第30話 望まぬ救出者 Part 2

 城の本館中階にある屋外広場にアンコウは立っていた。

 そこには、建物の中途にあるとは思えない広さの空間が広がっていた。アンコウの立っている場所は、広場の端まではまだかなり離れており、直接下の地面を見ることはできない。


 しかしまっすぐ水平に目をやれば、その目に映る景色はネルカの町を越え、遠くの山まではっきりと見えている。それはこの屋外広場が、地上からかなり高い位置にあることを示していた。


(逃げても、飛び降りられる高さじゃないだろうな)

 アンコウは未だ何とか逃げ出す可能性を探っていた。


 アンコウから少し離れた場所に騎士らしい出で立ちをした戦士が一人立っている。

 その男はまだかなり若いようではあったが、実にたくましい体躯をしており、アンコウを前にして戦意に満ちているようだった。


 アンコウは眉をひそめ、じつに嫌そうにチラチラとその男を見ていた。


「おい、アンコウ。無手で戦う気か」


 そんなアンコウに、少し離れたところで簡易ではあるが手の込んだ装飾のなされた椅子に座っているハウルが声をかけてきた。


 薄笑いを浮かべているハウルのななめ後ろにはバルモアが立ち、ハウルたちの少し前には小姓こしょうのいでたちをした者が、両手で剣を持ってアンコウのほうに差し出していた。

 アンコウは不機嫌そうな顔のまま、ハウルたちがいる方向へ歩いていく。


 特別速度をあげることもなく、アンコウは剣を差し出す小姓の前まで歩いてくると足を止めた。

 アンコウは嫌々ながらもグローソン公に話しかける。


「グローソン公。あの男を倒せば、自由ということでいいんですか」

「ああ、そうだ」

 グローソン公はアンコウの顔を見る。


「くっ、くっ、そんな顔をするな。そんなムチャな相手は選んでねぇよ。バルモア相手じゃ面白くないだろう?貴様でも十分に戦える相手であるぞ」


 だから十分に楽しませろとでも言っているかのようなグローソン公の態度だった。

 アンコウはどう言い返したものかと、わずかに逡巡しゅんじゅんしたあと、自分の本音の感情を覆い隠すように実にあいまいな笑みを浮かべた。


 そしてその笑みを浮かべたままアンコウは、小姓の手から剣を受け取る。


「……くっくっくっ、」

 そんなアンコウを見ながら、ハウルが小さく笑い続けていた。

(アンコウよ、こっちの世界にはそんなわけのわからない笑みを浮かべるヤツはいねぇぞ。くだらないが、なつかしい)


(何が面白いんだ、こいつ。気持ち悪ぃな)

 アンコウはあいまいな笑みを浮かべたまま、心の中で悪態をつく。

 そして、アンコウは手に取った剣を見て、首をかしげた。

「これって……」


 それは赤い鞘に入った長剣だった。例のアンコウが共鳴を起こした赤鞘の呪いの魔剣だ。どうやらアネサからここまで運ばせていたらしい。


 アンコウには、それがあの魔剣であることは遠めで見たときからわかっていた。

 いや、感じていたといったほうが正解か。ただ、久しぶりに間近で見るこの剣の様子が、いささか違っていた。


「アンコウ、それはお前にくれてやろう。お前以外の者が持っていても何の役にも立たん代物だからな、礼はいらんぞ」


 グローソン公にそう言われても、アンコウは首をかしげたままだ。

(……随分とキレイになってる)

 ところどころ塗装が剥げ落ち、かなり古ぼけた感じになっていた鞘が、きれいに塗装されなおされていた。


「それは、サービスだ。我が足下に加わる記念だとでも思っておけ」


「…………」

 アンコウは何も答えない。


 顔にこそ出さなくなっていたが、アンコウはこの男に仕える気などはない。

 しかし、ついさっき感情的にキレたのは、やはりまずかったと思うほどには冷静さを取り戻していた。


(あんなキレ方をしなければ、こんな状況にはならなかったかもな)

 そうは思うものの、アンコウはさほど後悔はしていなかった。

(やるしかない。まず、ここを生きて切り抜ける。後のことはそれからだ)

