第51話 ナナーシュと豚鬼

 今アンコウたちがいる場所は、周囲一帯にゴツゴツとした大小の岩が転がり、横の幅も天井の高さも相当にある 通路と呼ぶにはあまりに広い迷宮内の空間だ。


「何だ……」


 カルミの視線を追った先、アンコウたちがいる場所からかなり離れた地点に、アンコウも妙な違和感を感じ始める。


「アンコウあれっ」

 カルミが、少し驚きの色が浮かべながら言う。


「あ、あれはっ!」

 アンコウの目が驚きで大きく見開く。

 かなり距離は離れているが、アンコウの目がとらえたもの、

「カルミっ!あそこ、空間が歪みだしてるんじゃないのかっ!」


「うん、池の岩のと似た感じがするよ」


 そう、間違いなく何もない空間に歪みが生じ始めていた。

 まだ距離がかなり離れているため、アンコウはその場所に近づくべきかどうか思案するが、カルミは警戒したまま動き出そうとはしない。


(カルミのやつ、何か感じているのか)


「お、おい、カルミ、」

「!なにか出てきたっ」

「何っ!」


 アンコウは再び視線を空間の歪みが生じたほうへと戻す。

 アンコウが再び空間の歪みを視界にとらえるのとほぼ同時に、その歪みの中から人型の何かが飛び出してきた。


「人かっ!?」

(小さい。子供か)


 アンコウはわずかに間をおいた後、走り出す。

 突然現れたあの歪みから、この迷宮を抜け出せる可能性を考え、慎重さよりも行動することを選択した。


(自分の目で確かめるっ)


 そして、アンコウが走り出したのを見て、カルミも警戒モードを解くことなく、そのアンコウの後を追って走りだした。


 アンコウは走りながら前方の状況を確認する。空間の歪みはそのまま維持されており、今すぐに消滅するという状態ではないようだ。

 そして、その歪みから勢いよく飛び出してきた人型のものは、地面に伏せたままうずくまっている。

 

 アンコウはさらに広い範囲に視線を走らせる。

(今のところ周囲に魔獣の気配はないな)


 アンコウはさらに走るスピードを上げ、わずかな時間で歪みの近くまでたどり着いた。



「……やっぱり子供か」


 アンコウは警戒しつつも足元にうずくまっている子供を見る。

そして、

「まぁた、ドワーフのガキだ」

 と、アンコウ。


 ウ、ウ~と、苦痛に堪えるように声を漏らしている子供を見て、最近妙にドワーフのガキと縁があるなとアンコウは思う。

 ただ、カルミはドワーフと人間とのハーフだ。その容姿には人間風味が多分に混じっている。

 しかし、今アンコウの足元で苦痛にうめいている子供は違う。


(多分純血だな)


 その容貌には、ドワーフらしさや、その特徴がはっきりと見て取れる。

 しかし、その造作自体はアンコウの目から見ても、かわいらしい整った顔立ちをしたドワーフの女の子だった。

それに、

(こいつ、いいところのお嬢様か何かか)


