第77話 カレイジアのハーブ茶

「今日も花火あげていやがる。空もないのにさぁ」


 アンコウは部屋の窓から、暗くなってまもない仮の空を眺めている。


「ふふっ、そうですねぇ。でも、昼間はみんな街の復興に働いて、夜になったら毎日お祭り。いつ寝てるのかしら。ふふっ」


 アンコウの何気ない一言に、テレサは笑いながら返事をかえした。


 テレサは部屋の長椅子に座り、なにやら縫い物をしている。

 アンコウは、テレサこそ暗くなってまで、針仕事なんかしなくてもいいんじゃないか と思うが、当のテレサが機嫌よく手を動かしているので、やめるようには言わない。


 極大豚鬼王ビッグオークの侵撃から、約一ヶ月が過ぎたが、アンコウはまだワン-ロンにいた。


「旦那様、いつまでここにいられるんですか?」

 テレサが手を止めて、ふと問う。

「ん?まぁ、少し前にモスカルに聞いたら、あとひと月ぐらいなら問題ないって言ってたからな。もうあと半月ぐらいか」


 極大豚鬼王ビッグオークの災難は終わったが、アンコウは、もうグローソンに帰還(?)することを拒んではいない。そこはもうあきらめている。


(………グローソン公にどんな扱いをされるかはちょっと心配だけどな)


 心配不安は山盛りあるアンコウだが、モスカルからも、戻っても悪い扱いはされないという言質を取り、

『正直、グローソン公爵のアンコウ殿への関心はかなり小さくなっているかと』ということを聞かされ、放っといてくれるんだったら何よりだと、運を天に任せてグローソンに行くことにした。


 アンコウがふと考え込んでいると、


「………旦那様?」

「ん、いや、まぁ、長い祭りだけど、陰気くさいより、バンバン花火あげて、酒を飲んで騒いでくれているほうが楽しそうでいいよな」


 アンコウは、また窓の外を見た。

 アンコウは一応、先の極大豚鬼王ビッグオークとの戦いにおいて戦功有りと認められ、ワン-ロン統治者ナナーシュ-ド-ワン-ロンの名のもとに、正式に賞されている。


 しかし、アンコウとしては命がけで大量の小豚鬼チープオークほふったのだが、それは戦況全体に大きな影響を与えたわけではなく、普通ならナナーシュの名のもとに直接褒賞される対象にはならなかったそうだ。

 それでもアンコウが、ワン-ロン統治者より直接褒賞されたのは、グローソン公の臣下の腕輪をつけていたからこそ、その対象となったらしい。だから、その褒賞の内容は実のあるものではなかった。


(まぁ、別に立身出世がしたいわけでもないんだけどさ………ただ、マニのやつがさぁ)


 そう、アンコウと違い北の広場での活躍が大いに認められたマニは、大々的にその戦功を讃えられ、ワン-ロンの名誉市民的な称号さえ手に入れていた。

 これには他国の王侯貴族であっても簡単には認められることのない権利が付随しているのだそうだ。


 マニは冒険者として、このワン-ロンの迷宮にもかなり興味を持ったようで、

「私はしばらくこのワンタンにいることにしたっ」と、酔っ払いながら言っていた。 

 マニは連日、あちこちの宴にお呼ばれされており、今日もどこかの宴に参加しているのだろう。


(………宴に参加したいわけでも、この街に住みたいってわけでもないんだけどな)


 マニと比べたときだけ、何となく納得がいかないアンコウであった。



「………旦那様、どうかしました?」

「ん?そうだな。テレサはこの街に住みたいと思うかい?」

「えっ?………そうですね」


 テレサは少し考えたあと、長椅子からおもむろに立ち上がり、アンコウが立つ窓際まで歩いてきた。そしてアンコウの横に並び立ち、窓から街を眺め見る。


 テレサがこのワン-ロン-に来てから、まだ約一ヶ月。

 怪我がひどかったアンコウが、高価な薬やナナーシュが派遣してくれた癒しの術に優れた精霊法術師たちの手による治療の末に、ようやくベッドから起きて共に生活できるようになってからは、まだ半月も経っていない。


