第64話 揺らぐテレサ

 グローソン公ハウルの居城、イェルベン。テレサはその城下町にいた。

 テレサがネルカでアンコウと別れてから約5ヵ月、テレサがイェルベンに来てからも3ヵ月がすでに過ぎている。


 テレサは、イェルベンにあるおおやけの客人用宿泊施設として使われている まるでホテルのような大きな屋敷の一室に滞在していた。


「はぁーっ、」

 と、テレサは憂鬱気ゆううつげに息を吐く。


 テレサに対する周囲の目は冷たい。屋敷で働く奴隷たちや他の滞在客の奴隷たちの中でさえも、テレサを敬遠する雰囲気がある。

 この屋敷において、テレサは微妙な立場にあった。


 というのも、テレサは今でも登記上はアンコウの奴隷なのだが、ここではマニの付き人として滞在を認められていた。

 そして、マニのおまけのような存在として滞在が認められている身なのだが、ここでの正式な客であり、テレサのあるじであるはずのマニがいないのだ。


 マニは、ネルカ並びにその後参加した反乱軍鎮圧戦での戦功が認められ、正式に褒賞を受けている。その実績があったので、このイェルベン訪問に際して、この屋敷での滞在が許可された。


 グローソン公ハウルが、イェルベンに帰還するにあたって、

 マニは、「私も行くぞ、テレサも行こう」と、完全に興味本位で言い出した。


 その頃のテレサは、実質的に追っ手がかかっているアンコウの奴隷であり、その身柄をグローソンに拘束されてもおかしくないはずだった。

 しかし実際には、どのような形であれ、グローソンの関係者がテレサを拘束しようとしてくることは、ただの一度もなかった。


 当然アンコウがいない状況では、テレサは自分一人の力で生活をしていかなければならなかったのだが、主のいない奴隷の身で、どのようにしたらそれが為せるのか、テレサは途方に暮れていた。

 そんな時に、マニからイェルベン行きのお誘いがあったのだ。


 そして、いろいろ考え、かなり不安もあったのだが、テレサには、マニを頼るという選択肢が一番現実的なものに思えた。

 自分自身の身の安全のために、ほかに選択肢がなかったとも言える。


 しかしマニは、このイェルベンの屋敷に着いて一泊もすることなく、

「じゃあ、テレサ、ちょっと行ってくるよ!」

 と言って、姿を消した。


 マニは、ネルカからイェルベンに至る道中で、ある冒険者の一団と仲良くなった。

 彼らの故郷では、未だ反グローソンの武装兵や暴漢たちが暴れ回っているらしく、イェルベンで準備を整え次第、彼らも戦うために故郷に赴くと聞き、

 マニは、「私も行くぞ」と、なったらしい。


 それから3ヶ月、マニもアンコウと同様、まったくの音沙汰なしだ。


「ハァー、どこで何をしてるのかしら。旦那様もマニさんも」


 テレサが、廊下の片隅で何をするでもなくたたずんでいると、


「へへっ、どうかしたのか?ため息なんかついて」

「おねぇさんもヒマそうだね。俺たちもヒマしてるんだよー」

 と、テレサに声をかけてくる男が二人。


 その男らの顔を見て、テレサの眉間にしわがよる。この客人宿泊用の屋敷には、今現在、15組ほどの宿泊者がいる。

 その滞在理由、身分などはさまざまで、時にはあまり素行がよろしくない者たちもいた。


 テレサの身長は160cmの半ばほどか、明るい栗色の長い髪、白人種の白い肌、胸は大きく尻も大きい。太っているのではなく、腰のくびれもちゃんとある。

 30半ばの実年齢だが、見た目では30を超えているようには見えない。良し悪しを問わず、テレサは男を引き寄せる力を十分に持っている。


(……この人たち、確か鶴の間に滞在している地方貴族様のお供の……)


