第31話 不撓不屈の戦士~良い悪いは別のはなし
うしろを一度も振り返ることなく、アンコウは屋外広場の端まで走ってきた。
「信じられねぇマニのやつ!本物の死神もどきじゃねぇかよっ」
そこまで来て、ようやく振り返ったアンコウの目にマニとハウルが激しく斬り合っている姿が見えた。両人ともにアンコウよりはるかに強い。
それはかなり離れているところから二人の剣戟を見ているアンコウにも、はっきりわかる。
(……クッ、だめだ)
しかし、ハウルの動きには余裕があるようにアンコウには見えた。
顔の表情までは見えなかったが、あのハウルのことだ、あの嫌味な笑みを浮かべて、戦っているのかもしれないとアンコウは思った。
(それに……精霊法術を使った気配はない)
ハウルは己は精霊法術が使えると自信満々に語っていたのをアンコウはよく覚えている。それにハウルは今、誰の手助けもなくマニと一対一で斬り合っていた。
ここはグローソン公ハウルが支配するネルカの城。グローソン公の手下が山のようにいるはずだ。
「あの若作り、遊んでいやがるんだ」
あちらの状況を確認すると、アンコウは再び体の向きを変えて、屋外広場の端にある手すりから身を乗り出して、下を覗き込んだ。
「クソッ、やっぱり高い」
地面はアンコウの視線のはるか下にある。やはり飛び降りて無事でいられる高さではない。
それでもアンコウは必死で探す。どこか飛び移れる場所はないか、足場になる場所はないか、共鳴を起こして上昇しているこの身体能力を使えば、何とか逃げることができるのではないかと。
ドオォンッ!
突然の轟音と衝撃とともに、身を乗り出して下を見ていたアンコウのすぐ横の壁が吹き飛んだ。
「くぅぅーっ!」
危うく下に落ちそうになったアンコウは、何とか体を引き戻して広場側に勢い良く転がった。
「ぐうぅっ、」
急いで上半身を起こすアンコウ。
そのアンコウの視線の先にアンコウを見つめる一人のダークエルフの男、バルモアが立っていた。
「下におりたいのなら私が手を貸してやろう、アンコウ」
そう言うとバルモアがアンコウにむけて手のひらをかざしてきた。そのバルモアのかざした手の先にじりじりと炎の塊が形成されていく。
バルモアは先ほど壁を吹き飛ばした精霊法術を今度はアンコウにぶつけるつもりだ。
(ああ、だめだ)
この状況、アンコウにじっくり考えている時間などない。殺し合いが始まれば、一寸先に死がある。アンコウはあきらめた。
「もう、どうにもこうにもだな……あぁー、謝ったら許してくれねぇかな」
アンコウは逃げることをあきらめた。アンコウは余計なことは考えず、ただあがくことにした。
そしてアンコウは、目の前にいるバルモアにもムカついていたことを思い出す。
アンコウは立ち上がると同時に、腰に戻していた呪いの魔剣を赤い鞘から引き抜く。
「……お前もっ、あの雌犬と若作りのキモメンの次にムカつくんだよっ!」
叫ぶアンコウにむかって、バルモアの手掌の先から火球が離れ、一直線に飛んでいく。
ドドンッッ!!
「なにっ!」
バルモアが驚きの声をあげる。
先ほどまでアンコウがいた背後の柵壁が、すぐ横の崩れた壁と同じように破壊されたが、そこにいたはずのアンコウの姿がない。
「カァーッ!」
「なっ!」
ギンッ!
火球をよけ、一気に距離をつめたアンコウがためらいなく剣を振るう。それをバルモアが手に持った金属性の杖で受け止めた。
「キイィーッ!」
ギンッ!
ゴォンッ!
ギヤァンッ!
アンコウがたてつづけに振り落ろす剣を驚くべきことにバルモアはすべて受け続けていた。しかし、さほど余裕があるわけではない。
わずかながら皮膚を斬られ、血が舞っている。
「げ、下衆がっ!調子に乗るなっ!」
バルモアは仕込み杖であった金属杖から、白刃を抜き放ち、アンコウに叩きつけた。そのバルモアの戦い方はまるで魔法戦士のようだ。
ギヤァンッッ!!
