第72話 テレサも豚の撒き餌に

「くそっ!くそっ!クソッ!」


 ワン‐ロン、北の広場。小豚鬼チープオークを中心とした魔獣相手の戦いをアンコウは続けていた。


(き、キリがないっ)


 小豚鬼チープオーク相手なら、アンコウは十分に戦える。しかし、如何せん数が多すぎる。

 小豚鬼チープオークといえども決して雑魚と言うわけではない。


(これ以上囲まれるとヤバいっ)


 しかも、いまだ幻門ファンゲートから、次々と魔獣が湧き出し続けている。


「くうぅぅっ、しつけぇんだよっ!」

ザグウゥッ!!

 アンコウの戦斧がまた、一頭の小豚鬼チープオークの頭をカチ割った。


 それぞれに、多くの幻門ファンゲートが設置されている東西南北中央の広場は、どこも広大だ。

 アンコウは今、広場の北の境界近くで戦っているのだが、そのアンコウがいる真逆の方角、広場の南の境界で、大きな衝突が起きていた。

 この北の広場へと向けられていたワン‐ロン軍の援兵が到着し、南境から突入を開始していたのだ。


 アンコウがいる場所からはまったく見ることはできないが、南の方角からうねるような戦場特有の大声の波が、アンコウの耳にもとどき始めている。

 しかし、それは即、アンコウにとって救いとなるものではない。


 救いどころか、南から兵団が突入したということは、援兵が強ければ強いほど、北に向かって魔獣どもが押し出されてくるはずであり、もうじき一層の危機が北辺にいるアンコウに訪れることはあきらかだ。


(マズいっ)

 焦るアンコウ。

 北の広場全域および、その周辺部での戦闘も、拡大激化の一途の様相だ。刻々と動かぬ肉塊が量産されていく。

 やはり、逃げるしかないとアンコウは思う。


 アンコウを含め、逃げることを選択した者たちの姿が目立つ北の広場北辺だが、すべて者たちが逃げまどっているわけではなく、すすんで戦うことを選択し、魔獣たちと戦い続ける者たちの姿もあった。


「おおぉぉぉおおおーっ!!」


 マニが紫の光を放つ長剣を風車のごとく振り回している。次々と魔獣たちの体の部位がはじけ飛ぶ。

 それを見てアンコウは、(狂戦士バーサーカーバリだな)と思う。


 マニに対しては、この野郎が来なかったら、今頃俺はこの戦場を離脱できていたはずだ という思いがあり、アンコウの感情は複雑だ。

 しかし、そのマニに対するネガティブな感情とは別に、今のアンコウは、マニの後ろを自分の定位置と定め、魔獣相手に魔斧を振るい続けている。

 

 アンコウは、マニ風車を盾代わりに、再びこの戦場からの離脱の機会を探っていたのだ。

 だが、このマニ盾はアンコウの思うようには動いてくれない。


「おいっ!マニっ!こっちだっ!道路側にきてくれっ!」


「ぬおぉぉぉおおおーっ!!」


 マニはただ全力で戦う。


「………くそっ!聞いてねぇっ!」



「おおお、!オオッ!?」

 戦闘中、マニが何かに気づいた。そしてアンコウも、その異変にほぼ同時に気づく。

「チィィッ!まずいっ!」


 アンコウの視界に入ってきたもの。それは、少し離れた場所、広場の中央よりにある幻門ファンゲート


 そこから、小オークとあきらかに違う 巨躯の体を持つ豚が這い出てきている姿が見えていた。

 その個体は、このあいだワン‐ロンへと続く迷宮の中で戦った中型のオークと同じぐらいの大きさがあるように見える。


(やべえぇぇ、あれがこっちに来たらっ。こっちはこの数さばくだけでめいっぱいなのにっ)


「マニいぃぃっ!一旦退く」「行くぞっっ!アンコぉーおおおおーーっ!!」


 マニが加速スイッチが入ったかのように走り出した。

 真っすぐ広場中央方向、中級豚鬼将ミドルオークが這い出てきている幻門ファンゲートに向かっている。


「お、おいっ!マニっっ!」


 乱戦の中マニは、あっという間にアンコウから離れていく。

 アンコウは、マニだからとわかっていることだとはいえ、それでも全身に青筋が浮き出る思いだった。


 だったらはじめから一人で勝手に戦え、助けにきたふりをしてんじゃねぇよ と心で叫ぶが、声にすることはなかった。

 マニに言っても仕方がないからだ。戻って来いと叫ぶことも時間の無駄だとアンコウは割り切り、次の行動を考える。


(マニについていくなど問題外)


