第69話 迎え人

――極大豚鬼王ビッグオークのワン‐ロンへの侵撃が始まる当日の早朝――


「おおっ、ここがワン‐ロンかぁ」

 周囲を見渡しながら、マニが感嘆の声をあげる。


「マニ殿、ここでの勝手な行動は厳に慎んでください」

 モスカルの口調はさすがに厳しい。


 モスカルもマニも、グローソンからの正式な使者団の一員として、ここワン‐ロンを訪れた。

 ここでの失態は、どのようなものであれ、モスカルの主君であるグローソン公ハウルの顔に泥を塗ることになる。


「わかっているよ。モスカル」


 出発前に、さんざんモスカルから注意を受けていたマニは、おとなしくうなずく。


「マニさん、旦那様に会うまでですから」

「わかってるよ、テレサ」


 テレサにも、おとなしくうなずいて見せたマニ。


 それでも心配であったのだろうモスカルは、テレサに近づき、

「テレサ殿、お手数ですが、しばしマニ殿をよろしくお願いします」

 と、小声でささやいた。


 マニがここで何か失態を犯せば、アンコウと会うことができなくなるかもしれないと、モスカルに言い聞かされていたテレサは、真剣な表情でうなずいていた。


 そして、そのまますぐに、モスカルをはじめとするグローソンの使者御一行は、彼らを迎えに来ていたワン‐ロン側の担当者に案内され、そのまま迎賓館的な施設へと移動していった。





 太陽城の広い敷地内にある迎賓館のひとつ、その館内の一区画がグローソン御一行に割り当てられており、皆がそこで待機していた。


「あの、モスカル様、旦那様はここには来ていないのですか?」

 テレサが、モスカルに問う。


「ええ、私どもの身元の確認が先ということのようです。ワン‐ロンは外部からの訪問者にかなり厳しいところですから」


 モスカル自身も、このワン‐ロンにやって来るのは初めてだ。

 このワン‐ロンに知己ちきがいる者は、使者団の中に誰もおらず、一見様いちげんさまお断り的なワン‐ロンにおいては、グローソンの正式な使者といえども、その確認作業自体がかなり厳しいようだ。


「アンコウ殿には、今日我らが来ること自体まだ知らされていないようです。しかし、我らの身分に偽りなきことが確認され次第、面会も帰還もすぐに認められるだろうとのことですから、そう時間はかからないと思いますよ」


「そうですか………」


 テレサは流れのままに、このワン‐ロンまで来てしまった。

 今回の使者団の代表はモスカル。目的はアンコウを引き取ることのみ。ゆえに訪問団の規模はとても小さく重要度も低い。


 だから、グローソンでの使者団帯同の申請において、護衛役のマニのみならず、アンコウの奴隷であるテレサが同行することもあっさり認められた。


(ああ、私がワン‐ロンにいるなんて)


 テレサにとっては御伽噺おとぎばなしに出てくる街に等しいワン‐ロン。テレサはこの街に入って以降、ずっと気持ちが落ち着かない。


 しかし、それでもここに来たのはアンコウに会うため、主人のいない奴隷の身では、どこにいたって結局落ち着けやしない。

 そのことは、この数ヵ月の経験で、テレサはいやというほど味わっていた。


「大丈夫ですよ」

 と、モスカル。


 モスカルは白髪の目立つ人間族の初老の男だ。

 白髪初老と言っても、モスカルの容貌は優れ、抗魔の力を持っていないものの、武術の心得もある身体は今なお引き締まっており、若い時は随分ずいぶん女にモテたに違いない。


 今でも、じっとその顔を見ていたら、テレサのような年齢の大人の女なら、ぽっと頬を染めてしまうようなダンディな色気がある。アンコウの のっぺりとした顔とは違う。

 テレサも、モスカルのことはかなり頼もしく思っているようだ。


「アンコウ殿のここでの待遇はかなり良いようです」


 実はモスカルも、アンコウに関する事前情報がかなり不足している状態でここに来ていたのだが、折衝役せっしょうやくのワン‐ロンの者たちと少し話をした手応えとして、これなら特別もめることなく、アンコウを引き渡してもらえそうな感触をすでにつかんでいた。


