第71話 魔剣と魔弓と魔矢筒と

 ボルファスのまわりには、カジュマと揃いの銀色の甲冑を身につけた戦士たちがいる。その内の一人が音もなく走り出す。

 その走る先にいるのはテレサだ。テレサは弓を射た姿勢のまま、まだ動いていない。


「テレサっ!逃げろ!」


 それに気づいたマニが叫び、何とか体を起こし走り出そうとする。しかし、

ギイィンッ! 剣と剣がぶつかり合う音。


「どこに行く気だ?貴様の相手は俺だろう」

 いつのまにかカジュマが距離を詰め、マニに剣を振り落としてきた。

「ど、どけよっ!」

 カジュマの剣を受け止め、マニは吼えるが、カジュマがおとなしく退くはずもない。



「あっ」

 テレサも自分にむかって走り迫る戦士に気づくものの、どうすることもできない。

 ただ目を見開き、硬直するテレサ。

 走り迫る戦士はいつのまにか抜剣し、あっという間にテレサの目の前に来ていた。

「あっ、ああっ」

 テレサは何もできない。


「テッ、テレサあっ!」


 マニは叫ぶも、カジュマの前から離れることができない。

 テレサを見るマニの目にも、絶望の色が浮かぶ。


 テレサの頭上に非情の剣が振り落とされた。


(あっ、もうだめ……)

 テレサの視界に白刃がきらめいた刹那、死を覚悟したテレサの眼球に滲み出る涙。そして、テレサの脳裏にはアンコウの顔が浮かんでいた。

(……旦那様、元気にしてるのかしら……)


 テレサは死を覚悟した瞬間、アンコウの顔が脳裏に過ぎる程度にはアンコウのことが好きになっているらしい。


 しかし、その非情の剣がテレサを斬り裂く前に、なすすべなく固まっているテレサの視界が、いきなり赤く染まった。テレサの血……ではない。


ボオォォオオンッ!!


 爆発!と、同時に広がった赤い炎がテレサの視界を覆ったのだ。


キャアァァーッ うおおぉぉーっ ぐわあぁーっ

ドサァンッ バタアァンッ ズザアァァーッ


 悲鳴と人が周囲に吹き飛ばされた音が響く。

 テレサも、テレサに襲いかかって来ていた戦士も、マニも、カジュマも、誰も彼も床に転がっていた。



「やめろと言ったはずだ」

 ボルファスの低く重い声が聞こえた。


 ボルファスの右手が、手の平を前に、前方に突き出されている。

『精霊法術・火球』 ボルファスは精霊法術を使えるようだ。


 しかし、屋内でこのような使い方をするなど、かなり非常識だ。

 ただ、爆発が収まってみれば、周囲の建物が破損している形跡はなく、床に多くの人が転がっているが、死者は一人もいない。


 完全に計算づくで、爆発をコントロールできていたということだろう。


「これ以上暴れる者は、黒焦げになる覚悟でやれ」


 そのボルファスの言葉に皆が動きを止めた。

………いや、まだひとり、ボルファスを睨みつけ、動き出した者がいた。


「な、なにをするんだこの野郎っ!!」


 マニだ。誰が見ても、マニが勝てる状況ではない。

 しかし、マニはまだやるつもりだ。手には抜き身の剣を握り、立ち上がる。

 そんなマニの動きを周囲のドワーフたちが黙って見ているわけがない。マニに向けられた殺気混じりの覇気が、多くの者たちから発せられ始める。


「マニさんっ!やめなさいっ!!」


 そんな中、吹き飛ばされていた床から身を起こしたテレサが怒鳴るように叫んだ。

 テレサにも怪我はない。しかし、状況の悪さを十分に理解しているテレサの顔は真っ青だ。

(やめてやめてマニさんっ)


 しかし、マニは止まらない。動き出す。今度はその標的をボルファスに定めたようだ。


「マニさんっっ!!」

 テレサがまた叫ぶ。


 しかし、やめろと言ったところで、マニが止まらないだろうことは、ここにいる誰よりテレサが知っている。


 テレサは起き上がり叫ぶと同時に、離さず手に握っていた弓を再び引き絞っていた。


「止まれえっ!馬鹿っっ!!」


 テレサはマニへの罵声とともに、躊躇ためらいなく矢を持つ右手を離した。

 矢はマニに向かって真っすぐに飛んでいくが、テレサにマニを殺すつもりはない。


 ただ、逸らすことなくマニめがけて矢を射ったのは、自分の放った矢など、マニなら簡単に避けるという確信があったから。

 テレサは目いっぱいの力を込めて矢を射った。これぐらいのことをしないとマニは止まらないと思ったのだ。しかし、


ビシュユユユーーーンッッ!!