 アンコウの目に鋭いものが宿る。


「アンコウ。鞘だけではないぞ。中の剣そのものにも、魔工匠どもにコーティングをさせておいた。耐久性、切れ味ともに増しているだろう」


「……そうですか。ありがとうございます」

 アンコウは一段大きい笑みを浮かべて答えた。

「……ふん、少々くどいな」


 ハウルにそういわれても、アンコウは言葉を返すことはなく、ただ笑みを浮かべていた。


「まぁ、よかろう。アンコウ、その剣を抜く前に先ほどの問いに答えてゆけ」

「えっ……問い?」

 アンコウは何か聞かれたかと考える。


「そうだ。一番初めに聞いたであろう。貴様はここにいつ来たのかと」


 ああ、そういえばそんなことを聞かれていたなとアンコウは思い出す。


「今が5年目、です」

「ふむ、そうか。特別意味がある質問ではないのだがな。貴様がこの後の戦いで死ねば、答えを聞けなくなる。ゆえに一応聞いておいた」

「…………」

「アンコウ、あの男を殺してもかまわない」


 ハウルは少し離れたところに立っている騎士風の男のほうを顎でしゃくり示しながら言う。


「その代わり貴様が殺されても文句は言うな」

「死んで文句が言えるほど器用じゃありませんよ」


 アンコウのその言いようとここまでの態度に腹が立ったのか、ハウルの後ろに控えていたバルボアが前に出てこようとする。

 それをハウルは軽く手を振りながら制止し、口元に笑みを浮かべる。


「アンコウよ。あの者に貴様が勝てば自由。負ければ、貴様は俺のもの。死ねば城外に捨てる」

 ハウルは何でもないことのように、淡々と言った。

「…………」


 ハウルはアンコウの強さを予想し、アンコウがあっさり負けることなく、しかし勝つことはかなり難しいだろうと思われる手持ちの駒を用意していた。

 それはまさにアンコウの言うところの、お貴族様の遊び。


 アンコウは赤鞘の魔剣を腰にさげ、名も知らない騎士がいるところへと移動をはじめる。アンコウはなかなか戦いに精神を集中することができなかった。

 アンコウは歩きながら頭をフル回転させ考えてる。


 グローソン公自身をはじめ、ここには自分より強い者が大勢いる。

 あのグローソン公が本当に自分に勝ち目がある実力の者を選ぶだろうか、仮に自分が勝てたとして、グローソン公は本当に自分を自由にしてくれるのだろうか、と。


「……あやしいもんだ」


 しかし、それでもここを生きて切り抜けるには、とりあえずはこいつに勝たなければならないと、アンコウは視線の先にいる戦士を見て思う。


(……だめだな、集中できない)

 緊張による不安や雑念は強くなる一方で、アンコウの心の乱れが落ち着く気配はない。

しかし、

「……まぁ、いいか」

(こいつを抜けば、いやでも頭の中が戦うこと一色になるさ)


 アンコウはチラリと腰の剣に目をやって、足を止めた。


 そして、少し離れたところから「はじめろ」という、バルモアの声が聞こえた。


 騎士が剣を抜き放って走り迫ってくる。その姿を見てアンコウは、ゆっくりと剣を引き抜いた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「カァーーッ!」

ギィンッ!

「おおう!」

ガンッ!

 キイィィン!

 戦いがはじまってしばらくの時間が過ぎても、互いの剣が激しくぶつかる音が広場に響いていた。


「ふぅむ。思ったよりやるな」

 アンコウと騎士が戦う姿を見て、ハウルはつぶやいた。


「バルモアよ。どう見る」

「はっ、意外ですが、ロムが少し押されているように見えますな」


 ロムはまだかなり年若い騎士であったが、生まれついたときより優れた抗魔の力に恵まれていた人間族の男であり、まだ子供と言ってよい年齢のころからグローソン公のもとで仕えている


「シィーーッ!」

ガァンッ!

 ギンッ!

キイィィン!

「 くくっ、」


「ふぅむ。アンコウの共鳴による力の上昇幅は予想より高いかも知れんな。バルモアよ、アンコウは冒険者としてはそれほどの実力者ではなかったのであろう」


「はい。しかし、あの男が共鳴を起こしたのはつい最近で、われらが拘束下に入ってからだと聞いております。あの力を持って冒険者として活動していたことはないはずです。しかし、足らぬ力なりに冒険者として戦いは経験してきたのではないかと」


「……経験、それに技術の差か」

「はい。ロムはまだ若こうございます。それに致し方ございませんが、その天与の才ゆえに、持って生まれた力に頼りすぎた戦いをしてしまっているのではないかと」


 アンコウがアネサの迷宮で、金を稼ぐため、生き残るためにごく当たり前に磨きつづけてきた剣の技が生きていた。

 アンコウは共鳴を起こしてもなお、その身に宿る抗魔の力の強弱だけで言えば、現段階で自分より強いの力を持つと思われる若い戦士と五分以上に戦っていた。


 そしてその傾向は剣を交える時間が長くなるにつれ、徐々に顕著なものになっていく。


(これはほんとに勝てるんじゃないか!?)

