第38話 狙うは ラースカンの首

 2日後、ヒルサギの作戦は皆にも受け入れられて、その翌日アンコウたち奇襲襲撃部隊はまだ外は暗く夜といえる時間のうちにサミワの砦を出た。

 アンコウは砦を出る際にも、よろしくお願いしますと、ヒルサギにがっしりと手を握られて、少々その暑苦しさに閉口しながら、砦を出たのだった。


 砦を出たアンコウたちは事前の予定通り、木々が鬱蒼うっそうと生い茂る森の中に移動して、これからの作戦にしたがって隊を分けた。

 そしてさらに、それぞれの部隊ごとに森を移動して、予定の場所で待機する。アンコウは、その内の一隊に身を置いている。


 そのまま獣の気配しかしない森の中で潜んでいるうちに、いつのまにか日が昇り、アンコウたちがいる道なき森の中にまで、明かりが差し込んできた。


「ブルッ、ブルッフッ、」


 アンコウは馬のくつわを持ち、馬の首の辺りを撫でている。

 馬はアンコウに撫でられて、気持ち良さげにしているが、一方、馬を撫でているアンコウの顔には強い緊張の色が浮かんでいた。


 アンコウは表面的には何でもないように見せようと努めていたが、内心は砦を出たときから逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。


 しかし、逃げ道などはない。今アンコウたちがいる場所のまわりに敵の姿はない。だが、この森を抜け山を下れば、敵の陣地がある。

 何とかその陣の近くをうまく避ける道を見つけたとしても、各所には間違いなく斥候の目が光っているはずだ。


 アンコウはひとり逃げるのではなく、砦を囲む敵と戦い砦を守り抜くほうが、自分も生き残れる可能性が高いと判断した。

 ゆえにアンコウは、この砦防衛戦を勝つための方策として、自らこの作戦に参加することを志願した。


 しかし、自ら志願したことはいえ、実際にこうして作戦が動き出すと、アンコウは心の中から湧き出してくる恐怖と不安を止めることはできなかった。


 ただアンコウの感情に関係なく、この状況はもうすぐ動き出す。それまで、アンコウはじっと自分の心と戦い耐えるほかない。



「アンコウ殿」


 馬の背を撫でるアンコウに、アンコウが率いる部隊の副官クラスの戦士が声をかけてきた。


「ヘミトか。どうした」

「はっ、たった今来た伝令の者によりますと、動き出した敵軍は、いつものルートを移動し、砦に向かっているようです」

「そうか。銀髪の獣人の部隊の動きは?」

「はっ、これもいつものごとく、先陣を切り、他の部隊を置き去りにする速さで、砦に向かっているとのことです」

「……そうか、いつもどおりだな」


 いつもどおりだということは、ヒルサギの立てた作戦を実行する前提どおりに、事が動いているということであった。


「よし。みんなに出立の用意をさせろ。あの銀髪の部隊は、動き出すと早いぞ。これより次の予定の場所に移動し、奴らを待ち伏せる」


「はいっ」


 ヘミトは勢いよくアンコウに頭をさげ、皆に伝達するよう、さらに下の者に指示を出した。

 間近に迫った戦闘の興奮が、アンコウの怯えと不安を少しずつ飲み込んでいく。


(……勝つ。殺す。それがここを生き残るための道だ)


 アンコウはできることなら、こんな何の思い入れもない土地でいくさなどしたくはない。しかし、平和に自由に生きるためは、血を流し、他者の命を奪わなければならないという矛盾した現実がある。


 アンコウは冒険者である。アンコウがこの世界で望む平穏無事な生活というものの中にも、生きるために、多少の贅沢をするために、魔獣狩りをして金を稼ぐということが当たり前に組み込まれている。

 魔獣狩りも、間違いなく魔獣との食うか食われるかの命を懸けた戦いなのだ。


 いくさの手柄や立身出世など望んでいないアンコウではあるが、この世界で生きていく以上、それとは違ういずれの人生の選択肢の中にも、剣を抜き、生きるために命を懸けて戦うということは必ず入ってくる。


 元の世界では、平和で戦争など知らぬ生き方をしていたアンコウだったが、ここでは生きるために血を流し、殺し殺されすることは当たり前、アンコウの心から戦い殺すということ自体を忌避する感覚がなくなってすでに久しい。