「!えっ?」

 自分が放った矢にテレサは驚く。

 

 マニに向かって真っすぐに飛んでいく矢。その空気を切り裂く音がいつもとまったく違った。

 テレサは先ほど、マニに斬りかかっていたドワーフ警備兵を射た時に気づくべきだった。


 一警備兵と言えども、ワン‐ロン‐太陽城本館出入り口に配されている兵士だ。それなりの腕はあろうし、ドワーフなのだから当然抗魔の力も有している。

 また、それなりの防具も身に着けていた。腕にもだ。

 しかし、テレサがドワーフ警備兵を射た矢は、その男の腕を貫いた。


 テレサは男を殺すつもりなどなかったし、力加減もしていた。それなのに矢は男の防具を貫き、抗魔の力で強化されている腕もあっさりと貫いていた。

 必死であり、余裕などなかったテレサは、自分が放ったその矢の威力のほどに気づくことができていなかった。


 テレサが手に持つ弓は、ワン‐ロン統治者が居城‐太陽城廊下に飾られていたもの、飾りと言えども当然それを作製した者はワン‐ロン一流の魔工匠。

 その弓はワン‐ロン一級品クラスの魔弓だ。


 そしてテレサは、マニならあっさり避けるはずだと、一切の加減なく、全力で矢を放った。

 殺意はなくとも、先ほどのドワーフ警備兵を射たときよりも、その一矢に込められた力ははるかに強い。


ビシュユユユーーーンッッ!!


 今度はテレサも、自分が放った矢の威力にさすがに気づいた。矢は真っすぐにマニ目掛めがけて飛んでいく。


「マッ、マニさんっ、避けてっ!」

 思わず矢を放ったテレサ本人が叫ぶ。


 テレサの言葉など完全に無視し、ボルファスに意識を集中していたマニは、テレサの行動に気づいていなかった。

 マニが気づいたときにはテレサの弓から矢が放たれた後、その矢は、凄まじいスピードで迫り来ていた。


「えっ?!!!っっ」


 マニはとっさに体勢を転じるが、間に合うかどうか厳しい。


( くそっ!)(マニさんっ!)

だめかっ マニとテレサはそう思った。


 突如、

ドォンッッ!!

 マニとの距離、約1メートル。矢が爆ぜた。

「!!!」


 自爆装置つきの矢ではない。

 ボルファスの二発目、『精霊法術・火球‐小』が、テレサが放った矢を捉えたのだ。

 一発目と比べたら、かなり小さな爆発であったが、それなりの衝撃は生じていた。顔のすぐ近くで火球がぜたマニは、顔を押さえて床を転げまわる。


 ゴロゴロゴロゴロ転がるマニ。


 悲鳴はあげず、無言で転がる。たいした傷ではないようだが、とにかく熱くて痛かったらしい。


「マ、マニさんっ!」


 マニのその姿を見て、慌てて駆け寄るテレサ。



「ここまでだっ!」

 再びボルファスの低く重い声が響く。


 一時は殺気だっていたドワーフたちも動きを収め、マニもさすがにもう動けない。

 床を転げまわるのは収まっているが、肩をしっかりテレサに掴まれている。


 爆発の余波もすっかり消え、静寂がつつむエントランスロード。

 ボルファスが堂々と、テレサとマニの方へと歩き出す。マニがわずかに動き出そうとするが、テレサが強く肩を押さえる。


「マニさん」

「…………わかったよ」


 マニは剣を鞘におさめ、ゆっくりと立ち上がった。



 テレサとマニのすぐ近くまで来て、ボルファスは足を止めた。

 ボルファスは、マニよりもテレサよりも小さい。しかし、その覇気は強圧で、テレサにはこのダルマのような中年のドワーフが、灰色大熊のごとく巨大に見えていた。


 テレサは許しを請うため、謝罪の言葉を口にしようとするが、声帯までも緊張し、呼吸をするのがやっとだ。

(怖いっ)


