第78話 ワン-ロンから イェルベンへ

「カルミ、本当に行くの?あなただったら、ずっとここにいてもいいのよ?」

「カルミはアンコウと一緒にいくよ、ナナーシュ」

「……そう」


 カルミの気持ちが変わらないのを見て、ナナーシュは少し寂しそうだ。

 極大豚鬼王ビッグオークとの戦いでうけた傷もすっかり癒えたナナーシュは,いつも以上に忙しい日々を送っている。

 しかし、そんな多忙な中でも、カルミと会う時間を持ち続けていた。



 ここは太陽城、ナナーシュの居住区域、その一室。今日はナナーシュが友と認めるカルミだけでなく、アンコウも招かれていた。

 ナナーシュは、カルミの後ろに立っているアンコウを見る。


「カルミのことよろしく頼むわよ」

「知りませんよ、そんなことは」

「!なっ」


 アンコウは一応の敬語は使っているものの、まわりに数名のメイド女しかいないとはいえ、ワン-ロンの統治者であるナナーシュに対して、かなりぞんざいな態度で接している。


 世間の常識で言えば、ワン-ロン統治者ナナーシュ‐ド‐ワン-ロンは、グローソン公ハウルよりもずっと地位が高く、持つ権力も大きい存在だ。

 しかし、アンコウはグローソン公と相対していたときのほうが、はるかにおもねり縮こまっていた。


 アンコウは人を見る。ナナーシュの人柄の良さを理解し、そこに甘え、つけ込んでいるわけだ。アンコウらしいカメレオン的な対人対応法である。


「俺はこいつの親でも何でもないんだ。ついてくるのは了承しましたけどね。よろしくって言われても困りますよ」


「~~っ!」

 ナナーシュのアンコウを見る目が鋭くなる。


 しかしナナーシュも、アンコウがカルミに、このままワン‐ロンに残ったほうがいいんじゃないかと、何度か話をしていたことを知っており、カルミがワン-ロンを去ることで、アンコウを非難するのは筋違いだとわかっている。


 カルミはハーフとはいえ、半分はドワーフの血を引いているし、このワン‐ロンの太祖であるオゴナルの力の流れを受け継ぐ流汲者りゅうきゅうしゃの一人だ。

 しかも、このあいだの極大豚鬼王ビッグオークとの戦いでは、誰もが認めざるをえない戦いぶりを示し、何より現ワン‐ロン統治者のナナーシュが自分の友として、ワン‐ロンに残ることを強く望んでいた。


(カルミのやつ、ここに残れば、何不自由ない生活が保障されているっていうのによ)


 アンコウは、自分なら二つ返事で残るのにと思う。

 しかし、カルミは首を縦には振らなかった。という以前に、はじめからワン-ロンに残ることを選択肢に入れていないようだった。


『カルミはアンコウと一緒にいくよ、約束したからね』


 アンコウは本当にそんな約束をした覚えはなかったのだけれども、

(近いような話はしていたかな?)という記憶と、ブレないカルミの態度に 好きにしろよ ということになった。


「じ、じゃあ、どうしてお金を受け取ったのよっ」


 実はアンコウ、カルミをよろしく頼むという意味合い込みで、先日ナナーシュからかなりの額のお金を餞別として受け取っていた。


「くれるものはもらう主義なんで」

「!くっ」


「それにこのあいだも、餞別を持ってきた人にも言いましたよ。どこに行こうが、基本的にカルミが自由に決めること。俺たちについてくるっていうのは了承しましたけど、それと面倒を見るっていうのは別の話」


「で、でも、カルミはいくら強くても、まだ子供なのよっ」


 お前も子供だろ?と心で突っ込みを入れるアンコウであったが、さすがに余計ややこしくなりそうだったので、声に出すことはしなかった。


「俺は今までと同じようにしか接しないとカルミにもちゃんと伝えてます。で、カルミも了承済み。ナナーシュ様の言う子供の世話みたいなことは、全部うちのテレサに任せてますんで、そっちによろしく言ってください」