「さぁ、行くぞ!」


 アンコウは馬にまたがり、先頭に立って移動を始めた。





 サミワの砦を囲む反乱軍は、ついこのあいだまでグローソン公に忠誠を誓っていた大小の貴族豪族の混成軍である。


 サミワの砦に攻撃を仕掛ける際、常に先陣を切り、前線で剣を振るっている銀髪の獣人の戦士が率いる部隊がある。その銀髪の獣人の戦士の名は、ラースカンという。

 この銀髪の獣人率いる部隊は、サミワ砦を囲む反乱軍の中核をなす貴族に属している部隊だ。


 この砦を包囲する反乱軍は、数こそサミワ砦の守備隊と比べれば圧倒しているが、指揮系統はバラバラで、効率的な攻砦戦ができているとはいえない。

 そのことは、サミワの砦の総司令官であるヒルサギもよくわかっており、そこにこの戦いの勝機を求めようとしていた。


 銀髪の獣人の戦士ラースカンは、砦へと続く険しい山道をものともせず、美しい栗毛の巨躯の馬をいつものように走らせている。


「者ども急げ!今日こそはあの砦に籠もる臆病者どもを叩きのめしてくれるわっ!」


 ラースカンはさらに馬の腹をけり、駆け上がる速度をあげる。

 このラースカンの少し後ろに上官に遅れまいと、ラースカンの部下であろう騎馬の兵たちが必死で馬を走らせていた。


 しかし、この険しい山の上につくられた砦を落とすための戦いである。当然ながら騎馬の兵の数はそんなに多くはない。

 そして、彼ら騎兵に遅れて、ラースカンの部隊の歩兵の一団が必死で走っていた。


 さらに、このラースカンの率いる部隊に続く反乱軍の部隊にいたっては、その姿はいまだ見えないほど離れており、彼らの部隊が突出して先行していることがわかる。


 昨日も一昨日も、この攻砦戦が始まって以来彼らは、この形で砦に向かって攻め上り続けており、反乱軍が数の力にまかせて攻めるだけで、統一された意思による行動ができていないことは明らかだった。


 この統一された行動が取れていないことが、結果的にラースカンのような優れた力を持つ戦士の反乱軍における影響力をさらに高めていた。

 反乱軍側の戦いは、司令部の意思命令によって動くのではなく、ラースカンのような実力のある前線指揮官の命令を頼りに、場当たり的におこなわれていたからだ。


 ヒルサギやアンコウは反乱軍のそういった状態をこの数日の戦いを経て見抜いていた。

 そして、この最前線で連日指揮を取り、猛烈な働きを見せているラースカンを討ち取ることができたら敵軍の士気を大いに弱めることができると考えたのだ。


 砦側のそのような思惑はつゆ知らず、ラースカンは自分と後ろにいる隊の歩兵たちとの距離の差が、さらに開いていくことを気にもとめず、砦めがけて馬を走らせ続けていた。


 そして、ラースカンたち騎馬隊と後ろの歩兵との距離が相当にひらいた時、


「「うわあぁぁぁーっ!」」


 調子よく馬を走らせ続けていたラースカンの後方から、兵士たちの悲鳴が聞こえてきた。


ヒュンッ!ヒュンッ!

ヒュンッ!―――――――――!―――――――――!


 ラースカンが馬を走らせつつも後ろを振り返ると、歩兵たちが上ってくる山道横の森の中から、おびただしい数の矢が飛んできていた。


「ぎゃあーっ!」「うわぁーっ!」「ぐがっ!」


 飛んできた矢が次々と歩兵たちにあたり、彼らがバタバタと地面に倒れ伏していくのが、ラースカンの目に入る。


小癪こしゃくな!待ち伏せか!」

 ラースカンは走る馬の手綱を引き、馬を急停止させる。

「ヒヒンッ!」


「迎撃体勢をとれ!長盾隊を森に向かって展開させろ!」

 ラースカンは怒気をあらわに、銀色の毛を逆立てながら部隊に向かって指示を出す。


 しかし、如何いかんせん襲われている後続の歩兵部隊との距離が開きすぎているうえに、降りそそぐ矢のせいで混乱している彼ら自身の悲鳴や怒号に邪魔されて、ラースカンの指令は思うように伝わらない。