 アンコウ自身も己の優勢を悟る。


 それにアンコウはガルシアと仕合ったときよりも、共鳴による力の変化そのものが自分の身に馴染んできていることをはっきりと感じてもいた。


「…………へへっ、」

(なんだ、なんだ、楽しくなってきたぞぉー)


 アンコウの呪いの魔剣との共鳴は、アンコウの精神、性格に影響をもたらす。

 アンコウは剣を引き抜いてから、理性の部分で意識的にその影響を最小限度に止めようと集中し続けていたのだが、自分の優勢を悟ると少しそれに緩みが生じた。


「くっくっ、どうした、どうした!?どうしたよぉーっ!」

ギンッ!

 キイィィン!

「くっ、くそっ!」

ガンッ!

 ギィンッ!



「……チッ」

 ハウルはまずいなと思う。

「あぁ、読み違えたな。アンコウめ、意外と強いじゃないか」

 ハウルの態度はまるで競馬で馬券をはずしたような態度だった。


「殿、このままでは。ロムはこの段階で死なせるにはいささか惜しいかと」

「そうだな。……だが、もうしばらく様子を見よう。さすがにそんなにすぐに殺られることはないだろう」

「はい」


 ハウルはアンコウから目を離さずに見つめている。

(共鳴を起こせば、ロムよりも強いか。しかし、明らかに呪いが精神に影響を及ぼしている。戦いの手駒としては計算しづらい)


 ハウルは一軍の将としての手腕もなかなかのもの。楽しみつつも、冷静にアンコウの力も計っていた。



「よぉーっしいぃぃー!!」


 アンコウは一気に攻めきろうと攻撃をつづけていた。その攻撃は間違いなく相手の急所をためらいなく狙っていた。戦闘の流れはアンコウにある。

 しかし、しばらくすると、そのアンコウの顔が歪みはじめた。


「…………クッ、」

 アンコウの手が突然止まり、アンコウは大きく後ろに飛び下がった。

「ぐぐっ!」


 アンコウの目玉がすばやく左右に動いている。足が前に出ようと動こうとすると、すぐにまた引っ込める。

 じつに奇妙な動きをアンコウは見せていた。


 アンコウの頭がおかしくなったわけではない。アンコウは魔剣の影響に精神が飲み込まれていくのを自らの意志で必死で立て直していた。


(だめだ、だめだ。落ち着け、飲まれるなっ!)



「うん?どうした?ロムが何かしたのか」

「いえ、特に何もしていないかと……」

 ハウルとバルモアも少しいぶかしそうに、そのアンコウの行動を見ていた。


 アンコウの目の前で、ロムがところどころ血を流しながら、肩で息をしていた。

 アンコウは思う。どうやら勝てる目はあるようだが、できるならこの男を殺すのは得策ではないと。

 

 アンコウはグローソン公爵ハウルという権力者を信用してはいない。この戦いに勝利しても、本当に自由にしてもらえるかどうかは怪しいものだと思っている。


 アンコウはこの騎士の命を奪ったとしても、そのことでグローソン公が本気で怒るとは思わなかったが、今のいろんなことが不確かな段階でグローソン公の手の者の命を奪うことは避けたほうが賢明であると理性的な部分では判断していた。


「うおぉーっ!」


 ロムが気合声とともにアンコウに斬りかかってくる。アンコウはそれを己の剣で受け止める。

ギィンッ!

「くっ!」


 優勢に戦いを進めているとはいえ、アンコウにも決して余裕があるわけではない。

 いろいろ損得を考えていても、自分が死ぬぐらいなら大怪我をするぐらいなら、この騎士を殺すことにアンコウに躊躇ためらいはない。


 アンコウとロムは互いの剣をあわせ、全力で押し合う。


「クッ、…お前名前は?」

 アンコウが剣の押し合いを続ける中で、目の前にいる男に聞いた。

「な、なに?」

 ロムは手の力を緩めることなく、アンコウをにらみつけている。


「お前は…俺の名を知っているんだろう?不公平ってもんだ」

「…ロムだ」

「クッ、と、年は?」

「…16」


「……そうかよっと!」

 アンコウは体をねじる様にいなし、ロムの腹の辺りを器用に蹴り飛ばした。

ドガッ!