 この娘が着ている服は、ボロ雑巾のようにあちこちが破れ、汚れてしまっているが、かなり質のよい上流階級の者が着るような一品。

 それに手首や首につけている宝飾品も、相当な値打ち物であることがアンコウでもわかった。


 アンコウが新たに現れたドワーフの子供と、揺らぐ空間を見ながら、どうするかと考えていると、


「ねえ、大丈夫?」

 と、カルミがアンコウの横をすり抜け、うめき声をあげている女の子の横にしゃがみこみ、顔をのぞき込むようにしながら声をかけた。


「うっ、うぅ~~」


 その倒れている娘は、目をあけてカルミのほうに視線をやるが、まだ思うように声が出ないらしい。

 カルミに続きアンコウも、ドワーフ娘の横にしゃがみこんだ。


「おい、あの歪みの向こう側はどこに続いているんだ」


 アンコウが知りたいことはそれだけ、この娘自体に興味はない。

 娘はアンコウに何かしゃべろうとするが、うめき声が漏れるだけでまだ声にならない。


「チッ」

 アンコウの見る限り、この娘の服はボロボロに破れているが、大きな外傷はなく、体のあちこちから出血をしていても命にかかわるようなものには見えない。

 この娘が受けている主なダメージは、打撲と疲労、それに精神的なショック状態程度だろうとアンコウは判断した。


 するとアンコウは、おもむろにヒールポーション瓶を取り出し、無言のままドワーフ娘の口の中に強引にそのポーションを流し込み始めた。


「うっ!ウウーッ!」

「気付け薬がわりだ。飲め。それでとっととしゃべれ」


 娘が顔を左右に振って逃れようとするが、アンコウはそれを許さず、瓶の口を娘の口の中にねじ込みつづける。

 瓶の中の液体がなくなると、ようやくアンコウは娘の口から瓶を離した。


「がはっ!はぁっ、はぁっはぁっ、」


 ドワーフ娘の口まわりや胸元は、こぼれたポーション液でべちゃべちゃになっている。


「あーあ、もったいないな。で、どうなんだ?あの歪みの向こうは外につながってるのか?あれが消える前に早く教えてくれっ」


 少々強引だが、このままこの迷宮内に閉じ込められるか、魔素の濃い下層に降りるほかないと恐怖していたアンコウはかなり必死だ。

 この得体の知れない迷宮から出て行けるかもしれない。突如、眼前に下りてきた希望のクモの糸らしき可能性に必死になるなというほうが無理だ。


 そんな利己的なアンコウの行動とは対照的に、カルミは未だ地面に倒れこんでいる娘を、スッと抱え起こした。

 そしてカルミは、その少女の体を支え、背中をさすり始める。


「だいじょうぶ?わたし、カルミ」


 ハァ、ハァと未だ息があがっている少女が、カルミの顔を見ながら、カルミの肩をつかむ。


「に、逃げて」

 少女はようやく言葉を口にした。


 カルミにむかって発せられた少女の言葉であったが、先に反応を示したのはカルミではなくアンコウだった。


「何?それはどういう意味だ?」

「に、逃げないと」

「わたしカルミっ!」

「くっ。おい、カルミっ。ちょっと黙っててくれ」

「…わ、私はナナーシュ、こほっ」

「おーっ、ナナーシュ!ナナーシュもドワーフだね。わたしも半分ドワーフなんだよっ」


「カルミっ!」

 話を続けようとするカルミを、アンコウが苛立った声でさえぎった。


「カルミ、自己紹介は後にしてくれっ。おい、ナナーシュって言ったか、逃げろってのはどういうことだ?」


 その時、ナナーシュが出てきた空間の歪みが、それまでになく大きく揺らぎ始めた。


「ああっ、に、逃げてっ、アイツがくるっっ!」

 突然ナナーシュが、切迫した口調で叫けんだ。


「なっ!なんだっ!?」


 アンコウは空間の激しい揺らぎの中から、押し寄せる強い力の波動のようなものを感じた。その力が何らかの魔獣のものであることを、アンコウは瞬時に感じとる。


 と同時に、アンコウは走り出していた。


 ついさっきまで外への脱出が出来るかもしれない希望の扉であったその空間の歪みは、一瞬でアンコウにとってまったく正反対の対象に変化したのだ。

 アンコウはその歪みから一刻も早く遠ざかろうと、一言も発することなく、ひとり走り出した。

 

 アンコウが歪みの中から感じた同様のものを、カルミも感じている。

 しかしカルミは、まだナナーシュの横にしゃがみこんだまま動いていない。


「あなたも早く逃げてっ、私はまだ思うように足が動かないからっ」


 ドワーフの少女ナナーシュは、自分の体を支えてくれているハーフドワーフの童女カルミの体を力なく両手で押す。

 それは、自分のことは置いて早くひとりで逃げて、というナナーシュの意思の現れ。


「逃げるの?」

 と、カルミ。

「そうよっ、早くっ!」

「わかった」

 と、カルミ。


 空間の揺らぎがさらに激しくなり、歪みの中から噴出してくる力の波動が急速に強まっていく。

 カルミはちらりとその歪みに目をやってから、スッと立ち上がり、

ザシュッッと、地面を力強く蹴り上げ、周囲に小石をはじき飛ばす勢いで走り出した。


「えっ…!?ええっ~!」


 目を見開き驚きの声をあげたのはナナーシュだ。

 そのナナーシュは、急発進して走り出したカルミの腕の中にいた。


「ちょっ、ちょっとあなた、何してるのっっ!?」


 ナナーシュは自分を置いて一人で逃げるようにカルミに言ったつもりだった。しかし、カルミはナナーシュを軽々と両手で抱えて走り出したのだ。


「わたしカルミっ、6歳っ。逃げてるっ」

「カ、カルミ!?い、いや、でも、ちょっと…6歳っ~!?」


 ナナーシュの背丈は、120,30cmのカルミとほとんど同じぐらい。

 カルミの年は6歳。じつはナナーシュは今12歳になっている。


 種族的にいって、ドワーフの身長は人間よりも低い。カルミは半分ドワーフの血が入っているにもかかわらず、同年の人間の子供の身長と比べても少し高いぐらいの背丈があった。


 自分もけっして大人ではないが、ナナーシュは6歳の子供に抱きかかえられて逃げていることに強い抵抗を感じた。


「わ、私のことはいいから、あなたひとりで逃げてっ!」

「カ・ル・ミっ!」

「え、ええっ!?カ、カルミ、」


 カルミにナナーシュを放り出す意思はないようだ。

その時、


ブホホオオオォォォォォーーンッッーー!


