第33話 ネルカ騒乱

ズシャッ!

「アンコウここは任せろ!お前は屋敷の中に!」


 マニが血刀を振るいながら叫んだ。


「わかった」

( くそっ、仕方がないな)


 アンコウたちは城を出て、ネルカに来てから滞在していた屋敷にまで戻ってきていた。

 実はアンコウは、この屋敷には戻らず、そのままネルカを離れることも真剣に検討していた。


 普通に考えて、ネルカを脱するまでに要する時間は、なるだけ少ないほうがよいと思っていたし、それに冷たいようだが、アンコウにはテレサが足でまといになるかもしれないという計算もあった。


 しかし、アンコウが断を下す前にマニが馬を走らせていた。テレサを迎えに行くと言いながら。


 アンコウとしても、テレサには冷徹になりきれない情をすでにもっており、心の中でマニに文句を言いながらも口には出さず、結局アンコウもこの屋敷に向かって馬を走らせた。


 グローソンに対する抵抗者たちの攻撃はひとつのまとまりではなく、同時多発的にあちこちで起こっていた。

 それはアンコウたちが滞在していたネルカ城の外輪区域にまで及んでおり、しかも、アンコウたちが滞在していた屋敷も襲われていたのだ。


 アンコウたちが滞在していた屋敷には、アンコウたちの他にも外部から来た者たちが多く滞在していたのだが、そのなかに反グローソンの組織につながる者たちが多数入り込んでいたようだ。


 その者たちが、ネルカの各所で起こっている戦闘に呼応し、この屋敷で戦闘を始め、さらに多くの自分たちの仲間をこの屋敷に引き込んだらしい。


 アンコウたちが屋敷の前についたときには、すでに激しい戦闘がおこなわれており、アンコウはここでもマニに引きづられるように戦闘に巻き込まれていった。

 結局アンコウたちについてきていたモスカルも、味方の戦士たちをまとめ、なかなか見事に戦っていた。


 特に屋敷の正門付近での戦闘が激しかったようだが、アンコウとマニが参加してからは、逃げ出す反グローソンの者たちが続出した。

 ここにはそれほどの抗魔の力を持つ者はいないようで、マニとアンコウに対抗できる敵はいなかった。


「アンコウ!テレサを頼む!」

「……チッ、わかったよ」

 アンコウはマニの言葉を背中で聞きながら、屋敷の中に飛び込んだ。


 アンコウは城の本館を出てからここまで、どうもマニに主導権を取られているようで少し気分が悪かった。それでも、アンコウにもテレサを心配する気持ちはあり、ここまで来た以上はと、急いで屋敷の中を走っていった。


 正門付近と比べると中は随分人が少ないようで、時おり見かける敵と思われるものたちをアンコウはすれ違いざまに呪いの魔剣で次々に斬り伏せていく。

 屋敷の中に入り、何人目かの敵を斬り倒したとき、アンコウは不意に足を止めた。


「……………」

アンコウは何ともいえない興奮を覚えていた。


 これまで魔剣との共鳴を起こしても、正気を保っていたときはいつも自分より強い相手が目の前にいて、共鳴により増した強さを実感することがなかった。


 だが、この屋敷では違う。ほとんどが赤鞘の魔剣との共鳴なくとも、一対一ならばアンコウが余裕で倒せるような相手ばかり。

 アンコウは新たに得た力を使って、そのような者たちの命を苦も無く刈り取っていく。


「んだよ……俺、強くなってるじゃん」


 アンコウはこれまでとは違う一種の陶酔感のような感情の動きで、呪いの力に飲まれそうになる自分を感じた。


「っとぉ、だめだ、だめだ」

 アンコウは頭を振り、自分の心に冷静さを取り戻させる。


「……急ごう」


 アンコウは再び走り始めた。

 今度は手向かいしてこない者や他の誰かと斬り合いをしているような者は、無視をして通り過ぎていく。


(考えてみりゃあ、どっちもどうでもいい奴らだからな。共倒れでもすりゃあいいんだ)