「むむうぅ、おのれぇ!」


 さらに怒りを増したラースカンは、手に持つ長身の魔剣を高く掲げ、馬の腹を蹴り、来た道を勢いよく駆け下りはじめ、その後ろに部下の騎兵たちも続く。


「うおぉぉーっ!このグローソンの下衆どもがぁっ!」


 しかし、ラースカンはそのまま後方で襲われている歩兵たちのところまで、すんなり合流することはできなかった。

 下り道で走らせる馬の速度が増したとき、馬が駆け下りる道に複数の剛綱ごうこうが張られたのだ。


「うおおっ!?」

「ヒヒィーンッ!」

ドザッ!ズザァァァーー!

「ぐううっ!」「くそぉ!」


 ラースカンを先頭に仲間を助けようと山道を猛スピードで下っていった騎兵たちが、突然道に張られた剛綱ごうこうに引っかかり、次々と落馬していく。


 落馬した者の中には、一緒に転倒した馬の下敷きになる者や、勢いが強いまま地面に叩きつけられて首がおかしな方向に曲がってしまった者もいた。

 そんな中でもラースカンはたいした怪我もなく、いち早く立ち上がった。


 しかし、それを待っていたかのように森に潜んでいた者たちがさらなる攻撃を仕掛ける。


「な、何っ!」

ヒュンッ!ヒュンッ!

 ヒュンッ!―――――――――!―――――――――!

 歩兵たち同様、ラースカンたち騎兵にむかっても、森の中から大量の弓矢が射放たれたのだ。


「なめるなっ!」


 しかしラースカンは、突風に乗る大雨の如く自分にむかって飛んでくる矢に怯むことなく、すべてを吹き飛ばす竜巻のごとくに長剣を振り回し、飛んでくる矢を次々とはじき飛ばしていった。



 一方森の中では、アンコウが自軍の兵たちに命令を出しながら、外の様子を伺っていた。そしてアンコウは、ラースカンたちが落馬したのを確認して、自分も再び馬に乗り動き出した。


 ここまではアンコウの予定通りに事は動いていたが、この作戦は時間との戦いでもあった。

 アンコウたちが率い砦の外に打って出てきた手勢だけでは、とてもではないがサミワの砦にむかってきている敵軍全体を相手にすることはできない。


 今アンコウが直接戦っているラースカンの部隊のさらに後ろには、それよりも遥かに多い兵数を擁する敵軍がつづいている。

 アンコウたちが率いている手勢の数と敵兵の全体の数とでは、小手先の策ではどうにもできない差がある。


 だからこそアンコウたちは、この攻撃の目的を敵を撃破することではなく、あの銀髪の戦士を討つことに限定していたのだ。


 ラースカンの部隊の後から来る後続の敵軍に対しては、アンコウたちと途中で別れた別の味方の部隊が足止めに向かってはいるのだが、そんなに長い時間は彼らを足止めすることはできないことはわかりきっていた。


 さらに先ほどアンコウの元に、味方の別動部隊とその敵の後続部隊とが接触し、すでに戦闘が始まってしまっているとの報告が来ていた。

(予定よりもかなり早い)

 アンコウは顔には出ないように気をつけていたが、内心かなり焦っていた。


 この作戦はあの銀髪の指揮官の首を獲って、直ちに砦に引き返すというヒットアンドアウェーの作戦だ。敵の後方部隊に追いつかれる前に奇襲を成功させる必要がある。


 それにアンコウにしてみれば、あのラースカンの首を獲れたとしても、自分が殺されてしまえば何の意味も無くなってしまう。





「グワッ!」

 それまで自分に飛んでくる矢をすべて弾き躱していたラースカンの口から、苦痛の声が漏れた。

 ラースカンの左足太ももに一本の矢がつき刺さった。


 しかし、ラースカンに刺さった矢はその一本だけだ。アンコウたちはラースカン一人を標的にし、作戦を立て、兵を配置し、ラースカンは見事にそのアンコウたちの術中にはまった。

