第97話 行き掛けの駄賃

 草木も眠る丑三つ時。

 あれほど地上に明かりをとどけていた月星の光が、一転、分厚い夜雲群に覆い隠され 真闇夜トゥルーダークネスナイトときとなった。

 しかし、ナグバル邸では安穏な眠りに就いている者は誰一人としていない。


 アンコウもナグバルもまだ、例の寝室にいた。寝室には、テーブルと椅子が持ち込まれ、アンコウとナグバルが向かい合って座っている。

 アンコウが言っていたとおり、ナグバルとの簡易の話し合いの場を設けたのだ。


 この状況に、ナグバルはかなり戸惑っている。


(……この男、いったいどういうつもりなんだ……)

 幾分落ち着きを取り戻したナグバルは、自分の目の前に座っている男をじっと見つめている。

(……くっ、アンコウっ)


 いまアンコウは、ナグバルの生殺与奪権を完全に握っている。しかしアンコウは、話し合いと称して、ナグバルを自分と同じテーブルに本当につかせた。


 ただ、部屋の隅にはナグバルの息子オスカーと十一番目の妻フランが兵士に囲まれて椅子に座らせられており、妻子が人質にとられている状況に変わりはない。

 自らの命もいつ奪われてもおかしくないナグバルにとって、まったくもって対等の話し合いができるような状態ではない。


 とはいえ、領主という肩書きを持つアンコウなら、ナグバルを殺しさえすれば、ナグバルの持つ全てのものを誰はばかることなく奪い取ることができる。

 にもかかわらず、形だけのことであっても、このように話し合いの席を設けたアンコウの真意をナグバルは量りかねていた。


 アンコウが、『後々、いろいろとくさそうだから』というテキトーな理由で、ナグバルを殺さないつもりでいることなど、権勢欲の強いナグバルに想像できるわけがない。


(なぜだ。なぜわしを殺さない………)



「旦那様、どうぞ」

 テレサが、カチャリとアンコウの前にお茶を置く。


 アンコウがナグバルの身柄を抑えるまでは、テレサやカルミは邸内に入っていたものの 、小規模ながら断続的に続いていた守備兵たちとの戦いにあたっていた。

 しかし、その戦闘も屋敷の主であるナグバルから武装解除の命令が出た時点で止んでいる。


「どうぞ」

 ナグバルの前にも、カチャリと置かれたティーカップ。


 茶などを出されても、ナグバルはそれを口にする気にもなれず、緊張感に満ちた悲壮な顔つきをしている。

 そして、ピリピリした緊張感に襲われているのはナグバルだけでなく、この部屋に居る者は皆、約一名を除き、それぞれに険しい表情をしていた。


ジィ〜〜(ガン見)

「ねぇねぇ、なんで泣いてるの?」


 その約一名が、泣きすぎて今も嘔吐えずき続けている オスカーに話しかけていた。小ぶりアフロのハーフドワーフの6歳児、カルミだ。


 カルミは、オスカーがダッジに腕を捻りあげられているところは見ていない。


 この部屋に来るまでに、カルミは何人もの敵を自慢のメイスでほふり、倒した敵の血で血塗れになっていた。

 戦闘が中断してから、全身に浴びた返り血をテレサに拭いてもらったものの、所々、拭き取れなかった血のシミが今も残っている。


 そのカルミが、さらに一歩オスカーに近づく。


「ひぁっ、母さまっ」

 カルミの姿に怯えたオスカーは、並んで隣に座らせられているフランにしがみついた。


 フランはオスカーを庇うように抱きかかえた。子を思う麗しき母の愛、といったところか。


「ほおー……」

 小首をかしげた仕草で、その母子の姿をしばし見ているカルミ。


 そして、何か思いついたように目を大きくしたかと思うと、突然カルミはくるりと振り返り、

 ダダダッ と、走っていってしまった。そして、


———— 「あらっ、どうしたの?カルミちゃん」

 カルミが駆けよった先、アンコウたちに茶を入れ終えたテレサの腕をカルミが掴んでいた。


 ちらりとテレサの顔を見上げたカルミは、掴んだテレサの手を グイグイッ と、ひっぱり、また動き出す。


「えっ?カ、カルミちゃん?どうしたのっ?」

「テレサこっち」

 えっ?えっ? と、言ってる間に、テレサは、カルミに腕をひっばられていく。


 そして、テレサが連れていかれた先はフランとオスカーがいる部屋の隅。

 テレサを連れて戻ってきたカルミを見て、相変わらず怯えているオスカーとそのオスカーを抱きかかえているフラン。


「ど、どうしたの?カルミちゃん?」


 急にカルミに引っ張ってこられたテレサは、カルミに尋ねる。

 カルミは、そのテレサの問いかけに答えることなく、いきなり

カバッ!と、テレサの体に抱きついた。


「?えっ?なぁに?」


 カルミのしていることがよくわからないテレサ。

 そしてカルミはテレサに抱きついたまま、顔だけオスカーのほうに向けた。そのオスカーを見るカルミの顔は、実に子供らしいドヤ顔をキメていた。


「「「 ? 」」」



(………ほんとガキだな、カルミのやつは。いや、間違いなく子供なんだけどな)