 アンコウはだいぶ冷静に状況を見られるようになっていた。



「いやぁーッ!やめてーッ!」


 アンコウが走っている前方に見える部屋から、女の悲鳴が聞こえてきた。

 アンコウはその女の悲鳴の質から、女の身に何が起こっているのかを容易に想像することができた。だが、

(テレサの声ではないな)

 アンコウは足を止めることなく、その部屋の扉の前も走り抜けていく。

 

 その際についアンコウはチラリとその部屋の中を横目で見た。

 アンコウの目に、3人の男が1人の女の周りに群がっているのが見えた。

(やっぱりテレサじゃない)


「いやぁーっ!」

 女の悲鳴が、部屋を通り過ぎたアンコウの背中のほうから聞こえた。

 その時、アンコウの鼻腔にありもしないバラの香りが薫った。


ザッ!ザザァーッ!

 アンコウは急停止して、過ぎた廊下を振りかえる。

「…………」


 アンコウにとって、その女はどうなろうとどうでもいい女だった。

 それこそ生きようが死のうが、口のまわりをヨダレまみれにした男どもに襲われようがだ。ただ、アンコウはまた嫌なことを思い出してしまった。


 こんな光景はこれまでにも何度も見てきたはずなのに。見て見ぬふりをしてきたはずなのに。


 長いあいだ記憶の底に押し込めていた記憶が、また生々しくアンコウの心によみがえる。あのバラのせいで、アンコウの心はかなり敏感になってしまっているようだ。


「チイィッ!」


 そしてアンコウは、もと来た方向に廊下を走り出す。


 その逆走をはじめたアンコウの顔は、先ほどの冷静さを取り戻した顔ではなく、激しい嫌悪と怒りの色で染まっていた。

 アンコウは有りもしない纏わりつくバラの香りの中にいた。



「やめてぇー!」

バシィッ!

 頬をはたかれた女の顔が激しく揺れる。


「うるせいぞ!暴れるんじゃねぇよ!」

「えへへへっ」

「ぐふふっ」


 アンコウはその部屋の入りざま、床に唾をはき捨てた。

(キモチワリィ)

 3人の男たちは、凄まじいスピードで部屋に入ってきたアンコウにまだ気づいていない。次の瞬間、


「くそがあぁーーッ!」


 アンコウが叫び声が部屋に響くと同時に、その女に覆いかぶさっていた男の首がなくなり、女は全身に血しぶきを浴びていた。

ブシューッ!

 何が起こったのかわからず、呆然とする女。残りの2人の男も直ぐには反応ができていない。


 気がつけば、アンコウがベッドのうえに仁王のごとく立っていた。アンコウの尻がうずいている。


「ぐぐぅ、くそどもがぁ、」


「な、何だお前!」

「は、はわ、ジャ、ジャック!」

 この2人の男たちも、すでに下はパンツまでズリさげていた。


「目障りなもんおっ立ててんじゃねぇよ!」


 一閃、二閃、アンコウは手に持つ赤鞘の魔剣の輝きを増した刀身を音もなく振るった。

 おそらくこの半裸の破廉恥漢はれんちかんたちにはアンコウの振るう剣が見えていなかったはずだ。


「ア…ガッ…ガ…」

 2人とも喉を切り裂かれて悲鳴をあげることもできない。

ドッ!ドンッ!

 アンコウは2人の血がかかる事を嫌い、喉を切り裂くと同時に2人を蹴り飛ばした。


 アンコウがこの部屋に飛び込んできてごく短い時間で、3人のもの言わぬ死体ができあがった。

 アンコウは剣についた血をふるい落とすため、剣を上から下に空を裂く。


 ピシュッ!

 その刀身から飛んだ血が、乱れた衣服のまま呆然とベッドのうえにへたり込んでいた女の顔に勢いよくかかった。

 ビチャッ!ビチャッ、ビチャッ!


