第37話 砦を守る策
「ぎゃあーっ!」
「行けーっ!矢を放てーっ!石を落とせーっ!」
ドォゴンッ!
グゥガァンッ!
「ヒッイッ!う、腕がー!」
俺の腕が足がと響く悲鳴。さらに悲鳴のひとつもあげることなく、血しぶきを撒き散らしながら砦の壁から地面に落ちていく者。
悲鳴、怒号、悲鳴、怒号が続く、人が殺し殺され殺し合う戦場。アンコウもその戦場の前線に立っていた。
「くたばれっ!」
アンコウの手に持つ剣も顔も体もすでに敵の返り血で血まみれだ。それでも砦の防壁に取りつき、よじ登ってくる者は絶えない。
「アンコウ様っ、替えの湯の準備ができました」
湯といっても風呂の湯を沸かしていたわけではない。大釜で沸かされた火傷するだけではすまない熱さの熱湯だ。
「チッ、いちいち確認を取るな!用意ができたらすぐに奴らに浴びせろっ!」
「は、はいっ!」
アンコウに報告に来ていた男は簡単な防具はつけていたが、この砦の兵士ではない。実はこの砦が敵軍に囲まれる前に近隣の一般住民がかなりの数逃げ込んでいた。
湯を沸かし、壁をよじ登ってくる敵兵目がけてその熱湯をぶちまける。あるいは大石を投げ落とす。それは戦う技術も経験も無い農民市民であってもできる作業だ。
砦の将兵だけでなく、そういった民草も共に命がけの防戦を繰り広げていた。
しかしそれでも、その防御のわずかな隙を突いて防壁の上までたどり着く者もいる。
「死ねえーっ!」
壁をよじ登ってきた敵の兵士が、熱湯を自分たちにむけて降り浴びせている者を見つけて斬りかかる。
「ヒ、ヒィッ!」
熱湯をぶちまけている男は、木製の大きな柄杓のような物を持っているだけで剣は短刀を腰に差しているだけだ。
「ぎゃあーっ!」
頭と胴がほとんど斬り離されるほどに首を斬られ、男は倒れていく。
しかし斬られ地面に倒れた男は、熱湯をかけていた男ではなく、剣を手に斬りかかってきた敵兵の男のほうだ。
倒れた男の後ろに、剣から血を滴らせたアンコウが立っていた。
「ア、アンコウ様」
「手を休めるな!次が来るぞ!死にたくなかったら、ゴキブリどもに湯をかけつづけろっ!」
「は、はいっ!」
アンコウ自身もこの戦場において、共鳴の力を発動し続けて、
アンコウにとって、こんな戦争に参加しなければならない理由などないのだが、今この時この場に居合わせた以上、もはや戦うしか選択肢はなかった。
そして、戦争とはどれほど大きいものであっても所詮はただの殺し合いであり、殺し合いである以上、生き残るためにはどんな手を使ってでも戦って勝つしかない。
「クヒヒッ」
アンコウが自嘲気味に小さく妙な笑い声を出す。
(アンコウ様か。ちょっとの間に出世したねぇ、俺も)
全身に返り血を浴びたアンコウは、赤鞘の魔剣を抜き身のまま持ち続けながら何とか正気も保ち続けていた。
このサミワの砦を囲む敵軍の攻撃は、すでに1週間連続でつづいていた。
砦への攻撃が始まった当初は、正規兵たちだけで砦の防御にあたっていた。しかし、グローソン公を裏切った者どもがさらにこの地に集まり、砦を囲む敵軍の兵数がどんどん増えていった。
そして、いくら堅牢な砦に籠もっているといえども、正規兵だけでは手が足らなくなってしまった。
その数の不利を少しでも縮めようと、サミワの砦の守護部隊の幹部クラスの一部の者が、この砦に逃げ込んできた民衆を駆り出し、戦闘に参加させることを主張した。
しかし、この砦の指揮官であるヒルサギはその案を採用しなかった。
民草は守るべき者であり、戦うのは自分たち剣を持つ者の務めであると。
アンコウの見るところヒルサギという男は、出自は低くとも確かに優れた統率力があり、人格的にも問題がない人物であったが、いささかまじめに過ぎ、はっきり言えば堅物で融通が利かないところがあった。
農民出身であることが、武人とは為政者とはかくあるべきであるという像を、逆にヒルサギに強く持たせているのかもしれない。
敵が兵数の多さを生かした一斉攻撃を多用するようになり、それを何とか凌いだ日。
その日の戦闘が終わると同時に、この砦内にいる民衆を戦闘に動員するように、強力に主張したのは、ほかでもないアンコウだった。