――ドォンッ―― テレサの顔が爆ぜる花火の明かりに照らされている。

 色白の綺麗な肌だ。テレサの中の抗魔の力は確実に増している。


 テレサはアンコウの顔を見つめた。


「………私は旦那様がここにいるから、ワン-ロンに来ました。旦那様がグローソンに行くなら、私もグローソンにいきます。もう、置いていかないでくださいね」


 テレサは笑みを浮かべながら、どことなく軽い感じで言った。しかし、その目は真剣そのもの。

 その動くテレサの唇に、アンコウは妙な色気を感じてしまった。


「あ、ああ、約束…する」


 二人はネルカで別れたときの話はしていない。ただこの半月のあいだ、テレサはずっとアンコウのそばにいたし、アンコウもそれを認めていた。

 その返事を聞いて、ニッコリ笑ったテレサは、また元の長椅子のほうに歩き戻っていく。


 アンコウの目は窓の外ではなく、そのままテレサの後ろ姿を追う。

 その目は、動くテレサのまぁるい大きな尻をじっと見つめていた。逸らせなかったと言うべきか。テレサのお尻は肉づきがよく、じつに女性らしい。


 テレサがいま穿いているスカートは、長さは脚の下のほうまであるものの、腰まわりはタイトで、お尻にぴったりとくっつき、その形がよくわかる。

 テレサが椅子に座るとき、少しそのお尻をアンコウのほうに突き出した。その動作に反応して、アンコウは ゴクリと唾を飲んだ。

(テ、テレサっ………)


 そしてアンコウはまた、窓の外に目をやった。


「………す、少し窓を開けるか」


 開けた窓から、スーッと、心地よい風が入ってきた。



 アンコウは昼間、少し街を歩いてきた。その時の事を思い出す。

 極大豚鬼王ビッグオークの侵撃と大量の魔獣の侵入から、まだわずか一ヶ月。それを思えば、この街の復興速度は異常だった。

 特に建築物の再建、新造速度は凄まじいものがある。


(さすがドワーフの玉都ぎょくとだよなぁ、ものづくりに関しちゃあ、間違いなく世界一だ)


 そして夜は、戦勝の宴と称して連日連夜このお祭り騒ぎだ。


(これもさすがドワーフの玉都ぎょくとだ………どんだけ酒飲むんだよ、こいつら)


 アンコウのいる屋敷も夜になれば、ほとんど人が空になる。みんな祭りにくり出していくのだ。

 祭りの雰囲気は楽しんでいるアンコウだが、もう夜の街中におりて行こうとは思わない。それぞれの楽しみ方があるといったところか。


「ははっ、まぁ悪い気分じゃないけどな。いくさの騒がしさより、祭りの騒がしさのほうがずっといい」


 アンコウは、しばらくそのまま、窓から ぼぉーと街の光景を眺めていた。



――――――



――「旦那様?」


「ん?……何?テレサ」

「あの、お茶を入れたのですけど。どうですか?」


 テレサはいつのまにか長椅子の前にテーブルを移動させ、お茶の準備をしていた。


「果実酒のほうがよろしかったら、用意しますけど」

「いや、酒はいいや、お茶をもらうよ」



――――



「へぇ、不思議な香りのお茶だな」


 アンコウは長椅子にテレサと並んで座り、ゴクリと一口お茶を飲んだ。


「ふふっ、カレイジアのハーブなんですよ」


 そう言われても、あまりハーブの知識のないアンコウにはピンと来ない。


「アネサよりもずっと南方にあるハーブで、どこでも、あまり見かけることがなかったんですけど。このワン-ロンの街には、どの地方のハーブもそろってたんですっ」 

 ハーブ茶好きのテレサが、驚きをまじえて、楽しそうに話している。


 ワン-ロンは一流ぞろいに職人の街であると同時に、幻門ファンゲートを利用した知られざる流通の集積地でもあり、東西南北かなり広範囲の地域の物産が集まっている。


「不思議な香りだけど、おいしいお茶だ。テレサはお茶を入れるのがうまいよな」


 褒められてテレサは、フフッと笑っている。

 気を良くしたテレサは、しばしアンコウ相手にハーブの講釈をつづけた。

 アンコウは、そのテレサの話に相槌を打ちながら、別に苦にすることもなく、おとなしく、どこか楽しげに聞いていた。


 しかし、しばらくして話に熱が入りすぎたのか、テレサがアンコウの体のすぐ近くにまで、にじり寄ってしまった頃合から、アンコウの様子が変わってきた。

 テレサの胸は大きい、それは服の上からでもよくわかるほどだ。アンコウの視線はいつのまにか、それをチラチラ見るようになっていた。


(………あっ、もう旦那さまったら)