 そして、我に帰った女の口から、再び大きな悲鳴があがった。


「…あ……キ、キイャアァーッ!」


 しかし、アンコウは先ほどとは違い今度は女の悲鳴に反応を示さなかった。

 三バカを斬り倒した時点でアンコウの鼻に纏わりついていた幻のバラの香りは消え去っていた。


 アンコウは立っていたベッドの上から飛び降り、一度もうしろを振り返ることなく、血溜りのできている床の上を歩いて部屋を出ていった。


 そしてまた、アンコウは廊下を走り出す。

 アンコウは少しあせりはじめていた。テレサも同じような目にあっているのではないかと。

 アンコウは、ここにきてようやくテレサのことを本気で心配する気持ちが湧いてきていた。


 当初はテレサをこの屋敷に置き去りにして逃げることも考えていたのだから随分な変化である。じつに勝手な話だと言うこともできよう。


 無論、アンコウはこの屋敷に戻ってくるまで、ここがこのような状況になっているとは考えていなかったのだが、戦争に巻き込まれれば、先ほどの女のような目にあう可能性は、どんな女にでも常にある。


 それは当然テレサも例外ではない。テレサの容貌は元々美しいと言える部類に入る。

 30半ば近くの年齢にはなっていたが、ここ最近の自身の保若ほじゃくの力の上昇と、相性がよいと思われる自分よりも強い抗魔の力を持つアンコウとの情交を重ねてきた影響で、その肌は明らかにつやが増し、生活ジワは消え薄れていた。


 さすがに時間を逆行して若返りはしないが、今のテレサは20代といっても十分に通じるほど若く、そして綺麗だ。


 それに女の艶魅えんみをいうならば、テレサの肉体は、形の好い大きい胸に、形の好い大きい臀部、腰回りはほど好く締まっている、じつに女性らしい魅力的な体つきをしていた。


 それらはいずれも生死の境で戦い、血を求める男たちの獣心を実に効果的に刺激するエサとなるものだ。

 アンコウの脳裏には、テレサが戦場の獣性に駆られた男どもに蹂躙されている姿が、現実味を帯びて浮かんできていた。


「チッ、」

 アンコウの眉間にしわがよる。今度は幻のバラの香りを嗅いだわけではない。

 さすがにアンコウも、テレサが他の男どもに力ずくで組み敷かれ蹂躙されることをよしとは思わないようだ。

「……あの女は俺のものだ」


 アンコウは二度と奴隷にはなりたくないと思っている。グローソン公という同郷の権力者に仕えることにすら、激しい拒否反応を示している。

 しかし、アンコウはテレサを奴隷として買って以来、一度もテレサを奴隷の身分から解放してやろうと考えたことはなかった。


「テレサはおれの……」


 アンコウは走りながら、ふと思った。テレサは本当は俺のことをどう思っているのだろうかと。





「おい!てめぇら、距離を開けて全体を囲むんだ!逃げ場をなくせ!」

「へい!」

「おおよ!」


 アンコウの懸念は杞憂ではなかった。テレサは今、屋敷内にある中庭のひとつで、武装した男たちに囲まれてる。

 ただ、テレサの左右にはこの屋敷にいたグローソン側の警備兵とおぼしき者たちもおり、まだテレサを守ろうとする者も残っている。


 しかし、テレサの手にも真新しい血がついた剣が握られており、テレサは息荒く呼吸をしていた。

「ハァ、ハァ、ハァ、」と、テレサも共に戦っていたのだ。


 奴隷になって以来、アンコウに教えられてきた剣術が役に立っていた。自分の身は自分で守れと言っていたアンコウの言葉をテレサは何度も思い出していた。


「おい!お前ら余計な抵抗はやめな!命を無駄にするこたぁないだろう?」

 テレサたちを囲んでいる男たちの一人が話しかけてきた。


 アンコウたちが屋敷の正門付近で戦っていた者たちの中には、このネルカの旧支配者であるロンドの貴族やそれに属する戦士と思われるもの達が多くいて、彼らが戦いの中心をなしていた。