アンコウは、自分がグローソン公によって無理やりつけられた臣下の腕輪をしていることによって生じたこの砦内における自分に対する期待度の大きさと、自分の持つ発言力の大きさを理解していた。
自分がヒルサギの意見に反することを主張して、余計な波風が立つかもしれないとは思ったが、それ以上にアンコウにとって重要だったのは自分自身が生きのびること。
戦さにおいて、ある一定程度以上の数の差は、それ自体が致命的な敗北原因になるとアンコウは思っている。
これはアンコウが元の世界で得ていた ごく一般的な戦争に関する知識と、実際にこちらの世界で経験し見聞してきたものから得た戦いというものに関する価値観のひとつだ。
この砦には、食料、武器、その他諸々の物資がまだ豊富にある。それを使えば、戦闘を知らない者でも十分に戦力になるとアンコウも思った。
ヒルサギはアンコウに対して実に丁寧な態度で接し続けてくれていたが、アンコウのこの意見に関しては容易に受け入れようとはしなかった。
それでも、このままの兵数差で戦っていたら、いずれ砦は落ち、自分は殺されるかもしれないと思っているアンコウは自分の主張に味方してくれるよく知らない砦の幹部連中を味方につけて、ヒルサギに迫った。
「砦が落ちれば、下手をすれば皆殺しだぞ。兵士だろうが、無力な民草だろうが関係ない。女子どもも情け容赦なく殺される。あんた責任がとれるのか。
自分たちの命がかかってるんだ。兵も民も女も子供も関係あるか、一人残らず戦わせろ。
あんたのそれは武人の誇りか騎士道精神か、その類のものだろうがな。
そんなものは生き死にがかかった状況ではクソの役にも立たないから、この
アンコウの言葉を聞いて、苦渋の表情を浮かべる者も少なからずいたが、最終的には幹部連中の過半が賛成にまわり、ヒルサギも受け入れざるをえなくなった。
そして、アンコウたち砦の者たちは兵も民も関係なく戦い、この7日目の敵の攻撃も何とか退けることができた。
敵兵が退いてから約半刻、アンコウはまだ休憩することなく、諸所を歩いて見てまわっていた。
こちらの死人怪我人の数も少なくはない。無論、砦を落とそうと力押しを続けている敵側の損害のほうが遥かに大きいのだが、アンコウは歩いてまわる先で、自軍の怪我人とその怪我人の手当てに追われる人たちの姿を見ていた。
(やっぱり一般民の損害も少なくないな)
砦の防御に駆り出された一般民は、後方支援だけでなく、先ほどの熱湯を浴びせかけていた者たちや大石を落としていたものなど、戦闘の最前線に送られた者も多く、負傷者はもちろん死者も少なくない数が出ていた。
しかしそのことに関して、彼らを戦わせるように主張したアンコウは、まったく後悔するところはなく、自分の身を自分で守るのは当たり前、戦さで
しかし、そのことをアンコウのようには、なかなか割り切れない者もいた。
「おお、アンコウ殿。こんなところにおられましたか。捜していたのですよ」
砦内を歩くアンコウの背後から声をかけてきたのはヒルサギ。ヒルサギはこの砦の留守居役で、今この砦の守備軍を率いる実質的な総大将だ。
ヒルサギは人間族の男で、髪は短く刈り込み、がっしりとした鍛えられた体躯を持つ、武人風のまだ若いといえる年齢の男だ。
そのヒルサギがアンコウの横まで走りよって来た。
アンコウとヒルサギが立っている場所からは、怪我を負って治療を受けている一般民の一団を見ることができた。アンコウの横に立つヒルサギが彼らを見る表情には、実に複雑なものが浮かんでいた。
「……ヒルサギ殿。やっぱり納得できませんか?」
「いえ、アンコウ殿、」
ヒルサギは首を横に振りながら答える。
「正直、ひとりの武人として、守るべき彼らが戦い傷を負っている姿を見ることは辛いものがあります。しかし、今日の戦いもそうでしたが、敵を追い払うのに為した彼ら民草の貢献は非常に大きい。
その事実は否定しようがありません。この先もそうです。もし彼らの力がなければ、今の戦況を維持することはできなくなるでしょう」
ヒルサギは自分が反対した策であっても、その結果を公平に認め受け入れることができる男だった。