今度はアンコウがバルモアの剣を受け止めた。しかし力負けして、勢いよく吹き飛ばされてしまう。
「ぐぅっ!」
(こいつぅ、法術師のくせにパワーもあるっ、面倒なっ)
アンコウを突き放したバルモアは、素早くさらにアンコウとの距離を開けた。
そのバルモアの掌中から、再び火球が発生する。アンコウが動き出すよりも、その火球の膨張が早かった。
火球は先ほどバルモアが放った2発の火球よりも、明らかに大きくなっていく。
それを見てもアンコウは憶することはない。その火の膨張と
「イヒヒッ」
高まりゆく戦闘の興奮の中にも、アンコウは理性を手放すことなく、動き出す。
ザッ、ザザザッ!
アンコウは早くもなく、遅くもなく、離れ過ぎず、近づき過ぎず、移動する。
そのアンコウにむかって、バルモアはチャンスと見たのか、完成させた火球をためらいなく撃ち放った。
アンコウは飛んでくる火球にむかって、逃げることなく、わずかにかわすように自らの体をさばきながら、火球にむかって全力で魔剣を振りおろした。
「おおーっ!」
火球の端を斬ったかのように見えたアンコウの剣。火球は消滅もせず、勢いを失うこともなく、ただわずかに方向を変え、アンコウに当たることなく、飛びすぎていく。
「なにぃっ!」
バルモアが驚きの声をあげる。
火球が飛んでいく方向にはハウルとマニの姿があった。
「はははっ!」
アンコウが驚くバルモアを見て笑っている。
「殿ッ!」
ハウルは突然自分に向かって飛んできた火球に、バルモアの声を聞くまでもなく気づいていた。
(バルモアめ、くだらないミスを)
ハウルはマニの剣をさばき、自らも剣を繰り出しながら笑っているようだった。
そして、飛んでくる火球のほうは見ることなく、いつのまに作り出したのか、小ぶりの火球を飛んでくる大きな火球にむかって撃ち放った。
ドゥオォーンッ!
バルモアが放った大きな火球の中に、ハウルが放った小ぶりの火球が吸い込まれたように見えた瞬間、飛空していた火の玉は、爆音と爆風とともに飛び散った。
その爆風は、アンコウにもとどく。アンコウは両手を顔の前でクロスさせ、足を踏ん張り耐える。
「ぐうぅぅっ!」
爆風が通り過ぎたあとアンコウが顔をあげると、ハウルは何事もなかったかのようにマニと斬り合いをつづけていた。
「クッ、ぜんぜんダメだな」
アンコウはそう吐き捨てると、そのままその場にだらりと立ち、バルモアのほうに目を向ける。バルモアも、アンコウを睨みつけるようにすでに構えていた。
バルモアはアンコウの動きに警戒しつつ、ゆっくりと場所を移動し始めた。
「……くそっ」
アンコウは考える。
このままで戦い続けても、バルモアに勝てる気はしない。
ならば、赤鞘の魔剣と徹底的に共鳴にして、戦闘能力を限界まで引き上げる選択をするか。しかし、アンコウ自身もそれでどこまで強くなれるのかはわからないし、間違いなく享楽的戦闘狂者になる。
また仮に、それでバルモアを倒せたとする。しかし、バルモアを倒したところでここから逃げられやしないとアンコウは思う。
「くそっ……」
そしてアンコウは鋭く、殺気のこもった目でバルモアをにらみつけた。