 しかし、建物の中に残っている連中は、アンコウが斬り捨てた破廉恥漢3人組もそうだがあまりたちがよくないと思われる者どもが多い。略奪目的で邸内にいたことは明らかだ。


 この決起を先導したロンドの者たちは、より大きな騒動を起こすため、その兵となるものの質は問わず数を集めることを優先したようだ。


「おい、てめぇら、その女をこっちによこせ。そうすれば命だけは見逃してやる」


 テレサたちの状況は多勢に無勢だ。このまま戦って、テレサたちに勝ち目があるとはとても思えない。テレサとともにいる2人の警護兵も、無残に死ぬことは明らかだった。


 しかし、この残った2人の警護兵たちはなかなか見上げたもので、この多勢の敵を相手にしても、最後まで戦うつもりのようであった。


「……ありがとう」


 自身も体のあちらこちらから血を流しているテレサが、小さな声で左右の2人に礼を言った。2人の口元にわずかに笑みが浮かぶ。


「私どもはモスカル殿より、あなた方の警護を承っています。マニ殿に逃げられたあげく、あなたの身に何かあれば言い訳のしようがありませんから。

 まぁ、抗魔の力もなく、おそらくあなたより弱い私どもでは頼りなく思われるかもしれませんが」


「そんなことはないわ。あなたたちがいなかったら、私はここまで逃げられなかっただろうし、私は抗魔の力があっても戦いはただの素人以下よ。この力があっても、あなたたちにもあの連中にも私は勝てない」


「……なるほど。ならば我らは抗魔の力はなくとも、戦いの玄人であるところをお見せしなければなりませんな」


 そう言うと2人はまわりを囲む者たちに剣を突き出した。テレサもそれにならい剣を構える。3人とも戦うつもりだ。


「おい、テレサ!いい加減にしないか!そんな物騒なものは早く捨てて、こっちに来るんだ!」


 テレサたちを囲む男たちの中から、戦士には見えない男が前に出てきた。


 テレサは自分の名を呼び、声をかけてきた男のほうをあらためて見る。

 その男は他の者とは違い剣は持っていない。いや、武装することを許されていないのだ。

 その男の首にはテレサと同じく奴隷の首輪がはめられており、何やら多くの荷物を持たされている。その男は敵方の荷物持ちの奴隷であった。


 そしてテレサはその荷物持ちの奴隷の男の顔を知っていた。その男の顔を見るテレサの顔がひどく歪む。


「……あなた、」


 テレサたちを取り囲む男たちの中から、なぜかどこか得意げに声を張って出て来たのは、元アネサのトグラスの宿屋の主人であり、テレサの夫であった男。

 テレサとこの男の婚姻関係は、テレサたちが奴隷の身分に落ちた時に慣例的に解消されてはいるが、それと本人たちの意識とはまた別の問題である。


 テレサの元夫も今は奴隷。この屋敷に押し入ってきた暴徒の中に、テレサの元夫の奴隷主となった者がいた。この元夫も自分の主に従って、荷物を抱えながらテレサたちをさっきから追ってきていた。

