第99話 逃げる鯉のぼり
ホルガたちは、少し離れた場所につないである馬のところへと急いで移動していた。
― カサッ
「…!」
その移動の途中、ホルガはわずかな気配を捉える。
山道を急いで移動していたホルガが突然方向転換したかと思うと、全力で地を蹴り、音もなく走り出した。
ホルガと共に移動していた味方の二人の兵は驚き足を止める。
一瞬、ホルガの姿を見失った二人だったが、何とかホルガの後を追って木々の間を走り始めると、少し離れた場所に立ち止まり、腰の剣を引き抜いているホルガの姿が見えた。
ホルガが突き出した剣先に、しゃがみこんでいる人間族の男の姿。大きな木の根の影に隠れていたらしい。
「ヒッ!」
「……お前、あの山賊どもの仲間か?」
ホルガが殺気を孕んだ眼光をその男に向けて聞く。
「ち、違うっ」
「…………」
ホルガは無言のまま、剣先をわずかに動かす。
男の頬が切れ、ツツーッと、赤い血が垂れてきた。
「まっ、待ってくれっ。ほ、本当に違うんだっ!」
「だったら何だ?こんなところで何をしていた。言え。言わないなら、ここで二度と何も言えなくしてやる」
ホルガの剣が、男の首筋に移動していく。ホルガは本気だ。
この男が何者かはわからないが、ホルガは一刻も早くアンコウに山賊の大集団の存在を知らせる必要があり、目の前にいる素性不明の男が黙秘を続けるなら、手早く息の根を止め、アンコウの元に帰ることを優先するつもりだった。
ホルガに追いついた同行の二人の兵も、男を囲むようにして立っている。
ホルガの男に向ける眼光と剣先から、男にもホルガの本気度が伝わったようだ。
「や、やめろっ、やめてくれ!言う、言うからっ!俺は山賊じゃない!メルソン様の命をうけて、あの『
ホルガは、必死の形相で叫ぶように言った男の目をじっと見つめる。
(……メルソン……)
「それは、クーク太守のメルソンのことか?」
ホルガの問いかけに、男は、
「そ、そうだ」
と、力なく答えた。
□
「じゃあ、あの山にいる連中は、
「は、はい。左様でございます、御領主様」
アンコウの問いに答えた男は、山中でホルガに見つけられたクーク太守メルソンの偵察要員を勤めている男。
男は、目の前にいる人物がコールマルの新領主であるアンコウだと確信すると、積極的に自らが知る情報を話してくれた。
「……しかし、
「は、はいっ。
それが昨今になって、集落間で何らかの合意がなされたようでして、集落同士が連携して襲撃を仕掛けてくるようになり、賊徒の規模が大きくなってきました。
それに加えて、最近では北山に住むダークエルフの姿まで混じるようになってきていたんですっ。
メルソン様は、ハリュートにもその危険性について報告をあげておられたはずなのですが………」
アンコウは一瞬、空を見上げる。アンコウが全く知らない情報だった。
かなり最近の急激な変化ということもあり、モスカルも短期間の情報収集では、キャッチできなかったようだ。
(だけど、あの野郎は知っていただろうな……)
アンコウは、苛立ちの浮かんだ目で、ナグバルが乗る馬車のほうを見た。
クーク太守メルソンがハリュートに伝えた情報が、筆頭執政官であるナグバルに届かないわけがない。
ただ、
(……どうでもよかったんだろうな、ナグバルの奴は)
コールマル領は、中南部さえ押さえていれば、北はおまけのようについてくる。
それどころか、直接統治しようとすれば、様々な負担が増えるうえに、
ゆえにナグバルをはじめ、ハリュートにいる者たちは北部に対する関心が薄い。
(ナグバルは、ここにくるまで一度も北山の山賊どもの動きが活発化しているなんてことは言わなかった。自分も北に連れてこられているというのにだ。
……そういう情報を耳にしていたとしても、頭に残ってもいないんだろうな)
アンコウは、一瞬ナグバルを問いつめてやろうかとも思ったが、フウッと軽く息を吐き、今さら無駄なことだとやめた。
(もう時間がない。山賊どもが、そろそろ山の中から出てくるはずだ)
アンコウは、再び眼前の男に視線を戻す。
「こっちにむかっている賊の数は二千だったな」
