第34話 暴力夫の末路

(バカだよなぁ、こいつら)


 アンコウは白刃をきらめかせて、迫りくる男たちを見て思った。

 この連中もおそらく精霊封石弾の1つや2つは用意しているだろう。しかし、アンコウのように使うことをしない。

 テレサという女を手に入れ、思うようになぶるという欲望から開放されていないからだ。


 精封弾を使えば、テレサも巻き込んで、壊してしまうかもしれない。テレサの体の刀傷がいずれも浅いものであったのも、同じ理由だろうとアンコウは思っている。


 もしアンコウがマルキーニョスの立場にいれば、ありったけの精封弾を使い、テレサもろともアンコウを吹き飛ばそうとするだろう。


(敵がバカな分には大歓迎だ)


 アンコウは後ろに回した手から何かを取り出し、再び前面の敵目掛けて何やら物体を投げつけた。


「うわぁ!ま、まだ持っていやがった!」

「精封弾だっ!」

「ハハッ!誰が打ち止めだって言ったよ!」


 アンコウに迫ってきていた男たちは一斉に足を止め、アンコウが投げつけたものから逃げようとする。


パリンッ!

 アンコウが投げつけたものは地面に接すると同時に、先ほどのように爆発するのではなく、ただ砕けた。


「「あ!?」」

 アンコウが投げつけたものは精霊封石弾ではなく、アンコウが飲み干したポーションの空き瓶だった。


「資源の有効利用さ」


 アンコウは連中が怯んだ隙に一気に距離をつめていた。そして手に握られた剣はすでに、標的めがけて振り下ろされ始めていた


「ギャーッ!」

「グワァーッ!」


 アンコウの剣をうけて、一番先頭を走っていた2人の男が血飛沫をあげながら崩れ落ちる。

 そのままアンコウは足を止めることなく、真っすぐにマルキーニョスに迫る。


「つ、つまらねぇマネを!なめるなよっ!」


(全員引っかかってるじゃねえかよ)


ギャンッ!

 アンコウがジャブを打つように繰り出した剣戟を、マルキーニョスは全力で何とか受け止めた。


「み、見たかっ!」

「ああ、目は見えているんでね」


 そして、アンコウは無言のまま、いつのまにか口に含ませていた鉄粒を勢いよくマルキーニョスの目玉を目がけて噴き出した。


プッ!!

「ギャアーッ!」


 互いの剣と剣とを押し合う近距離である、アンコウが狙いを外すことはなかった。

 目玉に鉄粒をめり込ませたマルキーニョスは、剣を闇雲に振り回しながらフラつくように後退していく。

 しかしアンコウは、弱った敵を逃しはしない。


 アンコウは間髪あけずにマルキーニョスに斬りかかり、その両腕を斬り落とした。


「ギィヤアァーッ!!」


 その突然出現した凄惨な光景に、まわりにいる反グローソンの敵どもだけでなく、テレサたちも言葉を失う。

 マルキーニョスに、もはや戦意はない。


「ひひぃっ、あがあぁー、」と言葉にならない呻き声をあげながら、フラフラと今にも崩れ落ちそうになっていた。


 しかし、アンコウのマルキーニョス一人に対する攻撃はまだ終わっていなかった。

 アンコウは両腕がなくなったマルキーニョスの装備の中に、残りひとつとなっていた精霊封石弾をねじ込んだ。

 腕がなく、もはや半死半生となっているマルキーニョスは、その精封弾を取り除くこともできない。マルキーニョスは人間爆弾となった。


 そのマルキーニョスをアンコウは、さらに敵の男たちがいる方向へおもいっきり蹴り飛ばしたのだ。

ドォガッ!!

 「「う、うわぁーっ!」」


 剣を持った男たちが、蹴り飛ばされてきたマルキーニョスから蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。アンコウが持っていた精封弾は3つとも爆発系の火の精霊封石弾。