それどころか、そもそも避難民を戦闘に参加させることが決まってからは、ヒルサギは当初反対していたにもかかわらず、より有用に一般民を戦闘に投入するため、自らの思いは抑えて指揮官として文句のない采配をおこなって見せた。
(良くも悪くも、この男は真面目だよ。ある意味珍しい)
それでもヒルサギは、指揮官として一般民を戦闘に有効に活用し、その効果も挙げてみせたのとは別に、やはりひとりの武人として、一般民を戦闘の前線に駆り出す事を恥だと考えているようだった。
しかし、それを口にして言えば、アンコウたち、この策を提案支持した人たちをも非難することになると、ヒルサギが言葉を慎重に選んでいるということがアンコウにはよくわかっていた。
「ヒルサギ殿は優しいな。立派だと思いますよ」
「……アンコウ殿…ありがとう」
そう言って、一度口を真一文字に結んで目を下に落としたヒルサギだったが、再び顔をあげると、少し無理に明るい声を出して、また話し始めた。
「しかし、アンコウ殿!私はひとつ考えを改めたことがあります」
「へぇ、何ですか」
「この民草たちのことです。彼らは私たちが守るべき存在だという考えに変わりはありませんが。…見てください彼らを」
アンコウはヒルサギに促され、怪我をして休んでいる者、その怪我人の世話をする者、夕食の支度に追われている者、その周りで遊ぶ子供たち、この砦に籠もる一般民の姿を見た。
しかし、それはいずれもこの砦の一般民がいる場所ではどこでも見られる風景。
アンコウが何と言ったものか考えながら彼らの姿を見ていると、その風景の中から、7,8歳ぐらいの女の子がヒルサギとアンコウのほうにむかって駆け寄って来た。
女の子はヒルサギの前で足を止めると、ニカッと笑い、ヒルサギにむかって手に持っていた綺麗な黄色い花を一輪、差し出してきた。
「ほう、私にくれるのか?」
「うん!大将様にあげる!」
「ふふっ、ありがとう」
ヒルサギは女の子から花を受け取り、女の子の頭を撫でた。
ヒルサギに頭を撫でられた女の子は愛くるしい子猫のように人懐っこい笑顔になった。女の子は次に、アンコウの顔を見て、もう一輪手に持っていた花を差し出してきた。
「アンコウ様、あげる!」
「へぇ、俺にもくれるのか」
女の子から花を受け取ったアンコウは、何となく女の子の鼻をつまんだ。
「ふがっ、何するのアンコウ様!」
その女の子のかわいらしい反応を見て、アハハと大きな声で笑うアンコウ。
女の子は、アンコウ様は嫌いと言って、ヒルサギの足にくっついた。それを見てヒルサギも笑っている。
「……娘。家族はみな無事でいるか?」
ヒルサギが自分の足にひっついている女の子に少し真剣な顔をして聞いた。
「うん!みんな元気!」
「……そうか、それはよかった」
ヒルサギがまた女の子の頭を撫でる。
「こら、ミウ!何をしているの!」
女の子の母親らしき若い女が、女の子の名を呼びながら飛んできた。
若い女は、その女の子を叱り付け、アンコウとヒルサギにむかって何度も頭をさげながら、女の子を連れてその場を去っていった。
ミウと呼ばれた女の子は、母親に腕を引かれてその場から遠ざかりながらも、アンコウとヒルサギにむかって愛らしく手を振っていた。
アンコウがそれを見ながら声は出さずに笑っていると、ヒルサギがうなずきながら語りはじめた。
「このような戦場にありながら彼らの表情は明るい。無論、無理をして、なのかも知れません。
だが、ここには彼らが無理をしてでも明るく振舞おうとできる何かがあるのです。私はそれは彼らが、彼ら自身が戦っているからだと思います。このような過酷な環境にありながら、自分たちができることがある、自分たちの力で戦っているということが何よりの希望になっているんじゃないでしょうか。
私は自分自身農村の生まれでありながら、彼らの力や誇りというものを理解できていなかった」
ヒルサギは目を細めて彼らを見ながら言った。
(なるほどねぇ、まっ、そう言われればそうかもな)
一方アンコウにしてみれば、たまたま結果的に今はそういう状況になっているだけであって、明日には変わるかもしれないし、それがどうしたの?という感想しかない。
アンコウはヒルサギのような男は嫌いでないが、根本的な価値観の置き所は違うなと感じていた。