 テレサはそのままハーブの講釈を続けていたが、アンコウの視線の変化には、いち早く気づいていた。そして、テレサの行動も変化していく。

 話をしているテレサの手が、いつのまにかアンコウのもものうえに置かれていた…………

 ふぅー、ふぅーと、アンコウの呼吸が少しずつ深くなっていく。



「――― ねっ、だからこんなにおいしいお茶になるんですよ」


 そう言いながら、テレサはアンコウの顔をのぞきこむように見た。


 アンコウの目に映ったそのテレサの顔。目は潤み、頬は赤く上気し、いつのまにか耳まで赤くなっている。テレサ本人はその自分の変化に気づいているのだろうか。

 そして、アンコウの手が動き出す。


「!! ああっ、だ、ダメですよ、旦那さまぁ、まだお茶の話をしているんですからっ」


 身をよじり、逃げ出すふりをするテレサ。


「テ、テレサっ」

「ああっ、ま、待って……あんっ、ンン~~」





 薄暗くなった部屋の中、


 ――ドォーンッ ドォーンッ――と、未だ打ち上げられている花火の明かりが強く入り込んでくる。


 その部屋の小さなバルコニーにつながる大きな窓が開いている。その窓につけられている長カーテンが、ゆらりゆらりと揺れ動いていた。



――あっ ああっ ああんっ  『ハッ、ハッ、ハッ、ハッ』 アンンッ――


 ベッドのシーツも薄手の掛け布も、ひどく乱れている。このベッドの主たちが床に入って、それなりの時間が経過しているのだろう。

 しかし、ベッドの主である二人は、共にまだ起きているようだ。


「アンッ、ンンッ、ああっ だんなさまぁぁ」

「はっ、はっ、テレサっっ」


 大窓が開いているバルコニーから、少し肌寒くなってきた風が入ってきている。

 ベッドの上の二人は、なぜか服を着ていない。時折いる裸で寝るタイプの人たちなのだろうか。


 ベッドの上の二人にも、間違いなく冷たくなり始めた風がとどいている。

 しかし、二人ともその体はじんわり汗ばんでおり、まったく寒くはないようだ。寒くもないのなら、なぜぴったりとくっついているのだろうか。

 ああ、アンコウとテレサは仲直りしたのだった。


 テレサの胸は大きい。服を着ていないから、よりよくわかる。その揺れ具合から、やわらかいものであることもわかる。

 一方、細マッチョのアンコウの体には無数の傷がついていた。先日の小オークとの戦いでついた傷跡が、未だ消えずに残っていた。

 しかしこれも、もうしばらくケアを続けたら、ほとんどわからないぐらいに薄くなるらしい。


「ああっ、あなたアアッ」


 テレサはその傷跡に手を伸ばし、いとおしそうにそれを撫でる。

 そして……アンコウはテレサにおおいかぶさり、テレサはそのぬくもりにつつまれていく。


「!くっ、テ、テレサぁっ!」

「!アッ、あぁんン~っ!」


 その時、


ビユュゥゥゥゥーーーッ


 バルコニーから吹き込んでくる風が、急に強く、騒々しいものに変わった。


バンッ!!

「ただいまあーーっ!!」


((!!えっ!!))


 バルコニーのほうから、突然大きな声がした。

 アンコウたちが顔だけそちらに向けると、そこには小さな人が立っていた。

 小ぶりのアフロにかわいらしい顔。手には何か荷物を持っている。ただいまと言った声は、小さな女の子のもの。


 バルコニーの大窓を開け放ち、そこから部屋の中に入ってきたその女の子は、トコトコとベッドのほうに近づいてくる。

 裸で抱き合っているアンコウとテレサは動けない。ピンチだ。


 女の子はベッドの横でピタリと足を止めた。



「ねぇ、アンコウ、テレサ、何してるの?」


(!カ、カルミっ!)(!カルミちゃんっ!)