ドオォンッ!と爆ぜた。


 肉が焼け焦げるいやな匂いが周囲を漂う。誰も動く者がいない。

 敵も味方もマルキーニョスだった肉塊を見て言葉を失っていた。


 残酷な光景であったし、最後の精霊封石弾を無駄に使ったようにも思える。しかし、それはアンコウの計算どおりの光景でもあった。


 連中がアンコウを見る目に明らかに強い恐怖の色が混じるようになっていたからだ。

 アンコウは攻め寄せる足が完全に止まってしまった敵の男たちをぐるりと見渡している。


 マルキーニョスよりも強いかもしれない者は、アンコウの見るところ一番後方に控えている獣人の戦士だけだ。

 しかしその獣人の戦士とて、アンコウはマルキーニョスとドングリの背比べであろうと見ていた。


 その男を含めて、ここにいる全員がアンコウに恐れをなしていた。


「ハハッ、こりゃあ気持ちがいいな」

 アンコウ初めての体験である。


 アンコウは片手で剣を構え、もう片方の手にはマルキーニョスを蹴り飛ばす時に彼から引っぺがした亜空間収納の背嚢はいのうをしっかりと持っていた。


 マルキーニョスの野郎は威張っていた。きっと大事なものは、あの信用ならない奴隷の荷物持ちに預けることなく、自分で持っているに違いないと、殺したついでに奪い取った。

 アンコウの戦利品であり、お楽しみ袋みたいなものだ。


 後方にいる獣人の戦士も、近くにいる者も、誰も動こうとしない。

 それを見てアンコウは、片手で構えていた剣をゆっくりとおろし、離れたところにいる獣人の戦士を見つめ、おどけるように首を傾げながら虫を追い払うように剣を振ってみせた。


 それは、とっとと消えろというアンコウの意思表示だった。アンコウはこの獣人の戦士はマルキーニョスと違い、頭を使い、損得を考えて行動するタイプだとみていた。


 この男はずっと後方で全体を見渡しながら、アンコウが現れるまではどこか面倒くさげに指示だけを出していた。

 おそらくこの男は周りにあわせていただけで、明らかに自分より強いと思われる相手を敵に回してまで、女を欲しがってはいないだろうと。


 そして今も逃げ出さずに踏みとどまっているのは、背中を見せたとたんにアンコウに攻撃されることを恐れているからだとアンコウにはわかっており、それゆえアンコウは態度で消えろと示して見せたのだ。


 獣人の戦士は、アンコウのその意思を正確に読み取ったようだ。

 獣人の戦士は相当警戒をしているようであったが、このままここにいても殺されるだけだと覚悟を決めたのか、アンコウに背中を見せると脱兎だっとのごとく走り出した。


 獣人の戦士の姿はすぐに建物の中に消え、アンコウの視界からいなくなった。

 アンコウはその場から動くことなく、ただそれを見ていた。


 そして、この中庭にいた他の者たちも、次々にその獣人の戦士のあとに続き、アンコウの前から消えていく。



「ふうーっ、」

 アンコウはその光景を見て、大きく息を吐き出した。

(よし。これ以上、余計な斬り合いをせずに済みそうだな)


 アンコウにはこの連中が戦闘を放棄してくれるならば、それを追いかけてまで戦い続けなければならない理由はない。

 アンコウが余計なリスクと無駄な体力の消耗を避けるために、わざと自分の力をみせつけるようにマルキーニョスを惨たらしく殺してみせた効果は上々であった。


 アンコウは手に持つ剣を鞘におさめ、空いた手を奪った魔具鞄の中に突っ込んだ。

(オオッ、結構いいもんが入ってるな)


 アンコウは魔具鞄の中を確認しながら、どこを見るわけでもなく、大きく声だけを発した。


「さてと……おい!残っている奴らは俺とやるつもりなのか?」


 ほとんどの者が去った後も、この場にわずかながら残っている者たちがまだいた。

 アンコウは煩わしそうに眉間にしわを寄せながら、周囲を確認する。


「ん?」

 その残っている者の中にはテレサの亭主の姿もあった。


 アンコウが奇妙に思って残っている者たちを確認すると、そこに残っている全員が首に輪っかをはめていた。奴隷だ。


 彼らは自分の所有者である主をアンコウに殺された者たち。彼らはいずれもすでに武器を放棄しており、アンコウと戦う気もまったくない。

 アンコウは彼らにむかって、大きく手を払うように振った。


「おい、お前らもる気がないなら、さっさと消えろ。それともご主人様の仇討ちでもするつもりなら相手になるぜ」


 アンコウにそう凄まれて、彼らは首を振ったり、手を振ったりして、そんなつもりはないことをアピールしていた。

 しかし、それでも彼らはこの場から去ることを躊躇ちゅうちょしていた。


「んだよ、こいつら」


 アンコウが煩わしさを隠すこともなくあらわにしていると、テレサの横についていた屋敷の警護兵の男たちがアンコウに近づいてきた。


「アンコウ殿、彼らは主をなくした奴隷のようです」

「ああ、みたいだな」


「ご存知かとは思いますが、奴隷は、たとえその主が死んでも奴隷であるという身分は変わりません。戦いで主が敗死した場合、たとえその主が奴隷の死後処分に関して何か言い残していたとしても、その戦いの場で捕らえられた奴隷に関しては、勝利者にその所有の優先権があるとされています」


