第61話 不快な感覚

 何者かによる干渉が原因と思われる、魔工装置『ロブナ‐オゴナル』の不具合はしばらく続いた。


 その間に、ロブナ祭殿の大広間にはナナーシュの家臣団に属するワン‐ロンの大物たちが次々とやってきて、現場対応がなされると同時に臨時の緊急会議も行われた。

 その集まった者たちの中には、ボルファスやミゲルらの姿もあった。


 そして、皆でさまざまな対策を講じているとき、何の前兆もなく不意に『ロブナ‐オゴナル』は落ち着きを取り戻した。



「ナナーシュ様、残念ですが、この落ち着きは一時的なものに過ぎぬと考えられたほうがよろしいかと」


 ボルファスが厳しい顔のまま言う。ナナーシュも深刻な顔でうなずく。


 『ロブナ‐オゴナル』に対する干渉が行われていることに確信を持っていても、ナナーシュも、この場にいる他の者たちも、即時それを防ぐ手段は思いつかない。

 その干渉による影響は、ワン-ロン全体に広がるほど大きかったが、どこで誰の手でなされていたかを現時点で実際に確認することはできていない。


 ただ、ワン-ロンの歴史上において、約千年に一度の頻度で、同じように『ロブナ‐オゴナル』の力に直接干渉してくる 災害というべき事象が起きている。

 その事象が最後に起こったのは、1200年ほど前であり、その時のことを直接知る者は当然いない。


 しかし、歴史の記録によれば、そのいずれもが、『ロブナ‐オゴナル』の力に干渉しうる特異な能力を持つ極大豚鬼王ビッグオークによるものだ。


 過去に、このような干渉が為されたとき、最終的には、このワン‐ロンが存在する階層全体に施された空間防壁を突破され、いずれもこのワン‐ロン階層内に極大豚鬼王ビッグオークの侵入を許してしまっている。

 それはつまり、必ず起きることはわかっていても、事前にその災害を予知し、未然に防ぐことは、かなり難しいということだ。


 ワン-ロンにとって極めて重要な不可避の災害ともいうべき極大豚鬼王ビッグオークの侵入については、ナナーシュもいやというほど聞かされている。


 アフェリシェール大陸の魔獣の中でも、最強クラスの力を持つ極大豚鬼王ビッグオーク。その個体としての強さは、誰も否定することはできない。

 しかし、ワン‐ロンはドワーフの玉都、ドワーフはエルフに次ぐ優勢種族であり、その中でも優れた力を持つ者たちが多く集まっている都市だ。


 いくら極大豚鬼王ビッグオークが突出した強さを持つ魔獣だといっても、一匹ならば、ワン‐ロンとして対処不可能な相手ではない。

 問題なのは、この事象が生じたとき、過去いずれの時も、その特異な極大豚鬼王ビッグオークは、他の多くの魔獣を引き連れてやってきたということだ。


 ボルファスが厳しい顔つきで言う。

「ナナーシュ様、これが極大豚鬼王ビッグオークの侵撃の前兆だとすれば、奴らを撃退するための軍団戦の準備をする必要があります」


 ナナーシュが瞑目めいもくして言う。

「………ええ、住民の避難の準備もね」


 続けて、他の者が首を振りながら言う。

「しかし、ナナーシュ様、問題がございます。

 記録によると、過去にあった極大豚鬼王ビッグオークの侵撃、そのいずれの時も、このような『ロブナ‐オゴナル』への干渉があった後、直ちに奴らの侵入が始まったとされるものもあれば、『ロブナ‐オゴナル』への干渉のみが、数年もの長期間続いた後に侵入が始まったとされるものもございます」