 テレサは、無言で頭をさげて、そのままこの場を立ち去ろうとする。しかし、男たちに腕をつかまれ、止められてしまう。


「……はなしてください。急ぎますので」

「何だよ、つれないぜぇ。話し相手ぐらいしろよ」

「お前、主人に捨てられた奴隷なんだってなぁ」


 やはり男たちは、どこかで今のテレサの境遇を耳にしてきたようだ。主がいない奴隷など、何をしても問題ないとでも思っているのだろう。

 しかも、こんな絡み方をしてくるぐらいだから、テレサが抗魔の力の保持者だということまでは知らないようだ。


「……ご主人様は、いま所用で出ているだけです」

「へへっ、所用だってよ」

「ご主人様がいなくて、寂しいんだろ?なんだったら俺たちが相手してやってもいいんだぜぇぇ」


 これまでにも何度か似たようなことがあったが、この二人の男は、かなり下品な部類らしい。しかし、男二人に囲まれながらも、テレサは冷静だった。


 この男二人は人間族。少し着崩れた文官風の服を着ている。

 腰に短剣を差してはいるが、武器の扱いには長けていないだろうし、抗魔の力も保持していないようだ。


 テレサはこの5ヶ月の間も、ヒマがあるときは、ふり棒を続け、アンコウに言われていた身体の鍛錬も続けている。

 この二人なら、いざとなれば自分の力だけでもどうにでもできると思っていた。


「やめてください」

 それでもテレサは奴隷、そう簡単に貴族のお付きである この二人の男を実力で排除することはできない。


「いいだろうが~」

「もう、やめてください」

「いい尻してるじゃねぇか」

「やめてっ」

「おほぉー、オッパイでけえぇ」

「キャッ!~~っ!」


 そろそろテレサの目元も険しくなってくる。その時だった。


「おいっ!何をしているんだっ」


 作業用の文官服を着た、獣人の男が声をかけてきた。


「あっ、モージストさんっ」


 その獣人の男は、テレサもよく知っている男。テレサに絡んでいた二人組みも、この男のことを知っているようで、「チッ」と舌打ちをしている。


 モージストは、この屋敷の副責任者の地位にある者の一人で、グローソンに仕える一文官だ。

 しかし、文官といっても、モージストのがたいはいい。身長は190cmを越え、服の上からでも筋骨逞しいのがわかる。モージストは、元軍隊経験者の文官なのだ。


 抗魔の力には恵まれなかったモージストだが、その恵まれた体格には、それなりの威圧感がある。


「ほう、あなたがたはキュリツ卿の御従者の方ですね。確か名前は、ログ殿とナグサ殿でしたか」


 まさか自分たちの名前まで覚えられているとは思わなかったのだろう。二人の男は目を大きくして驚いている。


「私はこの屋敷の従邸副長を務めています。モージストです。この屋敷内での平安を守るのも私どもの仕事でして、……」

 モージストが二人の男にさらに近づき、見下ろす。

「………ログ殿、ナグサ殿、このような振る舞いは、キュリツ卿のお顔に泥を塗ることになると思いますが?」


 言葉遣いは丁寧だが、モージストが二人を見下ろす眼光は鋭い。


「な、なにをっ、我らは何もしていないっ」

「そ、そうだそうだ、い、行こう、ログ」

「あ、ああっ」


 二人はスタコラと、その場から姿を消した。



「ありがとうございました。モージストさん」


 テレサがモージストに頭をさげる。


「だめだよテレサ、気をつけないと。ああいう連中はどこにでもいるんだから」

「あ、あの、モージストさん……」

 助けてもらったはずのテレサの様子がおかしい。


 実はこの時モージストは、テレサに諭すようなことを言いながら、すばやくテレサの手を取って、熱っぽい目でテレサを見つめていた。


 獣人モージストの手は、少々毛深く、ごつい。実はテレサがこの屋敷に来てから、一番初めにテレサにちょっかいをかけてきたのは、このモージストだった。


「特に、テレサみたいな綺麗な人はね」

「ちょっ、モージストさん、またそんなことを言って」


 しかし、戸惑ってはいるものの、テレサの反応はあきらかにさっきの二人組みのときとは違う。モージストのアプローチをいなそうとはしているが、テレサの顔は笑っている。

 笑みを浮かべながらテレサがモージストの手をほどく。


「おっと」

 手をほどかれたモージストは、笑っているテレサの前で、肩をすくめて見せた。


「テレサ、今度お茶でも付き合ってくれるかい?」

「ふふっ、お茶ぐらいだったらいいですよ」