「は、はいっ」
「で、標的はクークか」
「はいっ」
アンコウは、どうしたものかと考える。つまり、このままクークを目指すか、目的地を変更するかなのだが……。
(……行き先変えるっていっても、行く当てなんかねぇよ……)
「……クークの備えは、どうなんだ?二千の賊どもを追い払えるのか?」
「もちろんです!我々クークの兵は命がけで町や家族を守るため戦う覚悟はできております!」
「……いや、精神論じゃなくてさぁ。クークに今、兵士は何人いるんだ?」
「は、はぁっ…。正規兵で、七,八百ほどかと」
「………三倍ちかい差じゃないか」
(二千の敵に八百の味方か…クークなんて辺境中の辺境の町に、それほど高い戦闘能力がある戦闘員がいるとは思えない。反対に向こうには、ダークエルフの部隊がいるらしい……ヤバいんじゃないのか)
アンコウのあまり芳しくない表情を見て、クークに対する思いが強い偵察要員の男は言葉を少し強くする。
「か、数には少し劣りますが、奇襲さえ防げば、クークの勇敢な戦士はあんな山賊どもには負けませんっ」
(それも精神論だろ……でもなぁ、ハリュートに戻るわけにもいかないし……)
アンコウは男の話を聞きながら、考えを巡らす。
「メルソン様が、町を守るため
「…ほおぅ」
今の男の言葉には、アンコウは素直に驚いた。
(金の余裕なんてないだろうに、防壁を整備して、食糧も確保しているのか)
北部の情報を集めているとき、クーク太守を務めているメルソンという男は、ナグバルに意見したことが原因で北部に行かされることになったらしいと聞いただけで、実際赴任先のクークで、どのようなことをしているかという具体的な情報を集める時間はなかった。
(そういや、メルソンはハリュートにいた時も、それなりに人望があったって話だったな。こっちでも、それなりにまともな
味方八百で戦うには、敵二千は多い。しかし、この偵察員の話を信じるのなら、町は戦いの準備がある程度整っているらしい。
今のアンコウの力を考えれば、山賊相手なら身一つで逃げることもできるはずだ。まだ状況的に余裕はあるとみた。
そして、アンコウは決断した。
(メルソンって太守は、少なくとも自分の仕事はちゃんとする人物みたいだ。今が逃げるラストチャンスってわけじゃなさそうだし……なら、実際自分の目で確認してみるか)
アンコウは横にいた馬の
「総員騎乗っ!」
全体にむかって、指示を発した。
「じきに二千の賊どもが、あの山から姿を現すだろう!その山賊どもはクークにて迎え撃つ!これから一気にクークまで走るぞ!遅れた奴は置いていく!死にたくなければ、全力で馬を駆り続けろっっ!」
――――
バガラッ バガラッ バガラッ !!!
アンコウたちは、クークへと続く
はじめから相当なスピードで馬を駆けていたのだが、しばらく前から後方に、北山山賊の騎馬兵が見えはじめてからは、命がけの激走になっている。
ヒュューードオォン!
「ぎやああーっ!」
アンコウの後ろを走っていた兵の一人が、火球の直撃をうけて吹き飛んだ。
「チイッ!これで何人目だ!?」
アンコウたちに追いつきつつある賊の騎兵の多くがダークエルフだった。
二千の賊兵といっても、ダークエルフは一握りしかいない。それなのに、エルフ種の劣等亜種、黒の耳長たちが戦闘の最前線に出てきている。
「くそっ!力の出し惜しみをする気はねぇってことかっ」
三百弱ほどいたアンコウ一味はすでに統率された行動はとれておらず、各自が自分の判断でクークを目指して走っている。
アンコウは再び視線を前に戻して、馬を駆る。
今アンコウたちに肉薄し、遠距離攻撃を仕掛けてきている賊騎馬兵の数はおよそ80と多くはない。
おそらく偵察も兼ねた先行攻撃部隊なのだろう。しかし、内半数の40騎ほどの乗り手が黒の耳長なのだ。
しかし、全力で馬を
(騎乗法術発動ができているのは、一割程度か。4、5人しかいない)
アンコウは馬を走らせながら、ここにいる黒の耳長一団の質はそこまで高くない と冷静に観察、判断する。
(……だけどっ)
ヒュューードォン!ドオォン!