「………そのテレサはあなたの奴隷でしょ」

「とにかく、俺がカルミを連れて行くわけじゃないということは御理解を。もしカルミの身に何かあっても、俺を責められても困るということです」

「………何?結局自分の保身?」


 当たり前だろ とアンコウは思う。ナナーシュは相当カルミに入れ込んでいる。カルミに何かあって、下手に恨みなんか買いたくないのだ。

 アンコウはぞんざいな態度を取っていても、ワン‐ロンの女王様なんかを敵に回せば百万遍は殺されると、その力の恐ろしさはよくわかっている。


「ねぇねぇ、ナナーシュ。わたしは自分が行きたいからアンコウと一緒にいくんだよ。それにテレサがカルミのははおや代わりをしてくれるんだってっ」

 カルミがうれしそうに言う。


「そっ、そうなの?」

「うんっ、テレサはねぇ、料理もいっぱいしってるんだよ。カルミ教えてもらうんだぁ~」


 アンコウは、これまで纏わりついていたカルミを、今は完全にテレサに丸投げしていた。

 母親を亡くしているカルミはテレサに懐き、子煩悩で実際娘を育てた経験を持つテレサも、カルミのことをとてもかわいがっている。


 カルミの意思が変わりそうもないことを知り、ナナーシュもあきらめたのだ。


「………そう、わかったわ、カルミ。だけどあなたは私の大切な友達で妹みたいなものだから、絶対また遊びに来てね?」

「うんっ、ぜったい遊びにいくよっ、ナナーシュおねーちゃんっ」

「!~お、おねーちゃん~!」


 ナナーシュが幸せそうに悶えていた。



 そのあとアンコウは、ナナーシュから(カルミの)落ち着き先が決まったら、必ず連絡するようにキツく言われ、一人先に太陽城を後にした。



 太陽城内庭園から、今しがた出てきた本城を仰ぎ見ているアンコウ。


「………ワン‐ロン太陽城かぁ。俺がこんなところにいるなんて、やっぱ信じられないよなぁ」


 もう二度と来ることはないかもしれないと思いながら、アンコウはひとり、その立派な建物を眺めていた。





「モスカル、明日の出発は早いのか?」

「はい。もう準備は整えとりますので、朝のうちにはゲートをくぐることになっております」


 モスカルはアンコウを迎えに来たグローソンの使節団の団長を務める人間族の初老の男だ。初老といっても、未だ引き締まった肉体を持ち、その苦味のある風采はマダムキラー的な魅力がある。


 グローソン側に設置されている幻門ファンゲートは、不視認型のもので、グローソンの拠点・イェルベンから約一日の行程距離の場所にあるとのこと。


「あちら側に出ましたら、そのままイェルベンを目指します。深夜にはイェルベン城郭内に入れるかと」

「真夜中まで歩くのかよ………」

「いえ、馬は御用意してあります。なにぶん、アンコウ殿の御帰還が予定より相当遅れていますので」


 少し嫌味の籠もったモスカルの言いようを、アンコウは完全スルーする。


「で、その後は?」

「未定です。イェルベンについた後は、公爵様の指示のままに」


 アンコウは、ふうーっと息を吐く。


 アンコウの思うところ、グローソン公ハウルという男はかなり身勝手な思考を持つ権力者だ。

 アンコウとは同じ異世界からの落人おちうどという大きな共通点はあるものの、それがためにグローソン公ハウルという面倒な権力者に目をつけられたのだから、今のアンコウにとってそれは不幸な共通点でしかない。


 グローソンより力のあるワン‐ロンのナナーシュとは普通に会話もできるのに、同郷のハウルとは、本音を言えば顔も見たくないアンコウだ。


(あのホモ野郎は、遊びで人をなぶるし、命を奪いもする。タチの悪い権力者だ)


 しかし今、様々な行程を経て、アンコウはそのグローソン公ハウルの前に膝をつき、その配下に加わることを嫌々ながら決断していた。


(ほかにマシな選択肢はない。である以上、問題はその後のことだ)


 グローソン公の臣下となり、その後の自分の処遇がどうなるか、それが目下最大のアンコウの関心事だ。


「アンコウ殿、そう御心配なさらずとも良いかと。何度も申しますが、公爵様はアンコウ殿の身分・処遇は悪いようにはせぬとはっきりと申しておりました。

 いや、アンコウ殿が信用できないと思われるのは致し方ないと思いますが、此度こたびはワン―ロン統政府のほうからも、その確認の問い合わせがあったと聞いておりますので」


 つまり、グローソンに帰還したアンコウにハウルが罰を与えたり、ひどい処遇を行えば、ワン‐ロンにも嘘をついたことになる。


「グローソン公は、決してそのような何の得にもならない愚かなことはいたしません」

「…そうだな」


 信義の問題ではなく、損得の問題であり、その損得とは、万が一にもワン‐ロンを敵に回すようなことになれば、グローソンにとっての存亡を賭けたものになりかねない。


 実際にはアンコウ一人のことで、そこまでの重大な事態にはならないだろうが、第2の優等種族であるドワーフの玉都・ワン‐ロンを、人間の一公爵がたばかるようなことをすれば、喜ばしくない状況が生まれることは間違いない。