 それでなくとも死地なのに、これ以上マニについて行ったらドツボにはまるだけ。

 アンコウはもう一度、強引に広場の外に向かって突進するしかないと決断した。


(虎穴にいらずんば虎子を得ずか…ケッ、まわりにいるのは豚ばっかりだけどな)


「おおおおうっ!!」


 アンコウは気合声を発し、赤い光を放つ魔戦斧を大きく振るう。

 そして、醜悪な子豚どもの合間を縫うように走り出した。


「どおけえぇぇーーっ!」


 アンコウはマニとは逆方向に向かって走る。


ザアァンッ! ザァシュュッ!

ブモォォオッ! ピグウゥゥッ!


 しかし、豚どもに邪魔をされ、なかなかアンコウの走る速度は上がらない。それでもアンコウはわずかづつながら、豚どもの密集地帯から抜け出していく。


「おらあ!邪魔だっ!豚どもっ!!」


 魔戦斧を振り回し突撃を繰り返すうち、ようやくアンコウの視界の前方にわずかに開けた場所が見えてきた。


「よ、よしっ!」

 その時、

 小豚鬼チープオークどものあいだから、突然飛んできた仄白光球。

ボォォオンッ!

 それがアンコウの側面に命中した。


「ぐわああーっ!」

 吹き飛ばされるアンコウ。


 豚どもの向こう側から、ゆっくりと姿を現した宙に浮かぶ3体の魔獣。

 それはこのワン‐ロンの迷宮で見たタコ足コウモリ羽の魔獣。ドワーフたちは、あの魔物をコーギルと呼んでいた。


 しかし、迷宮で見たものよりも大きく圧が強い。亜種か上位種かもしれない。

 そいつらが放った気弾がアンコウに当たった。


(し、しまったあっ)

ズザザザアアアーーッ

 アンコウは地面を転がる。


「く、くそっ!」


 ダメージは大きくはない。しかし、アンコウのまわりには再び小豚の肉壁。

 さらに、向こうに浮かぶ3体のコーギルたちが、再び仄白光球の気弾をつくり出していた。

 

 間髪おかず、アンコウに襲いかかる小豚鬼チープオーク

 片ひざをついた姿勢のまま、アンコウも、それに応戦する。


(まずいっ、いま気弾を放たれたら避けられないっ)


 焦るアンコウ。今にもコーギルたちのタコ足の先から、先ほどよりも大きく膨張した仄白光球の気弾が放たれようとしている。

 その時、


 シュンッ!シュンッ!シュンッ!


 と、アンコウの頭上を3本の淡い昼白色の光の矢が飛んでゆく。


「!なにっ!」


 その3本の矢はそれぞれに3体のコーギルに突き刺さった。


「「「ギイイィィィーーッ!」」」


 3体のコーギルは耳障りな声をあげながら、地に墜ちた。


――――「旦那さまっ」

 アンコウの耳に聞き覚えのある声。


 アンコウはその声が聞こえた方、光の矢が飛んできた方向を振り返る。と、同時に目を見開いた。


(!テ、テレサもかっ)


 ネルカの騒乱時に別れて以降、久方ぶりに見るテレサの姿。

 ネルカで別れたとき、正直もう会うことはないかもなとアンコウは思っていた。

 実際、アンコウがグローソンの手から障害なく逃れることができていたならば、そうなっていたかもしれない。


 できるなら、テレサにもマニにも会うことがない状況になっていたほうが、アンコウにとっては望ましいことだった。

 しかし、今のアンコウにそんな悠長な感傷や思いに浸っている余裕はない。


 アンコウは再び立ち上がり、戦斧をもって、豚を斬り裂く。

ザアァンッッ!

 ブヒイィィィッ!

(もう一度隙をつくるっ)


 アンコウがさらに戦斧を振るおうと周囲を見渡すと、わずかなあいだに自分に群がっていた小豚鬼チープオークの数が減っていた。


(ん?)