アンコウのすぐ後ろに火球が着弾し、地面が弾け飛ぶ。
「く、くそおおーっ!俺のほうに来るんじゃねぇよおーー!」
賊騎兵80、途中から明らかにアンコウを狙っていた。
敵も馬鹿ではない。少し観察すれば、誰が相手側の指揮官なのかはすぐにわかる。わかれば、その指揮官が狙われるのは戦場の常道だ。
いくらアンコウが、少し離れたところで馬を走らせているダッジに向かって、
総大将お待ちくださいっ!
と叫んでみたところで、敵は騙されてはくれない。
ただ、周りにいる味方のアンコウを見る目が、少し冷たくなっただけだ。
「チィッ、これ以上飛ばしたら馬がもたないっ!」
振り返れば、賊どもの馬にはまだ余力があるように見える。北山の厳しい山々で育ち、鍛えられた強馬なのだろう。
アンコウは馬に詳しいわけではないが、元の世界の馬よりも、こちらの世界の馬のほうがスピード、持久力共に優れていることは明らかだ。
「くそっ!土地の領主が乗っている馬より、山賊の馬のほうが優駿ってどうゆうことだよっ!」
アンコウは、馬を駆りながら吐き捨てた。
視線を前方に戻せば、一番先頭を逃げているナグバルやメルソンの子供たちが乗っている数台の馬車の一団が見える。
数人の人を乗せた車台を引いて走るのだから、騎兵よりも当然馬車のほうが遅いように思うかもしれないが、この世界の常識としてはそうではない。
馬そのものが違うのだ。馬車を引いている馬はあきらかにデカい。アンコウが元いた世界では、そもそも存在しない種だ。
跨がって乗るには全く適していない大きさの馬だか、比較的気性も穏やかで、荷台を引かせるにこれほど適した馬はない。
その馬が二頭で一台の馬車を引いており、全力で走らせれば恐ろしく早い。
「マジで速いな。たぶん、あれでもまだ全力じゃないはずだ……」
あの馬車は、中に乗っている人に振動が伝わりにくいように設計はされている。しかし完全に振動を吸収することはできないので、それなりにスピードは抑えているはずだ。
(余裕もありそうだし、なんたって楽そうだ)
「……よしっ、あっちに乗り換えよう」
アンコウは、前方を走る馬車を目指して馬を走らせはじめた。
「ハイヤアッ!」
ヒヒンッ!
アンコウは、一番近くに見えていた馬車目掛けて猛スピードで馬を駆り一気に接近する。
(よしっ、御者の横にでも飛び乗るか)
アンコウはそんなことを考えながら、御者席を目指して全力疾走のまま馬を馬車の横につけた。
(おおっ、これはメルソン屋敷のメイドさんを乗っけてる馬車じゃないかっ。やっぱ御者席じゃなくて中にいれてもらおうかな、いひひ)
アンコウが、そんなくらだらない考えに気を取られていた時だった。
黒の耳長が放った火球が再び飛んできた。
ドオォン!バガアアンッ!
距離的にはアンコウにとどいていないものの、たまたま大岩に直撃し、火球と共に、その大岩が
「!えっ!?なあっ!」
そして、爆ぜた岩の大きな破片がアンコウの馬の後ろ足を直撃。
「ヒヒイィィーンッ!」
馬の悲痛な
馬は尻から崩れ落ち、アンコウは馬の背から投げ出された。
「うおおおうっ!?」
そのまま宙に飛ばされたアンコウは、とっさに目の前にあったものをつかんだ。それは、アンコウが飛び移ろうとしていた馬車屋根の一部。
「!?おおっと」
アンコウは結果オーライとばかりに、そのままメイドさんの待つ馬車の中に入ればいいと、瞬間的に考えた。
しかし、世の中そううまくはいかない。
火球の衝突で爆ぜた大岩の大小の破片は、アンコウがしがみついている馬車にも降りそそいでいた。その破片の一部が、馬車を引っ張っている馬にも直撃したのだ。
ビヒヒィーンッ!
「えっ!?」
一頭の馬が暴走したのに引きずられ、もう一頭も、ビヒヒィン モヒヒィンと、猛烈な勢いで走り出す。
グガラララララッ !!!
