第52話 怖い豚が追ってくる
心臓を鷲づかみにされるかのうような
そのアンコウの視界に映ったもの、振り返ったアンコウの視界の先には、空間の歪みの中から、完全に抜け切った状態で立つ オークの巨体があった。
ブホホオォォーンッー!!
全身にかかっていた強烈な圧迫感から開放されたオークが天井を見上げ、歓喜の
まるで小山のような体躯のテッペンにのっかっている凶悪なオークの
ブホオォッッ!!
オークは走るアンコウたち3人のほうを
ドザンッ!
と、獣毛に完全に覆われた足を踏み出した。
ドンッ!ドザンッ!ドンッ!ドザンッ!ドンッ!ドザンッ!
「ヒイィィッ」
(やべえぇっ、マジかっ)
アンコウは必死で走っているものの、相変わらずカルミたちより後ろを走っている。
(このまんまじゃ、俺が真っ先に食われるじゃねぇかっ)
「カルミっ!!カルミっ!!」
アンコウは走りながら、必死の大声でカルミを呼んだ。
アンコウの呼ぶ声に反応して、カルミがちらりと後ろを見る。
「ん?アンコウなに!?」
「ナ、ナナーシュをこっちに寄越せ。重いだろ?代わってやるっ!」
「大丈夫、おもくない」
「ぐっ、い、いいからっ!子供を守るのは大人の仕事なんだっ!だからその子は俺が運ぶっ」
そのアンコウの言葉を聞いて、カルミはわずかに首を傾げたが、
「…んっ、わかった!」
と言うと、カルミは走る速度を落とし、アンコウに近づいていった。
そしてアンコウとカルミは走りながら、ナナーシュをカルミからアンコウへと受け渡す。
「………よ、よしっ」
「あ、あの、」
アンコウの肩に担がれたナナーシュが何か言いたげに声を出すが、アンコウにナナーシュにかまっている余裕などまったくない。
ドンッ!ドザンッ!ドンッ!
と、どんどんとオークの巨躯がアンコウたちに近づいてきているのだ。
「よしっ!カルミ、俺たちが前を行く。カルミ、お前は後ろを頼むぞっ。フォーメーションツーだっ!」
アンコウは、カルミと二人、この3日間に渡る迷宮での戦いの中で自然と生まれたフォーメーションツーを発動した。
このフォーメーションにはいくつかのパターンがあるのだが、そのすべてにある共通する点がある。
それは、カルミが前線で戦い、アンコウは安全圏で待機。あるいはごっつあんゴール的な感じで時々戦うこともあるよ、というものだ。
「うんっ、わかった!」
「えっ!?」
カルミはあっさりと了承し、アンコウの肩に担がれているナナーシュは驚きの声を漏らす。
するすると走る速度を落として下がっていくカルミをアンコウはちらりと見て、ニコリと笑みを浮かべながら言う。
「カルミ!前から来る敵は俺に任せろっ!」
そのアンコウの言葉にカルミも答える。
「うん!アンコウ、後ろはまかせろっ!」
なかなかふたりの息はあっている。
ただ、アンコウたちが走る前方に敵の姿はなく、後ろには凶悪な波動を撒き散らしながら、巨躯のオークが迫っていた。
アンコウの肩に担がれているナナーシュの頭はアンコウの背中側にある。
少し顔をあげれば、迫り来るオークの姿も、するすると下がっていくカルミの姿も彼女にははっきりと見えている。
「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ!あなたどういうつもりっ!」
ナナーシュがアンコウに抗議の声をあげる。
カルミはアンコウの指示に何の
しかしアンコウは、ナナーシュの抗議の声に答えを返すことなく、全力で走り続ける。
ナナーシュの目には、カルミとオークの距離がどんどん縮まっているのが見える。
「止まってっ!このままじゃあの子が、カルミがオークに追いつかれるっ!」
ナナーシュは、アンコウの肩の上で大きく身をよじりながら叫んだ。
「チイッ!暴れるなよっ、走りにくいだろうっ!」
「なっ!あんな子供を一人であのオークと戦わせる気なのっ!」
(くそっ、うるさいガキだなっ)
「俺とカルミの戦い方ってものがあるんだよ!ちょっと黙ってろ!」
アンコウにそうは言われても、ナナーシュは納得ができないようだ。
「お、降ろしてっ。私もいくわっ!」
(ったく、うだうだと)
「人に担がれているやつが何言ってんだ!お前はまだ、思うように体を動かせないんだろ!カルミの足手まといになるだけだっ」
