第53話 行動する者、観察する者
「外にはつながってないわ。忘れたの?あの
ナナーシュの口のききようは、
(やっぱり、いいとこのお嬢ちゃんなのか)とアンコウは思う。
「それはわかってる。だけど、お前もこの迷宮の中に住んでいるわけじゃないんだろ」
「ナナーシュよ。お前なんて呼ばないで。アンコウ」
(お前は、いきなり大人を呼び捨てか。カルミといい最近のガキは)
と、アンコウは思うが、いちいちそんなことを指摘することはしない。
種族に家柄、身分差別が当たり前のこの世界では、ナナーシュがドワーフという妖精種のいいところのお嬢ちゃんだとしたら、ただの人間族の冒険者でしかないアンコウが、ナナーシュをお前呼ばわりすることのほうがよほど非常識なのだから。
「………チッ、ナナーシュお嬢様。あんたのお屋敷がこの迷宮の中にあるわけじゃないんだろう」
ナナーシュも、この状況下で、これ以上アンコウに噛みつくことはしなかったが、アンコウの舌打ちと面倒くさげな言いように眉をしかめていた。
「ご機嫌を損ねたんだったら御容赦を、お嬢様。だけど、俺はこの迷宮から出たいだけなんだ。カルミと一緒にあのオークと戦うよりも、カルミと一緒にこの迷宮から逃げ出すほうが上策だろ」
ナナーシュも、そのアンコウの意見に
「……
ナナーシュは、自分がここに至るまでの経緯を手短にアンコウに話しはじめた。
アンコウはそんな魔具の存在は初めて聞いた。
普通、迷宮を稼ぎ場としている冒険者は、どれほど高い能力を持つ冒険者であっても、自らの足で迷宮に潜り、出てくる時も自らの足で戻ってくるもの。
ただ、この
ナナーシュは、その
そこで、あのデカいオークに襲われたらしい。
慌てて逃げ出して、焦って、再び
さらに悪いことには、逃げながら何とか開いた歪みの道に飛び込む際、その
(なんていうか、やらかしていることが実にガキっぽい)
と、そのナナーシュの話を聞いてアンコウは思った。
アンコウは、ナナーシュがこの迷宮に入ってきた理由や聞いたことのない魔具の存在などについて、この場で聞くようなことはしない。
この切迫した状況で聞くようなことではないからだ。そんなことよりも、ナナーシュの話の中でアンコウが一番反応したこと、それは、
「チイッ。それじゃあやっぱり、この階層には外への出口はないのかよ」
「それはわからないわ。私もここに来るのは初めてだから」
固定式の出入り口もあるらしいのだが、ナナーシュはその場所もわからない。
アンコウはいっそう眉を
「……あの歪みの向こう側に、その
「ええ」
「それを使えば、外に出られるんだよな」
「ええ。だけどあなたには使えない。カルミにも」
「………お嬢様なら使えるのか?開くとこ間違って、あのオークに会いにいったんだろ?」
「うぐっ、し、仕方がないでしょ!初めて使ったのよ。次は失敗しないわ!それに里に戻るだけなら、ある程度時間さえあれば間違いなくつなげてみせるわっ」
ナナーシュは少し強い口調で言いながら立ち上がった。
アンコウが、ちらりとそのナナーシュの姿を見る。
精神的ショック状態からも脱し、回復ポーションも効いてきたのか、ナナーシュはもう普通に動けるようだ。
アンコウはずいぶんと離れてしまった空間の歪みのほうに再び目をやり、
「だったら、その
と、言いながら腰を浮かす。
「カルミと3人であの歪みの中に飛び込んで、その鍵を手に入れたら、お嬢様に外につながる道を開いてもらう。それしかないだろ?」
ようやく行動を起こす気になったアンコウは、少し格好をつけながら、ナナーシュのほうを振り返り、キザにニヤリと笑う。
ナナーシュがアンコウのその言葉に、何か言葉を返そうとした瞬間、ナナーシュの視線がアンコウの顔から逸れる。
そして、
「あっ!」
と、ナナーシュが突然驚きの声を出した。
「うん?どうした」