どうせ戦うほかないのなら、呪いの共鳴にのまれ、戦闘狂になったほうが迷い
「あーあ。趣味じゃないんだけどな、……とことん戦うか、あぁ、死にたくねぇ」
そう言いながら、アンコウの口角は徐々に上がっていき、口元になんともいえない笑みが浮かんでくる。
「 あ、あははっ、」
アンコウは少しどうでもよくなってきていたのかもしれない。死にたくはないのだ。決して死にたくはない。
だが、この世界で寿命尽きるまで生きて、それがなんになるのか、常日頃、元の世界に戻りたいと思う心とともにアンコウの心の片隅にあったそんな思い。
それがこの瞬間、少し強くなっていた。
アンコウは元の世界に戻ることをほぼあきらめてはいたのだが、ハウルの話を聞いて、より現実的にこの世界の永住者になる人生を想起させられてしまった。
そして、今の自分が置かれたまったく望まぬこの状況。剣戟と法術の飛びかう殺し合いの戦いだ。
「アハハッ、くだらない。あー、腹が立つ」
(……それでも、死にたくはないなぁ)
移動することを止めたバルモアの手から、バチバチと電気の火花が発しはじめた。
「ああ、この、……うっとおしいんだよ。バルモアっ!!」
アンコウは魔剣を天に掲げ、バルモアにむかって走り出した。それは、真っ向からの捨て身の攻撃に近かった。アンコウは奇声を発しながら走る。
「キイィイエェェーー!」
その時、
―――ドドォォォンンッ―――
強烈な爆発音が響いた。しかしその爆発音は近くから聞こえたものではない。
「何だ!?」
アンコウは反射的に足を止めた。爆発音はアンコウたちの眼下に広がるネルカの町のほうから聞こえてきた。
アンコウの目に街の一角から火の手があがり、煙が立ち昇っているのが見えた。
その光景を目にしたアンコウの頭に急速に理性が戻ってくる。
アンコウと対峙していたバルモアもまた、アンコウに対する攻撃の手を止め、にらむように町の方角を見ていた。
――ドォォンッ――ドォォンッ――
町のほうからさらに爆発音が続き、多くの火と煙が立ち昇ってくる。
「殿ッ!」
バルモアは慌てて体の向きを変え、グローソン公ハウルのほうに走り出した。
アンコウの周りから攻撃をしかけようとする者がいなくなる。
アンコウはそのまま煙立ち昇る町のほうをじっと見ていた。
「戦火か……まだ終わってなかったみたいだな」
事故ではない。間違いなく人の手による何らかの攻撃だとアンコウは感じた。アンコウは状況を見極めようと、町の様子を伺い続ける。
――「待てっ!」―「グローソン公!」―
少し離れたところから、たて続けにマニが叫ぶ声がアンコウの背後から聞こえた。
と同時に、アンコウは背後から近づいてくる者の気配に気づき、急いで振り返る。
「なっ!!」
近づいてきていたのはハウルだった。
ハウルと戦っていたマニは、バルモアにハウルを追うことを封じられている。その隙に、ハウルが恐ろしい早さでアンコウに迫ってきていた。
「やばいっ」
ハウルが開放したむき出しの覇気を感じ、アンコウが気づいたときには、すでにハウルはアンコウを直接攻撃できる射程圏内に入ってしまっていた。
アンコウは急いで剣を構え、迎撃体勢をとったが、
ギイィィンッ!