 アンコウは、そんなカルミの様子を見るでもなく見ていた。

 アンコウには、母親に抱きしめられているオスカーのことが、カルミは単純に羨ましかったんだろうとわかっている。


(それでテレサを連れてきて……わかりやすいやつ)

 アンコウの口元に微かに笑みが浮かぶ。


 アンコウは、そんなカルミのおかげか、少し体から余計な緊張感が抜けていくのを感じていた。


(……さぁ、こんな茶番な話し合いは、とっとと済ませよう)

 アンコウは、再びナグバルに向き直り、


「さぁ、お話し合いを始めようか、ナグバル」

 と、鋭い目つきで言った。





 アンコウの話を聞き終えたナグバルは、何とも言えない顔つきで考え込んでいる。

 アンコウが提示した話の内容は、ナグバルにとって全く予想外のものだった。


その大まかな内容は、


・アンコウは領主の居館をハリュートから、クークに移す。

(クークはコールマル北部にある町で、一応名目上は領主直轄の町とされている)


・ハリュートは、以後、筆頭執政官を中心とする執政府が管理する。


・ヨラ川以南は、執政府が統治し、グローソン公よりコールマルに課せられた全ての税及び賦役は執政府が負担する。


・執政府は、ヨラ川以北の地に領主の許可なく兵を進めない。


・執政府側が、これらの決め事を破るときは死ぬ覚悟をしてやれ。


 わかりやすく言うと、以上のような内容であった。


(……どういうつもりなのだ)

 ナグバルの内心の当惑は大きい。


 アンコウが提示した話の内容の要諦ようていは、実質的にコールマルの南北分割にあるとナグバルは理解した。


 ナグバルの権勢欲は強い。今現在、実質的にコールマル領全域に対する強い影響力を持っていることを思えば、北の地を奪われることはナグバルにとっては業腹ごうはらものである。


 しかし、今のナグバルは戦いに敗れ、自分の生殺与奪権を完全にアンコウに握られているのだ。


(……なぜだ)

 今の自分の不利な状況を思えば、アンコウが提示した案は、自分ににとって有利過ぎるとナグバルは思う。

(わしを殺さないうえに、南部を与えるということか……)


 コールマルを南北に分ければ、北部は土地が広いだけで、このハリュートも含まれる南の方が豊かであることは誰もが知るところだ。


 ナグバルは、自分にとってあまりに有利な話であったがために、却って強い疑念と警戒心を抱いたが、いずれにしろ今の状況では、どんな提示がアンコウからされたところでナグバルはそれを受け入れる他ない。


 実際、話し合いなどと言っても、アンコウが一方的に話をし、それが終わればナグバルは首を縦に振るしかなかった。



 一方、この案を提示したアンコウに、政治的な深い考えや謀略の類いの含みがあったわけではない。

 そもそもアンコウは、コールマルの領地を一寸たりとも欲しいなどと思っていない。ただ、ここで御領主様をやっていないと自分の命が危なくなるから、ここに居るだけの話。


 ハリュートの居心地がよければ、お飾り領主であってもアンコウは、この町に留まっただろう。しかし、このハリュートの町の居心地は悪かった。

 その主たる原因は、今アンコウの目の前にいるヒゲ豚ナグバルとその縁者のせいだ。


 それでも、ナグバルがグローソン公ほどの力を持つ強者なら、アンコウは忍耐し、従っただろう。たが、幸か不幸かナグバルにそれほどの力をアンコウは感じなかった。

 ゆえにアンコウは、ナグバルと敵対することになっても、やりたいようにやって、お引っ越しをすることにしたのだ。


 そして、夜襲をしかけ、ナグバルの喉元に剣刃を突きつけることに成功しても、今現在ナグバルの命を奪わないでいるのは、常識的に考え得るものとは全く違う理由によるもの。


 ナグバルなどは、自分を殺せば、名実ともにこのコールマルの全てを手に入れることができるというのに、なぜ話し合いなのかと心の底から疑問に思っている。

 だがアンコウにしてみれば、ナグバルを殺してしまえば、全てが手に入ってしまうことこそが問題なのだ。


 アンコウとしては、自由気ままに、ぼちぼち豊かに楽しく生きていければそれでいい。コールマルの北部は南よりもまだ貧しいというが、


(どんだけ地域が貧しくても、領主ひとりが贅沢三昧できるぐらいの実入りはあるだろう)