 明日ある戦いに対する対応と、数年先にある戦いに対する準備、そのふたつは当たり前であるがまったく違うものになる。


 数年先の戦いを想定した動きでは、明日の戦いに間にあうわけがないし、また明日の戦いに対する備えを年単位で維持できるわけがない。

 住民を年単位で外地に避難させれば、それはもう避難ではなく移住だ。

 その両方を想定して、短期間で万全の備えをすることは極めて難しい。


 簡易の会議卓に座る者たちの表情は一様に暗い。その周囲に居並ぶ者達も同様だ。

 みなのまわりに、強烈な不安と緊張感が漂っていた。


 魔工装置『ロブナ‐オゴナル』への干渉が始まった時より、すでに数時間が過ぎている。

 すでに、この大広間の中にカルミの姿はない。『ロブナ‐オゴナル』の波動が落ち着き、みなの話し合いが始まった時点で、カルミはこの祭殿から去っていた。





 ミゲルが手をヒラヒラと振りながら部屋を出て行って小一時間ほどが過ぎた。アンコウはまだ、そのまま自分の部屋に居た。

 アンコウが ズズゥーッ と、何杯目かの茶をすする。


「………まっ、ミゲルの言うとおり、たしかに気分転換は必要だな」


 アンコウはカップを置き、身支度を整えると部屋を出た。

 そして廊下を歩いていると、アンコウは声をかけられた。


「お出かけになられるんですか?」

 アンコウが、乳を揉みしだいたドワーフメイドだ。

「ああ、ちょっと娼館にね」

 

 メイドの顔に、今まで以上の侮蔑ぶべつの色が浮かぶ。もうアンコウに対する悪感情を隠すのはやめたようだ。


「……こんな真昼間から」

「昼間のほうが安いんだよ、デイサービスだ」

 そんな割引制度はない。

「それに俺は明るいところで抱き合うほうが好きなんだ。あんなとことか、こんなとことか、いろんなところがよく見えるからな」

 アンコウは歩きながら言った。


 アンコウを見るメイドの目が、さらに厳しいものになる。しかしアンコウは、そんなことは全く気に留めてない。


「お前も明るいほうが監視しやすくていいだろ。まぜてくれって言ってもまぜてやらないからな」

「!~~!」

 バギィィ と、噛みしめたドワーフメイドの奥歯が鳴った。


「わ、私はいきません。こ、今後外出するときは、別の者がつくことになりました。ですから外出するときは、必ず行き先と用件を事前におっしゃってくださいっ」

「そっ。じゃあ、俺はこれから、おしろい臭い無駄に派手な街に行って、変な穴に変な棒を突っ込んでくるよ」

「!!~~!!」


 ドワーフメイドは姿を消した。そしてアンコウは歩き続ける。


 スタスタと、アンコウはそのまま屋敷の門をくぐる。

 だが、やはり一人で自由に行動することは許されないようで、先ほどのメイドが言っていたように別の者が一人アンコウの後ろについてきていた。


 チビ、ヒゲ面、ダルマ体型、ドワーフの男だ。兜はつけていないものの、しっかりと鎧を身につけ、身の丈にそぐわぬ長剣を腰に差している。

 そんなに高い地位にあるとは思えない男だが、この男がアンコウを見る目にも、蔑みの色が見えた。


(こいつもか………まっ、ついてきたけりゃついてくりゃいいさ。女連れでいくよりは、マシってもんだ)