アンコウが両手で持っていた魔剣が宙を舞う。
油断。戦場においては致命的な油断だった。
アンコウとハウルほどの実力差があれば、隙を突かれれば、アンコウではまともに戦うことすらできない。
「く、くそーっ!」
アンコウはハウルの剣を受けた衝撃に堪え切れず、尻もちをついた。アンコウは一瞬でどうしようもない敗北と死を覚悟した。
……しかし、グローソン公ハウルはそれ以上アンコウに攻撃をしてくることはなく、中階屋外広場の端に立ち、ネルカの町のほうを感情なく眺めていた。
「……ふむ。ネズミがまだずいぶん残っていたようだな」
ハウルはそうつぶやくと、尻もちをついたままのアンコウに剣を突きつけた。
妖しげな魔力を纏う剣先を眼前にし、アンコウは全身から冷や汗が噴き出してくる。
「アンコウ、遊びは終わりだ。賭けはお前の負けだ。まぁ、あの獣人の女が入ってきた時点で、お前の反則負けなんだがな。少し面白かったぞ」
「……か、賭け?まだ続いていたのか」
「いたのですか、だ、アンコウ。主君に対する口の聞き方がなってないな」
「ぐぐっ、」
アンコウの顔に隠すことなく悔しげな表情があらわれる。
「命が助かって幸運だとは思わないのか?」
「えっ?」
アンコウの顔が驚きの表情に変わった。
間違いなく殺されると、覚悟を決めたところにハウルの意外な言葉。
「……命、助けてもらえるんですか?」
「なんだ、殺してほしいのかアンコウ」
ハウルは感情なく、淡々と言った。
「い、いや!殺してほしくはない!……だけど、そっちには死人も出ているのに」
「それはたまたまだ。どっちの誰が死のうがかまわない。だが、負けたほうの命をもらうという賭けではなかったはずだ。はじめからそういう遊びだ」
「……そ、そうですか。……じゃ、じゃあ遊びが終わったら、家に帰していただけたらありがたいんですが」
アンコウは無駄だとは思いながらも、ずうずうしく自分の気持ちを口にした。ハウルは何を思ったのかアンコウを見て、ニヤリと笑って見せた。
「……そうだな。いいだろう」
ハウルはアンコウの目を見てそう言った。
「えっ、自由にしてもらえるんですか!?」
「いや、貴様は賭けに負けて俺のものになった。ただ、少し遊び足りない気がしてな、もう一度だけ自由になるチャンスを貴様にやろうと思ってな」
アンコウが本気で死を覚悟したのにもかかわらず、グローソン公はさっきから何度も遊びだと言っている。
アンコウは実にいやな笑みを浮かべているグローソン公を、憎らしげに疑念を持った目で見上げていた。
「どうする、アンコウ。いやならばこのまま私に仕えよ。生活には不自由しない。そういう自由もある」
アンコウは考える。よくわからないが、とりあえずこの場での命の保証は得たらしい。
しかし、もう一度チャンスといっても、より難易度は高くなるんじゃないのかとアンコウは思ったが、それでも、それが本当にチャンスなら断る理由はない。
アンコウはゆっくりと立ち上がり、グローソン公はアンコウに突きつけていた剣をさげた。
アンコウは弾き飛ばされた剣をとりにいき、剣をすばやく赤い鞘におさめ、グローソン公の前に戻ってくる。
グローソン公から新たに提案される賭けというのは、決して自分に有利な話ではないだろう。しかし、いま町で起こっている騒ぎが何であれ、グローソン公のこの提案を聞くほかないと、アンコウは判断した。
一度は捨て身になったアンコウだが、断じて死にたいわけではないし、この公爵様の家来になりたいわけでもない。
「わ、わかりました。で、そのチャンスって言うのは」
アンコウが戦う姿勢を放棄し、グローソン公に話しかけたとき、
―「殿っ!」―
今度はバルモアの叫び声が聞こえた。
「グローソン公!!逃げるなっ!」
マニがバルモアたちの制止をかわし、剣を引っさげ、飛ぶような勢いで、グローソン公とアンコウがいるところに迫ってきていた。
ハウルは悠然と構えていたが、今度はアンコウが一歩前に出て声を張り上げた。
「マニ!やめろっ!もういいん」
「ヤアァァーーッ!」
マニはアンコウの声を聞いていない。マニの意識は完全に戦闘に入り込んでいた。マニは、ただハウルのほうを見て突っ込んできた。
ギヤァンッ!!
突っ込んで来た勢いのまま繰り出してきたマニの剣を、ハウルは逃げることなく余裕を持って撥ね退け、2人はそのまま併走して走り出した。
そしてアンコウはというと、マニに突き飛ばされるような形で、一人地面を転がっていた。地面にこすれたアンコウの顔中に、砂がめり込んでいる。
「ふ、ふ、ふざけやがってぇ、あ、あの野郎」
アンコウの言うあの野郎が誰なのかは、言うまでもがなだ。砂を払うことなく立ち上がったアンコウは、マニとハウルが走り去った後を追って走り出した。
ギィンッ、ガァンッ、と2人が剣をあわせる音が響いている。
アンコウが2人に近づいていくと、そのあいだにバルモアが立ちふさがった。
しかし、アンコウは走ることは止めたものの、二人に向かって歩き続け、バルモアにどんどん近づていく。
「グローソン公とは話がついてる。もうこれ以上戦う気はない」
アンコウは剣を抜くことなくそう言った。バルモアはどうしたものかと思案している様子だ。
「もうおれの方はいいだろう!とっととあのバカ女を止めにいけよ!町で何が起こってるのかは知らないが、あっちは遊びですまないんじゃないのかっ」
バチッ!