 そしてラースカンは集中的に狙われて、矢の雨を浴びせかけられたのにもかかわらずだ。


「ガアァァーッ!」


 ラースカンは大声で吼え、足に刺さった矢を引き抜く。

 不意を突かれ負傷してしまったラースカンの顔は、憤怒の獣のような形相になっていた。


 この状況でよくぞ矢を一本、足に受けただけでここまでしのぎ切れるものだとアンコウは敵ながら感心していた。自分が同じことができるかと問われれば、正直アンコウには自信がない。

 しかし戦況全体としてはアンコウたちの作戦どおりに動いており、その流れのままに少しずつ戦況が動いていく。


「このぉぉー」

「うわぁぁっ」

 しばらくすると、矢の雨を切り抜けた歩兵たちが徐々に森の中に突入し、アンコウの部隊の兵たちに反撃を仕掛けはじめた。


 アンコウはそんな刻々と移りゆく戦況を捉えながらも、自身はラースカンの様子に注視していた。


「……まだ足に矢が一本だけか。やはりこれだけでは死んでくれねぇか」


 ラースカンに降りそそぐ矢の数は、随分と少なくなってきていた。

 自分の動きを封じていた降りそそぐ矢の数が減ったことを確認したラースカンは、より多くの味方がいる下方へ行くために再び体の向きを変える。


「おのれっ!くだらぬ策をろうしおって!」


 ラースカンは足の負傷など意に介することなく、山道を駆け下りようとした。それを防ごうと、森の中から数人の兵士が飛び出してきて、ラースカンに斬りかかる。

 それを迎え撃ったラースカンはわずかに足を引きずるようにしながらも、まったく怯むことなく、その複数の敵兵相手に剣を振るう。


「ウギヤァー!」

「ぐわっ!」

「ギアッ!」

 ラースカンは足の傷など問題ではないとばかりに、短い時間で斬りかかってきた敵兵すべてを返り討ちにしてしまった。


 そしてまたラースカンは、山道下方で戦っている者たちのほうを見て、走りはじめようとする。

 しかし、今度はそのラースカンの背中にむかって、山道の上方から彼の名を呼ぶ声がした。


「ラースカン!どこへ行く気だ!」


 ラースカンは怒りの形相のままに、山道の上方の声がした方を見た。

 山道のうえに目を向けたラースカンの視界に、立派な栗毛の馬に乗った一人の人間種の男が映る。

 そしてラースカンはその男の腕に朝の太陽の光に反射してキラキラと輝く、金色の腕輪がつけられていることに気づいた。


「むっ!あれは臣下の腕輪か……」


 目つきが鋭くなったラースカンは、わずかに足を引きずるようにしながら、山道の上方に姿を現したアンコウにむかって再び体の向きを変えた。

 ラースカンもこの数日の戦いの中で、敵の砦の守備軍の中にグローソン公爵の臣下の腕輪をした者がいるという情報は得ていた。


「貴様がこの部隊の指揮官かっ!このグローソンの豚がっ!」

 ラースカンがアンコウにむかって吼える。


 グローソン公ハウルの領土拡張の手法は、武力による力押しが中心だ。当然多くの血が流れ、多くの恨みを買っている。

 グローソンの軍門に降った者の中にも、このラースカンのようにグローソン公に対して遺恨を持つ者も少なくない。


 アンコウとしては、あのグローソン公のために戦っているような形になってしまっているのはまったく本意ではなく、ラースカンの言葉に思わず顔を歪めていた。

 しかしアンコウは、すぐにその感情を自分の心の中に押し殺してラースカンに話しかけた。


「お見事です。ラースカン殿」

 アンコウは先ほどとはその口調も変えて、落ち着いた様子でラースカンに語りかける。

「さすがはその武勇を持って数多あまたの戦場を戦い抜き、武名をとどろかしてこられた戦士ラースカン。噂に違わぬ、いや、噂以上の武勇。このアンコウ感服いたしました」


 実際にはアンコウは、これまでラースカンの噂など聞いたこともなかった。

 アンコウが知っているのは、この戦場で自主的に集めたラースカンという敵戦士に関する客観的分析に基づく情報だけである。


 しかし、先ほどは憤怒の表情でアンコウを豚呼ばわりしたラースカンであったが、そのアンコウの上っ面の言葉に戦士としての自尊心がくすぐられたようで、先ほどよりも少し表情が緩んでいた。