 アンコウが滞在していた屋敷は、ワン‐ロンの権力者階級にある者達が住んでいる地区にある。そのような地区に色町はない。

 アンコウは力車をひろい、市場が近く、商人が多く活動する地区にある色町を目指す。


 ワン‐ロンではドワーフ以外、利用できない色町もあり、間違えて人間のアンコウがそんなところに足を踏み入れたら、問答無用で叩き出されかねない。

 その点、商人が多くいる地区では、ワン‐ロン側の許可を得て、外地より来ているドワーフ以外の種族の者もおり、くるわの敷居も低い。





「ウフフ~、お客様もこんな昼間っから好きねぇ~」


 すでに、上半身は何も身につけていない女が言う。

 アンコウは、金は十分に持っていた。到着した色町でも、かなり高級感が漂う娼館を選んで、アンコウは入った。


 アンコウの目の前にいる女はドワーフ。この街で、他種族の者がドワーフの娼婦を買おうと思うと、かなり高くつく。

 女は140cmを少し越えているほどであろうか、細身だが胸は大きく、どことなくアンコウが乳を揉んだ屋敷のメイドに似ていた。


 アンコウが、どういう心理でこの女を指名したのかはわからない。ただ、欲望の声に従ったのみだ。

 アンコウが案内された部屋は、かなり清潔感のある部屋で、アンコウも不満はない。


「夜になったら、贔屓ひいきの客が来るんじゃないのか?昼間じゃなかったら、あんたみたいなキレイどころ、つかまらないだろ?」

「まっ、言うわねぇ」


 さすが娼婦。その心の内はどうあれ、ドワーフであっても、人間であるアンコウに対する差別意識など見せない。アンコウにとって、それは心地よくはあったが、少し不満でもあった。

 お高くとまっている女を組み敷く快感。頭の中に、あの屋敷の高慢なメイドの姿があったからだろう。


 そして、アンコウは手早く着ているものを脱ぎ捨て、籠の中へシワにならないように入れる。

 女と同じくベッドの端に座ったアンコウ。


「ふふっ、もうこんなになって」

「あうっ!へへっ」

 アンコウはグイッと女を抱き寄せた。

「ああんっ」


 女はアンコウの胸の中から、見上げるようにアンコウを見る。アンコウのほうも、じっと女を見ていた。


「?お客さん、どうしたのぉ」

「………前に、どこかで会ったことがなかったかな?」

「……?お客さん、この街、初めてなんでしょ?」

「……ああ、そうか。あんた、夢の中で見た女神様に似てるんだ」

「も、もうっ、なに言ってるのよぉぅ」


 ベッドの上では、アンコウもこの女も、少し頭が悪くなるようだ。

 アンコウが優しく女を押し倒し、女の足がアンコウに絡みつく。


 アンコウの護衛という名の、監視役のドワーフ戦士は、アンコウと娼婦が抱き合う部屋の外、扉のすぐ近くに立っている。


 アンコウが、『お前も遊んでいけよ、お代は出すから』と言ったが、それを断り、アンコウを監視する仕事を続けている。

 この娼館の壁も扉も、そんなに厚くない。アンコウと女の普通の会話も、そんなところに立っていれば聞こえてくる。


 アンコウたちだけでなく、他の客や娼婦たちの卑猥な会話や嬌声も、『いや~ん、あはあ~ん』と、廊下に響いていた。


(……早く帰りてぇ)

 厳しい顔つきで立っているドワーフ戦士ではあるが、先ほどから心の中で嘆き続けていた。


………


「ああっんん~~っ」


 久々のお楽しみだったとはいえ、少し時間をかけ過ぎたかとアンコウは思う。

 そしてついに、アンコウが女のからだに割り入ろうとした その時、

「!!」

 アンコウの体の動きがピタリと止まった。


 何か異様な違和感を感じた。それほど強い感覚ではない。しかし、何とも言えない気持ちの悪い感覚。


「あうんんん~~っ…えっ!?」

 ドワーフ女も、アンコウと同様に何かを感じたらしい。


「な、なにかしらこれ」

「………さあな」


 女も体を起こし、アンコウの目つきも鋭くなる。


 それは例の『ロブナ‐オゴナル』の波動の異変がはじまった時間だった。


 通常時なら、『ロブナ‐オゴナル』の波動を感じ取る者などほとんどいない、感じ取れてもそれは決して嫌な感覚ではない。

 しかし、この乱れた波動はまったく違った。


 まだそれほど強くなかった時点でも、このワン‐ロンに居る多くの者に何ともいえない違和感と不快感を感じさせた。


 『ロブナ‐オゴナル』の乱れた波動は、アンコウの乱れた行為の邪魔をした。


「チッ、いつまで続くんだ……気持ち悪りぃな………」


 アンコウはこの手の感覚がかなり鋭い。

 ついさっきまでの、妙なフェロモンが混じったような男臭い汗は止まり、アンコウの背中に冷たい汗が流れ落ちはじめていた。

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