第62話 身を守るには剣が必要

 結局アンコウは、そのまま娼館を出た。

『ロブナ‐オゴナル』の波動の乱れ、確かに気持ち悪さを感じさせるものではあったが、現時点ではそれほど強いものでもない。おそらく普通の人間族であれば、気づかないのではなかろうか。


 しかし、ここは、ワン‐ロン ドワーフの玉都。

 アンコウが屋敷の帰路についていると、あちこちでドワーフたちが、これは何だと話をし、街全体がざわついていた。

 ただ、ナナーシュたち支配層の者たちと違い、極大豚鬼王ビッグオークの名を口にするものはなく、現時点ではパニックというような状態にはなっていない。


「なぁ、これは何なんだ」

 アンコウが供をするドワーフ戦士にたずねる。

「わからない、こんなことは初めてだ」

 と、戦士も首をかしげている。


 何しろ最後にあったワン-ロンへの極大豚鬼王ビッグオークの侵撃が千年以上も昔の話だ。

 このワン‐ロンに住むものなら、歴史上周期的に繰り返し起こっている極大豚鬼王ビッグオークの侵撃という事実は、ほとんどの者が知っている。

 しかし、その歴史的事実と今起こっている事象とを、すぐにリンクさせる者は少なかった。


 アンコウは急いで屋敷に帰ることはやめた。周囲の様子をうかがいながら、街を歩いてまわった。


 何ともいえない気持ち悪さを感じ続けていたアンコウだったが、次第に街は落ち着きを取り戻していく。

 皆が違和感を感じなくなったわけではない。ただ、多くの者たちは危険はないようだと自己判断をしたのだろう。


 そうこうしているうちに、『ロブナ‐オゴナル』の波動の乱れは次第に収まり、本格的に街はいつもの喧騒を取り戻していく。


「おい、アンコウ。いつまでこんなふうにうろついているつもりだ」


 この供のドワーフ戦士は、まったくアンコウのことをこの里の統治者たるナナーシュの客扱いはしない。

 このドワーフ戦士程度の地位では、ナナーシュとの直接的な関わりなどなく、アンコウに対する気遣いも少ないようだ。


「うるせぇ!だまってろっ。気に入らないんだったら、お前一人で帰れっ!」

 怒鳴るアンコウの顔色はひどく悪い。


 アンコウは少々考えすぎたようだ。危険を感じてしまったとき、臆病者はマイナス思考に物事を考えることを止められなくなることがある。

 アンコウの心は不安にとりつかれつつある。


「チッ!」

 鋭い舌打ちを打ったのは、とものドワーフ戦士。


 このドワーフの戦士は、この程度の違和感では恐怖を感じたりはしない。ドワーフ戦士の目には、アンコウは情けない男に映っているのだろう。

 娼館で女たちの卑猥な声が響く中、お供をさせられたことも、このドワーフ戦士をイラつかせている原因の一つかもしれない。


 ドワーフ戦士のアンコウを見る目が鋭く尖る。

 朝、屋敷に居たときのアンコウなら、こんなふうに睨まれたところで、右から左に受け流したのだろうが、今の不安に取りつかれつつあるアンコウは違う。


「な、なんだよ」

 得体のしれない不安感が、けっして敵ではないドワーフ戦士に対してすら、おびえを感じてしまうほどにアンコウは敏感になっていた。


 赤鞘の魔剣との共鳴を繰り返すことにより、この半年ほどの間で、通常時においてもアンコウの抗魔の力はかなり増強されている。

 しかし、仮にこのドワーフ戦士相手と戦ったとして、共鳴なしでは確実に勝てるか微妙だ。


 アンコウは、いま自分の腰にある剣は、あの赤鞘の呪いの魔剣ではないことを思い出した。

(共鳴さえできれば、俺はもっと強くなる)

 自分の心の中に生じた怯えを無理やり押さえつけるように、ドワーフ戦士をギラリとにらみ返すと、アンコウはきびすを返して走り出した。


 アンコウが目指す先は、金色の剣と銀色の盾が交差している看板を掲げている店、ログレフの店だ。

 今あの剣は、強化するために、ログレフの店に預けてある。

(半月で出来ると言っていた。もう二週間が経つ)