 モージストは何か用事の途中だったらしく、そのままテレサに手を振りながら去っていった。テレサも自分の部屋へと帰っていく。


 モージストは下心が透けて見えているが、この屋敷で数少ない、テレサに優しくしてくれる人の一人なのだ。

 モージストはこの屋敷の従邸副長で、それなりの権限を持っている。そんな人物に味方をしてもらえるというのは、ここで生活をしていくうえで大きい。


 その職権を利用して、テレサにアプローチをかけるのはどうかとは思われるものの、決して脅迫じみたことはしてこない。


 テレサも初めは警戒し、拒否感のほうが強かった。

 しかし、獣人モージストは、190cmを越える細マッチョで、なかなかの濃い顔の男前。

 年の頃は40前後で、テレサとも年齢は近く、話も合う。

 女性に対して積極的で、先ほどテレサにしたようにボディタッチが多いが、踏み込み具合、引き際を心得た大人の男だ。


 3ヶ月間、一人で心細く過ごしているテレサが、いつのまにか、そんなモージストに多少惹かれてしまっても責める事はできないだろう。

 テレサはここに来た頃、毎晩アンコウの顔をベッドの中で思い出していたが、いまは五日に一度は、モージストが出てくるようになっている。


 アンコウ………テレサは知っている。ネルカの混乱の中で、アンコウは自分を置いて、走り去って行ったのだということを。

 しかしその時、自分のそばにはマニがいたし、テレサには自分の身を守る術もあり、アンコウが自分を見捨てたとは思っていない。


 怒りや恨みではなく、実は、いまテレサがアンコウに対して持っている一番強い思いは、後ろめたいという感情だった。

 夜、アンコウの顔を思い出していると、テレサは必ず、アンコウがローアグリフォンにさらわれていった あの光景を思い出す。


(私が毒矢を射たせいで、おかしくなったローアグリフォンに旦那様はさらわれた。旦那様は悲鳴をあげてて、血がいっぱい出ていたわ)

 人の良いテレサは、アンコウに対して罪悪感を抱くようになっていた。

(だけど、旦那様は生きているらしい)


 テレサがアンコウが生きていると聞いたのは、このイェルベンの屋敷に来てからだ。誰かグローソンの者が、わざわざテレサに教えに来てくれたわけではない。

 アンコウのことを知る者も、テレサの存在を気にかける者もいないと言ってもよいこの街で、アンコウに関する情報が入ってくる機会などそうはないのだ。


 この街での情報収集能力もないテレサがそれを知ったのは、まったくの偶然のこと。

 テレサがこのイェルベンに来て間もないとき、この屋敷の逗留者を訪ねてきた者の中に、サミワの砦の戦いに巻き込まれた者たちがいた。

 そして、その者たちの会話をたまたまテレサは耳にした。


 その男は、サミワの砦で反乱者たちと戦い、砦が解放されて、すぐにイェルベンにやって来たという。

 その男の自慢げな武勲話の中に、アンコウという名が何度も出てきた。


 驚いたテレサは、男に頭をさげ、自分とアンコウの関係を説明して何があったのか教えて欲しいと乞うた。

 男はなかなかよき人柄の人物で、テレサの事情を知ると、気安くサミワでの出来事を教えてくれた。


 サミワでの数々のアンコウの奮戦活躍、身を挺して守備隊を勝利に導いた立役者の一人であるとまで男は言い切った。


 テレサは神妙に聞いていたが、内心首を傾げていた。どこの誰の話だと、テレサの知るアンコウの為人ひととなりと一致しない。

 しかし、説明されたその人物の外見的特長は、まさにアンコウそのものであった。


(旦那様が生きているっ)


 それはテレサにとって、安堵であり、喜びであった。

 しかし、そのサミワから来た男が最後に話したこと。


「俺も最後の戦いで最前線で戦ったんだが、アンコウ様が単騎で敵方に突っ込んでいくのを見た。そして最後は、そのまま森の中に消えていった」


 それ以降、アンコウの姿は消えたという。その話をテレサとともに聞いていたこの男の友人が、アンコウという男は逃げたんじゃないかと言った。

 すると、サミワで戦った男は血相を変えて怒り出した。

有りえないっ! と。


 アンコウのような勇敢な男が、敵前逃亡などありえないと怒り、アンコウがいなければ自分は今ここにこうしていないだろうと吼えた。男は、友人の男が頭をさげるまで怒っていた。


「それにな、その最後の戦いは、俺たちが圧倒的優位にあったんだ。援軍が到着して、相手は完全に戦意を失っていた。武勲のあげ放題だ。援軍の中には、あのバルモア様率いるダークエルフ部隊もいたんだぞ」