「遅くとも明日にはアンコウ殿に会えるはずです」

「ほ、ほんとうですか!?」


 30半ばのテレサだが、明日にはアンコウに会えると聞いて、大きな胸の前で両手を合わせ、弾むような笑みを浮かべた。


「ええ」

 そんなテレサの様子を見て、モスカルもニコリと笑った。

 そうして話を続けていたテレサとモスカルに、マニが近づいてきた。


「ふああぁぁあー、退屈だな。テレサ、ちょっとここを抜け出して、街を見て回らないか?」


 今はまだグローソンの御一行に自由行動は認められていないのに、しかしマニならばやりかねない。

 それを聞いて、テレサの顔色がサッと変わる。


「何言ってるのっ!ダメに決まってるじゃないっ!今はまだおとなしくしててっ、マニさん!」


 マニはテレサに、ガッ!と、両肩を掴まれる。マニを見すえるテレサの目が、これ以上ないぐらいマジだ。


「………マニさん、明日には旦那様に会えるから、それまではおとなしくしていてください」

 言葉遣いは丁寧になったが、テレサの眼力めじからがさらに増している。


「わ、わかったよ、テレサ………」





「ふぁぁああーっ、どうしようかなぁ」


 マニが庭でも大きくあくびをしている。

 モスカルは今、休むまもなくワン‐ロン側の者と会談中なのだが、マニは警護の仕事をしていない。

 サボっているのではなく、その必要がないほど和やかで、すでに事務的な手続きの会談になっており、モスカルから休んでいていいと言われていた。


「マニさん」

「ははっ、テレサ、大丈夫だよ。街に出たりしないさ」

 自分の横に立っているテレサに、マニは苦笑しながら声をかける。


「ふふっ、信じてますよ、マニさん」


 テレサは笑顔で返すが、実際のところ、この目の前にいる獣人女をそういう意味では信じていない。

 マニは悪気なく衝動的に動く、そのことをテレサはよくわかっている。


 そうこうしているうちに、退屈しのぎか、日々の日課か、マニは、スイッと庭の開けたところまで移動し、おもむろに剣を振りはじめた。



(……きれい)

 テレサはマニの剣振りを見て、そう思う。


 テレサも、日々の日課で振り棒をする。剣を振るようになって、テレサにも少しわかるようになったことがある。


(マニさんは強い)

 ただ強いだけではない。マニはテレサと行動を共にするようになった この数ヵ月の間でさえも、

(マニさんは強くなっている)


 それはテレサにも、はっきりとわかるほどの成長速度だ。


 アンコウが言っていた。

『テレサ、マニは馬鹿だが、剣に関しては天才のたぐいだ』


 二十歳はたちそこそこのマニは、まだまだ強くなる伸びしろも大きい。


(だから余計厄介だとも、旦那様は言ってたわね)


 剣をふるうマニの向こう側に、ワン‐ロン太陽城の本館が見える。

(ほんとうに立派なお城ね)


 テレサはまだ、自分があのワン‐ロンにいるという事実が信じられない。

(旦那様、何でこんなところに来たんだろう)


 テレサは、ぼぉっと城を眺めながら、アンコウのことを考える。

(明日には会える)


 テレサをあっさり切って、ひとり逃げたアンコウだったが、テレサがアンコウに抱いている一番強い感情は、申し訳ないという思い。


 自分が毒矢を射って、頭がおかしくなったローアグリフォンにアンコウは連れ去られた。

 苦痛の悲鳴をあげ、血を撒き散らしながら、ネルカの街の上空を飛び去って行ったアンコウの姿がテレサの脳裏に焼きついている。


 無論、アンコウは自分を連れ去ったローアグリフォンとテレサの事情など今も知らない。

 テレサとマニの間で、その経緯については、わざわざアンコウに言う必要はない ということになっている。


 マニが言うには、『テレサが悪いじゃわけじゃないし、戦場での出来事なんだから』と、さらりと言っていた。


(……そうね)

 少し心は痛むが、テレサも同意していた。

(………でもやっぱり、ちゃんと話して謝ったほうがいいのかしら、でも、旦那様だって、ひとりで逃げたんだから………)