 アンコウが斬り倒したわけではない。


「ブヒイィィッ」

 何匹かの醜悪な豚たちが鼻息荒く、同じ方向を見ている。


 その方向にいる者、それはテレサだ。小型のオークは食欲よりも性欲が強い。

 小豚鬼チープオークたちは種族に関らず、すべての女に反応するが、特に人間の女を好む傾向がある。


 オークどもの意識が、あきらかにアンコウからテレサへと移りつつある。

 テレサの周囲に他の人の姿はない。テレサはここまでひとりできたわけではないが今は一人になっている。


 太陽城からマニとボルファスにつけてもらった数名の兵士とともに、テレサはこの北の広場を目指した。

 しかし、早々にマニは独走し始めて、その姿は見えなくなり、途中何度か少数の魔獣と遭遇して戦闘を繰り返しているうちに、皆バラバラになってしまっていた。


 テレサは何とかこの北の広場に到着し、幸か不幸かすぐにアンコウの姿を見つけて、一人駆けつけたのだ。


 テレサはこの状況で、アンコウと合流すれば何とかなると思っていたのだろうか。いや、テレサは何も考えていなかった。

 アンコウの姿を見つけると、気がつけば走り出し、魔獣たちに向かって矢を放っていた。


 アンコウに対する豚どもの包囲網に、あきらかな隙が生じている。

 アンコウがそれを見逃すはずがない。もう一匹豚に斧で斬りかかると同時に走り出し、再び豚の囲みから抜け出した。


「よしっ!」


 アンコウは自分の命をあきらめるつもりなど毛頭ない。どれだけ自分が弱かろうが、どれほど状況が悪かろうが、その気持ちだけは変わらない。

 だから、これまでも今も足掻き続けている。足掻くことを放棄した時点で死んでしまう、ここはそういう世界だ。


(あっ、旦那さまっ)


 テレサの目にも豚の囲みから抜け出したアンコウが見えた。しかし、アンコウが抜け出し、走り出した方向は自分がいる方向とは違う。


「あっ、だん」「ブモォォオオッ!」

 テレサはアンコウに向かって声をあげようとするものの、豚の鳴き声に邪魔をされてしまう。


「!ああっ!」


 気がつけば、何匹もの醜悪な豚がテレサのほうに向かって走り出していた。

 テレサは慌てて、その小豚鬼チープオークどもにむかって矢を放つ。魔矢筒で生成、抜き出された光魔矢を次々と一級の魔弓を用いて射出する。


 なかなかの威力だ。正確に小型のオークの眉間、心臓部を射抜き、オークたちを地に這わす。


 しかしだ、やはりあまりに敵の数が多い。すべてを射抜くことなどできない。

 テレサの周りには、テレサをかばい、フォローしてくれる仲間はいない。

 

 しばしの時間抵抗を続けたが、ついにテレサは一匹のオークに体をつかまれた。


「いやあぁぁっ!」


 テレサは魔弓を手放し、腰のレイピアを引き抜こうとする。しかし、遅かった。

ドザァンッ!