 マニも言葉を発しない。ただマニは、ボルファスを睨みつけてはいた。

 張り詰めた緊張感の中、ボルファスが口を開いた、


「………貴様ら、アンコウの知り合いか?」 と。





 テレサとマニは詰め所の中の椅子に座っている。

 テレサは身じろぎひとつせず、居心地悪そうに座っていた。マニは時折、ふあぁああー と、欠伸あくびなどをしながら、退屈そうに座っている。


 そして、そのマニとテレサを監視するかのように、ドワーフ警備兵たちが、じっと二人のことを見ていた。

 その中に、テレサを引っ叩き、マニを斬ろうとした男の姿はない。


 ドワーフが第一種族であるワン‐ロンにおいて、奴が人間族の奴隷であるテレサを引っ叩いたことは、さして問題にはならない。

 しかし、カジュマと一対一で戦っていたマニに、突然斬りかかったことは問題があったようだ。

 騎士カジュマの戦いを邪魔したことを卑劣であると責められ、連行されるように姿を消した。


 今、テレサとマニを監視しているドワーフ兵たちに、二人に危害を加えようとする気配はない。

 テレサとマニは、ボルファスの言に従って、ただここで待っている。


(………でもよかった。ボルファス将軍が、旦那様のことを知っていたなんて)


 テレサは死すら覚悟した。この城内で剣を振るい、弓を引いたのだ。その場で首を刎ねられても文句は言えない。

 それなのに、なかなかに身分があるお偉方らしいボルファスがアンコウの名を口にし、

知っていると、恩ある客人であると言ったとき、テレサは足から力が抜けた。


 ただ、ボルファスも、マニかテレサがアンコウの名を口にしたのを聞いていたのなら、

(もう少し早く言ってくれていたらよかったのに)

 とも、テレサは思った。


 ボルファスがどういうつもりだったのか、楽しんでいたのか、面倒だったのか、何かを確認したかったのか、それはわからない。

 でもまぁ、(よかった。2人とも死なずにすんだ)と、テレサは素直に喜ぶ気持ちが一番強い。

 彼らドワーフにとって、自分たち2人の命など安く軽いものであることは、テレサもよくわかっている。


 ボルファスは何か重要な会議があるらしく、彼らのあるじの元に急いでいた。

 それでもテレサは短い時間で、自分たちがアンコウを探していることを必死で訴えた。

 そしてボルファスは、ここで待て と、アンコウをここに呼ぶ と、言ってくれたのだ。


 状況が一変した。テレサは何か言いたげにしているマニを抑え、ありがとうございます ありがとうございます と、頭をさげた。本当にうれしかった。

 ボルファスは、テレサたちのいる前で、アンコウをここに呼んでくるようを部下の者に命じ、即時走らせた。

 そして、自分たちは城の奥へと足早に消えていった。


 テレサは警備兵の詰め所で、居心地悪そうにアンコウを待っている。けれども、テレサの心ははやり、心は上気している。

 テレサは小声で、隣に座るマニに聞いた。


「旦那様、来るかしら?」

「来なかったら、あのヒゲ親父ぶっ飛ばしてやる」


 マニの服は、頭からぶっかけられたポーションのせいで、まだ少し濡れている。

 声を抑えることなく、ぶっ飛ばすと言ったマニをまわりのドワーフ兵たちがにらむように見た。

 ふんっ と、マニの鼻息は荒い。


 時を追うごとに、外がどんどん騒々しくなってきているのが詰め所の中にいてもわかる。


(旦那様、無事に来られるかしら)