「ぐわっ!」


 アンコウはそのままロムに攻めかかるのではなく、再びすばやく移動し、ロムと距離をあけた。


「 くくっ、ハァ、ハァ、」

 アンコウはこのまま何も考えずに剣を振るい、あいつらを斬り倒したいという衝動をグッと抑える。

( くそっ、面倒くさい剣だ)


 アンコウはチラリと自分の手に持つ剣を見てから、ロムのほうを見る。ロムも自分と同じく、その場にとどまり荒く息をしていた。


 今の問いで、ロムは見た目どおりの年齢。ロムから感じる抗魔の力の強さに反して、ときおりロムの使う剣戦に見える稚拙さも、若さと経験不足によるものだとアンコウは確認した。


 アンコウは戦いの持っていきようによっては相手の命を奪うことなく、勝利することも可能だろうと頭の中で戦術と展開を組み立てる。


「まぁ、多少は痛い目を見てもらうぜ。若造」

 アンコウは小さくつぶやき、剣を握りなおした。

「とりあえず、あいつを倒せば命は守れる」


 自由になれるかどうかは交渉しだい、約束をたがえられるようなことがあっても、もう感情的にはならないとアンコウは割り切った。


(冷静に、冷静に。まずはいい形であいつに勝つことだ)


 アンコウはじりじりとロムとの距離をつめはじめた。



 グローソン公ハウルは二人の戦いを見ながら考える。アンコウは呪いの魔剣との共鳴の影響をそれなりに制御しているように、ハウルには見えた。


 それに、思っていたよりもアンコウの共鳴による力の上昇率は高く、今が限界にも見えなかった。それに剣を扱う技術も高い。

 そして、それ以上にハウルが注目しているのは、目立ちはしないがアンコウの戦い方そのものだった。


(……あの男、かなり頭が切れる。それに勘がいい)


 アンコウの冒険者としての戦い方は、生き残るため、少しでも自分に有利に戦いを進めるために、常に状況を的確に判断し、頭をフルに回転させて戦うというアネサの迷宮で心身に同化するまでに染みついた戦い方だ。


 それはたとえ共鳴により、力の上昇という変化があっても、アンコウが呪いの精神への影響を何とか抑えている限り、そう簡単に変わりはしない。

 ハウルは、今のロムでは力不足だったかと感情をまじえることなく判断した。


(ふぅむ。力の加減をさせる必要はあるが、バルモアと戦わせてもそれなりに面白かったかもしれん)


 アンコウのいやな予想どおり、ハウルは今の段階でアンコウを自由にするつもりなどない。この状況下にあれば、アンコウを拘束する理由など何とでもつけようがある。


「殿、いかがしましょか」

 ハウルの背後から、突然バルモアが小声で話しかけていた。


 長年グローソン公に仕えてきたバルモアである。主君であるハウルの考えは、バルモアはよくわかっていた。

 しかし今、バルモアが「いかがしましょうか」とハウルに問うたのは、戦っているアンコウたちのことではない。


 アンコウとロムが戦っている場所は、時間がたつにつれて、ハウルが座っているところから離れていった。アンコウたちが今いる場所は、建物の影がかかっていない日の当たる場所。


 ハウルの目に再び剣戟を交えはじめた二人の姿が映ってる。そこにはアンコウのペースに飲まれ、徐々に冷静さと体力を削がれていっているロムの姿があった。


 ハウルは、ロムが宿す抗魔の力は、現時点ではアンコウが共鳴を起こしたとしても、わずかながらアンコウを上回っているはずだと判断して、ロムを指名した。

 その抗魔力量に関するハウルの判断は間違っていなかったのだが、実際の戦闘に関しては、戦いが進むにつれて、ロムの劣勢が明らかになっていく。


「マリーシア(狡賢い)、と言うんだったか。あの戦い方は今のロムではできぬだろうな」


 実際、戦っているアンコウは、ロムとの抗魔の力の差をすでに問題視してはいなかった。


「殿っ」

 バルモアが先ほどよりも強い口調で呼びかけてきた。

 ハウルに声をかけているバルモアの意識は、さきほどからンコウたちの戦いに向いていない。


「……わかっている。バルモア、無駄にあせる必要などない。こんなバレバレの接近、力量が知れるというものよ。他の者共も今しばらく動かすな」


 ハウルとバルモアがいる場所は、アンコウたちが戦っている場所とは違って、建物の影がかかっていた。

 そしてその建物の影は、ハウルたちがいる場所とアンコウたちがいる場所のちょうど中間ぐらいの地点で切れている。影というのは太陽の移動にともなって、徐々に移動していくものだ。