「いっ!?いいぃぃぃいいいーー!!」
急加速した馬車、物凄い風圧がアンコウを襲う。
何とか両手はしっかりと馬車の屋根の一部を掴んでいるものの、足は完全に風圧に負けて流されている。
アンコウのからだは、強風にさらされる鯉のぼりのようにたなびいていた。
「うひいぃぃぃいーー!!」
とてもじゃないが、しがみついている馬車の中に乗り移ることなどできそうもない。
皆、自分の命優先でクークに向けて馬を走らせており、領主といえどもアンコウに対する忠誠心など薄いアンコウの愉快な仲間たちは、このアンコウの危機に誰も駆けつけてくれない。
風がアンコウの口の中に入り、歯茎をむき出しにしながら、アバアバアババ と、言っている。
「だ、旦那様あっ!」
いや、アンコウのことをずっと気にかけてくれている者が一人いた。テレサだ。
テレサは泡を吹きそうになっている馬に構うことなく、アンコウにむかって猛烈に馬を急き立てていた。
テレサは、無造作に後ろで束ねた栗色の長い髪をたなびかせ、窮地の鯉のぼりアンコウの元に駆けつける。
しかし、暴走する二頭の大馬が引く馬車に、普通馬で追いかけるというのは少々無茶が過ぎたようだ。
「旦那様っ!大丈夫で、えっ!?」
ボギィィッ!ヒヒーンッ!
たなびくアンコウに追いつこうとした瞬間、テレサの乗る馬の前足が折れた。地面に崩れ落ちる馬。
猛烈に飛ばしてきた勢いのままに、テレサも宙に投げ出されてしまった。
「きゃあああーーっ!!」
宙を舞うテレサは、とっさに目の前にあったものを掴む。
ガシイィッ それは、宙をたなびくアンコウの足だった。
「うおおっ!?な、何すんだっ、テレサアアーッ!」
「だ、旦那さまああー!」
軽くパニックを起こしたテレサが、必死にアンコウの足にしがみつく。すると、当然ながらアンコウの体の負担は激増した。
「ぐわあああーっ!も、もげるうぅぅーっ!」
「キャアアアー!」
そんな騒がしい二人に近づいてくる新たなる馬影。その馬に乗っているのはカルミだ。
アンコウたちが逃げ出す際、カルミはアンコウからテレサのことを守ってくれと任されていた。そのテレサが
テレサを追ってきたカルミは、アンコウと一緒に騒いでいるテレサを見つけた。
「おおー。テレサ、アンコウといたっ」
アンコウたちがしがみついている馬車は、まだまだ猛スピードで走ってはいるものの、乗員が二人増えたのと、ある程度の距離を走り続けた影響で若干スピードが落ちてきていた。
その馬車に、カルミが一気に近づいてくる。
カルミの馬の扱いの確かさと、若干ではあるが馬車の速度が落ちてきていたこともあり、カルミが猛烈に走らせている馬は何とか
「テレサっ!アンコウー!」
カルミの馬は、アンコウやテレサの馬のように崩れ落ちることはなかった。
カルミはアンコウたちに追いついた。
それなのに……
「やあああーっ!」
と、声をあげながら馬の背から飛びあがり、カルミも二人同様、宙を舞ったのだ。
そして………
ガシイィッ! カルミは、アンコウの空いている方の足にしがみついた。
「ナガアアーッ!なっ、なにしてんだっ!カルミいぃぃいー!」
「えへへぇっ!カルミもおー!」
「もお、じゃねえーっ!股が裂けるううーー!!」
風にたなびく人間鯉のぼり。ただ、
それほどの風圧にさらされながらも、子鯉の小ぶりアフロは乱れない。
その状態のままで、しばし馬車は走り続けた。
………しかし、なんにでも限界というものがある。
(う、腕がっ、足がっ、股がっ、胴もっ、マジヤバイっっ!)
それでも、必死に耐えているアンコウだったが、
ガタンッッ!! 馬車の車輪が、岩に乗り上げた。
「あっ」
そのはずみに、馬車の屋根の一部を掴むアンコウの手が離れた。
「うわああぁぁーっ!」
「キャアアァァーッ!」
「アハハハハーー!」
アンコウ、テレサ、カルミ、三人全員が再び宙を舞った。
(や、やばいっ!)