アンコウのナナーシュを見る目が、怪訝なものに変わる。
ナナーシュは目を見開き指差した。ナナーシュの視線も指先もアンコウのほうを向いていない。
アンコウはナナーシュの指先をたどり、
「どうかしたのか?」
と、もう一度言いながら視線をその方向にむける。
「消えたわ………」
と、ナナーシュ。
かなり距離は離れてしまっていたものの、ついさっきまで間違いなく視認できていた空間の歪みが、キレイに消えてしまっていた。
ようやくアンコウが行動をおこす決意を固めたとたん、どうやら時間切れらしい。
「…………………………」
それを見たアンコウは、無言のまま、再びゆっくりとしゃがみこんだ。
(何だよおおぉぉぉーーっ)
アンコウは、そして再び動かなくなった。
(くっ、何もできない)
アンコウはひとり逃げるか、と思ったところで、ここは出口がどこにあるかわからない迷宮の中。
ナナーシュが話した
アンコウはしゃがみこんだまま動かない。
「ああっ!」
と、声をあげたのはナナーシュ。
少し離れたところで戦闘を続けるカルミと
「くっ!」
グッと口を真一文字に結んだナナーシュが動き出す。
ナナーシュはアンコウの横をすり抜け、岩壁の後ろから出て行こうとする。
そのナナーシュをアンコウはちらりと見た。
「……待てよ。どこに行くつもりだ」
ナナーシュがどこに行き、何をしようとしているのか、もちろんアンコウにもわかっている。
「カルミを助けに行くのよっ。このまま見殺しにはできないっ」
アンコウは軽くため息をついた。
「オーク相手に
「うぐっ、せ、精霊法術なら使えるわっ。……回復と支援系だけしか使えないけど」
ナナーシュは、まだ残っていた自分の体のかすり傷に手をあて、精霊法術を発動させる。すると、スウッとその傷が癒えていった。
「へえっ」アンコウは少し驚いた。
「攻撃系はぜんぜんなのか?」
「だめ、使えない……」
「何で今まで自分に回復術をかけなかった?」
「そ、それは、オークから逃げるので手いっぱいで、集中する隙もなくて……」
確かに、あのオークの攻撃を受けながら精霊法術を発動することは
また同じ少女でも、ナナーシュはカルミと違って、こういった実戦戦闘に不慣れなことはあきらかで、とっさに適切な判断をすることができなかったのだろう。
「お前が行って、カルミの役に立つのか」
アンコウは少し鋭い口調で言う。
「くっ、わ、私は行くわっ。あなたは戦う気はないんでしょう!カルミの足手まといにはならないっ!」
ナナーシュの決意は本物のようだ。
アンコウは、ナナーシュの体つきを値踏みするように見て、そして、ナナーシュの目を見る。
このお嬢様は実際の戦闘経験はおそらく乏しい。だけど、それなりの修練はつまされているようだと思った。
どうせこのままでは埒が明かない。アンコウとしては、カルミ以上にナナーシュの命はどうでもいい。
(このガキに動いてもらうのも悪くはないか……)
「ナナーシュ、剣は使えるか?」
「えっ?ええ、少しは」
「そうか」
と言って、アンコウは魔具鞄の中から予備の長剣を取り出す。
「あっと、これは重過ぎるか」
取りだした剣の重みを感じて、アンコウは小さくつぶやく。
アンコウは、その剣を鞘に入ったまま上下に揺すり、重さを確認する。
そこにナナーシュが、スッと手を伸ばし、アンコウの手から剣を取った。
「お、おいっ、ナナーシュ」
「大丈夫よ。重くなんかないわ」
ナナーシュは鞘から剣をスラリと引き抜くと、その場で2、3度、軽く剣を振って見せた。
ナナーシュの動きに鈍さはなく、剣の重さはまったく感じていないようだ。
(……片手かよ。そうだ、こいつもドワーフだったな)
人間の同じぐらいの体格の少女だったら、こんなことは絶対にできない。ドワーフという種族の持つ身体能力の高さをアンコウは思い出した。
ナナーシュは剣を手に再び歩き出す。