「おいっ、外で何が起こってるんだ?戦いがはじまるんだろう」

 マニが、警備兵たちに聞く。

「あ、あの、旦那様は後どれぐらいでここに来ますか?」

 テレサも、警備兵たちに聞いた。


 警備兵たちはわからないながらも、二人それぞれの話に応じてくれた。

 今の彼らは、ボルファスの命を受けて、二人の側についている。邪険にはできないということらしい。


 そして、しばらくしてからボルファスからの使いの者がテレサとマニが待つ詰め所にやって来たのだが、そこにアンコウの姿はなかった。


―――


「ど、どういうことですかっ」

 使いの者に詰め寄るテレサを今度はマニが抑えている。

「落ち着いて、テレサ」


 使いの者が言うには、アンコウはすでにあてがわれていた屋敷から姿を消していたとのこと。


「とりあえずどこに向かったのか、おおよその見当はついています」


 アンコウは北の広場に向かったのではないかと思われるとのこと。

 おそらく幻門ファンゲートを使って、ワン‐ロンからの退去を考えているのだろうが、現状それは不可能だろうとのこと。


「じゃあ、その北の広場に行けば、旦那様がいるんですねっ」


 テレサはそう言うと、詰め所から飛び出そうとする。それをまたマニが止める。


「マニさん放してっ」

「私も一緒に行くよ、だからちょっと待って」


 マニは警備兵たちのほうに顔をむける。


「ここから出る。武器を返してくれ」


 マニたちは一時的に武器を取り上げられていた。それの返還を求めた。

 マニが警備兵と話していると、テレサがマニにつかまれている手を振りほどこうとしはじめる。


「放してっ」

「テレサ落ち着けっ!丸腰じゃその北の広場までも辿り着けないかもしれないだろ!」

 マニがテレサを叱責するように強い口調で言った。


 テレサは驚き、目を見開いて、マニの顔をじっと見る。

 そして、しばらくしてから首を振った。マニの言うことを否定しているのではない。

(マニさんに言われるなんて)といったところか。


「………そうよね、ここまで来たんだもの。死んだら意味がないものね」


 それを聞いてマニがにこりと笑い、使いの者に問いかける。


「アンコウのところにいってもいいんだよな」

「それはあなた方の御自由にと、ボルファス様が言っておられました」


 ボルファスはすでに緊急会議とやらを終え、兵を率いて城を出立しているとのこと。事態は急速に動いている。


「それと、あなた方がアンコウ殿を迎えに行くのなら、これを渡すようにと言われています」


 使者の男は魔具鞄からスラリと一本の長剣を取り出し、マニに手渡す。

 それを何の躊躇ためらいもなく受け取ったマニは、

スゥーッと、その剣を引き抜いた。

 その剣身は薄っすらと美しい紫色の光を放っていた。魔剣だ


「……へぇ、これはすごいな」

「ワン‐ロン一級クラスの魔剣といえる一品です。その魔剣の銘は 『もろこし』 。ボルファス様所有のものですが、アンコウ殿を助ける必要があれば使ってほしいとのことです」


 マニは紫光を放つ魔剣 『もろこし』 を掲げ見る。

 その幅広の剣身には、隙間なくトウモロコシの彫り物が施されていた。鞘のレリーフもトウモロコシだ。


 しかも、そのトウモロコシデザインはどれもこれも微ミョーなデフォルメがされており、とてもじゃないが芸術性が感じられるものではない。

 そして、マニが握る柄の下からは、トウモロコシのヒゲに見立てたような飾りがぶら下がっている。


 落ち着きを取り戻したテレサが、横からじっとその剣を眺め見ている。テレサは言葉を発しない。


(……なにこの変なトウモロコシだらけのデザイン……)


 テレサは、自分と同じように その剣を見ているドワーフ警備兵のほうをちらりと見たが、目をそらされてしまった。


 今度はマニがテレサの顔を見た。

「テレサ、見てくれ。この剣すごいよ」

「…………………ええ、そうね」

 すごい力を持った剣だということは、テレサにもわかる。


 そしてテレサは、脳裏に威厳ある風貌のドワーフの将軍、ボルファスの姿を思い浮かべる。


(あの将軍様は、きっとこの剣は使わない)

 テレサはそう確信した。


 それでも、

「す、すごいわね、魔剣『もろこし』 」

 テレサはとりあえず剣を褒めた。


「それと人間の女。そなたにも預かってきている」

「えっ」


 驚くテレサに、使者の男はおもむろに魔具鞄の中からスッと筒状のものを取り出した。


「何をしている。さぁ、受け取れ」

「は、はいっ」


 テレサはその筒状のものを受け取るも、それが何かわからない。しかし、戦場経験も豊富なマニはすぐにそれが何かわかったらしい。


「へぇ、矢魔筒か。でも、テレサに使えるのか?」

「えっ、えっ」

「あの魔弓をあれだけ使えたんですから大丈夫でしょう。ですが一応試しておきましょう」


 使いの者はそう言うと警備兵に何やら指示を出し、詰め所を出て行こうとする。マニもおとなしくそれに従う。


「マ、マニさんっ?」

「時間が惜しい。急ごうテレサ」

「え、あ、はい?あっ、待って」


 三人は詰め所を出て、そのまま建物の外へ出て行った。





「………どんどん魔素が広がってきているな。それに、この大きくて禍々まがまがしい魔獣の波動。極大豚鬼王ビッグオークのものか」


 外に出たマニは、東の空を見つめながらつぶやく。

 極大豚鬼王ビッグオークのことに関しても、先ほど詰め所で大まかなことは警備兵たちから聞いていた。本当はマニは今すぐにでも東の広場に行きたかった。


(見てみたいなぁ、極大豚鬼王ビッグオーク

「………でもなぁ」

(まずはアンコウ、それにアンコウを助けるために借りた剣)