「……ああ、そうだったなぁ」


 アンコウは知識として知ってはいたが、アンコウに彼らを自分の奴隷にする意思などなく、そのことは言われるまでまったく頭に浮かんでいなかった。


「なあ、あんたなら、あいつらいるかい?」

「えっ?いえ、私は、」

 警護兵の男は首を横に振る。そして男は言葉を続ける。

「アンコウ殿、売れば多少の金にはなるかと思いますが」


 アンコウにそうすることを進めているというのではなく、よくある事実として一応言っておいたという感じだった。アンコウはその進言にただ苦笑いで答えた。


 アンコウが彼らを相手にすることなく、その場から動き出そうとしたとき、アンコウの一番近くにいた奴隷の男が近づいてきた。


「あ、あの!」


 その男はテレサの亭主とは違って、戦闘中は剣を手に持って戦っていた奴隷だった。だからといって、それはテレサの亭主より扱いが良いと言うわけではない。

 たいした力もないのに戦場で剣を持たされる奴隷など、盾代わりの使い捨てに過ぎない。ある意味、荷物持ちのテレサの亭主より過酷な扱いだ。


「なんだよ」

「あ、あの、わしらはこれからどうしたら、」

 主がいなくなった奴隷の行く末など、ろくなものではない。

「知らねぇよ。さっきの連中のところに行けばいいだろ」


 アンコウの言うとおり、アンコウに彼らを所有する優先権はあるが、別に彼らの所有者になったわけではない。

 アンコウにしてみれば、逃げた先で勝手に奴隷をやっていろと言うところだ。


「い、いや……あいつらのところは嫌なんだ……」


 よほど待遇に不満があったのだろう。この男たちはさっきの連中のところに戻っても何も変わらないと考え、この場に残っていた。

 アンコウはその男の言動を見て、つまりこの奴隷の男は、アンコウのところでもっと待遇のいい奴隷にしてくれと言っていると判断した。


「……うっとおしいな」

「えっ」


 アンコウはこの奴隷の連中にかける情けなどこれっぽっちも持ってはいない。

 大体ついさっきまで自分を殺そうとしていた奴らだ。図々しいにもほどがあるとアンコウは腹が立った。


 アンコウはついさっき鞘におさめたばかりの剣を引き抜き、自分にふざけたことを言っている男に剣先を突きつけた。


「ヒィッ!」


「消えろ。お前らを俺の奴隷にして何の得があるんだよ。売り飛ばすのも面倒だ。会ったばかりの人間にすがってんじゃねぇよ、気持ち悪りぃ。こっから先は自分の力であがきやがれっ!」

ドスッ!

 アンコウは男の腹のあたりを押すように蹴った。


「ヒィッ!」

 男は蹴られた勢いで、地面に倒れたが、別にダメージを負うような蹴り方をされたわけではない。


「消えろ!殺すぞ!」

「ヒイィィッ!」


 アンコウに怒鳴られて、奴隷の男はあわてて立ち上がり走り去っていく。その様子を見ていたほかの奴隷たちも恐れをなしたように逃げていった。



「さてと、」

(まぁ、思ってたよりも余計な戦いをせずに済んだな)

 アンコウは少し安心したように一度大きく深呼吸をした。

「フゥーッ、……んっ?」



「いい加減にして!あなたが私たちに何をしたのかわかってるの!」


 アンコウが、ほっと一息ついていると、少し離れたところにいるテレサの大きな声が聞こえてきた。

 アンコウがテレサのいるところに目をやると、テレサが自分の前にひざまずいている元亭主に向かって、怒りの声をあげているところだった。


「……はぁー。テレサがこっちに来ないと思ったら、あっちもか」


 テレサの元亭主は、まだ逃げずにこの場にとどまっていた。

 この男がここに留まっている理由・目的は、逃げていった他の奴隷たちと同じであったが、この男はアンコウに直接すがるのではなく、元自分の女房であるテレサにすがりついていた。