ヒルサギはアンコウのほうに体を向けて、さらに熱っぽく語る。
「ありがとうございます、アンコウ殿!私はアンコウ殿に教えられました!さすがはあの公爵様より臣下の腕輪を賜るほどのお方です。亡くなられた砦守将様のお導きかもしれません。私はあなたと共に戦場に立てることを誇りに思います!」
ヒルサギは両手でがっちりとアンコウの手を掴み、アンコウの目を力強く見つめる。
「い、いや、別に礼なんかいりませんよ……」
ヒルサギはアンコウが思っていた以上に熱い男だった。アンコウはそんなヒルサギに、俺こいつちょっと苦手かもしれないと初めて思った。
「ヒルサギ殿は、わざわざそれを伝えに俺を捜していたんですか?」
ヒルサギは、このサミワの砦の指揮官である。今は暇な時間などないはずだ。
「おおっ、それだけではありません。忘れるところでした。少々熱くなってしまったようです」
ヒルサギはアンコウから手を離して、興奮を押さえるように深呼吸をする。そして気持ちの切り替えができたのか、再びアンコウのほうを見た。
「昨日、アンコウ殿が要求された件でお話が。まったくこちらの気がまわらぬことで申し訳ありませんでした」
ヒルサギが一転神妙な顔になって、アンコウに謝罪してきた。突然ヒルサギに頭をさげられて、アンコウは?マークであった。
アンコウはヒルサギに何かを要求した覚えはないし、ましてや謝られる覚えなどない。
アンコウが何のことだと首をかしげていると、ヒルサギはそのまま話をつづけた。
「アンコウ殿にお付けした世話係の者から、連絡が来ました」
ヒルサギのその言葉で、アンコウはヒルサギが何のことを言っているのかがわかった。
(あのジジイ、ヒルサギに話したのか!?)
アンコウは眉をひそめながら、自分の世話係につけられた年配の男の顔を思い出していた。
馬鹿ジジイが、あんなことを砦の総司令官に話してどうすんだ、とアンコウは心の中で毒づく。
アンコウは昨日その世話係の男にある頼みごとをしていた。簡単にいうと、女を用意しろということだ。
無論、アンコウはそんな個人的な、しかも下の世話がらみの頼み事をヒルサギに伝えるようになど言うわけがない。
それに実は、アンコウにつけられた世話係には、頼み事をしたジジイだけでなく、アンコウがそういう意味で手をつけても構いませんよと、それとなく言われている若い女もいた。
しかし、そのお手つき自由と言われた女は、女というより娘というべき年齢の者で、アンコウの目にその娘は、育ちの良いお嬢様で、まず間違いなく男を知らないと思われる生娘に見えた。
むろんその娘本人も、そのような役割も知ったうえでアンコウの世話役を受けている。しかしアンコウには、ただの気晴らし、
アンコウとしてはこれだけ一般民が逃げ込んでいるのなら、間違いなく売春業で小銭稼ぎをしている者もいるだろうと思っていた。
だからアンコウは、その世話係のジジイに直接女を用意しろと言ったのではなく、その関係の商売をしている人間に当たりをつけておいてくれと言ったのだ。
それをよりにもよって、その世話係のジジイはこの砦の最高責任者であるヒルサギにその話を持っていったらしい。
そのジジイは何かあれば、すべてを報告するように言われていたのかもしれないが、アンコウとしてはそれぐらいの配慮はしやがれというところだ。
(無駄に年を食いやがって、あのジジイめ。使えねぇ)
ヒルサギがこの砦を守るため、昼夜の別なく働いていることはアンコウもよくわかっている。
そのヒルサギの口から、自分が女を用意しろ的なことを言った話を持ち出されるのは、さすがにアンコウも恥ずかしく、後ろめたいものがあった。
「アンコウ殿。側にお付けした娘はお気に召しませんでしたか」
「あ、ああ、いや、」
アンコウとしては、その女が『娘』であったことが問題で、世慣れた娼婦のような女でよかったのだが、ヒルサギたちの感覚はいささか違うようだ。
「アンコウ殿はどのような娘を御所望なのです?」
ヒルサギはためらうことなく、はっきりと聞いてくる。仮にもヒルサギはこの砦の現在の最高責任者なのだ。
逆にアンコウはそのストレートな質問にあせってしまった。