「おいっ、アンコウ!どこに行くんだっ!待てっ!」


 ドワーフ戦士が制止するが、アンコウは走るスピードを落とさない。


「もうできているはずだっ」


 実はアンコウ、今の今まで、預けた剣のことなど、ほとんど気にかけていなかった。いろいろと文句を言いつつも、このワン‐ロンに来て、かなり気抜けしていたらしい。


 別に、御供の不愉快なドワーフ戦士をどうこうするつもりはないアンコウだが、先ほどまでの得体の知れない波動の乱れ、この程度のドワーフ戦士一人に睨まれて、怯えた自分、

(力がなけりゃあ、この世界は生き残れないっ)

 という当たり前のことを思い出した。


「剣だっ、剣だっ、この剣じゃないっ、あの剣がいるっ」


 それにアンコウは収まったとはいえ、先ほどまでの波動の乱れのことを決して軽視していなかった。


(あれは何か、やばい感じがするっ)


 やべぇやべぇと、取り乱した様子でアンコウは、すでに落ち着きを取り戻したワン‐ロンの街を激走する。

 まわりのドワーフたちが自分を見る冷めた目を気にすることなく、アンコウは走った。


「剣だっ、あの剣を取りに行くぞっ!」


「ねぇお母さん、あの人間なぁに?」

「しっ!見ちゃだめよっ!」


「おいっ!待てえぇ~、アンコウー!」


  必死にアンコウの後を追いかけるドワーフ戦士。ドワーフ戦士は足が短い。

 ドワーフ戦士の視界に映るアンコウの姿が、どんどん小さくなっていった。





 武具屋、魔道具屋がズラリと並び、時折、飲み屋や食堂っぽい店も見える賑やかしい通り。

 その大通りから少し横道に入ったところに、金色の剣と銀色の盾が交差している大きな看板を掲げている店がある。それが、白髭の魔工匠ログレフの店だ。


ガラランッ!

 と、その店の扉が勢いよく開けられた。

そこには、ぜぇっ、ぜぇっ、ぜぇっ、 と、肩で息をするアンコウが立っていた。


「ロッ、ログレフさんっ!!剣を返してくれっ!!」



・・・・・・・・・・・・・・・・



「………どうだ、アンコウ。少しは落ち着いたかの」

 白髭の親方ログレフが、ぶっきらぼうながら穏やかにアンコウに話しかける。


「………ああ、すまなかった。みっともないところを見せたよ」


 アンコウは店のカウンターの前、出してもらった椅子に座り、これまた出してもらったお茶をすすっていた。


「………さっき妙な乱れた波動が続いただろ。あれが変に気にかかってしまって、気づいたら、多分ちょっとパニクってたんだと思う……騒がせた」


 アンコウは一息ついて、だいぶ落ち着きを取り戻していた。


「いや、気にすることはない」

 ログレフはまったく表情を変えない。

 しかし内心では、

(この人間、かなり勘が鋭いようだの。そうでなければ、共鳴なぞできぬか)

 と、思っていた。


 ログレフは、ナナーシュらと同様、先ほどワン‐ロン全体を覆った波動の乱れから、極大豚鬼王ビッグオークの侵撃という歴史上の事実を連想していた。


 いま店の中にいるのは、アンコウとログレフの二人だけ。

 お目付け役のドワーフ戦士は、途中でアンコウを見失ったようで、今ここにはいない。


「さっきも言ったが、預かっていた武具の強化はできておる。カルミのメイスのほうもな」

「あ、ああ」

「持ってくるから、もうしばらくここで待っておれ」

「わかった。茶をもう一杯もらうよ」


 落ち着きを取り戻したアンコウは、さっきまでの自分の取り乱した姿を思い、さすがに少し恥ずかしいのか、頭をボリボリと掻き続けていた。


 しばらくすると、ログレフが大きめの包みを片手にぶら下げて戻ってきた。


「……ログレフさん、さっきは騒がせて、」

「しつこいのぉ、それはもういいわ」

「あ、ああ」


ドサン と、ログレフがカウンターのうえに包みを置く。


 決して小さくはない包みだが、ログレフは先ほど、預かっているアンコウとカルミの武具を、両方とも持ってくるといっていた。だとすれば、この包みの大きさでは小さすぎる。


「………小さくないか?」

「ああ、お前の武具の鞘も、カルミのと同じく魔具の鞘に変えた」

「へぇ、それでか」


 ということは、あの特徴的な赤い鞘はなくなったということだ。しかし、アンコウはあの赤鞘に特別な思い入れはまったくないため気にしない。


 カルミ愛用のメイスは、重厚で、その長さはカルミの背丈以上ある。

 しかし、通常時は小型の魔具鞄を特別に改良したようなものに収められており、柄の部分だけがそこから突き出ている状態で、カルミはいつも持ち運こんでいた。


(あれは便利そうだったからなぁ)