バルモアの手から電気の火花が散る。
「お前に指図されることでない。殿がその気になれば、あの者の命を奪うことなど造作もないことだ」
「……チッ」
だったら今すぐそうしろよ、とアンコウは思う。マニが暴れ続けて、アンコウにプラスになることなど何もない。
アンコウはそれ以上言い返すことはせずに、バルモアをにらめつけながらも歩き続けた。
マニがこのまま暴れ続けたせいでグローソン公の気持ちが変わったとしたら、グローソン公にやっぱりお前らは死刑だなどと言われでもしたら、たまったものではないとアンコウは考えていた。
そしてアンコウがそのまま剣を抜くことなく、バルモアの横を通り過ぎようとしたとき、前方で派手な爆発音が響いた。
ドゥオンッ!
「ぐわあぁーっ!」
大きな爆発音とともにマニがアンコウの前方で吹き飛ばされていた。
ハウルが少々本気を出したらしい。
地面をこするように転がっていった先で、マニは地面に倒れて動かなくなってしまった。そのマニの体からは黒い煙が上がっていた。
(火の精霊法術か。とっととやれよ、出し惜しみしやがって)
アンコウはこれで終わりかと足を止めた。
ドオォォーンッ!!
「何っ!?」
また大きな爆発音が響き、アンコウたちの足元がグラグラ揺れる。
しかし今度はハウルの法術ではない。町で起きていた爆発と同じ種類のものだろう。しかも今度の爆発は離れた街中のものではなく、この城のどこかで起きていた。
「公爵様ァ!」
城の建物のほうから一人の男が飛び出してきた。その飛び出してきた白髪混じりの年嵩の男は、アンコウをグローソン公のところまで案内してきたモスカルだった。
グローソン公がモスカルのほうを見る。
「公爵様!城下ならびにこの城内においても、爆発とともに火の手が上がっております!また、町のほうでは多数の武装したものが我がほうの兵や建物を襲っているもようです!」
「……そうか」
しかし、グローソン公はあわてるそぶりはなく、実に落ち着いていた。そして、さらに近づいてきたモスカルに、何やら話しかけていた。
「はい!では、そのように伝えてまいります」
モスカルはグローソン公の指示を受けると、急いでまた建物の中に入っていった。
アンコウは何が起こっているかはわからないが、この騒動は自分にとって決して悪いものではないと感じていた。
(あの公爵は落ち着いたそぶりだが、そこまで余裕があるわけじゃないはずだ)
アンコウは簡単でないことはよくわかっていたが、この状況を利用して、少しでも自分に有利な条件を引き出すことはできないかと考える。
とりあえずアンコウはグローソン公と話をつけなければと、また歩き出そうとしたとき、
「ウオオオーッ!」
突然ほえるような声が広場に響いた。
雄叫びをあげながらマニが立ち上がっていた。アンコウを崖っぷちまで追い込んだ張本人が、いまだ動いていた。
「あ、あいつ!」
(し、信じられねぇ。あいつまだやる気かよっ、)
「くそっ!何度も何度もっ」
アンコウはグローソン公のほうでなく、マニのほうにむかって走り出した。
「おいっ!マニ!もういい!もういいからやめろーっ!」
立ち上がって、ひと吼えし終わったマニの耳に今度はアンコウの声がとどいた。
「……あれは、アンコウかっ」
マニの目には、未だ闘志の炎が燃えさかっていた。
マニの視界に自分のほうに走ってくるアンコウと、その少し後ろにいるバルモアの姿が映った。
「アンコウ!」
(よしっ、聞こえたかっ、)
「マニっ!もうやめるんだ!剣をひけっ!話はつい」
「よしっ!アンコウいくぞ!」
「た…?」
マニの耳にアンコウの声はとどいていたが、マニはアンコウの話はまったく聞いていなかった。マニのマインドは、まだ完全に戦闘モードに入った状態のままだ。
「アンコウはうしろの精霊法術師を抑えておいてくれ!そのあいだに私が大将首をとる!」
「…あぁ?」
マニは全身にダメージを負いながらも、未だ戦意は衰えることを知らず、まるで不屈の勇者のようにセリフを吐いた。
しかしアンコウは、速度を落とすことなくマニのほうにむかって走りつづけ、無言のまま腰にある赤鞘の魔剣を引き抜いた。
シャッ!