「ほう、それなりに武人の礼はわきまえているか」

「ラースカン殿のような本物の武人とこうして戦場であいまみえることができたのは、私も武人の端くれとして、何よりも誉れに思います」


 アンコウはそういうと、馬のあぶみにかけた足を離し、地面に降り立った。

 そしてアンコウは腰にかけた呪いの赤鞘の魔剣を引き抜く。その瞬間アンコウは剣との共鳴を起こし、その気配が一変する。

 そのアンコウの変化を見てラースカンは目を見張った。


「ふむ。臣下の腕輪をしている男が共鳴を起こしているようだというのは本当だったか。なるほど腐ってもあのグローソン公に認められた戦士ということか」


 そのラースカンの言葉態度には、戦場にて強敵に出会えた喜びのようなものが感じられた。

(……喜ぶか、やっぱりこいつも戦闘狂の類だな)


 実際どのような肩書きを持つ者であっても、戦闘を飯の種にしているような奴らにはこの類の反応を示す者が少なくないと、アンコウは思っている。

 アンコウ自身はそのような感性は持ち合わせていないのだが、ここではラースカンの好みに合わせた。


「ラースカン殿!一武人として、尋常なる勝負を所望する!」


 そしてアンコウは、山道の上方からラースカンにむかって剣の先を突きつけ、大声を発した。


「ワハハハッ!おもしろい!グローソンの臣下の腕輪の戦士よ。アンコウといったか、貴様をここで討ち果し、一挙に山上の砦を落としてくれるわっ!」


 ラースカンは歓喜をにじませながら叫び、剣を手に持ち、アンコウに向かって山道を駆け上り始めた。


 しかしその駆け上るスピードは足の怪我のせいもあり、ラースカンの最速というものではない。それでもラースカンの顔には戦士の歓喜とも言うべき喜びの色を浮かべて走っている。

 その姿を見て、アンコウは表情を変えることなく、心の中で思う。


(バカが、ヒールポーションぐらい飲んで始めればいいものを。情報どおりの戦闘キチだ)


 アンコウはラースカンに強者として認められたようだ。

 ラースカンはこれから始まるグローソン公の臣下の腕輪を持つ共鳴の戦士との戦いに喜びすら滲ませながら、矢を引き抜いた傷口から血が吹き出るのも気にせず、アンコウに走り迫る。


 一方アンコウは、表面的には悠然とラースカンを迎え撃つ姿勢を見せ、内心ラースカンの戦闘好きぶりを馬鹿にする様な心情を持ちながらも、自分より強いと認識している戦士が剣を手に迫りくることに、恐怖を覚えずにはいられなかった。


 ラースカンはあっという間にアンコウとの距離を縮めてくる。

( くっ、まだか、まだか、まだか、)

 アンコウの胸の内で高まる恐怖が溢れ出てくる。


 アンコウは、その湧きあがってきた恐怖を打ち消そうとでもするように、気がつくと迫り来るラースカンにむかって剣先を突き出したまま大声で叫んでいた。


「うおおーっ!」

 アンコウが大声で叫んだその瞬間、


ビュンッ!ビュンッ!ビュンッ!

 ビュンッ!――――――――!


 再び森の中から、ラースカン目がけて矢が飛び出してきた。しかも今度は先ほどのやや山なりになって飛んできていた矢の軌道とは違う。

 この矢を放った者たちは、森と山道の境ギリギリにまで移動して、ラースカン目がけて矢を放ったのだ。


 ラースカンはアンコウに気を取られるあまり、その森の中の動きに気づくことができなかった。

 矢は、ほぼ水平真直ぐに勢いが落ちることなく、ラースカン目がけて飛んでいく。


ズサッ!グサッ!ザグッ!

 そして矢が、次々とラースカンに突き刺さった。

「ぐがおぉぉーっ!!!」


 ラースカンは思わず地面に転がるように倒れた。しかし、地面に転がったラースカンは何とかひざ立ちに体勢を立て直し、まだ自分にむかって飛んできていた矢を薙ぎ払ってみせた。


 しかし、そんなラースカンにむかって飛んでくる矢はまだ止まらない。

 懸命に剣を振るうラースカンであったが、これだけ手傷を負ってしまえば、すべてを防ぐことなど叶いはしない。


ビュンッ!ビュンッ!ビュンッ!