 テレサはあれやこれやと悩み考えを巡らしているが、アンコウの元に絶対に帰るということはすでに決めているようだった。



 昼時までにはまだ少し間がある。手入れの行き届いた広い庭で、剣を振り続けるマニ。アンコウのことを思い続けるテレサ。

 そんな二人が、突然、ほぼ同時に同じ方向を振り返った。


「「!!!!」」


 それは東の方角。空間が揺れた。そう表現できるほどの爆発的な波動の乱れ、そんな大波が突如襲ってきた。

 その大波が襲ってきた方向が東。


 目を大きく見開き、一瞬で硬直してしまったのはテレサ。

 マニも振っていた剣を止め、じっと動くことなく立っているが、マニはテレサと違い硬直しているわけではない。

 異常に鋭く変化したマニの目が、東の空をにらみつけている。


「………………確かめてくる」


 マニはそうつぶやくように言い、剣を腰におさめた。そしてマニは、そのまま走り出そうとする。


「!ま、待ってマニさんっ!旦那様が先よっ!」

 そう叫ぶと同時に、テレサの体の硬直は解け、マニに走り寄る。


ガッ! と、テレサはマニの手をつかむ。

 そして、真剣な目でマニを見つめる。


 テレサが見たマニの目、表情に、先ほどまでの退屈そうな緩さは欠片も残っていない。

 その目は戦場に立ち、敵を前にした時と同じものになっていた。


「……テレサ。よくわからないけど、あれは普通じゃない」


 マニは真剣な口調で東の空を指し示す。テレサの目が大きくブレる。

 テレサにも、何か普通でないことが起こったということはわかっている。

 戦士マニの表情を見れば、自分が思っている以上に、ただ事ではないらしいとも感じた。


「……でも、でも、ここには旦那様を迎えに来たのだから……」


 テレサはマニから目をそらしたものの、マニの腕を掴む手にはさらに力が入った。


「……痛いよ、テレサ」

「あっ、ご、ごめんなさいっ」

 テレサは慌てて、マニの腕から手を離した。


 そんなテレサを見て、フフフッ と、笑うマニ。


「……よかった。本気でアンコウのことを思っているんだねテレサ」

「そ、それは、私は旦那様の奴隷だから」


「……演技なのかなぁって思ってたんだ」

「?演技?どういうこと?」

「テレサは、あのモージストっていう従邸副長といい仲になってるんだろ?」


 この状況下で、突然のマニの爆弾投下。


「!!~~なっ!!」


「キスしたり、互いの部屋を行き来してたり、いろいろ聞いてさぁ。アンコウに会ったら、どう説明したらいいか悩んでたんだけど、どうやらほんとに一時いっときの浮気みたいだから、ちゃんと話して謝ればアンコウも許してくれるさ」


 断続的に東のほうから波動の乱れが襲ってくる。

 しかし、テレサの心中は、その波動の乱れに勝るとも劣らぬほど乱れ始めていた。


「なっ!ご、誤解よっ!私、浮気なんかしてないわっ!マニさん、旦那様に説明するって、何を話す気なのっ!」


「いや、アンコウは命の恩人だしさ。さすがに浮気となると話さないわけにはいかないかなって。でもテレサも大事な友達だからね、ちゃんとフォローはするから」


 テレサの顔が真っ青になる。東から襲い来る禍々まがまがしい波動のせいではない。


 浮気がばれたっ、いや、浮気なんかしてないっ!だけど、この人はしたと思っている、何でこの人が、キスをしたとか、部屋の行き来をしたとか知ってるのっ!と、とにかく誤解を解かなくちゃ!

 と、テレサは軽くパニクる。


「マ、マニさんよく聞いてっ、それは誤解だから」

「でもそうだな。まずはアンコウだ。これはとんでもないことになる」


 マニは東の空に湧き上がりはじめたこゆい魔素を見て、さらに表情を引き締める。


「と、とんでもないことって何っ!私浮気なんて」


 そのテレサの言葉の続きを最後まで聞くことなく、屋敷に向かってマニは走り出した。


「!ちょっ!マニさんっ!どこに行くのっ!」





 全力で屋敷の中に駆け込んだマニは、そのままモスカルの元へ。


「あっ!マニ殿っ!これは一体!?」

「わからない。だけど、相当ヤバイのは間違いない」


 モスカルの表情も、真剣そのもの。しかし、この状況では、モスカルたちは自主的に動くことさえできない。


「くっ、とにかくできるだけ情報の収集をします」


 モスカルと会談をしていたワン‐ロンの者たちも、少し前には話が終わっており、すでにこの迎賓館を引きあげた後だ。


「いや、まずはアンコウだ。モスカル、アンコウはどこにいる?」

「い、いや、先ほどの会談でも、そのことは聞いていません。明日には会えるということでしたから」

「そうか、じゃあ、さっきまでここにいたワン‐ロンの者達は?」

「もう、しばらく前に帰りましたが」

「どこに?」


「………おそらく本城の方だと」

「そうか」

 と言って、マニはきびすを返す。


「マ、マニ殿っ!」

「まずはアンコウだっ!」


 足を止め、にらみ合うように互いを見合うマニとモスカル。


「……モスカル。これは本当にただ事じゃないぞ。とんでもないことになるはずだ」


 モスカルは、全身から冷や汗が噴き出し続けている。とんでもないことが起きはじめている、その認識がモスカルにもあった。

 そして、無言のまま、モスカルはうなずいた。


「………マニ殿、あまり無茶はしないで下さい」


 マニも無言でうなずき返し、そしてまた走り出した。

 ちょうどその時、モスカルたちがいた部屋に飛び込んできたテレサ。


「あっ!待って!マニさんっ!」

 マニを見つけたテレサが、マニの後を追って、また走り出す。


「あっ!テレサ殿っ!あなたはここに残って!」


 モスカルが声をかけるも、あっという間に、二人の姿は消えてしまった。

 モスカルにも、この突然の事態になさなければならないことがある。モスカルは、仕方がないと二人を放置することを即断した。



――――波動の乱れはさらに激しさを増していく。


「……くっ、一体何なんだこれはっ!」


 普段穏やかなモスカルが、厳しい表情のまま吐き捨てるように言った。


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