル親子を人質にされていたら逆らいようもないだろうけどな)


 それに、ハリュートで人質にとったのはナグバル親子だけではなかった。


「わかりました。クークへの使者は私が参りましょう。何、ご命令どおり、ハリュートよりクーク太守の子供たちも同行させております。まず間違いなく戦闘にはならず、クークに入ることができるでしょう」


 現クークの太守はハリュートにも屋敷を持っており、彼の幼い年齢の子供たちは全員そちらの方で生活をしていた。ていのよい形での人質である。

 その子供たちをアンコウは頂戴していたのだ。


 アンコウとモスカルは、ハリュートを脱出し、クークに拠点を移すためにかなり入念に計画を練っていたのである。


「そうか。じゃあ、お前に任せるよ、モスカル」



—————



 この世界の馬は相当に頑強だ。アンコウたちは昨晩から一睡もせず、その後も相当なスピードを維持して移動を続けた。

 そして、クークまでもう一歩となった地点で、アンコウたちは移動を一旦停止した。

 そこで一晩明かした後、明日クークに入ることにしたのだ。



「……田舎だよなぁ」


 アンコウは馬からおり、木の幹に背中を預けながら、初めてコールマルにやって来たときと同じ台詞をつぶやいた。


 ふと上を見上げると、太陽は少し傾いてきていたが、まだ抜けるような青空が広がっていた。


(……空はどこでも青い、か……)


 アンコウは、しばし思考することを止め、天空に心を飛ばした。そして一瞬、うつらうつらし始めたアンコウだったが、少し冷たい山の風を体にうけて意識を取り戻す。


 周囲を見渡せば、アンコウに付き従ってきた兵たちがアンコウと同様に馬からおりて、体を休めている。アンコウの兵たちは皆、馬に乗っていたが、その他にも数台の馬車が同行していた。


 アンコウは体を起こし、おもむろにその馬車の列のほうに歩き出す。


 その馬車に乗っているのは、まず人質として連れてきたナグバル親子。

 アンコウが馬車の中を覗くと、怒り憎しみ頂点に達しているのだろうが、今の命を握られている状況ではそれを露にすることもできず、ナグバルは何とも言えない表情で顔を伏せた。


 それを見てアンコウは、

「……大変だな、人質は」と、他人事のようにつぶやいた。


 残りの馬車に分乗しているのは、クーク太守メルソンの子供らとその関係者だ。


 彼らも事前にアンコウから申し入れがあったわけではなく、ナグバル邸を襲撃した後、ハリュートを退去する前に、アンコウ一味がメルソンの家族が住む屋敷を経由し、その際、領主の名と武力による威圧によって彼らを馬車に詰め込んだのだ。


 ゆえに彼らも、アンコウらに対して、かなり怯えていた。

 アンコウが馬車の中を覗き込むと、皆が身を寄せ合い、女子供は体を震わせて、まるで悪党を見るような目でアンコウを見た。


(………まったく、心外だな)

「もうすぐクークに着く、あんたらに危害を加えるつもりはないから、安心してくれ」


「……あの、領主様」

 馬車の中にいる女が話しかけてきた。


 この女は、馬車の中にいるメルソンの子供たちの世話をしている女官らしい。

 今は子供たちの父親であるメルソンも、母親であるメルソンの妻もクークにいる。ここにいる子供たちの中には、赤子はいないものの 3人ともまだ幼く、皆この女官を頼りにしているようだ。


「わ、私はどうなっても構いませんっ。で、ですから、お子様たちだけは、どうか無事にメルソン様の元にっ」


(……俺いま、危害は加えないって言ったよな……)