そして剣を引き抜くと同時に、アンコウは魔剣との共鳴を一気に高めていく。
「いくぞ!グローソン公!」
マニは一声叫び、グローソン公に剣先をむけ、再び走り出した。マニはすでにアンコウのほうは見ていない。
一方アンコウは、さらに走るスピードを上げ、無言のままマニとの距離をつめていく。
「………………」
アンコウは剣を左手に持ち替え、足を止めることなく、地面に転がっていた子どもの頭ほどもある瓦礫の石を器用につかみあげた。
アンコウは理性の制御を保ちながら呪いの魔剣との共鳴をさらにあげていく。
石を握るアンコウの右腕の血管が浮き上がり、石の周りがボロボロと崩れ落ちていく。
そしてアンコウは奇声を発しながら、全力で大きな石くれを投擲した。
「ケエェェーッ!」
ブゥンッ!
アンコウが投げた石は唸るような音を発しながら、標的にむかって一直線に進んでいく。標的はアンコウのほうにはまったくの無警戒、完全に隙だらけだった。
グガァンッ!
「ぐがっ!!」
標的に命中。アンコウが投げた石は見事マニの頭に命中した。
石は粉々に砕け、マニのものであろう血も砕けた石とともに飛び散っていた。マニ自身もアンコウが投げた石が当たった衝撃で体が宙に浮き、吹き飛ばされる。
しかしその直後、今度はアンコウがまったく予期していなかったことが起こった。マニが吹き飛ばされる直前に走っていた場所で大きな爆発が起きたのだ。
ドゴオォーンッ!
それはマニがアンコウの投げた石くれを頭にうけて体を飛ばされるのと、時間にしてまさに紙一重の差。
そして爆発が起きたその場所からは、強い炎が立ちのぼっている。
「ぐぅ、な、何っ!」
アンコウは全身に飛び散る瓦礫と爆風を受けながらも足に急ブレーキをかけた。
ズザザザザァーッ!
アンコウの周囲にも激しい砂ぼこりが舞いあがる。
「な、何なんだ!」
そして動きを止めたアンコウは、ある気配に気づく。
アンコウが停止した その場から見上げた視線の先、中階広場にかかる屋根の上に、何人もの黒づくめの装束に身をつつんだ者たちの姿があった。
「なっ!」
いまアンコウの目の前で起こった爆発は、その中の数人がマニにむかって同時に繰り出した火の精霊法術による攻撃。
さらに黒装束の者たちがアンコウのほうに手をかざし、いまにも法術による攻撃をおこなおうとしていた。
「あ、ああっ…くそっ!」
アンコウはうえを見上げたまま一瞬硬直。
しかしアンコウは、理性を保ちつつ、魔剣との共鳴をさらに高め、何とか体を動かそうと試みる。
その時、グローソン公ハウルが屋根の上にいる黒づくめの男たちに命じた。
「やめよ!」
グローソン公ハウルの声には人に命令することに慣れた権力者特有の重みがある。
ハウルが発した一言で、屋根の上の者たちからアンコウにむけていた法術の気配が消える。
アンコウはその様子を息を飲むようにじっと見つめていた。
すると屋根の上の黒装束たちは、次々と下に飛び降りてきて、グローソン公ハウルのもとにひざまづき、なにやら話をしはじめた。
(………た、助かった、のか)
その話はごく短い時間で終わり、ハウルが全員にむかって指示を出す。
「ここは構わぬ。いますぐ城内に不審な所がないか、くまなく調べ上げよ。それが終われば、城下での情報収集にあたれ。あやしきものは如何なる者でも斬り捨てて構わぬ!ゆけっ!」
グローソン公の命令をうけた黒装束たちは、すばやくその身を消していった。
アンコウはグローソン公と黒装束たちを気にしつつも、彼らが話をしているあいだに、倒れているマニのすぐ横まで移動してきていた。
マニは脳震とうでも起こしているような状態だったが、意識をなくしているわけではないようだ。