焦るアンコウ。
「助けてっ!」
テレサが叫ぶ。
飛ばされた時の加減か、このままではテレサのほうが先に、地面に叩きつけられることになりそうだ。
「ちょっとまってね、テレサ」
宙に飛ばされながら、妙に普通の声がした。
「えっ?」
アンコウがその声のほうを見ると、その声の主はカルミ。カルミは宙を舞いながら笑顔すら浮かべていた。
そのカルミの笑顔を見て、アンコウは少し冷静さを取り戻す。
(…俺もパニクってたのか)
カルミは山猫のように空中で体勢を建て直すと、造作もなくテレサを捕らえ、テレサを抱き抱えたままクルクルと宙を回転し、
ズザザザザアアーー!
と、アンコウより先にあっさりと着地を決めて見せた。
そんなカルミを見ながら、宙を飛んでいるわずかな間にパニクる心を抑え込み、現状を把握したアンコウ。
魔戦斧との共鳴を起こさずともアンコウの身体能力はかなり強化されている。
カルミほど簡単華麗にはいかないものの、アンコウも空中で自身の体勢を建て直すことに成功した。
(よしっ!)
ズザザザザアアーー!
そのまま見事、着地も決めた。アンコウの周囲に土ぼこりが舞い上がる。
「ふううぅぅ・・・………た、助かったな」
しばらくして、ハレてきた土ぼこりの向こうから聞こえてくるカルミの笑い声。
「あははははっ、あっ!アンコウ!」
「……カルミ、大丈夫か?」
「うんっ!大丈夫だよ!」
「あ、ありがとう。カルミちゃん」
テレサも無事のようだ。
「アハハッ!おもしろかったねえ!アンコウ、テレサっ!」
両足を二人につかまれ、痛い思いをしたアンコウとしては何一つ面白い要素などなかったが、ここは未だ戦場真っ只中。カルミに説教している暇などない。
「くくっ……チッ」
アンコウは素早く立ち上がると、来た道を振り返る。そこには少し前まで迫ってきていた賊騎兵の姿はない。
「……かなり引き離したようだな……ん?」
―― アンコウさまぁぁ
そこには敵ではなく、アンコウの名を叫びながら近づいてくる見覚えある騎兵の姿があった。
「アンコウ様っ」
アンコウの近くまで来た騎兵が、
どう、どう、どうっと、馬を止めた。馬上にいるのは白毛の獣人女戦士。
「ホルガかっ、どうした!?」
「賊の先遣騎兵80、まだ追ってきてますっ。じきにまた姿が見えるはずですっ」
「チッ、しつこいな。さっきの奴らか?」
「はい」
「……その後ろはどうなっている?」
「え?」
「賊本隊との距離だ」
「あっ、はい。賊の本隊との距離はかなり開いているかと、私の目にも本隊は見えなくなっていましたから」
「………へぇ」
アンコウは考える。賊どもは、自分がこの一団の親玉だと認識して追って来ているものの、コールマルの領主であることには、おそらくまだ気づいていない。
気づいていれば、二千の全軍あげて襲いかかってきているはずだ。
アンコウが周囲を見渡すと、馬車はひっくり返ることはなく、そのまま先に行き見えなくなっていた。
しかし、ダッジやモスカル配下の兵たちは、まだ自分達よりも後方にいる。
「アンコウ様っ」
ホルガが声をあげる。
ホルガの視線の先には、未だ姿は見えないものの、立ち上る砂煙が見えていた。
(……来たみたいだな、黒の耳長どもめ。二千相手じゃ逃げたほうが得策ってもんだが、80だけじゃ違うんだぜ。たとえ精霊法術を使えてもさぁ。
ああ、黒耳は40だけだったか)
アンコウは考えがまとまったのか、腰の魔戦斧を引き抜いて、共鳴を発動させた。
「……ホルガっ、カルミっ!行くぞ!賊の先遣部隊が本隊と離れているうちに奴らをつぶす!
テレサは後ろから弓で援護を頼む!時間はかけられない、賊本隊の援軍が間に合わないうちに一気にやるぞっっ!」
アンコウはそう言うと、未だ姿は見えていない砂塵に向かって全力で走り出した。
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