 そしてこの元夫は、テレサにおとなしく言う事を聞くようにと繰り返し命じてきていた。


 テレサにとっては、信じられない まったくひどい偶然であった。

 このテレサの元夫も、若いころは町でなかなかの美男子としてうわさされたこともあったのだが、今はまったく見る影も無い。


 酒と博打に長年おぼれ、家族を巻き込んで奴隷の苦界へと沈んでいった男だ。

 年はテレサより10歳ほど上の40代半ばのはずだったが、背だけは高いが、その容貌はすでに老人に見えるほど老け込んでいた。


「あの女がお前の女房だとはなぁ」

 テレサの元夫になかなかよい装備をした男が話しかける。


 テレサたちを取り囲む者たちの中に2人抗魔の力の保持者と思われるものが含まれていたが、この男はそのうちの一人。


「は、はい。ご主人様!」

「おい、お前はおれの奴隷だ。ならそのお前の女房はおれのもんになるんじゃないのか?」

「は、はい!そのとおりです!」


 この2人の無駄に大きな声の会話に、まわりの他の男たちがざわつき始める。


「おい、おい、そりゃねーよ、マルキーニョスさんよ。この女、独り占めにする気かよ!」


 まわりの者が口々に抗議するが、別に本気で怒っているわけではなく、みな口元には卑猥な笑みを浮かべていた。


「わかっている。おれに一番乗りの権利があるってことだ。後は好きにしたらいい」

「「えへへへ、」」 「「ぐふふふ、」」


 テレサはその会話する男たちの光景を見て、心臓が止まりそうになるほどの悪寒を感じた。


「おい、お前の女房はなかなか俺好みの体つきをしているじゃねぇか。どうなんだ?」

「はい、ご主人様。それはもう間違いございません!テレサは胸も尻も大きくご主人様のお好みにぴったりかと。それに胸は大きいうえになかなか感度もよく、好い声をあげますぞ!」

「おほーっ!そりゃあ楽しみだ」


 テレサの元夫は、まるでテレサが自分のもので、それをこの男に差し出す自分の手柄であるかのように話していた。

 テレサはそんな元夫の姿を見て、心の底から情けなく、恥ずかしく、腹が立った。

 この人はどこまで落ちていけば気が済むんだろうと、テレサは思った。


「なにを、勝手なことを言わないで!」


 テレサは思わず叫んでいたが、テレサの言葉に反応を示したものは誰もいない。


「しかし、お前の女房が抗魔だとはな。何人かあの女にも斬られた」

「は、はい。どういうことなのか私にも…も、申し訳ありません」

「いやぁ、いろいろ使い道が増えるってもんだ」


 マルキーニョスはそう言うと全員に向かって叫んだ。


「おい、お前ら!その女はおれが抑えるから援護しろ!それと男どものほうはこれ以上息をさせる必要はないからな!いけっ!」


「「オオッ!」」


 剣を持った男たちが、次々にテレサたちを目掛けて迫り来る。この連中に捕まったら自分がどういう目にあわされるか、当然テレサにもよくわかっている。

 テレサが奴隷になると決まったときに考えた最悪のケースのひとつが現実になる。


 テレサは目の前に迫り来る下衆のかたまりのような男たちを見て覚悟を決めた。

 戦って死ぬ。生きてこの連中に捕まるのだけは絶対に嫌だと。テレサはきつく歯を噛みしめ、剣を構えた。その時、


ドオォンッ!


 テレサたちに向かって押し寄せる男たちの背後で突然大きな爆発が起きた。数人の男たちがその爆発に巻き込まれて吹き飛ばされる。


「な、なんだ!」

「おい、どうした!何事だ!」

 男たちは一斉に立ち止まり、振り返って土煙のあがる方向を見た。

「せ、精霊法術か!」

「誰かいるのか!」


 しかし、男たちの視界に映るところには、誰の姿も見えず、ただ土煙があがっている。男たちの怒号と悲鳴が響き続ける。


ピンッ!

 ヒュンッ!ヒュンッ!


「あっ、」


 今度はテレサがいる斜め後ろの方角から、何かの物体が二つ飛んでいくのがはっきりと分かった。

 その物体は宙を弧を描くように飛んでいき、テレサたちを襲う連中の中に消えていった。


「うあぁーっ!せ、精霊封石弾だ!に、にげ」

ドォンッ!ドオォンッ!

「ギィヤァーッ!」


 男たちの悲鳴がいっせいにあがり、右往左往して逃げ惑う。

 逃げられる者はまだいい。今の爆発で、彼らの中には動かなくなってしまった者や手足が欠けてしまった者もいた。

 

 テレサが、その精霊封石弾が飛んできたほうを見ると、その方向の建物の影から姿を現した者がいた。

 そこにはテレサにとって思いがけない、それでいてずっと心のどこかで助けに来てくれるのを待っていた男の姿があった。


「……あっ!旦那様ぁ!」


 テレサの目にアンコウの姿が映る。アンコウはテレサのほうをじっと見ていた。アンコウは無言のままテレサのほうに歩み寄ってくる。


 突然現れたアンコウの姿に、テレサは抑えきれない喜びと安堵の思いを覚える。

 テレサは正直言ってアンコウがここに来てくれる可能性は低いと思っていた。だからこそ、自分で何とかしなければと思っていたし、死ぬ覚悟もした。


 気がつけばテレサは、こちらに歩いてくるアンコウに向かって自分から走り出し、アンコウの前まで来ると言葉なく立ち尽くした。

 安堵の思いと、未だ解けることなくつづく戦場の緊張感、相反する二つの感情がテレサの口から言葉を奪っていた。ただテレサは目の前にいるアンコウを潤む目でじっと見ている。