 マニは、トウモロコシの茎を模した剣の柄にそっと手を置いた。


「マ、マニさん?」

 テレサの声を聞き、マニは視線を下に戻す。

「ん?どうしたテレサ、早くやってしまおう」

「は、はい」


 テレサの左手には、警備兵が持ってきた例の魔弓。背中には、先ほど渡された矢魔筒。

 実はこの矢魔筒、テレサは知らなかったが、それほどこのワン‐ロンでは珍しいものではない。簡単に言えば、精霊法力を矢状のものに変える魔武具である。


 抗魔の力を精霊法力に変換する能力の低い人間種にはあまり馴染みのないものだが、ドワーフ族の古都である このワン‐ロンの軍隊などでは、その魔武具自体の製造能力も高く、ごく一般的に用いられているものだ。


「で、でも、わたし精霊法力なんて、法術なんて使えないのに」


 ボルファスの使いの者が言う。

「法術が使えない者が、必ずしも法力を有していないわけじゃない。そんなこともわからないから人間は下に見られる。お前はその魔弓を引き、見事に使った。

 それを抗魔の力ゆえの腕力のおかげのみと思うな。その魔弓はそんな安いものではない」


 テレサはその言葉を聞き、しばし考えた。

 そして、大きく深呼吸すると真っ黒で何も見えない矢魔筒の中に手を突っ込んだ。


「………!あっ!」

 矢魔筒に手を入れたテレサが小さく声をあげる。

(何この感覚っ)


「感じたか女。その矢魔筒は量産性のある道具。排出する精霊法力さえ有していれば使用者を選ばない。ただ、体内の法力の残量だけは気をつけないといけない」


 テレサは使いの男の言葉を聞きながら、ゆっくりと矢魔筒から手を引き抜く。

 そのテレサの手には淡い昼白色の光を放つ矢状の光棒。テレサは恐る恐るその光矢を弓につがえ、引き絞った。

 そして、的を狙い。放つ。


シユュューーンッ! ズザアァンッ!


「テレサッ!連射だっ!」

 マニの声。

「は、はいっ!」


シユュューーンッ! ズザアァンッ!


・・・・・・・・・


 テレサは息荒く、弓を手に持ったまま、前方の大きくへこんだ壁を見つめている。


「お前はその弓と、この細剣レイピアを使え」


 使いの男が差し出してきた細剣レイピアを、テレサは受け取った。


 そして、テレサに近づいてきたマニが、ポンッとテレサの肩に手を置く。


「テレサ急ごう。アンコウを助けに行こう」


 まだ少し呆けたような驚きの表情をしていたテレサだったが、そのマニの言葉聞いて、その表情が一変する。

 強い決意の目、口元は引き締まる。そしてテレサは力強く頷いた。


「旦那様を迎えに行きます」

「………ふふっ、いい目だなぁ、テレサ」


 テレサの目に浮かぶもの、それはマニの好む戦う覚悟を決めた者が持つ光。戦士の目だ


「……うんっ、テレサ、いいなその目。うんっ、その必死さに免じて、今回だけは浮気のことはアンコウに黙っていてあげるよ」


 突然マニが、再び浮気しただろう爆弾投下。この騒動で、テレサの頭から吹き飛んでいたことを、またかなりの上から目線で言ってきた。

 再び、テレサの顔色が一変。何で自分がマニを追ってきたのかを思い出す。


「うなっ!だ、だから浮気何てっ………」


 一線を越えてはいないが、何もしてないとは言い切れないテレサ。

 マニは困ったものだとでも言うように、苦笑を浮かべながら頭を振っている。

 そして、ポンポン、ポンポン、テレサの肩をたたいた。


「………わかってるって、テレサ。私は口が堅いんだ」


 そう言われて、テレサはうつむき加減に口を閉じた。その場から動かないテレサの両肩が小刻みに震え続けていた。


……………多分、テレサはムカついていたのだ。


「テレサ、人は過ちを犯すものだよ」

 マニがお姉さん風味を醸し出しながら言った。

 テレサの肩の震えが大きくなったが、


「…………………………はい」

 と、長い沈黙の後、一言だけ返した。


 テレサはいろんな感情を飲み込んだようだ。テレサは大人だから。

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