(確かに、命の心配はしなくてすみそうだ)


「それに……これも申しましたが、いまの公爵様のアンコウ殿に対する関心度合いはかなり低くなっているように思います。アンコウ殿がワン‐ロンに入りこんでいたこと自体はおもしろがっておられましたが、公爵様はワン‐ロンそのものには余り関心がないようですので」


「なるほど。それじゃあ、あの思い出話に時々つき合えって程度の要求が、公爵様の本心だってことなのか」

「………おそらく」


 アンコウが、ふざけた話だと内心思っていることは、重々モスカルはわかっている。モスカルの表情には、アンコウに対する申し訳なさも滲み出ていた。


「……まぁいいや、とにかく、できるだけ自由で平穏無事な生活ができる待遇を俺は望むよ」


 アンコウがグローソンに戻り、どのような運命を辿るかはハウルの気まぐれ次第、モスカルにはそれ以上何も言うことはできなかった。



 翌朝、アンコウはグローソンへと続く、幻門ファンゲートをくぐる。テレサとカルミも一緒だ。

 マニは、この日も朝まで宴で夜通し酒を飲んでいたようだ。今頃どこかで、大いびきで寝ているのだろう。







 グローソン公領 拠点城市 『イェルベン』。


 アンコウは初めて訪れる街だ。アンコウが長年住んでいたアネサに比べるとかなり大きな町。しかし、アンコウはドワーフの玉都ワン‐ロンを経由して、ここに至っている。

(大きい街だけど、まぁ、こんなもんなんだろうな)

 というのが第一印象であった。


 万年の歴史を持ついわば都市国家であるワン‐ロンと比較すれば、一公爵領の拠点城市であるイェルベンは、当然見劣りしてしまう。比較すること自体が間違っているのだろう。

 ただ、イェルベンはグローソン公の台頭にしたがって、成長を続けている若々しい活気の溢れる街ではあった。


(なるほどな。グローソンのウィンド王国内での勢いが、街全体の活気にもなってる)


 アンコウは街の市場の賑わいを眺めつつ、それを実感している。


「らっしゃい!らっしゃい!」

「どうだい!今日は大角兎のいい肉が入ってるぜ!」

「見なよ、このアポの実っ、今年は出来がいいんだっ!」

「もうちょっとまけておくれよ!」

「無理だ無理だ!これ以上はビタ一文まけられねぇ!」


 アンコウは、大分見慣れてきた街の風景を眺めながら歩いている。


「もう、ひと月か………」

 歩きながら、アンコウがつぶやく。


 そう、アンコウがイェルベンに入ってから、すでに一ヶ月が過ぎていた。

 前回のネルカのときと同様、アンコウは放置され、待たされていた。


 ハウルがイェルベンにいないというわけではない。彼にとってアンコウに会うということの優先順位が低い、ただそれだけのことだろうとアンコウは思っている。

 そして、その見立ては正しいものだった。


「まぁ、あの男に変に関心なんか持たれても困るしな。ネルカのときと違って今は自由もある」


 ネルカのときは半軟禁状態であったアンコウだが、今回は、逃げるなら死ぬ覚悟して逃げるようにと脅しめいたことを言われているものの、こうして一人で街を自由に歩くことも許されている。


 それに今のアンコウは随分と落ち着いてもいた。ネルカの時はかなり無様なところを見せ、テレサに慰めてもらったりもしていたアンコウだったが、今回は覚悟も決まっているせいか、心の乱れも少ないようだ。


 それに、ネルカを逃げ出してから、ワン‐ロン経て、ここイェルベンに至るまでの経験が、多少なりともアンコウの小物胆力を鍛えてもいた。


(今は待つだけだ。自力でできることはない)


 そう腹を決め、暇つぶしに連日イェルベンの街中を見てまわっていた。朝から街に出ていたアンコウだが、そろそろ陽が高くなってきている。


(腹減ったなぁ。軽くなんか食べていくかな)

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