「「!!~~~~!!」」


 テレサも、カルミとは、とっくに顔合わせをすませており、アンコウにカルミの世話を押しつけられた事もあって、この短期間で二人はすっかり仲良くなっていた。


 そのカルミは、今日はナナーシュのお招きを受け、ひさしぶりに太陽城のナナーシュのところに泊まってくるはずだった………のだが、ナナーシュも怪我が癒えて以降、相当に忙しいようで、今晩も急きょ来客があり、カルミの相手をできなくなってしまった。

 それに退屈したカルミは、連絡なく、アンコウたちのところに帰って来た。


 この突然の状況に、テレサは完全にフリーズ。アンコウも頭が回っていない。


「ねぇ、アンコウ?」

「……じゅ、柔術だっ、柔術の稽古をしてたんだっ」

「ふ~ん、じゅうじゅつか~、なんで裸なの?」

「は、裸のほうが相手に技をかけやすいんだよっ」


 へぇ~と、カルミは屈託なく、アンコウとテレサの顔を交互に見ている。


「これなんてワザ?」


 まだ思考がまとまらないアンコウ。


「か、かにバサミだっ」

「!!」


 何のごまかしにもなっていない技名を言ったアンコウの顔から、汗がぽたぽたテレサのほうに落ちた。

 フリーズしていたテレサは、ハッと覚醒し、「か、風がさむいわね」と言いながら、薄布を自分たちに掛けた。


「へぇ~、テレサがワザをかけてたんだね」

「そ、そうなのよ」

 フリーズが解けたテレサも、そう答えるほかない。

「そっか、これおみやげっ」


 と言って、カルミはアンコウたちの枕もとに手に持っていた袋を置いた。中には、飲み物の瓶やナン、ハムなんかも入っているようだ。


「あ、ありがとう、カルミちゃん」

「これおいしいんだよ。ナナーシュ、お客さんが来たから、これもらって帰ってきたんだ」

「そ、そう」

「ねぇ、テレサ」

「な、なに?」

「わたしおフロ入るっ、沸いてるかなぁ」

「だ、大丈夫よ」

「そっか……!ああっ!」

「な、なに!?」「ど、どうしたっ!?」

「アンコウとテレサも一緒に入ろうよっ!ふたりとも裸だし、ちょうどいいねっ」


 カルミがよい思いつきをしたとばかりに、キラキラとした目で二人を見ている。

 アンコウは、カルミのその穢れなき勢いに負けた。というよりか、早くこの状況を何とかしたかった。


「わ、わかった。部屋に行って、用意をして来なさい」

「はーいっ」


 カルミが部屋の扉にむかって走り出す。


「カルミっ!」

キキッ!「なーに?」


「バルコニーから部屋に入ってくるのは禁止だっ、ちゃんと扉から、ノックをし」

「はーいっ!」

 カルミはアンコウの言葉を最後まで聞くことなく、部屋から飛び出していった。

「くくっ!」



 再び部屋にはアンコウとテレサの二人きり。アンコウとテレサは、ようやくのろのろと体を離す。


「「はあぁーーっ………」」という、二人のため息は深い。


 二人ともベッドのうえで座り込んでいる。


「………旦那様、お風呂、入るんですか?」

「……仕方がないだろ。カルミのやつは約束したらしつこいんだ」


 最近はカルミと風呂に入るのも、テレサに押しつけていたアンコウである。


「………テレサ、用意をしてくれ」

「はい………」


 二人とも地味に精神的ダメージが大きいらしい。


 二人がノロノロと動いていると、

ダダダダダダダッ! ゴンゴンッ! バタン! と部屋のドアが開き、もうカルミがやって来た。


「用意してきたっ!アンコウ、テレサっ、おフロいこう!」

「!カ、カルミっ!何で裸なんだっ!」

「えへへへ~」

「服は脱衣所で脱げって言ってるだろっ」

「アンコウとテレサもはだかっ!」

「うぐっ」

「わたし先にいってるねっ、ふたりとも早くきてよ~」


 と、カルミは言うと、ダダダダダダダッ!と走っていった。


 アンコウとテレサの今宵の柔術の稽古は完全に終わった。


「ハァーッ、風呂、行くか」

「だ、旦那様、裸で行くんですか?」

「!いかねぇよっ」

「そ、そうですよね、ガウン持ってきますね」


「「はあぁーーっ………」」 


 アンコウとテレサ、二人の動きはまだ鈍い。

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