 それを聞いて、友人の男は、なるほど、それは逃げるわけがないなと、納得した。

 しかし、テレサはそれを聞いて、ああ、旦那様は逃げたんだと思った。


 テレサは、アンコウからバルモアの話も聞いている。アンコウは戦場から逃げたのではなく、バルモアから、グローソンそのものから逃げたんだと思った。


 テレサの脳裏に、ネルカでの混乱の際、馬の背でマニにしがみつきながら見た、アンコウがひとり馬に乗り、人の波の中に消えていく映像が浮かんだ。

 あの時と同じようにアンコウは逃げたのだと。


 男たちは、その後すぐ屋敷を引き払い、去った。テレサはそれ以後、今日まで誰にもアンコウのこの話はしていない。


 アンコウは何やらサミワで武勲を立てたらしい。自分は、そのアンコウの奴隷だと大きな声で主張すれば、いまの自分が置かれている環境が改善されるかもしれないとテレサは考えもした。

 しかし、アンコウが逃げていると思われる以上、真逆の扱いを受ける可能性、叛徒はんと所有の奴隷の烙印を押される危険性もあると考えて、口を閉ざした。


 テレサらしい、冷静な判断だ。叛徒所有の奴隷など、行き着く先は生き地獄以外考えられないのだから。


 テレサの悩み、不安は尽きない。


「………もう…誰か助けて…」


 テレサは部屋で、一人つぶやく。





 数日後、モージストは約束どおり、テレサをお茶に招いた。招いたといっても、場所は屋敷のモージストの執務室だ。

 それでも、モージストの軽妙なおしゃべりもあって、ふたりは、あはは、うふふ と、楽しげな雰囲気をつくっていた。


「こんなふうに二人で話しをするのは初めてだね、テレサ」

「そうですね、モージストさん」


 モージストは軍属から文官に転属し、己の努力と才覚で、比較的短い時間で、今の地位まで出世をした男だ。なかなかに才あり、人柄もいい。

 身長190cmを越える威丈夫で、獣人らしいこゆい顔の男前で女にもモテると、テレサはちらりと耳にしたことがある。


 一方、モージストは、顔には屈託のない笑みを浮かべ、テレサとおしゃべりをしながらも、心のうちでは、

 いい女だ。いい肉体からだをしているし、気立てもいい と、テレサに対して抑えきれない下心を持っていた。


 しかし、それは特別変態的なものではない。男が女に持つ、ごく当たり前の欲望だ。

 そして、客観的に見てモージストは、まちがいなく良い男のカテゴリーに分類される人物だし、そのことをモージスト自身も自覚している。


 モージストは夢想する。テレサを連れてきたマニという戦士は帰ってくる気配がなく、本当のテレサの所有者は、行方が知れないと聞いている。

 もしかして、この女を自分のものにするチャンスがあるのではなかろうかと。


 しかも、テレサは抗魔の力を持っている。モージストは抗魔の力に恵まれず、軍属時代は悔しい思いを散々してきた。そんな自分が、テレサのような抗魔の力を持ったいい女を己の所有物にする。

 夢想するだけで、痺れるような快感を覚えてしまう。


 テレサは思う。モージストは間違いなく、自分に気がある。モージストは見栄えのよい楽しい男だ。

 それにここでの社会的な地位もあり、自分に何かあったとき、助けてくれるのでは?自分という奴隷を買い取って、庇護してくれるのでは? と、都合のいいように考えてしまう。



「ああ、テレサきれいだ。君のことを考えると、胸の鼓動が高鳴るんだ。ずっと君の顔を見ていたい」


 モージストのありきたりな臭いセリフ。しかし、そんなセリフが、目に見えない不安にさいなまれ続けているテレサには甘美な響きに聞こえてしまう。


 モージストが、テレサの手を握る。


「あっ、ダメですっ」

 テレサは手を引き、椅子から立ち上がる。

 それにあわせて、モージストも立ち上がり、テレサのほうに移動してくる。


 グッと、テレサの腕を取り、熱い瞳でテレサを見つめるモージスト。


「テレサ、俺は君が心配なんだ。君の力になりたい」

「えっ、あっ、」

 動きが止まるテレサ。


 その機を逃さず、モージストは強引にテレサの唇を奪った。


「!んん~~っ」


 テレサは、初めはもだえていたが、徐々に身体から力が抜け、瞳が閉じていく。

 その変化をモージストも敏感に感じ取る。


「んんっ、『ピチャ』ハンンッ、『クチャ』」


 緩くなったテレサの唇の間に、モージストの舌が割り入ってくる。

(ああ、だめっ、こんなすごいキス……)


 そしてモージストは、さらにテレサを自分のほうに引き寄せようと、テレサの腰に手をまわし、力を籠めた。


「ンンッ!」


………その時、目を閉じているテレサの脳裏に、なぜかはっきりとアンコウの顔が浮かんだ………。


(!あっ!)

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