「……もう、勝手にしてくれ」


 ほとほと面倒になってきたアンコウは、すぐにテレサのところに行こうとせず、脱力して、その場に立っていた。

 それでも周りが静かになったこともあり、テレサたちの会話がアンコウの耳にもとどく。


「頼む、テレサ。お前からお前の主人に頼んでくれ。もうあいつらのところには戻りたくないんだ」


 テレサのこの男に対する怒りは限界を超えていた。

 テレサは、この男の好き勝手に人生の半分以上耐えてきた。その挙句この男の借金が原因で店は奪われ、奴隷の身に落ちた。


 そして何の因果か久しぶりに会ったと思ったら、自分と同じく奴隷となったこの男は、自分の主たちの玩具として元女房であるテレサを喜々として差し出そうと、ついさっきまでしていた。


 それをよくも何もなかったかのように、恥ずかしげもなく自分に頼み事などできるものだと、テレサは本気でこんな男は知らないとあきれ果てていた。


 テレサの忍耐が限界を超えていることを知ってか知らずか、この男はさらにテレサの心を刺激する言葉を吐いた。


「なぁテレサ、2人で何とか元の生活に戻ろう。俺たち2人がそろっていたほうが、ニーシェルも喜ぶってもんだ」


「なっ!」


バシィッ!

 亭主が横っ面を強烈にテレサにひっぱたかれて吹き飛んだ。

 大切な娘であるニーシェルの名前を出されてテレサの怒りが沸点を超えたのだ。


「ふざけないで!あの子には、もう父親はいない!たとえいたとしてもそれはあなたみたいなクズじゃないわ!あんたみたいなクズ、誰の親にもなれやしない!」


 この男が再びニーシェルの前に現れるようなことがあったら、あの子は必ず不幸になるとテレサは思った。テレサは母親として、それだけは絶対に許せなかった。


「あなたはあの子に何をしたの!あなたはあの子の不幸の原因でしかないわ!2度とその口であの子の名前を呼ばないで!……そうよ、あなたなんか死ねばいい。そうすれば、あなたはもうあの子に何もできなくなる、あんたみたいなクズは死ねばいい!、~~


 それから続いたテレサの元亭主を罵倒する言葉も、相当強烈なものだった。

 少ししたら間に入ろうかと思っていたアンコウも、そのテレサのあまりの剣幕に近づくことをためらったぐらいだ。


 それは、これまでに溜めに溜めたテレサのこの元亭主に対する負の感情が一気に噴き出している感じだった。


「なんかスゲェな。どこの昼ドラだよ」


 しかし客観的に今の状況をみれば、テレサの吐く言葉は確かに強烈ではあるが、テレサが一方的に元亭主を口で攻め立てているだけであり、アンコウはいくら怒り狂っているとはいえ、あのテレサがそれ以上の暴力行為に走るとは思わない。