ナナーシュはチラリとアンコウを見るが、アンコウの視線はすでに、カルミとオークのほうへと向いていた。
(もう止めないんだ)
ナナーシュは口に出すことなく思う。
本当は止めて欲しいと思っているというわけではない。
ただナナーシュは、今までずっと危険な目にあわないようにと周囲に守られ、善意によるものではあるが、自由に行動することを制限されてきた少女だった。
(少し新鮮ね)
ナナーシュが
その結果ナナーシュは、巨躯のオーク相手に戦う破目になっている。それを思いナナーシュは、自嘲気味な笑みをその口元に浮かべた。
(自分の軽率な行動が原因。死ぬかもしれない)
「………だけど、カルミを見殺しにすることはできないわっ」
ナナーシュはさらに足を踏み出し、岩壁を抜ける直前にアンコウに一言声をかけた。
「………あなたはいつまでここにいるの?カルミは仲間なんでしょ」
「足が痛いんだよ」
アンコウは、ナナーシュの方をもう見ることなくそう言い、申し訳程度に足をさすってみせた。
それを見たナナーシュの眉間に、また深いしわがよる。
(さっき抱えていた足と逆じゃないっ)
「……あのっ」
「チッ!」
まだ何かアンコウに言おうとしたナナーシュの言葉をアンコウの舌打ちがさえぎった。
「!!~~!!」
ナナーシュの顔にあきらかな怒りの色が浮かぶ。
しかしナナーシュは、それ以上アンコウに突っかかることはせず、すぐにアンコウから顔をそむけ、岩壁から出て歩き始める。
(だめだ、この男は当てにならないっ。私がカルミを助けないとっ)
ナナーシュと言葉を交わしているあいだも、アンコウはカルミとオークの戦いを視界に入れ続け、考え続けていた。
そして、ナナーシュは気がつかなかったようだが、ナナーシュが岩壁の影から離れる少し前から、カルミとオークの戦闘を見るアンコウの目の鋭さが増してきていた。
アンコウは少し離れたところで繰りひろげられている戦いに、ある変化を感じはじめていた。
「やっぱり変だ……おかしい……」
カルミと
カルミは会心の痛打を受けることはないものの、時折オークの攻撃をその身に受け、オークの攻撃を避け続けることであきらかに体力を消耗している。
(カルミの息が荒い、動きも鈍くなってる)
「だけど………」
やあぁぁっ、とカルミの気合声が響き、当たりはしないもののカルミもメイスを振るう。
そして、オークの足元が、わずかながらフラリフラリと揺れている。
それを見て、アンコウは首を傾げる。
(オークのほうも体力を消耗している?……おかしいだろ)
オークは初めからずっと動き回ってはいるものの、カルミからそこまでのダメージを受けたわけではない。
本来ならあのクラスのオークが、この程度動いたぐらいで体力をすり減らすなんて考えられない。
「あっ!!」
アンコウはようやく気づいた。
「………魔素かよ…そうかぁ」
アンコウはおもむろに周囲を見渡し、目は鋭いままニヤリと笑った。
「そっか、そっかぁ。あのオークは、薄い魔素の適応能力がそんなに高くないってことか」
ここは迷宮、もちろん魔素はある。しかし今アンコウたちがいる場所は、眼前にいるクラスのオークが通常生息するような濃度ではない。
オーク種の特徴として、その個体による能力や性質の差が大きいということがある。
それは
カルミに襲いかかっているオークは、カルミとの戦闘により体力をすり減らしているのではない。この階層の魔素濃度に対応できず、疲弊しつつある。
あのオークは、魔素濃度の低い場所における耐性能力が低い個体なのだ。
「そっか、そっかぁ。そんなところで元気いっぱい暴れるかぁ?オークの唯一いいところは頭が悪いところだよなあぁ」
アンコウは、前方で激しく戦いを続ける
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