「でも、でもっ、」
ナナーシュには、アンコウがカルミを犠牲にして自分が逃げる時間を稼いでいるようにしか見えていない。そして、その認識は間違ってもいない。
「あ、あなたは恥ずかしくないんですか!あんな小さな子を犠牲にしてっ!」
「ぐっ」
アンコウは一瞬言葉に詰まる。
この世界で生きていれば、人の生き死にというものに否応なく慣れていく。
アンコウの中で、元の世界にいた頃と比べれば、随分と人の命の重みというものが軽くなってしまっている。
しかし決してアンコウは、人の心を捨て去った
それどころか、変わることなく実に人間らしい利己的で常識的な外面を気にする小心な心も、アンコウはしっかりと保持している。
6歳の童女をおとりにして保身を図る行為が、恥ずかしいのか恥ずかしくないのかと聞かれれば、恥ずかしいに決まってるだろと、口には出さないがアンコウも思っている。
しかも、
それでもアンコウは、自分の行動を変えることはしない。そんな常識や道徳よりも、自分の命が大事。
アンコウは、その程度の恥ずかしさのために自分の命を捨てるつもりはない。
「お、俺たちには俺たちに戦い方があるって言ってるだろ!何にも知らないお荷物が勝手なことを言うなっ!」
「で、でもっ!」
「大体あのデカ豚を連れてきたのはお前なんじゃないのかっ!」
「!そ、それはっ~~!」
今度はナナーシュが口ごもる。
そうなのだ。あの
自分が、この人たちを巻き込んでしまったという自覚がナナーシュにはある。
「~~で、でもっ~~」
ナナーシュの声が震える。
「~~あんな小さな子をおとりにするなんて~~」
申し訳なさと情けなさで、ナナーシュの声と体が震える。
そのナナーシュの声と体に現れた彼女の心の震えが、アンコウの中で自身の生存欲よりもかなり小さくなっている良心というものを、チクリチクリと刺激した。
「ひ、人聞きの悪いことを言うなっ、こ、これも作戦だっ!い、いいかっ、俺はカルミより弱いんだよっ!強いやつが最前線に立つのは当たり前だろうがっ!」
アンコウが、思わず叫ぶように言う。
「えっ、」
事実とはいえ、大声で大の男が6歳女児より俺は弱いと宣言するのは、さすがのアンコウもくるものがあるらしい。
「~~~~っ」
言い終えた後のアンコウは、なんとも言えない顔をしている。
カルミには半分ドワーフの血が流れている。アンコウに言われて、ナナーシュもドワーフと人間の間にある種族的優劣性というものに思い至る。
それに、目の前に映る身の丈ほどもあるメイスを片手に走るカルミのあの動き、少し冷静に見れば、カルミのあの動きはドワーフの常識で言っても6歳の童女ができるものではない。
「………あの子、強いの?」
「ああ、俺よりも…ずっとな……」
事実としてカルミはアンコウより強い。しかしアンコウは、カルミがひとりであのオークを屠る力を持っているとも思っていない。
ブホオオォッ!
オークが太っとい腕の先、巨岩のような拳をカルミ目がけて叩きつける。
ドガアァンッ!
カルミに避けられたオークの拳が、地面をえぐりクレーターをつくる。
オークの拳によってえぐられた岩土が周囲に飛び散り、アンコウたちにも襲いかかる。
「キャアァッ!」
自分のすぐ横を飛び過ぎて行った 自分の頭よりも大きい岩に驚き、ナナーシュが悲鳴をあげた。
アンコウは走る速度を落とすことなく、そのまま大きい岩影に飛び込んだ。
ズザアザァァーッ!
アンコウは地面を滑りながら、担いでいたナナーシュを放り出すように降ろしつつ、身を隠す。
ゴンッ!ガンッ!ゴンッ!ガンッ!
岩壁にブチ当たる大小の石の音。
「チイィッ!」
そして、石が岩壁に当たる音が聞こえなくなるのを確認してから、アンコウは岩壁の影から様子を覗き見た。
「ウゴォアッ!」
ゴオッガンッ!
「ブモモォォッ!」
ドォンッ!
「タアァァーッ!」
ボゴォンッ!
「!!……あいつ、マジか」
カルミの戦闘力の異常性には初めから気づいていたアンコウだが、
(
思っていた以上だと、ビビるってことを知らないにも程があると、自分がそうなるように仕向けたにもかかわらず、アンコウは驚き呆れ、その戦いに見入ってしまう。
「ブゴォアッ!」
ドオッガンッ!