「あーっと、なんだろ?いや娘じゃなくてですね、もうちょっと男をわかっているというか。あー、と、とにかくあの娘は若すぎますし、男も知らないでしょう」
アンコウとしては気軽にあと腐れなく抱ける女であれば誰でもよかった。
「……なるほど。では女の顔かたちなどは?」
「あー、ま、まぁ何でも、」
「何でもよろしいので?」
「あ、ああ、いや、そりゃあ綺麗なほうがいいですし、胸も大きいほうが、あとちょっと奥ゆかしい感じがある大人の女で………ああっ!もういいですよ!」
アンコウはヒルサギにむかって大きく手を振って、もう止めてくれということをアピールした。
アンコウはいまさら女の話をすること自体に照れなどはないが、さすがにこれは気まずいものがあった。
「し、しかしアンコウ殿、それでは!確かにここではアンコウ殿がお気に召すような
そう言ったヒルサギの声は大きかった。
「こ、声が大きい!もういいですから!そ、それよりも
「は、はぁ……」
どうもこの
アンコウはヒルサギから視線を逸らし、その場から逃げるように再び早足で歩き始めた。
「お、お待ちを!アンコウ殿!」
アンコウは先ほど、ヒルサギと話をしていた場所が見えなくなるぐらいのところまで早足で歩き、ようやく歩く速度を落としていく。
「で、ヒルサギ殿。そちらのほうの戦いはどうだったのですか?」
アンコウは完全に歩みを止めることはなく、話題を変えて、ヒルサギに話しかけた。
今日、アンコウとヒルサギは別々の場所で攻め寄せる敵と戦っていた。より敵が重きを置いて攻めていた場所には、ヒルサギが率いる砦の守備部隊が中心になって防御にあたっていた。
話題が女の話から戦さの話に変わり、ヒルサギの表情も、再び一軍の司令官のものに変わる。
「ええ。今回の攻撃も敵の主力はこちらのほうだったようですが、やはりあの銀髪の獣人が率いる部隊が問題ですね」
アンコウはヒルサギのその言葉に、声は出さずにうなずく。
アンコウも何度かヒルサギが言ったその銀髪の獣人の戦士を目にしていた。その銀髪の獣人の戦士は、常に前線に攻め寄せる兵士の先頭に立ち、敵側の最前線の中で、中心的な役割を果たしている戦士であった。
アンコウは客観的に見て、その銀髪の戦士と一対一で戦ったとして、魔剣との共鳴を起こしていても自分が勝てるのは10の内、3か良くても4。
今のアンコウの実力では7割方は負けると踏んでいた。
共鳴を起こしたアンコウは相対的に言ってかなり強い。しかし、アンコウよりも強い戦闘力を持つ者も一軍という規模になれば、かなりの確率でいるだろう。
ただアンコウは、この戦場で未だその銀髪の獣人の戦士以上の力を持つ敵戦士を確認していない。相手軍の数からいえば、もっと強者が存在してもおかしくないのに。
それに関して、おそらく裏切り者たちの勢力内にいる 最も優れた戦力は、ここサミワの砦ではなく、グローソン公ハウルがネルカ城のほうに向かったのだろうというのが、アンコウ、ヒルサギの共通認識であった。
獣人といえば、もしアンコウが、あのマニと1対1で戦ったとしたら、アンコウは10の内、1も勝てる可能性があるとは思えない。
厄介には違いないが、この敵軍相手なら、アンコウもヒルサギも、今の自分たちの戦力で、撃破することはできないまでも、援軍が来るまで、あるいは敵の兵糧が尽きるまで、この砦を死守することは可能だと考えていた。
「ヒルサギ殿。敵は兵の数は多いし、確かにあの銀髪の獣人は厄介ですが、連中の戦士の層はそんなに厚くないと思うんですよ」
アンコウの言に、今度はヒルサギが無言のままうなずく。
どれほどの戦闘能力を持っていても、一個人が一国の軍隊を撃破することは不可能に近い所業であるが、この世界ではアンコウが元いた世界より、戦士一人が持つ戦闘能力が、軍対軍の戦いの勝敗に与える影響が大きいことも、紛れもない事実だ。
敵兵の質はそこまで良くはない。それが一般民の寄せ集めの部隊でも敵を撃退できている理由の一つだと、ヒルサギはみていた。
「アンコウ殿。私はあの銀髪の獣人の戦士を排除したいと思っています。あの者ひとりを討って、この戦さに勝てるわけではないですが、それができれば敵に与える精神的ダメージはかなり大きいのではないかと思っています」