 と思っている。それは確かにそうだろう。

 だったら、鬱陶うっとおしい連中のいない北に行って、煩わしそうなことはできる限りナグバルたちに押し付けたらいいじゃんよ という結論に至ったのだ。

 権勢欲の強いナグバルのような男には、まずない発想である。


 アンコウとしては、それでもナグバルたちがなめた真似をしてきたときには、そのときに殺せばいい と考えている。



 アンコウは言うべきことを言い終えると、おもむろに ガタリと席を立つ。


「……じゃあ、そういうことで。後はモスカルと話して書面にしておいてくれ」


 ナグバルには、何がそういうことなのかまったく理解できないが、この場ではアンコウの意向に従うほか選択肢はない。


「………わかりました」

 と、ナグバルは何とも言いようのない表情で頷く。


「ものわかりがよくてなりよりだ、ナグバル。お前の妻子つまこも喜んでるぜ、なぁ?」


 アンコウがちらりと目をやった部屋の隅、フランとオスカー母子が武装した兵士に囲まれて、変わらず座っている。

 時々カルミに話しかけられて、オスカーがビクついているのは愛嬌だろう。


「ぐくっ……」

 ナグバルは、アンコウの自分を見下した目と、部屋の隅に捕らわれている妻子の姿を見て、再び湧き上がってきた屈辱に肩を震わせた。


「じゃあ、ナグバル。宝物庫のカギを出してくれ」

「えっ?」


 アンコウがごく自然な口調で言った唐突な要求に、ナグバルは直ぐに反応できない。


「えっ じゃねぇよ。北棟にある宝物庫のカギだよ」


 ナグバルは顔をあげ、返事に窮する。確かに、この屋敷の北棟には宝物庫がある。しかし、そのことはこの屋敷の極秘事項になっている。

(なぜ、この男が知っている)と、ナグバルは思うものの、それは今さらというものだ。


 アンコウ一味は今宵の襲撃において、ナグバル邸の兵数とその配置、屋敷の見取り図にその部屋割りを把握していなければできない動きをしていた。


 アンコウは事前にナグバル邸の内情を完全にめており、さらに念を入れて、リマナを拘束して情報の裏どりと補完もしていた。

 当然、金庫や宝物庫の位置は最重要情報として押さえており、それこそが、アンコウが襲撃前に言っていた『行き掛けの駄賃』になる。


「何だよ、ナグバル。俺のほうが、ハリュートから出ていってやるって言っているのに、お前は引っ越し賃も出さないつもりなのか?

 だったら俺がここに残って、お前とお前の家族に引っ越してもらうことになるぜえぇ。そうなると、お前らがいくのは北じゃなくて、土の下だけどなぁ」


 アンコウは少々悪ノリが過ぎているようだ。

 それでも、家族諸共、死の刃を喉元に突きつけられている状態のナグバルには効果があった。


「わ、わかったっ。す、すぐに持ってこさせる」


 それを聞いたアンコウは、ニッコリとわざとらしい笑みを浮かべて見せた。


「ああ、悪いな。遠慮なく頂くよ、ナグバル」





 アンコウ一味の数は少ない。領主の肩書きをもって、コールマルに来てから多少兵の数を増やしたが、ナグバル邸に連れてきたのは百人ほど、残りは他所で展開させている。

 寡兵ということもあって、夜陰に乗じた奇襲攻撃を選択し、またその攻撃に際しては、敵大将であるナグバルの身柄確保を最優先目的とした。


 そして今も、アンコウ一味は、全兵一丸となって働いていた。今、最前線で指揮を執っているのは、ダッジだ。

 ダッジたちは屋敷の生き残りたちを中庭の一つに集め、完全に屋敷を制圧したのち、今は北棟にいた。


「てめぇら!嵩張かさばるもんには手ぇ出すな!金と宝石のたぐいから放り込めっ!」


へいっ! おうっ!と、手下の兵どもが口々に返事をする。


 彼らの手には、この屋敷より無期限で借り受けた魔具鞄が持たれており、全員が嬉々として、宝物庫のお宝を魔具鞄に収めていく

 アンコウは、宝物庫の扉の前に仁王立ちになり、手際のよい部下たちの働きぶりを眺めていた。

 同様にアンコウの側にいるカルミも、ほぉーとか、おぉーとか言いながら、その光景を見ている。


「……ねぇねぇ、アンコウ」

 そのカルミがアンコウに話しかけてくる。


「何だ?カルミ」

「ねぇアンコウ、カルミたち盗賊?」

「…………違う。……引っ越しのお金を貰ってるだけだ。言ったろ?これからみんなで引っ越しだ。お金がいっぱいいるんだ」

「ほおー、そっか」



 アンコウのところにホルガがやって来る。 


「アンコウ様、あらかた接収し終えました」

「そうか」


 アンコウはホルガからの報告を受け、宝物庫の中にむかって、作業終了の指示を出した。そして、一味にむかって新たな指示を出す。


「お前ら、次は食料庫だっ!時間が惜しいっ、手早くやれよっ!」


へいっ! おうっ! 大将! と、手下どもが口々に返事をした。


 宝物庫を後にしたアンコウたちは、意気揚々と夜の闇が支配する通路を食料庫にむかって歩いていった。

 通路には、幾体もの死体が血溜まりのなか倒れている。しかし、アンコウ一味の中に、それを見て叫び声をあげる者は誰もいない。

 なぜならそれは、自分たちの剣刃でつくった肉塊だからである。



「ねぇ、アンコウ、テレサ。次のお部屋、ケーキあるかなあー」


 ランタンの明かりが照らす石造りの廊下に、カルミの無邪気な声が響いた。


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