「がはっ!」

 肩をつかまれていたテレサは、オークに力まかせに地面に押し付けられてしまう。


 小豚鬼チープオークといえども、背丈は2メートル50ほどはあろうか、その体躯は太く毛深く、豚面だ。


 テレサは地面に縫い付けられた自分にむかって伸びてきたオークのもう一方の手を必死でつかむ。

 しかし、抗魔の力を持つテレサであっても、小豚鬼チープオークの体重をかけた腕の力を完全に押し留めることはできない。


「んんん~~~~!」

「ブモォホオッ!」

 小豚鬼チープオークの荒い鼻息が直接テレサにかかり、よだれが垂れてくる。

「い、いやっ」


 オークは魔獣、当然服など着ていない。小オークの身体的仕様はすべからく雄であり、顔は豚、体つきは人種を模している。

 雌に興奮した雄がどうなるか、人種を模したオークの股ぐらのそれが隆起していた。体のわりに小さいのは標的を人種の女にしているからだろう。


「ひいぃっ、いやああぁぁぁーっ!!」


 テレサの目にも、オークの気持ちの悪いそれがはっきりと見えた。テレサは悲鳴をあげ、必死の抵抗をはじめる。

 火事場の馬鹿力か、テレサはオークの腕を押し返しはじめるが、地面に縫い付けられた状態から、脱することまではできない。


「イヤッ、イヤッ、イヤアァッ!」


 テレサは足をバタつかせ、がむしゃらの体を動かし抵抗する。

 しかし、バタつかせている足を別の小豚につかまれ、腕もつかまれてしまう。


「あああっっっ」


 小豚鬼チープオークたちが、テレサに群がり始めた。


 テレサの目に何匹もの小豚鬼チープオークの醜悪な豚面が見え、どれも興奮しきった目でテレサを見下ろしている。


「!!!!~~っ」

 テレサの目が絶望と恐怖に染まる。


「いやああっ、アンコウおゥ!ガッ!!」

 再び発せられたテレサの悲鳴が急に止まった。

 テレサの口の中に突き入れられた小豚鬼チープオークの太い指。

「!!~~!!」

 テレサの目から噴き出す涙。


 テレサは動けない。テレサの存在がその周囲にいた小豚鬼チープオークどもの動きを大きく変えた。


 テレサに群がりはじめたものだけでなく、周囲にいるオークたちの意識が大なり小なりテレサの存在に惹きつけられ、自然、その一帯に隙が生じる。

 他の者たちが、小豚鬼チープオークから逃げ出す隙だ。


 アンコウは、その真っただ中にいた。この場から逃げ出す道が見えた。

 それをはっきりと認識したうえで、アンコウは走り出していた。


 人間の女一人を撒き餌に死地から脱する。それは、すでに先ほどからアンコウがおこなっていたことだ。

 そのことにアンコウは、何ら罪悪感を感じていない。

 自分が生き残るためやむを得ない、当然の行為だと思っている。それに先ほどは何人もの人間やドワーフの女が尊い犠牲になっていたが、今度はひとりだ。


 いやああぁぁーっ というテレサの悲鳴はアンコウの耳にも聞こえていた。

 しかし、走るアンコウの表情は変わらなかった。


 アンコウが横目で見ると、テレサを押し倒した小豚鬼チープオークの姿も見えていた。


 抗魔の力と共鳴で強化されているアンコウの目は、恐怖と絶望に染まる女の顔もとらえていた。

 それに、小豚鬼チープオークどもの興奮し切った吐き気を催しそうになるそれも。しかし、アンコウの表情は変わらなかった。


 『アンコウ』と最後に自分の名を呼んだ女の叫びもアンコウの耳に入っていた。しかし、アンコウの表情は変わらなかった。

 全力で走る速度にも変化は一切なく、ただわずらわしそうに「チィッ」と、舌打ちを漏らしていた。



 テレサはあまりの恐怖と絶望にただ震え、何もできなくなっていった。


(あ……ああ……あぁ…!?)「!えっ?」


ザアァンッ!!グザアアアッ!!ビシユュューッ!!

 ブモオォォオオッ!!ピギイイィィッ!ギイガアァァッ!!


 テレサの目に突如、自分に群がっていた豚どもの首が飛び、腕が飛び、腹が裂ける姿が見えた。

 テレサの視界を埋め尽くしていた醜悪な豚どもの姿が消えていく。


そこには宙を舞うように踊る テレサが見たことのない魔戦斧。

赤い輝きを放つ刃が小オークを叩き割る。首を斬り裂き、腹を裂く。

スピアーヘッドで小オークの目障りな一物を串刺しにする。

金属部のスパイク部分には、加工された大きい赤い魔石が埋め込まれていた。


美しい戦斧。その魔戦斧のポールを握る男が、テレサの開けた視界に映りこむ。

最後に見えたときは、あさっての方向にむかって走っていっていたはずの男。

テレサとは違う民族と思われる人間族の男。

美しいともかっこいいとも言いがたい容貌。ただ、醜くもない。


 今は何ら感情を読ませないような無表情、その無表情の顔に埋め込まれたふたつの黒い瞳がテレサをとらえていた。


 それを見たテレサの目から、また涙が溢れる。

 しかしそれは、先ほどまでの小豚鬼チープオークに襲われていたときとは違う種類の涙だ。



「だ、旦那さまっっ!!!」

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