「……勝算はあるんですか」
アンコウの問いにヒルサギは、黙ってうなずいて見せた。
そしてまた話し出す。ヒルサギが言うには、彼らの攻撃は激しくはあるが実に単調なものであり、かなりそのパターンが読めてきたとのこと。
確かにそれはアンコウも感じていたことでもあり、アンコウはヒルサギの見立てに素直に頷くことができた。
ヒルサギは敵軍の問題は戦力の質の低さだけでなく、おそらくあまりよい参謀が存在していないのだろうと断じた。
ヒルサギは彼らの攻撃パターンとルートを読み、それに連中の動きが実際にはまれば、こちらから待ち構え、攻撃を仕掛けるつもりだと言った。
「確かに、そこまで情報分析ができているんでしたら、試してみる価値はあると思いますが……」
アンコウはそこまで言って、また口ごもる。
敵に高い戦闘能力を持つものは少ないといったが、実は敵軍同様に砦の守備側にもそこまで高い能力を持つ戦士は見当たらなかった。
(策どおりに敵の隙をつくことができても、短い時間であの銀髪の獣人の戦士を討てるかどうか……)
アンコウは考える。
「大丈夫です。アンコウ殿、やると決めたからには、」
ヒルサギがこの作戦を実行するに当たっての自分の決意を言い切る前に、アンコウが口をはさんだ。
「俺も参加してもいいですか?」
「えっ!?」
驚くヒルサギ。
「俺もその襲撃部隊に参加したいのですが」
アンコウはもう一度同じことをヒルサギにむかって言った。
戦さは殺し合い、勝たなければ殺される。ならば勝てるチャンスは見逃してはいけない。
砦のためでも誰のためでもなく、それはアンコウが自分自身が生き残るための判断だ。しかしヒルサギはそうは受け取らない。
「……ア、アンコウ殿」
ヒルサギも自身が立てたこの策の弱点をよくわかっている。
確かにそこにアンコウが入ってくれたら、あの銀髪の戦士を討ち取れる可能性は一挙にあがる。
しかし、ヒルサギはそれを自分からアンコウに頼むつもりはなかった。己が建てた危険を伴う策なればこそ、ヒルサギは自分自身がその部隊を率いるつもりだった。
「い、いえ。アンコウ殿、これは私自身が加わろうと、」
「それは愚策でしょう。総大将が奇襲襲撃部隊を率いるなんて。あなたが死ねば、砦は大混乱だ。わかっているでしょう」
「で、ですから、そのときの対応をアンコウ殿に、」
「お断りですよ、そんなのは」
総大将が撃ち取られるような大混乱に乗じて敵に攻められれば、アンコウは自分ひとりが逃げおおせる自信すらまったくない。
ましてや、誰が砦の砦守将の代理の代理なんかするもんか、なのである。
たとえアンコウがどのような選択を取ったとしても、多少他人より力があったところで、防壁が破られ、あれだけの軍勢の数の暴力の前にさらされるような状況になれば、為す術など一瞬でなくなる。
それにそんな状況になれば、この右腕の黄金の腕輪をしているアンコウは、剣を持ち、手柄乞食のように目を血走らせた連中に真っ先に狙われることは目に見えていた。
「情の問題じゃない。客観的に生き残れる可能性の問題だ。目的はあの銀髪の獣人の戦士を討ち取ること。
はっきり言いますよ。個人の戦闘能力で言えば、あなたより俺のほうが上だ。
そしてあなたはこの砦の総指揮官で、俺はこの派手な腕輪をはめているだけの好き勝手に動いている人間。である以上、その作戦の攻撃部隊に入るのは、俺のほうが適任だってことは誰にだってわかる」
「ア、アンコウ殿っ!くくっ」
ヒルサギは目を閉じて、顔を真っ赤に染め、歯を食いしばり、両手を硬く握り締め、体を震わしていた。
ヒルサギは全身で、アンコウ殿、この砦のためにっ!とでも言っているようであり、誰がどう見てもヒルサギは何やら感動しているようだった。
「アーっと………」
こいつまた何か勘違いしているなと、アンコウは内心少し引きながら、そのヒルサギの様子を見ていた。
そして少し面倒くさくなったアンコウは、それ以上は何も言わず、ヒルサギの体の震えがおさまる前に、その場を一人立ち去ったのであった。
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