「……ア、アンコウ」
アンコウはそんな状態のマニを見下ろしていた。
(……こ、こいつのせいでっ、何がどれだけややこしくなったのかもわからないっ)
アンコウはまだ抜き身の例の魔剣を手にしている。怒りなどで感情が高ぶれば、それだけ魔剣の呪いの影響をうけ易くなる。
「ぐっ、……フゥーーッ、」
アンコウは大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせようとする。
戦闘が終わったのならば、魔剣を鞘にしまえばいいのだが、アンコウとしてはこの度の過ぎたトラブルメーカーがまた暴走するのではないかと恐れていた。
アンコウは、一瞬今なら斬り殺せるかもと思いはしたが、さすがにグローソン公たちとの戦闘が終わり、マニが倒れているこの状態ではそれを実行する気にはなれなかった。
その代わりにアンコウは、そのまま身をかがめて、マニの剣を取り上げようとした。
「ぐっ、おい、マニ!」
しかし、マニは剣を持つ手を離そうとはしない。
「ぐぐぅ、」
離さないどころか、マニはその剣を支えにして、自力で上半身を起こしてきた。
(こいつ!)
「お、おいっ!マニいいか、戦闘は終わったんだ。俺たちの負けだ。だけど殺されはしない!おれはこれから話し合いをする。だからお前も剣をおさめろ。いいか、殺されはしないんだ。おい!わかってるのか!」
上半身を起こして、あたりを見渡したマニの顔は血まみれである。頭部からの出血がかなりある。しかしアンコウはそんなマニの姿を見ても何ら罪悪感は感じない。
マニはより意識をはっきりさせようとするかのように、ゆっくりと首を振りだした。
「く、くそう。また助けられなかった。もう少し、もう少しだったのに」
マニはそう言って本気で悔しがっていた。
どうやらマニの闘争心の暴走は止まっているようだったが、アンコウにはマニが言うところの、もう少しで助けられたと言うのが、何がどうもう少しだったと思えるのかまったく理解できなかった。
「……………」
「アンコウ、すまない。もう少し私が強かったら、お前を助けることができたのに。私がもっともっと強かったら、お前がそんなにボロボロになることはなかったのに、クソッ!」
「……………!!」
アンコウは無言のまま天を仰いだ。アンコウの体がプルプルと震えている。アンコウは必死で感情を抑えていたのだ。
(だ、誰のせいで、ボ、ボロボロに、)
「それなのに最後はまたアンコウに助けられた。石をぶつけてくれたのはお前だろう?アンコウが石をぶつけてくれなかったら、私は今頃、法術で蜂の巣にされていたかもしれない」
「……あ」
アンコウはマニにそう言われて、初めてその事実に気がついた。このマニという女は恐ろしく運が強いのかもしれない。
アンコウは自分がした行為がどういう結果をもたらしたかにようやく気づくと、アンコウの体の震えはさらに大きくなっていった。
アンコウが自分の感情の制御をするのも忘れそうになっていると、
ポンッとアンコウの肩を強く叩く者がいた。
アンコウが顔をうしろにむけると、そこにはあのバルモアが立っていた。
バルモアはアンコウを見ながら、うなずくように何度も頭を上下に振り、その目にはアンコウに対する同情の色が見てとれた。
どうやら、このグローソン公の参謀は、この状況とアンコウの心情を正確に把握できたらしい。
「剣をおさめろ、アンコウ。アネサの冒険者マニ、お前もだ」
二人はそれぞれ全く違う思いを抱きながら、バルモアのその言に従うことを選択し、おとなしく剣を鞘におさめた。
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