「ブモォォーッ!」
ドオォッ!
「ヤアァァーッ!」
バゴォンッ!
しばしの間、カルミとオークの戦いを見ていたアンコウの口から、また「チッ」と、舌打ちが漏れた。
(……さすがにムチャだな)
カルミの戦闘力の高さには、この3日間を通してアンコウは驚かされつづけた。
今もまた、アンコウが初めてお目にかかる中級クラスのオーク相手に臆することなくやりあっている。しかし、眼前の巨躯の
戦いが続くにつれて、あきらかにカルミは守勢に回りつつある。
(地力の違いだ)
このままいけば、時間とともにオークが優勢になることは間違いないとアンコウは見た。
そして、アンコウの後ろで、カルミとオークの戦いを見ているナナーシュも同様に感じたらしい。
(な、なにあの子っ。肉弾戦であのオークとまともに戦えるなんてっ……で、でも、このままじゃっ)
この12歳のドワーフの少女は、年齢によらず、なかなか戦いを見抜く目を持っているようだ。
ナナーシュはアンコウに問いかける。
「ね、ねぇっ、あの子。精霊法術は使えないのっ!?」
妖精種に属するドワーフは皆、生まれた時から抗魔の力を有し、人や獣人と違い、その抗魔の力を源とし昇華させた精霊法力をも有する。
その精霊法力をもって、精霊法術や魔工の術は具現化される。
「カルミは放出攻撃型の精霊法術は使えないらしい。魔工は多少出来るみたいだけどな」
カルミは持って生まれた抗魔の力の大きさに比べて、その力を法術に具現化させるのが得意ではないようだ。
「あいつは半分人間だからな。お前らみたいにはいかないさ」
アンコウはカルミの戦いを見つめながら淡々と言い、それを聞いたナナーシュの表情がさらに厳しいものになる。
ナナーシュは、あれだけの戦いができるカルミが放出攻撃型の精霊法術を使えれば、あのオークに勝てる可能性があるように思えた。しかし、肉弾戦だけでは厳しい。
「言っとくが、俺も使えないぞ」
「で、でもあなたのその力、魔剣と共鳴してるんじゃ」
やはりナナーシュは、戦いに関して、なかなかの知識・眼力を持っている。
アンコウは自分はカルミより弱いと言い、それについてはナナーシュも納得した。
しかしナナーシュは、カルミより弱いとしても、このアンコウという人間もかなりの戦う力を持っていると見抜いている。
「このままじゃ、あの子が、カルミは殺されるわっ」
ナナーシュのその言葉は、アンコウには、自分にオークとやり合っているカルミを助けに行けと言っているように聞こえた。
するとアンコウは、わざとらしく自分の足を手で抱えるようにし、
「あ、足が痛いっ!」
と棒読み口調で言った。
アンコウを見るナナーシュの眉間にしわがよる。
(何この人っ、さっきからっ)
ナナーシュには、自分が
だから、口に出しさなかったが、アンコウに先ほどからの一連の行動には少なからず苛立ちを感じていた。
強いとは言っても、(カルミはまだ子供だし、あなたの仲間なんでしょっ)ということだ。
アンコウは先ほどから会話をしながらも、ナナーシュのほうにはまったく目を向けていない。ずっと、カルミとオークのほうを見ている。
それでも、ナナーシュが自分に向け始めた負の感情を敏感に感じ取っていた。わかったうえでフル無視をかましている。
アンコウにとってカルミは間違いなく味方であり、アンコウはカルミに何ら悪意は抱いていない。
しかし、アンコウはカルミと知り合ってわずかに3日。カルミを救うために命がけで無謀な戦いに身を投じる理由はない。
ただ、あのクラスのオークを敵にすれば、こんな岩壁の後ろに隠れていたところで、お前の命は風前の灯だという点では、いま直接戦闘をおこなっているカルミも自分も大差はないとアンコウは理解している。
その理解のうえで、アンコウは自分が生き延びるためには何をするればよいのか、何か出来ることがあるのかと必死で考え、脳みそを回転させていた。
そしてアンコウは、ナナーシュの自分に対する苛立ちはまったく無視して問いかける。
「おい、ナナーシュ。お前が出てきたあの空間の歪みの向こうはどこにつながっているんだ?」
「えっ?」
「あそこから外に出られないのか?」
アンコウは、もう随分と距離が離れてしまった空間の歪みのほうを見ながら聞いた。
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