 逆にアンコウはテレサのあまりの剣幕を見て、この機会に少しテレサの心の中に溜まっているものを吐き出させたほうがいいと思った。


 実際テレサもどれだけ腹が立っていても、これ以上の暴力的な行為を元亭主に対しておこなうつもりはなかった。


 しかし、そこにアンコウの油断があり、想定外の事態を招くことになってしまった。アンコウはテレサではなく、テレサの元亭主の愚かさをまだ低く見ていたのだ。

 そのためにアンコウは、筋金入りの愚か者の極みというものを見ることになってしまう。


「だ、黙れーッ!!」


 テレサの元亭主は、テレサに殴られ、さらに自分に対する悪口雑言を受けてキレたのだ。


 テレサはトグラスで女将をしていたころ、一時期夫婦喧嘩をよくした時期はあったが、ここまで無情な口撃をこの男に加えたことはなかった。

 テレサは常に最後まで我慢していた。しかし今のテレサにとって、この目の前にいる男はただの厄介な他人にしか見えていない。


 それがこの元亭主にはまったく理解できていなかった。

 自分の所有物ぐらいに思っていた妻という名の女に強烈に自分を否定され、攻め立てられて、周りの状況も何も関係なく、ただ怒りだけで反応した。


 本当にどうしようもない男だった。

 確かにテレサの強烈な言葉の羅列ではあったが、元女房のテレサの怒りを買った原因はすべて自分自身にあるにもかかわらず、この男はキレた。

 しかも、信じられないことにこの男は地面に転がっていた刃物を手に取ったのである。


「バカがっ!」

 それに気づいたアンコウは慌てて走り出すが、距離的に間に合わない。


「な、何を」

「ち、ちくしょーッ!」

「や、やめてーっ!」


 亭主がテレサに向かって、刃物を手にしたまま突っ込んでいく。


「おい!やめろーっ!」


「ギャアァァー!」


 絶叫が響き渡る。

 目の前でその瞬間を見たアンコウは、思わず走る足を止めた。


「ちぃ、クソッ!」


 刃の先が背中から突き出していた。突き刺した剣が完全に体を貫いている。


「あ…あ…あぁっ…」

 テレサが小さな声を漏らしながら、体をおこりのように震わしていた。


 テレサの震える両手は、しっかりと元亭主の体を貫いている剣の柄を握っていた。


そう、亭主の手に持つ刃はテレサにとどくことはなく、その前にとっさに引き抜いたテレサの剣が亭主の体を刺し貫いていた。


 刺したテレサも、刺された亭主もその状態のまま、体を震わせ固まっている。

 そんな二人の間近にまでアンコウは近づいていき、状況を見極めようとする。


(……これは…だめだな)

 アンコウはポーション瓶を取り出そうと、先ほど奪った亜空間背嚢の中に手を突っ込んでいたのだが、そのまま何も掴むことなく手を取り出した。

(……どうしようもない)


 テレサが元亭主を刺した傷は、明らかに致命傷だった。

 アンコウの持つ背嚢の中に入っているポーションでは救うことはできないと、アンコウは判断した。そのアンコウの判断は正しい。


 あまりに刺し貫かれた場所が悪すぎた。すでにこの亭主にこの世で残された時間は極わずかしかないだろう。


「アガ、アガガ、ガ、」

 元亭主の口から漏れる声は、すでに言葉にもなっていない。


(本当に、このバカは、)

 アンコウは激しく顔を歪ませながら、もはや死相の浮かんでいる男の顔を見ている。


「ガハッ!」

 元亭主が口から血を吐き、それがテレサにもかかる。

 亭主の吐いた血が顔にかかったことで、我を取り戻したテレサが叫び声をあげようとした。

「キ、キャアァ」

ドンッ!

 ドサンッ

 しかし、テレサは叫び声をあげる前に誰かに突き飛ばされて、地面に尻もちをついてしまった。


「……な、なにを、え?だ、旦那様?」


 尻もちをつきながら、顔をあげたテレサの視線の先に、自分がさっきまで握っていた亭主の体を貫いている剣の柄を握るアンコウの姿があった。

 強引にテレサの場所を奪ったアンコウは、ためらいなく無言でテレサの亭主に突き刺さっている剣をさらに深く突き入れた。


「フガボォ、」

 亭主の口からさらに血が溢れ出てきたが、もうこの男の意識はほとんどない。


 もはやこの男の体には力が入っておらず、崩れ落ちるだけとなっている。

 それをアンコウが男に刺さった剣を持つことで、男が倒れるのを支えているような状態だった。


 そしてアンコウは男の呼吸が途絶えたのを確認してから、剣を持つ手の力を抜いた。

 テレサの元亭主であった男は、ゆっくりと地面に倒れ伏した。男にはもう息はなく、心臓はその鼓動を止めていた。


「テレサ」


 アンコウはテレサの名を呼び、テレサの顔を見る。

 目を見開き、口を半開きにし、呆気にとられていたテレサがアンコウの呼びかけに反応した。


「は、はいっ」

「テレサ、この男は俺たちを殺そうとした敵の仲間だ。俺が逃げる機会を与えたのに、それを無視して剣を取った。だから俺が殺した。自業自得だ」

「…あっ、」


 そしてアンコウは、手に持っていたテレサの亭主に刺さっていた剣を力いっぱい遠くに投げ捨てた。

 次いでアンコウは、周りをぐるりと見渡して、この場での面倒くさそうなことが完全に終了したことを確認した。


 そして、それ以上テレサに話しかけることなく、実は先ほどから目をつけていたもう一つのものに向かって歩き出した。

 アンコウの視線の先には、アンコウが肩にかけているものと同じような亜空間収納の背嚢らしきものを背負った戦士の死体が1つ転がっていた。


(んー、あれには何が入ってるかな。戦闘終わりのお楽しみ袋の追加だな)