 ビュンッ!――――――――!

ズサッ!グサッ!ザグッ!


「ぐ、ぐひょおーっ!!ふぃきょうなみゃねをーーっ!!!」


 ラースカンは怒りの炎で魂を燃やすような激しい怒声をあげた。


 しかしその怒声は実に不明瞭なものになっていた。ラースカンをハリネズミにするが如く、ラースカンの体に突き刺さった矢の一本が、彼の頬の右から左に貫通し、突き刺さっていた。


(どこの酋長だよ)

 アンコウはラースカンのそのざまを見て、恐怖が和らいでいく。

 ラースカンが再度の矢の雨に晒されているうちに、アンコウは再び馬上の人となっていた。


 水平に飛んで来る矢の雨が止まるころには、ラースカンは体に何本もの矢を受け、足元はフラフラになっていた。

 それでもラースカンの闘気は尽きていない、強烈な怒りが、ラースカンを突き動かしていた。


「きょの!ぐりょーそんのブタぎゃあぁー!!」


 猛烈な怒声を発しながら、ラースカンは道の上方にいる臣下の腕輪をした人間を見る。

 しかし、ラースカンが再び山道の上方に目をやった瞬間、彼の視界に入ってきたのは、自分の目の前に迫った精霊封石弾であった。


 無論、それを投げたのは、すでに道の上で馬上の人となっているアンコウだ。

 ハリネズミのようになったラースカンの姿を見て、アンコウは馬上でニヤリと笑っていた。


「にゃにっ!」

 ドオォグァーンッ!!


 大きく爆ぜる2級クラスの火の精霊封石弾。

 ラースカンは爆発前にわずかに移動できたようだが、間違いなくその爆発によって、さらなるダメージを受けていた。


「グガッ、ガ、ガ、ガッ、ひゅ、ひゅるさん…ちちのきゃたきをグローソン…」


 これでも四肢が飛び散らぬラースカンの頑強さは驚くべきものであった。しかし、ここまで弱った者をアンコウが見逃すわけがない。


 ふらふらと立つラースカンにむかってアンコウは、全力で馬を走らせていた。

 そしてアンコウはそのまま馬速を落とすことなく、騎乗したままラースカンに突っ込んだ。


ドオォガッ!!

 ラースカンはもはや声も無く、はじき飛ばされる。

「!!!!」


 大きくはじき飛ばされたラースカンは、その勢いのままに木に叩きつけられた。

「ぐはああっ!!」

 木に激突したラースカンの姿は、まるでボロ雑巾のように傷だらけになっていた。


「………はが、あが、が、グゾッ、ひぎょう…な、」


 さらに激突した木に力なく倒れ掛かっているラースカンにむかって、森の中から現れた何本もの長槍の先がスルスルと近づいていき、次々にラースカンの体を突き刺していった。


ブスッ ズブリ ザグゥウ ヌチョリ ズブブスグザッ

「フゴッ!!ゴフッ!!ぐぐぐぐっっっ………」


 そしてついに銀髪の獣人の戦士ラースカンは、口からも大量の血を吐き出して力尽き、しゃべらぬ肉塊と化した。


 そのラースカンの死を見とどけても、アンコウの心に喜びは湧いてこない。

 それはアンコウが戦士ラースカンの死を悼んでいるわけではなく、アンコウの意識がすでに次の段階に移っていたからだ。


 アンコウの視界の中には、すでにラースカンの死体は映っておらず、アンコウは山道下方でおこなわれているラースカンが率いてきた歩兵を中心とした部隊と奇襲をかけた味方の部隊との戦闘を注視していた。


 すでに下方で襲撃をかけた味方の部隊の弓矢は尽きたようで、敵味方入り混じった激しい白兵戦が展開されていた。

 アンコウたちは目的のラースカンの首は獲った。あとは砦に引き返すだけ。


(しかし、急がないと)


 砦に攻め寄せてくる敵軍はこのラースカンの部隊だけではない。

 すぐ近くまで敵の後続部隊は来ているはずであり、その大群と接触する前に引き揚げなければと、アンコウは焦っていた。


(この乱戦じゃあ撤退は打てない。目の前の連中に一撃を加えて、後が来る前に即逃げるしか……)

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