 アンコウは、メルソンの関係者からも、まったく信用されていないようだ。

 アンコウは、ハアァァーッと溜め息をつくと、馬車が停まっている列から離れていった。



————



 翌朝、


「そうか。じゃあ、クークの太守は、こちらの命令を受け入れたんだな?」

「はい。御領主様の来訪を心より歓迎します、とのことでした」


 モスカルと共に早馬を飛ばして、一足先にクークに赴いた男が一人、伝令として戻ってきていた。どうやらメルソンとの話し合いは、首尾よくいったようだ。


「よしっ。じゃあ、全員で新しいねぐらにいくとするか!」


~~~~~


 そして、その日の昼頃、クークの町にむかって、ゆっくりと移動していく二、三百の騎馬を中心とした集団がいた。アンコウたちだ。


 クーク太守の受け入れと恭順の意思を伝え聞いた後は、彼らの緊張感も若干緩み、クークまで残りわずかとなった低い山のふもとにのびる道を比較的遅い速度で進んでいた。

 しかし、

「……………。」

 そんな中、アンコウは何が気にかかったのか、馬を走らせながら首を後ろにまわし、山の方を見つめている。


——クケエェェー ——

 どこにでもいる山鳥が、時折、山の中の木々の中から飛び立っていく。


 それ自体はどこにでもある山間の田舎の風景。

 しかしアンコウは、そのどこにでもある風景の中に、何とも言い難い違和感を感じていた。


(………おかしいな、)

 トクン、トクンと、アンコウの心臓の鼓動が、早まってくる。


 そんなアンコウの目に、自分と同様の山の方向をじっと見つめている馬上のカルミの姿が見えた 。

 不意にカルミが視線を動かし、アンコウを見た。カルミを見ていたアンコウと視線が合う。


 カルミはそのまま馬足を早めて、近づいてきた。


ヒヒンッ、ブゥゥ

「アンコウ」


 アンコウの横に馬をつけ、名を呼んできたカルミの顔を見た瞬間、アンコウの心に緊張感が湧き上がる。カルミが子供の顔ではなく、戦士の顔をしていたからだ。


「……どうしたカルミ」

「山の中に、いっぱいいるよ。こっちに近づいてきてる」

「!……敵だと思うか?」

「わからないけど、イヤな感じがするよ」

「……そうか」


 アンコウは、カルミの言葉を聞いて、敵だと思って行動した方が良さそうだと判断した。


(でも、敵だとしていったい何者だ……)

 ナグバル親子を取り返しにきたナグバル派の部隊か、

(……いや、無謀だな。そんなことは子供でもわかる)


 単にアンコウたちを滅ぼす事が目的なら、戦いを挑んでくる可能性がないとは言えない。しかし、今そんなことをすれば、勝敗に関わらずナグバル親子は確実に命を奪われることになるだろう。


(今、連中のなかに、ナグバルに取って変われるほどの実力者はいないはずだ)


 ならば、ナグバルを無駄に危険にさらすようなことは避けるだろうと、アンコウは考えている。また、そのためにナグバル親子を人質にとっているのだ。


(……クーク太守メルソンの兵の可能性は……)


 クーク太守にはナグバル派ほどの兵はないし、アンコウはメルソンの子供たちを抑えている。


(……メルソンが、モスカルたちに示した恭順の意志がはかりごとの一端だとは考えずらい。今俺たちと敵対するメリットなんてないはずだ…………)


 様々な事情、状況を考慮すれば、どう考えてもクーク太守メルソンが、自分たちに敵対してくる可能性も小さい。


(………なら、誰だ………)



「………ホルガっ!」

 顔をあげたアンコウは、ホルガを呼んだ。


 このまま考えていても答えは出ないと、直接偵察を出すことにしたのだ。





「ホ、ホルガ様」

「しっ、口を開くな」


 アンコウの命をうけて、ホルガは二人の兵を連れて山に入った。


(……本当にいた)


 抗魔の力を持つ獣人戦士であるホルガも、気配察知の感覚は鋭い方だ。しかし、アンコウの命を受けた時点では何も感じるところはなかった。

 だが、アンコウとカルミが示した山に近づくにつれ、ホルガの体内センサーにも引っかかるものがあり、警戒度をMAXに高めて山に入った。


 ホルガたちは岩場に伏せ、眼下の獣道を見下ろしている。そして、その獣道には、黙々と移動していく武装した者たちの姿があった。


「ホ、ホルガ様、あの連中は……」

「しっ!」


 この連中は一見して、いわゆる正規兵と呼ばれる者たちでないことがわかる。まちまちの装備に、じつに特徴的な雰囲気を身に纏っている。

 それは、グローソンの公都イェルベンをアンコウらと共に出立して以来、何度となくホルガも見てきた雰囲気を持つ者たちだ。


(………山賊)


 彼らの装備、雰囲気は、アンコウたちがここに来るまでに何度もやりあってきた山賊そのものだった。

 しかし、獣道を歩いて行く者たちには、これまでとは明らかに違う点がある。


 ホルガの隣に伏せている二人の男の顔色がどんどん悪くなっていく。

「……ホ、ホルガ様ぁ、こいつぁ」


 獣道をいく武装兵が、なかなか途切れないのだ。

(………ここまででも、少なくても千は越えている)


 これまでに戦った百やそこらの山賊団とは明らかに規模が違う。一体いつまで続くのかと、眼下の獣道を見下ろしていたホルガが、

「!っ!」

 何かに反応し、伏せている体を咄嗟とっさにさらに低くした。


 ホルガたちの眼下の獣道をいく馬の上、その馬に跨がっていたのはダークエルフ。一人だけではない、その後にも何人ものダークエルフの姿があった。

 この山賊団には、ダークエルフも団体で属しているようだ。さすがのホルガも、全身の太い毛穴から汗がじんわり溢れ出てくる。


(ダークエルフの部隊まで………)



 そして、しばらくして後、ホルガたちは伏せたまま岩場をゆっくりと後退していった。


「………急いで、アンコウ様のところに戻る」

「は、はい」


 すでに顔を真っ青にさせている同行の二人が、ホルガにむかってうなずいた。

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