 しかし、先ほどからその建物の影の先でチラチラと動き続けている建物のものとは違うもうひとつの影があった。


 その影は少しづつハウルたちがいる方向に近づいて来ている。

 それにその影を確認するまでもなく、少し前からこの建物の中階の屋根から、何者かがこちらに近づいてくる気配にハウルは気がついていた。


(……さて、素人鼠しろうとねずみは一匹だけのようだな)

 ハウルは、まだ一度も背後の屋根の上には目を向けていない。



バシュッ!

「つぅっ!」

 ロムの腕から鮮血が舞う。しかし傷自体はそんなに深いものではない。


(よしっ!いける、いけそうだ)


 今アンコウはロムとの戦いも自身の精神状態も実にうまくコントロールできていた。

 アンコウとしては、このままロムの体力を削り取り続け、最終的に殺すことなく戦闘不能状態に持っていく算段がつきつつある。


 ロムを無力化し勝利した後は、約束どおり自由にしてもらえれば最高だが、たとえそうはならなくても命の安全を確保した後、ハウルとちゃんとした交渉をおこなうことをアンコウは考えていた。


 ロムを殺すことなくこの戦いに勝つということは、この先グローソン公が自らの力を背景にどういう展開に持ち込んできても、その事実がアンコウにとって有利に働く材料となることは間違いない。


 結果的にアンコウはこの見世物のような戦いをすることになったのは良かったのかもしれないと、早くも考えはじめていた。


「よしっ、よしっ、」




「殿、これ以上は」

「……そうだな、動くまで待ってみてもよいのだが」


 ハウルとバルモアが背後に迫るものを警戒し、そう言葉を交わしているとき、突然背後の屋根の上から大きな声が発せられた。


『アンコウ!!助けに来たぞー!!!』


 見事なまでの大音声だいおんじょう。その声はこの広場全体に大きく響きわたった。


「なにっ!?」


 忍び寄る者がいることに気づいていたハウルとバルモアも、屋根の上から突然響いた大声に驚き、ここまで気づいていないふりをしていたのも忘れ、その声のした方向を見た。


 ハウルとバルモアが見上げる視線の先、屋根の上に隠れるそぶりなどなく、堂々と立っている者がいた。


 その者の背後から射す太陽の光に、その者の若草色の美しい毛が産毛までも反射し、まばゆいばかりにきらめいていた。

 そして首のうしろで束ねた髪の毛が、少し強めに吹いている風に乗り、まるで生きているかのようにたなびいている。


 その者の体型のフォルムは女。大柄なのは獣人ゆえだろう。広場全体を見渡すその目は自信と喜びに満ちている。

 迷いのまったくない真っ直ぐな目をした獣人の女戦士であった。



「殿、あの者がおそらく、アネサのマニかと」

「ほう、あれがそうか。確か、アネサの攻略戦のおり、最も警戒していた太守側の戦士の一人、コローツォを討ち取りし冒険者であったか」


 アネサの町に攻め込んだグローソン軍は、太守側の敵将コローツォを倒すためにわざわざ特別に強い力を持つ戦士の準備すらしていた。

 しかし、グローソン軍がアネサの町になだれ込んだときには、すでにコローツォは息をしない肉塊となっていた。


 アネサからの情報によると一対一の激しい戦いの末にコローツォを倒した冒険者の名がマニであった。


 それは、アンコウとマニがあの戦場で出会う少し前の出来事。

 そのマニが何ゆえかアンコウの従者となってこのネルカに来ていることは、ハウルたちにも知らされていた。


「アネサの一部冒険者たちのあいだで太陽の戦姫と呼ばれている新進気鋭の冒険者、とのことです」

「クックッ。アンコウめ、思いの外いろいろと楽しませてくれるではないか」


 屋根の上に立つマニに、臆する様子などまったくない。それはまるで正義のヒーローが現れたような立ち姿。

 それは正義のヒーローが何たるかを知る異世界人ハウルも感じた印象だった。


 しかし、同じ異世界人であるアンコウの様子はまるで違う。

 アンコウは口を半開きにし、何が起こっているのかわからないていで、まるで石化したように固まった表情で、少し離れたところから屋根の上のマニを見ていた。


「アンコウ!!約束どおり、助けに来たぞ!!」


 マニが再び高らかに叫んだ。そしてマニは、叫ぶと同時に屋根の上から飛び降りる。

 地面に足が着くと同時にマニは腰の剣を抜き放ち、その剣先をハウルたちがいる方向にむけた。


「お前がグローソン公か!アンコウは返してもらうぞ!」


 どうやらマニはグローソン公と戦う心積もりらしい。

 その行動に現在の状況をこれ以上確認しようという発想はなく、アンコウとともに逃げるという選択肢もなく、もはや敵と見定めた者たちの大将であるグローソン公と戦うと決めている者の行動だ。