 という大きい咆哮ほうこうが、周囲一帯に響き渡る。


「き、来たっっ!!」


 その咆哮ほうこうの主の姿を見て、ナナーシュが恐怖の声をあげる。


 カルミとナナーシュよりも、少し先を走るアンコウも後ろを振り返り、歪みの中から咆哮ほうこうをあげながら、かなり窮屈そうに強引にこちら側に出てこようとしている魔獣の姿をとらえた。


「なあぁっ!う、うそだろっ!」


 アンコウは目を大きく見開き、信じられないと驚愕の表情を浮かべる。

 その魔獣は空間の歪みの中から上半身の途中まで、こちら側にすでに出ている。しかし、現段階で見えている上半身からも容易に想像できる巨体のためか、下半身は未だ歪みの中につっかえているような状態。


 しかし、その魔獣の顔を見れば、この魔獣が何なのかということはアンコウにもすぐにわかった。


「な、なんでこんなところに豚鬼オークがいるんだあぁーっ!」


 すでにこちら側に出てきているその魔獣の巨大な頭、その顔は凶悪な豚面。鋭く尖った巨大な牙が、その下顎から突き出ている。


 そしてこれ以上ないぐらい筋肉な発達した人間のような上半身には、胸と肩の辺りに鋼のような毛が生えている。

 下半身はまだ見えていないが、オークの下半身は、人間風味が漂う上半身と違い、全体が獣毛で覆われている獣仕立てのはずである。


 アンコウはこれまでにオーク種と呼ばれる魔獣を見たことがあるし、戦ったこともある。


 しかしアンコウがこれまでに見てきたそれは、この世界の中で、一般的に小豚鬼チープオークと呼ばれている小型のもの。小型といっても小豚鬼チープオークも普通の人間よりは大きく強い体を持っている。


 とはいえ、小豚鬼チープオークならば、赤鞘の呪いの魔剣との共鳴の力を手に入れた今のアンコウの力量で、問題なく対処できるはずだ。

 しかし今、空間の歪みから這い出てこようとしている豚鬼オークは違う。


「でかいっ!」


 噂に聞く伝説級の極大豚鬼王ビッグオークほどの大きさはないようだが、あきらかにアンコウが自身の目で見たこともある小豚鬼チープオークとは違い、中級豚鬼将ミドルオーク相当の大きさがある。


 魔獣オークの強さは同じオーク種であっても、そのランクによって天と地ほどの違いがある。それは、この世界に住むものなら、誰もが知る常識だ。

 今アンコウの視界に映るオーク。見た目の大きさもさることながら、その発せられている魔の力の覇気の強さ、


「ぐふっっ!何だこの圧はっ!」

 

 この世界で魔獣の頂点種の一つといわれるオーク種。

 最強クラスの極大豚鬼王ビッグオークともなれば、霊獣ドラゴンさえも真っ二つに引き裂く力を備えているといわれている。


「ちっくしょおぉぉーっ!」

 叫ぶアンコウ。


 突然のこのピンチ。今、アンコウができる選択は、逃げの一択だった。



 アンコウはすでに引き抜いた赤鞘の魔剣を右手に持ち、魔剣との共鳴による肉体の強化を図っている。その強化された両足の筋肉を全力で用い、アンコウは走る。


 しかし、そのアンコウの背後から急速に近づいてくる足音がある。カルミだ。

 ナナーシュを抱えているにもかかわらず、カルミの走る速度は共鳴を発動させたアンコウよりも速い。その走るカルミの姿が、後ろを振りむいたアンコウの視界にも入ってくる。


「なっ!?」

(なんてガキだよっ、ほんとにっ)


 全力で走り続けるアンコウの横をナナーシュを背負うカルミが追い抜いていくのにさほどの時間はかからなかった。


「くくっ~~」

 置いていかれてたまるものかとアンコウも必死にカルミに喰らいついていく。


ビシッ、

「痛てっ」

ビシッ、バチッッ、

「ぐがっ、痛ててっ!」


 カルミの後ろに食らいつくようにして必死で走るアンコウの顔や体に、走るカルミが地面を蹴りあげるたびに地面をえぐり巻き上げる土や小石がビシバシ当たった。


「!!~~~、おいっ!カルミっ!!」

 アンコウがカルミの背中に向かって、いい加減にしろと怒鳴りつけようとしたその時、


ブホホオオオォォォォォーーンッッーー!


 と、再び豚鬼オーク咆哮ほうこうが迷宮内の空間に響き渡った。


「ぐぐぐっ!」

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