 アンコウの心の中で、子供っぽいワクワク感が膨らんでいく。


「見てもいいかい?」

「ああ、確認してくれ。わしにとっては、懐かしき過去の駄作の手直しじゃ、なかなかに力が入った出来じゃぞ」

 ログレフが満足げに言う。


 アンコウの魔剣の手直しは、アンコウと呪いの魔剣との共鳴を維持するという制限があった。

 そのために、今のログレフの魔工匠としての技量を存分に発揮できる作業とはちと違ったものの、その制限の中で、ログレフ自身、納得のできるものに仕上げることができたようだ。


 アンコウは包みの結び目をほどき、カウンターの上に広げる。


「おおっ」

 と、自然とアンコウの口から声が出た。


 ひとつは、小さな鞄状のものの口から、にょっきりと見覚えのある柄の部分が突き出ている。これはカルミのメイスだ。

 預ける前と、形状に変わりはないが、色艶の輝きが増しているように見える。


 もうひとつのほうはカルミの魔具の鞘と比べると、口の部分が大きく、長方形の綺麗な装飾がなされた袋のようだ。

 こちらがアンコウの魔剣なのだろうが、カルミのメイスと違い、その突き出ている柄が以前とずいぶん変わっている。


(………これがそうなのか)


 突き出た柄は丸いポール状で、不思議な光沢のある何かの皮のようなものが、グルグルと巻きつけられている。その丸い柄のお尻の部分には、金属製の石突のようなものが付けられていた。

 また、柄の部分には、ガードであろうカギヅメ状の赤い金属が取り付けられていた。


 アンコウはそっと手を伸ばし、柄の部分を握る。


「うおっ!」


 アンコウの手を通して、流れ込んでくるこの感覚、まちがいなく今や随分と使い慣れた相棒の感覚だ。

 しかし、前と大きく異なっている点、それは、


「どうじゃなアンコウ。それだけで強化されているのがわかるだろう」

「……あ、ああ、流れ込んでくる力が、あきらかに熱く強くなってる……すげぇ、こんなにかよ」

「そうじゃろうて。もともとの素材の金属は、親父殿が練成した一級品よ」

「……抜いてもいいかい?」

「もちろんじゃ」


 アンコウは一度大きく息を吸い、ゴクリとのどを動かして唾を飲む。

 アンコウは柄を持つ腕に力を籠め、一気にスラリと剣を抜く。その強化されたアンコウの魔剣が姿を現す。


 その姿、一言でいえば美しい。それは芸術作品のようだった。

 現れた金属部分のすべてが、赤い妖しげな光沢を纏っている。


「お…おお……おおお……」

 唸り声をあげ、目を丸くするアンコウ。


 ログレフは、白い豊かなヒゲをしごきながら、見たかといわんばかりのドヤ顔で、威風堂々構えている。


 アンコウの右手によって掲げられた赤い刃。

 穂先には、あらゆるものを突き通さんばかりに、鋭く尖ったスピアーヘッド。

 柄の半分ぐらいまで、ランゲットが伸びてきており、その終わりの部分にも小さなつばが、ぐるりと取り付けられている。


 そして最も濃く赤い輝きを放っているのはやいばの部分。ポールにしっかり接合されたスパイクを基点にして、扇型に広く厚みのある刃が広がっていた。

 その感触、その重み、なんともいえず、アンコウの手に馴染む。

………しかし、何かがおかしい。


「お…おお……おわあぁぁああ」

 アンコウの体が、プルプルと震え始める。

…………アンコウはそのおかしさに、一目見たときから気づいていた。


 アンコウの赤鞘の呪い魔剣は、ワン-ロンでも一流の魔工匠ログレフの手により強化された。

 しかしその際、アンコウの呪いの赤鞘の魔剣は、赤鞘を失い、魔具の鞘袋に変わったのみならず、

………魔剣は魔剣ですらなくなっていたのだ・・・・・・・・・・・・・・・・・


「……お…お……おのじゃねえかあぁぁあーっ!!」


 アンコウの絶叫が店内に響く。


「そうじゃよ、片手持ちの戦斧バトルアックスだ」


 ログレフ、あっさり肯定。アンコウ驚愕。

 アンコウの呪いの魔剣は、呪いの魔戦斧になっていた。


・・・・・・・・・・・アンコウは、斧など、農奴をやっていた時に木を切る時にしか使ったことがないというのに・・・・・・・・・・・・・

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