 躊躇ためらいも迷いも一切見せず、マニは剣を手にグローソン公に向かって走り出した。

 そのマニとグローソン公のあいだに、護衛の者と思われる武装兵が一人、割って入った。


「賊め!身の程を知れ!」


 その武装兵が、マニにむかって怒声を放つ。両手で剣を持ち、マニを迎え撃つ体勢をとった。


「どけっ!お前じゃない!」

 走るマニの速度が、さらに増す。

「なっ!」

 その武装兵は、明らかにマニの動きについていけていない。


バシュューッ!

 マニの前に立ちはだかった兵士の喉元から鮮血が飛び散る。


 たった一刀。走りよるままに踏み込み、流れるようにマニは剣を振るった。

 グローソン公ハウルの直接警護をしているような兵士が弱いわけがない。マニが強いのだ。


 今ここにハウルの警護についている者は少ない。マニが一人斬り倒しただけで、マニとハウルのあいだには誰もいなくなった。


 しかし、ハウルの表情にあせりの色はまったく浮かばない。ハウルはマニを見てニヤリと笑みを浮かべていた。


「…ほう、おもしろい」



 あっけにとられていたアンコウの目に、マニに斬られたグローソンの兵士が派手に血を撒き散らしながら倒れゆく姿が映った。

 マニの登場からここまで、ごく短い時間の出来事だ。アンコウにそれを止めるすべなどまったくなかった。


「こ、公爵様!」

 アンコウと戦っていたロムが、主であるグローソン公のほうを見て声をあげた。


 そしてロムは主君に仇なす者を討ち果さんとアンコウの前からきびすを返し、走り出した。

 それを見て、アンコウの精神的石化も解ける。


 しかし、アンコウはすぐには次の行動に移れなかった。溢れ出すアンコウの怒りと苛立ちは、声にもならないものがあった。


「…あが……(し、信じられねぇ、信じられねぇ、全部、全部パァだっ!)」


 アンコウの共鳴による好戦性が、殺意を帯びたものに変質しそうになる。

 その殺意の対象はグローソン公たちではない。アンコウの怒りを激しく刺激したのは、間違いなくマニだ。


 アンコウにとって、何とか都合よく動きそうになってきていた状況を、マニは一瞬で壊した。


(何であの女がここにいるっ)


 マニはアンコウを助けに来たのだ。



「グローソン公!もう逃げられないぞっ!」


 少し離れたところで、マニがグローソン公に血に濡れた剣をむけて叫んでいるのが、アンコウの耳にも聞こえた。


(バカがっ、逃げられないのはこっちなんだよっ)


 アンコウは目がくらむような怒りと殺意との共鳴に飲まれるのを避けるため、手に持つ呪いの魔剣を急いで赤い鞘にしまった。


「ぐうぅっ・・・クウッ、」

チンッ、

「ふはぁっ、ハァ、ハァ、……く、くそっ!」


 そして剣を鞘にしまい、顔をあげたアンコウの目に、マニがグローソン公に斬りかかっている姿が見えた。


 アンコウにはマニのその行動がまったく信じられなかった。その行動の先に何があるというのか。

 奇跡が起こりマニがグローソン公を倒したとする。しかしそれでも、この状況下ではアンコウは自分も殺される結末しか想像できなかった。


 しかし、アンコウはもうどうにもできないとも思った。不法侵入者であろうマニはもはやグローソン兵を斬り殺し、グローソン公自身にも刃を向けている。

 どんな言い逃れが通じるというのか、この短い時間で状況は確定的、決定的に変わった。できることがあるとすれば、祈ることぐらいだとすらアンコウは思う。


 それでも何とかアンコウは次の行動を起こす。

 アンコウはマニやグローソン公がいる方向とは逆、この中階の屋外広場の端に向かって全力で走り出した。


(どうする?どうする?)

「くそーっ!」

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