「あ……旦那様」


 テレサはまだ地面にへたり込んだまま、どこかへと歩いていくアンコウの背中を見つめていた。


「テレサさん、大丈夫ですか?」

 そこに先ほどまでテレサを守ってくれていたこの屋敷の警護兵たちがテレサに声をかけてきてくれた。


「申し訳ない。あなたのそばに1人は残っておくべきだった」

「い、いえ、ありがとうごさいました」


 その2人の警護兵も歩いているアンコウの背中を見ていた。


「テレサさん。アンコウ殿はあなたのために……」

「……はい、わかっています……」


 テレサも2人の警護兵も、テレサの元亭主は、テレサに突き刺された剣によって致命傷をうけていたことを理解していた。

 テレサはこの戦いで初めて人を剣で斬った。

 しかも、その中に元夫である男までいれば、そのショックはきわめて大きくなることは想像に難くない。


 だからアンコウは、わざわざもう助からないその男をテレサの前で自分の手で命を奪って見せた。

 テレサと警護の男たちは、アンコウのその行為はテレサの心の負担を軽くするためにしたことだとわかっていた………と、この3人は思っている。


 この警護の男たちも戦場に身を置くようになってから古い。戦場の経験が人の精神を深く傷つけることをよく知っている。


「テレサさん、大丈夫。今のあなたの主はあの人だ」

「……はい」


 警護の男たちと言葉を交わすテレサの声は、かすかに震えてはいたが比較的しっかりとしていた。そしてテレサのその目も正気は保っている。

 2人の警護の男たちはそれを見て、お互いに顔を合わせてうなずいた。


 短い間の付き合いしかなかったが、2人はテレサは強い女だと思っている。

 それに奴隷であるテレサのために、文字通り血をかぶってテレサの心の負担を軽くしようとしたアンコウがいれば、この女は大丈夫だろうとうなずいたのだ。


 3人の視線の先で、そのアンコウは独り立ち尽くしている。


「チッ、ロクなもんが入ってなかったな。大体この魔具鞄ほぼ壊れてるじゃないか。こんなもん戦場にまで持ち歩くなよっ。わざわざ取りに来て損したぜっ」


 アンコウは本当に数えるほどしか入っていない鞄の収納物を一応とり出して、その背嚢を放り投げた。まるでどこかの引ったくり犯のような振る舞いである。

 アンコウは2つほどのポーション瓶と小銭入れと思われる袋だけを自分の背嚢の中に入れた。


 そして残っていたボロギレのような毛布を1枚手に持つと、再びテレサたちのいるところへ向かって、アンコウは歩き出した。



 そのままアンコウは、息絶え血まみれで地面に倒れているテレサの元亭主の死体のある辺りまで戻ってくると、手に持っている毛布をバサリと広げて、この男の全身が隠れるようにフワリとその毛布を掛けてやった。


(死人に口なし…あー、これはちょっと違うな。どんな愚か者も、死ねば皆仏の身…だったかな)


 そしてアンコウは、テレサの横に立っている二人の男の向かって声をかけた。


「いろいろありがとう。助かったよ」

「いえ、これがわれらの仕事ですから」

「ああ、そうだ。モスカルも戻ってきてるぜ。さっきまでは正門の外のあたりで戦っていた」

「おお!そうですか。ならば俺たちは行かなければ」


 そう言うと2人の男たちは速やかにその場から去っていった。


「テレサ、おれたちも行こう」

「は、はい」





 アンコウは屋敷の中の一室にテレサと入り、テレサの傷の手当てをしていた。

 幸いテレサに大して深い傷はなく、これからこの町から脱出するにあたって、テレサを連れて行くことができるなとアンコウは判断した。


 アンコウとしてはここまで来てテレサをここに放置していくのはさすがに心苦しいと思っていたが、そうせざるを得ないと判断すれば、アンコウは自分の利益のためにテレサを切り捨てることも、今も選択肢に入れている。


 体の傷だけではなく、心の傷もそうだ。人によっては戦場で深く精神に傷を負い、まともな行動が取れなくなってしまう者も少なからずいることをアンコウも知っている。


 アンコウは、テレサは精神的には自分より強いのではないかとさえ思っていたが、それでも初めて人をその手で斬るという経験の衝撃は、人によってはかなり大きいものになる。


 ましてや、ロクでなしとはいえ元亭主を自分の手で殺したというのテレサの精神的ダメージは、テレサの人の良さゆえに間違いなく大きいだろうと、アンコウは思っていた。


 アンコウとしては、あんな男を殺したぐらいでテレサに壊れられては非常に困るのだ。

 だからあえてテレサの目の前で、アンコウ自らの手であの男の息の根を止めた。


 確かにそれをすることで、逆にテレサの精神にさらに大きいダメージを与えてしまう危険性もあるとは思っていたが、そうなったときこそ、テレサを放棄すればいいとアンコウは思っていた。