(……動けるようだな。そこまでひどい傷はないみたいだ)

 アンコウは無言のままテレサを見て、状態を確認する。


 遠目からでもテレサが全身に傷を負っていることがアンコウにもわかった。

アンコウはその傷の具合を心配していたのだが、走りよってきたテレサを間近で見て、どの傷も浅く、大丈夫なようだと安心していた。


 アンコウはごく短い時間だったが、物陰からこの中庭にいる者たちの様子を観察していた。

 テレサがいるのは当然わかっていたのだが、それでもすぐに助けに入ることをしなかった。


 アンコウはここに自分より強い者がいる事態を恐れた。

 しばしの観察の末、テレサたちを囲む者たちの数は多いものの抗魔の力を保持している可能性があるものは2、3人とアンコウは見た。


 しかもその者たちから圧倒的な覇気を感じることはなく、特別に剣技を修めているような動きでもなかった。

 それを確認してアンコウは、ひそんでいる物陰で、ひとりニタリと笑みを浮かべていた。


 もし仮に、この連中の中にアンコウより強い者がいたならば、その時アンコウがどうしたかはわかりきっている。


 アンコウが投げつけた精霊封石弾、それはここに来るまでの途中の廊下に落ちていたもの。

 その精霊封石弾を落とした獣人の男は、アンコウに首と右腕を斬り飛ばされた状態で、この屋敷の片隅で眠っている。


 アンコウはテレサを囲んでいる連中が動き出したのを見て、一つ目の精霊封石弾の栓を抜き、連中の後方を狙って投げつけた。

 そして、それと同時に連中を殺すため動きはじめたのだ。



「大丈夫か?間に合ったみたいだな」

 アンコウはテレサの目を見つめ、テレサの頬に手をあてながら言った。

「は、はい……」

「助けに来たぞ、テレサ」

「だ、旦那様…」


 テレサは自分の頬をさわるアンコウの手のほうに顔を傾け、その剣を持つ手からはいつのまにか力が抜けてしまっていた。


「て、てめぇ!これはお前の仕業かぁーっ!」


 ようやく状況を把握したテレサを襲っていた者たちがアンコウに敵意を向けてきた。

 そしてアンコウは、今の一連の爆発で少し距離は開いたようだが、自分たちの周りを囲むように展開している男たちをゆっくりと見渡した。


 アンコウが投げた3発の精霊封石弾によって倒れた者、大きなダメージを負った者が少なからずいることを確認する。


「うるせぇな。でかい声を出してんじゃねぇよ。人に戦争を仕掛けておいて、女の尻なんか追ってるからそんなザマになるんだ。心配するな、これからゆっくり残ったお前らの相手もしてやるよ」

 アンコウは彼らを前に余裕を持った態度で言い返す。


 そのアンコウの余裕の態度が彼らに警戒心を抱かせ、一斉に攻撃することを躊躇ちゅうちょさせた。

 物陰に隠れながら、この連中の力の程を事前に見極めていたからこそ生まれたアンコウの余裕である。


 敵の中に自分より強い者がいれば迷うことなく逃げ、敵の中に自分より強い者がいなければ一切の手加減なく踏みにじる。アンコウが戦場で生き残るためのポリシーだ。

 それは相手が魔獣であろうと人間であろうと変わりはしない。


 だが、逃げられないほど強い敵が現れたときはどうなるのだろうか?――そのときは死ぬ、あるいは自由を奪われる、あるいはカマを掘られる。


(どうしようもないよなぁ)