 そして結果的に、テレサの心はアンコウの望む良い方向に反応したようだ。


(少し心配だったけど、大丈夫そうだな)


 アンコウはテレサの服を脱がし、彼女の体の傷にポーションをひたした布を当て、傷によっては包帯を巻きつけるなどしていた。


「テレサ、痛くはないか?」

「……はい、大丈夫」


 テレサ自身もアンコウから渡されたポーションを一瓶飲み干しており、あまり高級といえるものではなかったが、ちゃんと効果は出ている。


「あの、旦那様、」

「ん?何だ?」

「助けに来てくれてありがとう」

「……当たり前だろう。お前を守るのも俺の役目だ」


 アンコウはかなり格好の良いように言った。しかしそのアンコウの言葉は、心にも無いことを言ったとも言える。

 ただ自分とテレサの関係を考えれば、真実はどうあれ、そう言ったほうがいいとアンコウは思った。

 

 テレサも心の中では、アンコウが完全に本心で言ったセリフだとは思っていない。

 ただテレサは、死んでしまったあの男よりも、この男のほうが何十倍もマシだと思っている。たとえ自分が奴隷の身でもだ。


 ウソかも知れないと思っていても信じているほうがいいこともある、ということをテレサは知っている。

 テレサは異世界人のアンコウよりも、この世界を生きる心の耐性を持っている大人の女。


 アンコウは傷の手当てを終えたテレサの肌を見ていた。白く柔らかい女の肌だ。

(……きれいだな)

 テレサの肌は本当にきれいだった。アンコウはこの女の肌の美しさに自分が関っていることを知っている。


 こうして間近でテレサの体を見れば、一時は本気でこの女を見捨てることを考えたことが信じられなくなってくる。


 しかし、そう思えてくるのは、多少安全な場所を確保したことによって湧いて出てきた男の色欲の力の影響にすぎない。そして、その欲の影響が、少しアンコウの行動にも現れた。


「ああっ。だ、旦那様、そ、そこは怪我はしていません」

「……ああ、そうだな」


 さすがにアンコウは今の状況で、あの連中のように劣情に完全に行動をゆだねるようなまねはしない。アンコウはテレサのそこから手を離す。

 その代わりに、後ろからやさしくテレサを抱きしめた。


「あぁ、旦那様」

「それからテレサ。俺があの男を殺したことは、ニーシェルには言うなよ」

「えっ、」


 この先またテレサが娘のニーシェルに会うことがあったら、間違いなくテレサは苦しむことになる。ニーシェルの父親が死んだこと。そして父親がどのようにして死んだかを話すこと。


 アンコウはそんなことはわざわざ話す必要はないし、悩んだりするだけ無駄だと思っている。しかし、このままでは必ずテレサは迷い、悩むことになるだろう。


「いいか、これは命令だ。ニーシェルにとっては、あの男は今もどこかで生きているかもしれないし、死んでいるかもしれない。それでいい。お前の主として命令する」

「は、はい……旦那様」


 アンコウのその気持ちは、ちゃんとテレサに伝わっているようだ。そしてアンコウは、テレサを抱きしめる手にグイと少し力を籠める。


「テレサ」

「は、はい」

「お前は俺のものだ。勝手に他の男に抱かれるな。勝手に壊れることも、死ぬことも許さない」

「……はい」


 アンコウは、この先テレサがその手で自分の亭主だった男を刺したことを忘れることはないだろうと思っている。

 それをテレサが自分の中でどう処理するかは本人次第だが、アンコウはテレサがこうしてそばにいる限りは、その痛みを可能な限り引き受けてもいいと思っていた。


 なぜならアンコウとしては、あの男が死んだことでうける心の傷など何一つないのだから。あの男をどんな殺し方をしたとしても、何ら心に痛みを感じることはない。


(ウソでも俺が殺したと思っていればいいのさ)


 テレサはアンコウの腕に抱かれたままで、アンコウのほうに顔をむけ、アンコウの顔を見上げた。


「……旦那様」

「テレサ」


「……んんっ」

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