 アンコウはこれまでに自分の前に敵として現れた強者たちを思い出す。


 強者から逃げ切ることはきわめて難しい。そのことはアンコウの右腕に黄金色に光る腕輪が証明している。

 そしてアンコウは今、この目の前にいる連中から逃げ出す必要性はまったく感じていなかった。


「く、くそぉ!てめぇぶっ殺してやる!」


 男がアンコウに言い放つ。

 それでもアンコウの態度は変わらない。こいつらはおれを殺すことはできなし、カマを掘ることもできない。アンコウは余裕の表情で首を傾げてみせた。


 そしてアンコウは敵方にいる一人の男に目を向けた。


(……まったく、ろくでもない奇跡の再会だな)


 テレサと彼らのやり取りも少し見ていたアンコウは、テレサの亭主がここにいることも知っている。それにアンコウ自身も彼の顔を覚えていた。

 アンコウはある意味、あの男の扱いに一番困っていた。


(相変わらずのクサレっぷりだな、あの親父は。…いや、前以上にひどくなってるか……それでもな……)


 アンコウの感想もテレサと同じようなものだったが、女ではなく、結婚の経験も無いアンコウにはテレサの本当のところの思いまで推測することができなかった。


 アンコウの目にあの男がどれほどどうしようもない男に見えても、テレサとあの男は長年夫婦として時を過ごし、子も為した仲なのだ。

 アンコウは答えを求めてテレサの顔を見た。


「なぁ、テレサ。あいつはお前の……」


 そのテレサはアンコウに元夫の存在をそれとなく問われ、それまでアンコウの顔を見ていた視線を下に落とした。


 そしてテレサはスッと顔をあげると、向こう側にいる亭主のほうを見た。

 その元夫を見るテレサの目からは何ともいえない怒りと軽蔑、憎悪と哀れみの感情が噴き出していた。


(こ、怖ぇな、なんて目で見てるんだよ)


 テレサ自身も気づいていないのかも知れないが、なつかしき亭主を見るテレサの目は、もしアンコウがあの亭主なら、全力で逃げ出したくなるほどの冷たさを放っていた。

 そこにはアンコウがこれまでに一度も見たことがないテレサの厳しい表情があった。


「あんな人は知りません。昔どこかですれ違ったことがあったとしても、今の私には何の関係もありません。……あんな人!生きようが死のうが、どうなっても私には関係ない!」


 テレサが周囲に響く甲高い声で言い放った。それは離れたところで右往左往していた元夫の耳にもはっきり聞こえた。


「な、何だとテレサ!そ、それが亭主にいう言葉か!お、お前はさっきから、お前はおれの言うことを聞いていればいいんだ!」


 アンコウの精霊封石弾による攻撃をうけて、情けなくただウロつくことしかできないこの男も声だけは大きい。


 アンコウもその元夫の実に身勝手な叫びを聞いて、あきれてしまった。

 自分の勝手で家族まで巻き込んで奴隷に落ちた奴が、いつまで一家の大黒柱を気取ってるんだと。この男は愚かに過ぎ、哀れに過ぎる。


「旦那様、あんな男は知りません」

 テレサはアンコウにだけ聞こえるような声でもう一度言った。そのテレサの目も声も実に冷たい。

「……そ、そうか」

 アンコウには、ただテレサに同意することしかできやしない。



「お、お前たち!敵は一人増えただけだ!うろたえるな!まずあの男をぶち殺すんだ!」


 マルキーニョスではない。アンコウが抗魔の力の保持者と見ているもう一人の男が、仲間たちの後方から声を張り上げた。

 その声にマルキーニョスたち前衛の男たちが答える。


「お、おおう!そうだ!てめぇらいくぞ!あのふざけた野郎をまず血祭りにするんだ!」


 その掛け声を合図に、幾人かの男たちが再びアンコウたちのほうにむかって剣を手に走りはじめた。


「アンコウ殿、援護します!」

 テレサを守っていた男たちがアンコウに声を掛けてきた。


「俺は大丈夫だ。テレサを頼むよ」


 アンコウはそう言って自らも動き出した。


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